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ばいおろじぃ的な村の奇譚  作者: ノラ博士
54/62

其ノ五拾四 閉鎖的ながら多様な村

 奇妙な村だった。


 中華人民共和国の雲南省、怒山山系の南端に位置する、辺境の土地。瀾滄江(らんそうこう)怒江(どこう)、2つの河川に挟まれた山岳地帯であり、なだらかな稜線が見渡す限りに続いている。この辺りの標高は二千メートルにもなり、空気が薄いため、暖まりも冷えやすくもあって気温の日較差が大きい。その一方で年較差は小さく、今時期でも昼間には暖かさが感じられる。

 日本ではまだ梅花も見られない季節だが、ここではモモの木々が濃いピンク色の花を咲かせており、中国の奥地でのこうした様は、訪れる者の多くに桃源郷を思わせるだろう。


 山道に入り、竹林を越えた先で視界が再び開けると、山頂付近まで広がる棚田が見えてきた。人里離れたと思えてしまうこの様な場所にて、少数民族の村が散見されることもまた、この地の特徴であろう。


 少し進んでいった先では、高床式で藁葺(わらぶ)きの家が幾つも建ち並び、鶏や豚がそこらを自由に歩き回っていた。小規模ながら畑も見受けられる。

 バナナの草の下には、楽しそうに遊んでいる女の子が3人。白のブラウスや、赤とピンクの毛糸のセーターなどを着ていて、それらはどれも真新しい。今日はちょうど旧正月なので、年始めに服をおろしたということだろう。黒をベースに赤や黄色の模様が織り込まれた、房付きで長方形のショルダーバッグも使用感は少なく、こちらは伝統を感じさせつつ可愛らしい。


 観光客らしき者は見当たらないが、村人たちの雰囲気から察するに、全く来ないわけでもなさそうだ。農具に供えられてあるっぽい丸餅を見ていると、「食べたいなら調理して売ってやろう」みたいな感じに、壮年の女性が話しかけてきた。私は迷わず少額のお金を手渡して、その女性の家へとあがった。


 どうやら餅を油で揚げてる最中だったようで、間もなくタケの葉に包んで手渡された。熱々だ。少しまぶされたのは砂糖だな。それでは頂くとしよう。…うん、良い。初めて食べる食べ方だが、シュガーグレイズのかかったモチモチなドーナツを思い起こせば、美味しいのは自明に思われる。甘酒も1杯買って、ここまでの移動で空いていた小腹を満たしていく。


 さて、もう十分に休まったな。ピンとくるものは何も見当たらなかったので、そろそろ別の村へ向かうとするか。知人との待ち合わせ日時までまだ余裕はあるものの、どうせなら道中には何か生物学的な刺激が欲しいのだ。

 そうして村の外れ、黄色い菜の花畑の向こう側へと進んでいき、その先の斜面を登り始めた。今からなら、夕方前には尾根を越えられるだろう。


 町へと続く道ではなく、わざわざ険しいルートを選んだのは、この尾根を越えた先に行くのが村の禁忌(タブー)になっていそうだからである。先ほどの女性があちらを指差して、はしゃぎ回る男の子たちに神隠し的な昔話をするのが、辛うじて聞き取れたのだ。

 ふう。わりと急な斜面だな。樹木がそこそこ生えているので、寄りかかって休みながらに出来るのは幸いだと言えるが。


 1時間半後。


 ……ううーむ。無事に尾根までスムーズに登ったところまではよかったが、ちょっと景色の良さに気を取られていたら、逆サイドへと滑落してしまった。まあ、大したケガは無いし、ゆっくり降りるはずだったのを時間短縮したのだと、ポジティブに考えることにしよう。

 何より、目の前には人が住んでそうな家が1軒建っている。今度こそ人里離れた、山奥の不思議に出会えるかも知れない。


 ふむ。平たく割った竹材を編んだような造りの壁や、藁葺き屋根については先ほどの村で見たのと同様だが、太めな木々の間に引っかけた複数の丸太を足場にしてる点が独特だな。やや離れた場所に見える雑穀の畑についても、同じく丸太で成された平地上に作られている。

 この辺りは、とても急な崖に挟まれた小さな領域のようなので、そうでもしなければ平たさを得るのが難しいのだろう。


 ここから上に登るのは大変そうだなと、その隔絶性の高さを認識していた間に、目の前の家から4人の子供たちが出てきていた。皆、不思議そうな目で私を見ている。彼らの足元にいる鶏さえも、異質な訪問者に対する驚きを禁じ得てないような気がした。

