其ノ六拾 河童が悪さをしていた村
奇妙な村だった。
日本の遠野盆地に位置する、山際の集落。茅葺き屋根と土壁の曲り家が散在し、里にも山にも、古くからの妖怪が在り続けてきた土地である。猿ヶ石川との間に広がる湿地は、水辺の怪異に今でもよく出くわすスポットとして知られ、特に河童が目当てなら、この辺りが第一の選択肢になることだろう。
「ね? よく効くでありましょう?」「ござろう」
その昔に、馬を沼に沈めるなどの悪さをしていた河童から、お詫びとして製法を伝えられたという霊薬。それについても気になると答えたところ、振る舞われた料理を食べてる最中にも拘らず、私の体で実演をしてくれた。
なるほど、確かに素晴らしい回復速度だ。案内人に伴う侍姿の剣術家、彼が放った居合の一閃で尺骨動脈を切断されたのだが、河童の妙薬なる軟膏が塗られるや否や、瞬く間に傷口すら分からなくなった。
「不思議でありましょう? 河童石の上で3年間も寝かせた、極上の品でありますから」
ん、河童石とは何だろうか。血に塗れた左手を拭いながら、初めて聞く言葉だなと思って質問をする。
「河童の妖力の要となる石でありまして、自然の氣が集まる場であります。元から力を持っている場と石を見付けるか、長い時をかけて力のある石をこしらえ、そうした場に変えるかするのであります」
へえー。後者の場合は、シアノバクテリアがストロマトライトを作るような感じだろうか。面白い。
「この河童石に物を置きますと、自然の氣が染み渡りまして、力を持つのであります。氣を溜められる量は物によって異なりますが、河童の教え通りに練った軟膏では、とても多いのであります」
神霊を対象とする組織の構成員なだけあって、その分野についての詳細な知識が返ってくるな。ただ、軟膏の原料についても知りたく思う。
「艾葉、十薬、虎杖根、大薊実、天麻、旱蓮草、蓮房、田七、杏仁、桃仁、地楡、荊芥、槐花、蒲黄、それに馬油であります」
おっと、生薬の名前で言われてもよく分からない。ひとまず、フキノトウの香りとほろ苦さがいい感じの郷土料理、ばっけ味噌を白飯と共に味わいながら、馬油のために河童は馬を沈めるのかと聞いておく。
「面白い考えでありますな。しかしながら、薬を作らない河童も駒引きますし、生き肝が目当てでありましょう。河童が自ら薬を作る際には、皿の油を使うようでありますし」
皿に油…? 水ではなく? 茶をすすり始めた案内人に、そんな疑問を乗せた目を向ける。
「頭の皿には水を湛えることもありますが、実は油を湛える方が多いのであります。西の河童ほど、そうでありましょう」「ござろう」
ふーん。水である必要性は特に無く、皿が乾かなければいい、ということなのだろうか。皮脂の分泌腺があるのか気になってくる。
さて、生薬名では分からなくて調べたところ、ヨモギ、ドクダミ、イタドリ…他にも、止血に作用するポリフェノールを含む植物ばかりだな。血液凝固や抗炎症の働きをする物質も含まれるし、これだけで十分に優秀な傷薬だと言えよう。
「確かに、氣が抜けた薬でも止血には効くようでありますな」「ござる」
原料で少し気になったのが、サンシチニンジンとケイガイの2つだ。これらの薬草は日本原産でなく、特にニンジンの方は栽培すら難しい。今も昔も、この辺りの山野で採れるとは考えにくいのだが。
「ああ、それは、河童が中国から持ち込んで、自分たちの縄張りで育てているのであります」
中国から? 河童が? 分からないことだらけである。
「河童は、元は通臂猿猴という中国の猿の妖怪でありまして、これが九州のいづこかに渡った後、水神へと転じたのであります」
ふむ。
「ですが、同じく中国から渡ってきた龍との争いに敗れて、水辺の妖怪たる河童へと落ちぶれたのであります。その後、逃げるように日本中に散ったようであります」
ふむ、ふむ。
「強い力を持った河童ほど、九州から離れなかったようでありまして、それ故、彼の地には河童石も多くあるのであります」
ふむ、ふむ、ふむ。
「強い力を持つほどに、水氣の強まる冬には水神たる龍との折り合いが悪くなりますので、そうした河童は冬の度、山童などに変じるのであります」
河童について詳しくない私に、案内人は親切に説明を続けてくれた。なるほどなあ、東の河童ほど水神の眷属化が進んでいて、冬の間も山に入らず、河童のままなケースが多かったりもするのか。勉強になる。
「…それでは、そろそろ河童のところへお連れするのがよいでありましょう」
お、ついに始めるか。茶の間から行う場所へと移動するようなので、少し残してあった味噌汁をゴクリと飲み干す。うん、これもフキノトウの風味がふわっと広がってきて、いい感じだ。春の訪れを舌と鼻とで楽しめている。
「所によって、河童の呼び名も違っておりまして、水蝹、一目入道、セコ、エンコウ、川太郎などと様々なのであります」
移動中にも説明してくれるとは、ありがたい。違いと言えば、私は形態的な差異にも興味があって、指の数とか、甲羅の有無や背腹での配置…特に、背側だけにあるパターンが気になっている。
「ああ、それなら、捕らえた河童がそうであります」
おお、それは良かった!
