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ばいおろじぃ的な村の奇譚  作者: ノラ博士
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其ノ五拾参 桃太郎伝説が伝わる村

 奇妙な村だった。


 日本の津山盆地に位置する、川沿いの集落。防腐と耐火に優れる焼き杉の板を使った家屋が今も多く残り、その黒さを基調とした景観からは独特な風俗をイメージさせられる。

 そうした古民家の1つにて、囲炉裏の前で食後のお茶をすすりながら、私は馴染みの後輩と話をしていた。


「ところで、(きび)団子って猿は喜んで食べそうですけど、犬と(きじ)はどうなんですかね?」


 犬も喜んで食べるんじゃないかな。家畜化の過程でアミラーゼの量が増えてるから、炭水化物の消化もまあ大丈夫だし。


「では、雉は? そもそも食べづらそうですが」


 団子みたいな塊でも、くちばし使ってちびちび食べれる。それに、昔のきび団子なら雑穀のキビが主原料だろう。それは好物だ。


「なるほどー」


 まあ、キジからしたら団子にするよりも、元の穀粒のままな方が嬉しい気もするけど。表面にまぶしとくのがいいかも知れない。


「だとしても、桃太郎はお供の動物が好んで食べる餌を持参していた、ということですね!」


 なんていう取るに足らない小話を延々と続けられる、楽しめる関係性というのは、この歳になると貴重だなと実感される。

 後輩が岡山県のきびだんご(吉備団子)を口に放ったのとほぼ同時に、私は北海道のきびだんご(起備団合)をねちりとかじった。羽二重餅の方もいいが、やはり水飴ベースであんこが練り込まれた地元の品が口に馴染む。


「ちなみにですね、最初期…江戸時代の初めくらいまでの桃太郎は、黍団子でなく、(とう)団子というのを持ってた話が多いんですよ」


 へえ、それは知らなかったな。とう団子、どんな味なんだろうか。


「団子の種類に限らず、時代や地域によって、桃太郎の物語には色んなバリエーションがあります。お供が動物じゃなかったり、結婚してめでたしのパターンだとか、中には鬼退治をしない話なんてのも知られていて、それらは決して珍しくはないんです」


 鬼退治をしない桃太郎? それは最早、別物と言ってもよさそうに思えるが。…バリエーションと言えば、モモの実が流れてくる時のオノマトペについて、どんぶらこ以外もあるってのは何かで見聞きしたな。


「それは、方言と捉えるのがいいでしょうね。例えば岩手県の例だと、つんぶく かんぶく つんぶく かんぶく、とか」


 どこの言葉だかは知らないけど、どんぶりこっこ すっこっこ、とか。


「ゆったい くわったい。これは沖縄県です」


 んー、無限に出てきそうなボキャブラリーだ。流石である。


「取り分けて興味深いのは、桃太郎の出生に関する差異です。先輩は、果生型と回春型のどっちが先かという議論はご存知ですか?」


 いや、初めて聞いたな。


「果生型は、桃から生まれた桃太郎のことです。()実から出()したという意味で、現代ではこれがスタンダードですよね」


 ふむ。


「一方で、おじいさんとおばあさんが桃を食べたところ、若返って子作りをしてというパターンもあります。これが回春型です」


 へえ、それは面白い。どっちにしろモモではあるんだな。


「それには、昔は桃が食用というよりも、薬として使われていたことと、関わりがあるのだと思います。桃源郷に代表される、神秘的なイメージも伴いますしね」


 なるほど。確かに、花見や薬用としての用途の方がメインだったらしいな。種子には青酸配糖体であるアミグダリンが高濃度で含まれていて、それは今でも咳止めなどに利用される。