 ここは、友好的であることをアピールするために、贈り物をするのがいいだろう。私は懐から干した豚肉を取り出して、1番年長そうな子に手渡した。


 よしよし。4人で分けて、美味しそうに食べているな。これで心を許してもらえるだろうか。そうした効果をより高めたければ、チョコレートなどを用いる手もあったのだが、そんな、今後もういっさい食べられないだろう嗜好品を与えるなんてことは、ある種の呪いと言ってもいい行為だ。気軽に行うべきではないと、私は考える。


 干し肉で懐いてくれた子供たち。その衣服は着古された感じこそするものの、先ほどの村で見たバッグの意匠との間に共通性が見出せる。

 この4人に腕や服を引っ張られ、連れてこられた場所には、対岸へと緩く角度をつけてロープが張られていた。あちら側からも、それとクロスするように設置されている。どちらも急な斜面なので、楽に移動するための手段としてこれらを用いているのだろう。


 竹筒と両端が輪っか状のロープを滑車にして、大きい子から順に向こう岸へと渡っていく。私も、手渡されたその道具を使って試してみる、が……!! いやはや、結構スリルがあるな。谷底までは数十メートルもあるし、これは落ちたら大変だ。吹き抜ける風に横から揺らされるし、バランスは取らないといけないしで、手元の力は一時も抜けない。

 時間にして数十秒くらいのアスレチック体験。対岸が目前になるタイミングで体勢を整えて、ロープを縛り付けてある大木に足を当ててのブレーキをかける。うん、楽しかった。


 子供たちは元気なもので、すぐさま上に登って元の側へと戻ろうとしている。渡ってきた側にも家は1軒だけだがあり、そこから新たに5人が加わる。

 この遊びは、3往復を終えた時点でようやく終わった。体重的に考えて、大人の方が疲れているのは当然であろう。今日はもう日が暮れてきたし、彼らの家に泊めさせてもらうとする。干し肉を宿代にしての対応で、問題は無いはずである。


 その様にして、それなりに歓迎されて家へと招かれた。中に入ると、ここでも丸い餅が、木製の農具に備えられているのが観察された。焼いたものを食べさせてもらったが、こちらのはキビが入っており独特な甘さが感じられる。食べたことの無い優良な品種だな。

 食事の後は、火でも電気でも灯りは用意されなかったので、早々に床につくことになった。私は自分の寝袋に入り、それを興味深そうに見ていた子供たちは、私に寄りかかるように就寝した。気が付くと鶏まで寄ってきており、これなら夜でも全く冷えないだろう。


 さて、この2家族から成る小さな村には、何か面白いことが期待を出来るのではと踏んでいる。

 風貌や風習から判断して、昼過ぎまで滞在していた村と同じ民族に由来すると思われる、計17人の住人たち。神隠しにあった者の子孫なのだろうか。古い家や畑の痕跡などを見るに、少なくとも数世代に渡ってこの領域で暮らしてきたはずである。その少人数さと外界からの隔絶性のため、近親交配が行われてきたと考えるのが妥当であり、実際それは、顔面の骨格に特徴的なパターンが共有されてることからも察せられる。


 しかし、近親交配を重ねているにしては、何か違和感を覚えてならない。具体的に言語化することは難しいのだが、そうにしては、遺伝的な多様性が、彼らの見た目や行動から感じられるのだ。これは私の経験に基づく勘みたいなものになるが、個人的にはだからこそ信じるに値する。

 ひとまず、村人たちの間で遺伝子変異の組み合わせがどうなっているかを、確認してみるべきか。


 遊んでいる最中や、家人とのあいさつの間にサンプリングは済ませておいたので、村人たちのゲノム解析の結果は既に出ている。

 ふむ、やはり。遺伝的な多様性が、親子間・兄弟間とはとても思えないくらいに高いな。と言うか、人類史上でのボトルネック効果によって、現在の人間における多様性は、チンパンジー間のそれとは比べようも無いほどに低下しているのだから、これは明らかに異常な状況である。進化が加速していると言い換えてもいい。


 ガン抑制に働く遺伝子変異が目立つか…? いや、GからA、CからTへの変化ばかりなのに注目すべきだな。まず間違いなく、N-ニトロソ-N-エチル尿素、ENUと略称される著名な化学ミュータジェン、もしくはそれに類する化合物による影響だと思われる。

 DNAにアルキル基を付加するタイプの変異原であり、古典的な手法として、かつて様々な動植物にて多様な変異を持たせるために使われていた、一連の化学物質。村人たちが、それによって遺伝的な多様性を持たされているのだと考えるなら、ここはどこぞの実験場だろうか? あるいは、何らかの環境要因によるのだろうか?