「頭の皿も、有ったり無かったり、大きな目が付いてたりもしますし、湛えた油に火を灯すなどと様々な有り様でありますよ」
それもまた、興味深いな。面白い。色々と見てみたい。…といった感じで楽しい気分に保たれたまま、家の奥に配された馬小屋に到着した。煙を逃がすための屋根下の穴から、うっすらと輝く三日月が見えている。
「こちらが件の河童であります」
月から目を落とすと、そこには河童が寝かされていた! 確かに、背中だけに甲羅があるタイプだ。指は手足ともに5本ずつ。鼻と一体化したクチバシがあり、目は2つで耳には耳介。頭には毛で縁取られた無毛の凹み、つまり皿があって…うん、いいね! 木製の台の上でおとなしくしてるのは、湿らせた綿を皿に固定することで、半死半生に調節しているのだと思われる。
「まだ若い河童でありまして、前の春にも馬を川に引きずり込んだのであります。その時は魚を捕ってくるからと許したのでありますが、またとなりますと…」
懲らしめる必要があるわけだ。それで、懲罰としての解剖が行われることになり、以前から興味を持っていた私に声をかけてくれた、というのが今回の事情である。
さーて、それでは妖怪を切るのだからオリハルコンの……あ。あのメスは、知人に貸しているのだったな。
「切る物がないでありますか? それでは、この者の小刀を使うのがよいでありましょう」「……ござろう」
ちょっと申し訳ないが、ありがたく使わせてもらうとする。金属を嫌う河童が対象なのだから、手持ちのメスでも切ることは可能な気がするものの、精緻な解剖を行うにあたっては、より適したものを使用するべきだ。
「どうぞ、存分に懲らしめる時であります」
よし。始めよう。
まずは外観の観察から。…ふむ。元になった妖怪の特徴を引き継いでいるのか、骨格はサルの要素が強いように思う。尾が無い点などから類人猿的である。
皮膚は両生類的なヌメッとした質感。斑模様については、モリアオガエルとアズマヒキガエルを混ぜたような感じがするか。
手足はサル…何のサルだろう? ともかくサルをベースに、カワウソとカメを合わせたかの様で、立派な水掻きと少しのウロコを備えている。
強いて言うとイシガメっぽさのある指とは異なり、クチバシはウミガメ…アカウミガメに近いだろうか。うん、甲羅も部分的にはそうだな。
甲羅は本当に背側しかなく、同様のパターンな実在のカメは思い当たらない。腹側にだけ甲羅を持つカメであれば、化石種で存在するのだが。
ふーむ、影響を受けている動物を種のレヴェルまで特定するのは、難しいな。色々な動物のイメージが変質しつつ組み合わさった、一種のキメラ的な妖怪なのだろう。
「鵺的、でありますね」
おっと、日本支部の者にギリシャ神話からの表現は好ましくなかったか。鵺ね。サルの頭、タヌキの胴体、トラの四肢、ヘビの尾を持つ、日本が誇る大妖怪。
「鵺にも当てはまることでありますが、妖怪の姿は常に同じである方が珍しくありましょう。河童につきましても、場によって、時によって、見る者によって、様々な姿を示すのであります」
そう話しながら案内人が見せてくれたのは、多種多様な河童の写真だった。へえ、これがさっき言っていた皿に目のあるやつか。あ、こっちのは甲羅が無い。これは逆に、カメの様にすっぽりと覆われている。お、肌の質感がエイみたいなのもいるな。
「エイでありますか。それは、ここから山を越えた先の海に出た河童であります」
なるほど。その地域、その環境に生息する脊椎動物の影響を色濃く受けるのだろうな。今回の河童も、あくまで河童の1パターンに過ぎないのだと、きちんと意識しておくとしよう。
では、解剖に移る。
今回、主に見ていくのは骨である。動物が変化した妖怪の場合、筋肉は半ば一体化して原型を留めないケースがほとんどだが、骨は特徴を残しがちなのだ。
「カーーーッパ!!」
頭蓋骨からアプローチを始める。借りた小刀を使って、首元から皮と肉を剥いでいくが…筋肉はかなり変質している。やはり、骨の観察が中心でいいだろう。
「カーッパ!! カパッ!!」
慣れない道具なこともあり、ちょっと剥離に手間取ってしまったが、まあ上手い具合に露出させられたと思う。皿の下から首の上までの骨が、一目で観察を出来ている。
「カパァッ!! カパァッ!!」
ふむ。側頭窓は確認されず、全体的にサルの頭蓋骨との類似点が多いように思われる。その一方で、口元から側頭部にかけてはカメに近しい印象も受ける。
「カパァッ! カパァッ!」
外からの見た目だけでなく、内部の構造も混ざったキメ…鵺的な感じなのだと理解されるな。鳥類の頭蓋骨とは全く異なるので、クチバシが鳥的でないことは二重に言えよう。