 翌朝、私は早起きして周辺を調べていった。まずは土壌中に化学変異原が含まれるかを確認するため、アナライザーで分析して回る。すると、ほとんどの土壌サンプルから、低濃度ながらENUに類する物質やその前駆体が3種類分も検出された。

 次に、植物やキノコに土壌生物などで遺伝子変異が見られるかを確認していったところ、村人たちと同様に、多くの変異がAT塩基対への偏りを伴って確認された。ここら辺のあちこちの土にミュータジェンが含まれることから、当然の結果であろう。なお、キビについては食味が良くなる変異も確認された。


 谷底まで降りて、乾季のため少なくなっている川の水を採取する。成分分析の結果は…………変異原は、かなり低濃度であった。ということは、川の上流が大本というわけではなさそうだ。この近辺における局所的な要因があるのだろう。

 では次は、すぐそこの、水が少し湧いてる場所を調べてみようか。じわじわとしみ出ている程度の、ややタンニンの色味が感じられる小さな泉だ。さて、こっちの水は…………おお、そこそこ高い濃度で検出されるな。これに時々でも触れているのだとしたら、村人たちの状況は当然だと思える。


 ふーむ、人為的な感じではなさそうだな。おそらく、何らかの植物にでも由来するアミン類の物質が、土壌中にて亜硝酸と反応することで、ミュータジェンが自然に生じたのではなかろうか。そうした状況に寄与するポテンシャルのある植物が、少なくとも1種類、この泉のすぐ上に視認されるので、おそらくその線で当たりだろう。

 では、この泉を中心として、周囲に生えている植物などをどんどん調べていくとしよう。計3種類分が見付かれば、ほとんど解明を出来たことになる。


 おや、子供たちが起きてきたようだ。4人とも、こちらに向かって斜面をどんどん降りてくる。そして、次々に泉の中へと飛び込んでいった。なるほど、水浴びか。大人が楽しめる規模の水場ではないが、子供はこうして変異原に触れることがあるのだな。

 動物実験でも、全身をENUなどの水溶液に浸ける操作は行われる。低分子であり脂溶性でもある性質により、そうすることで皮膚から体内に入るのだ。また、強固なバリアである血液精巣関門すらも越えていくというアドバンテージがあり、精子の元となる細胞にまで効果を及ぼせるので、子孫に受け継がれる多様な変異をお手軽に作ることが出来る。人間なら、その細胞が盛んに分裂する思春期が好ましいが、現にこうして1人はそんな男の子が遊んでいる。


 閉じた環境での、おそらく少人数から始まったであろうこの村にて、遺伝的な多様性を確保するというイレギュラーには、まあこのくらいには変わった状況が必要だろうな。

 変異原がこうも身近に存在するとなると、その発ガン性が気になるところだが、ここの村人たちには共通して、ガンの浸潤と転移を抑える遺伝子変異が確認されている。つまり、ガンが頻繁に発生すること自体は防げない一方で、それをその場に留めておく能力が高まっているわけだ。実際、セルフリーDNAについて追加で解析を行って分かったのだが、原発巣の異なる複数のガンを患ってる大人が多かった。まあ、その割には長生き出来るといった感じになるか。


 ……よし、変異原の元になる成分を有する他の2種類の植物についても、特定を出来たぞ。どちらも未記載種だが、初めに見付けたものと近縁なのは確かであり、トチバニンジン属に分類される。ゲノム情報からは人為的な改変の痕跡は見られないし、単なる野生の植物だろう。

 つまり、この村における奇異な状況は、完全に環境要因によるものだと判断していいはずだ。地中で自然に生成された化合物が、雨水によって地下へと移動していき、変異をもたらす泉として湧き出ているわけである。


 中々に珍しい状況で、良い刺激になったな。それでは、子供たちが水浴びに夢中な内に、川を下って外の世界へ出るとしようか。地形を考慮するにそこそこの滝がありそうで、それが少しばかり大変そうに思われるが、まあ何とかなるだろう。

 この村には、良いタイミングで来られたと思う。DNA修復の能力を高める変異が生じ、それが子孫の中で広がるフェイズを経ていたなら、ガンには強くなる一方で、新たに遺伝的な多様性を得ることも阻害されてしまう。そうなると、今の様な興味深い状態はもう成立しない蓋然性が高いのだから。また、そうでなくとも、小規模な集団で遺伝子変異が蓄積し続ければ、いつかは破滅的に遺伝病がはびこるはずだ。その様なことを考えながら、私は次の村へと歩みを進めた。

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