「…カパァッ! …パァッ!」
あー、皿は、頭頂部の骨が露出したものだったんだな。こうして剥いて見ると、それがよく分かる。そうすると、周囲に生えた髪?の毛穴に、発達した皮脂腺が繋がってるのかも知れない。
「…カパァッ…パァ」
お次は甲羅だ。この河童、背中に甲羅を持ちながら、胸部に肋骨もある点が実に興味深い。カメの甲羅は肋骨がベースになっているのだから、片方しか存在し得ないはずなのだ。
「……カパァ」
小刀の扱いに慣れてきて、甲羅の切り離しはスピーディーに出来たと思う。…おお、こういうことか! 甲羅の骨組みになってる椎骨と肋骨の下に、それらがもう1セット存在しているのが見て取れる。
「……カパァ」
つまり、椎骨・肋骨のセットを背側に重複させた上で、増やした方は甲羅にして背負っている、と。いやー、縁甲板までしか甲羅がないことも変だけど、この二重構造はそれどころではない奇抜さだ。
「……カパァ」
背骨を2本、用意するメソッドかあ。一部の魚の様に、肋骨が二重に生えてる線は考えていたが、これは予想外だった。いや、まあ、そもそも、妖怪に対して発生学的な考えは、意味を為さないか。
「……カパァ」
さて、甲羅を外して露出させたのだし、肩帯の骨格も見ておこう。観察しやすいように筋肉を剥いでいくと……いやはや、こちらも驚きだ。肩甲骨があるはずの位置に大きな靭帯があり、左右の腕を繋げている。
「……パァ」
ふむ。骨と骨とを繋げているので靭帯と表現はするが、ゴムの様に高い弾性がある点ではそれらしくない。鎖骨とも繋がっていて、肩甲骨の様な形を保っているのも不可思議な点だ。これでどういった動きが可能なのか気になるので、少し刺激を与えてみる。
「…カパァッ! …パァ」
あー、なるほど。こう動くのか。どうやら、この靭帯は自律的な伸縮が可能であるらしい。大部分がぎゅっと縮んで、左の上腕骨の付け根が、右腕の方まで引っ張られてきた。左腕は半分ほどが、体の中にずぶっと沈んでいる。更に押し込むように力をかけてみよう。
「…パァッ!」
左腕が手だけ出る程度にまで収まった時点で、右腕は長さを半分ほど増していた。河童の有名な特徴だ。どうやら、逆サイドの腕の骨が押し込まれると、腕の肉と皮がびょんと伸びるようになっているらしい。
「……パァ」
鎖骨の位置は変わっておらず、靭帯はその接続部だけ随分と伸びている。これを刺激したら、元に戻るだろうか。おお、ぐにょんと戻った。なるほどね。河童が片方の腕を引っ込めてもう片方の腕を伸ばす、その仕組みについての知見を深めることが出来た。
「………パァ」
最後は開腹だ。もうすぐ制限時間に達するし、さっと済ませよう。…ふむ、ふむ。まあ、かなり変質してはいるけど、サルっぽいな。虫垂があるし、総合的に判断してテナガザルっぽいかな。手は長くないけど。
「締めの時であります。懲らしめ、お疲れ様でありました」
うん、とても勉強になった。素晴らしい機会であった。案内人から特別な糸と針を借りて、感謝の気持ちを込めながら縫い治していく。河童の妙薬も塗っておこう。おお、あっという間に治っていく。
「テナガザルに似ているとのことでありますが、通臂猿猴はその変化であります故、正しい考えでありましょう」
ああ、そうか。通臂というのは、河童の手が伸びるのと同じ現象を指しているわけだ。中国の人々が、テナガザルに手が伸びているような印象を持って、その想いが妖怪に影響を及ぼして、それが河童にも引き継がれている、ということだろうか。
…ん? 侍姿の剣術家が、元気になった河童に何かを書かせている。
「詫び証文であります。こうした悪さをしたという旨を書いているのであります。さあ、こうした懲らしめをしたという旨を書いて下さいませ」
詫び証文なんてものがあるのか。それでは、端的に記そう。解剖しての私の気付きではなく、どの部位にどんな行為をしたのかを書くべきだろうな。…うん、こんなものか。
「はい、これで結構であります。控えが2枚ありますので、1枚は持ち帰るとよいでありましょう」「ござろう」
原本は彼々の組織で保管し、もう1枚の写しはこの河童が持って帰るようだ。河童と目が合う。その眼は、恐怖で濁っている感じではなく、いたずらを叱られた子供が、終わったならもう遊びに行きたいと思ってる時のそれに思えた。
「カーーーッパ!!」「ポチャンっ」
馬小屋からそう離れていない小川へ、河童が元気に戻っていくのを見届けた。その流れで、案内人と剣術家に別れを告げて、まだ土色だけの田んぼが広がる盆地へ体を向ける。
それにしても、鎌鼬なんかのする戒めと比べて随分と重い罰だと思いながら、私は次の村へと歩みを進めた。