「流石、その辺は詳しいですね。…でですね、つい夕飯前の調査の時に、果生型とも回春型ともつかない、奇妙な絵が見付かったんですよ」


 後輩はそう言って、鞄から取り出した古めかしい紙切れを見せてきた。周縁部がかなりボロボロな紙絵であり、元は何か書物の挿し絵ページだったのかと思われる。


「一緒に見付かった古記録などから、室町時代に描かれたものと推定されます」


 ふむ…そこに描かれてある人物は、老夫婦と思われる2人の男女。場面は民家の中であろう。老女は布団で仰向けになっていて、股を大きく開いている。

 その傍らで(おきな)が膝立ちし、モモを思わせるハート型の物体を老女の下腹部上にて抱えている。サイズは、このイラスト内では人頭大よりやや上だ。…他には、足元に小汚い包丁が置かれてるくらいか。


「どうです? おばあさんが、大きな桃を産んでいるように見えませんか??」


 おばあさんがモモを産んで、そのモモから桃太郎が生まれた、という新説を考えている? 果生型と回春型を繋げるかたちになるのだろうか。んん……いや、それはちょっと否定せざるを得ないな。


「なんと。して、その心は?」


 翁が抱えているハート型の物体は、確かにモモの実をイメージさせる。桃太郎の絵本で見られるものにもよく似ている。しかし、そういった先端の尖った特徴的なフォルムで表されるモモは、天津水蜜桃がデフォルメされ、記号化したものだ。そして、その果実が食用として中国から入ってきたのは、明治時代なのである。室町時代に描かれているというのは、どうにもおかしい。


「ああ〜っ! なるほど! 確かに、昔の絵だと桃は丸っこく表されますね…!」


 ここに来るまでの道中、農学セクションの研究員から聞いておいたモモについての雑学が、ちょうど役に立った。


「桃太郎の類型や原型として、桃以外のものから出生する話は幾つか知られています。雉の卵から生まれたり、赤い箱に赤子が入っていたりとかです。この絵に関しても、そういった話の1つになるんでしょうかね」


 ……いや、そうとは限らないかも知れないな。この老女の腹部をよく見ると、裂かれてるように見えなくもない。


「……ああ、本当だ。紙の保存状態がちょっと良くなくて分かりにくいですけど、確かにそうも見えますね」


 これ、この翁が、老女の腹から子宮を取り出したシーンなのだとも考えられそうに思う。包丁が黒っぽくなってるのは、解剖に用いて血が付着したからではないか。


「?? 子宮って、こんな形でしたっけ? 詳しくお願いします!」


 そうだな、まず、正常な形の子宮ではなさそうだ。子宮の上方が少し左右に分かれた、軽度の双角子宮であろう。それが、モモの実のお尻の様な部分に貢献しているのだと考えられる。

 また通常だと、出産がそろそろなタイミングの胎児は下向きに収まるが、これは横向きになってるだろうな。それで子宮全体が横方向に伸びて、ハート型を強調していると。尖端部は、子宮の下部に繋がる膣の一部だろう。


「…ああ、ハート型の先っぽが、お腹の傷口から伸びてるように見えますね、確かに」


 描画されたサイズ感を信じるなら、この胎児はかなり大きめだ。巨大児と判断していいだろう。これと子宮の奇形が相まって、胎児の肩で膣口が塞がる体勢になり、自然な分娩がうまく進まなかった可能性が考えられる。この翁は、それ故に帝王切開を実施しようとしたのではないか。

 子宮であれば卵巣も繋がっているはずで、それが見られない点が気にはなるが、位置的に手で隠れているのだと納得することは出来る。


「ふむー。そう聞くと、果生型とは関係なさそうですね。若返っているわけでもないですし、ただの高齢出産でしょうか」


 いや、見た目の若返りは伴わない回春型なのかも知れない。


「ほう、ほう」


 女性は高齢になると閉経する。つまり、排卵が起こらなくなって子を成せなくなるわけだが、このイラストに描かれた老女についても、そうであった蓋然性が高い。なので、そこをクリアする必要があるだろう。

 閉経の後でも、卵巣内に残っている原始卵胞を活性化することで、人為的に排卵をさせて、妊娠に至ることは可能だ。そういった効果をもたらす薬効成分によるのでは、と考えたい。


「つまり、子供を産む能力についてだけの若返り、ということでしょうか?」


 まあ、そういう考えだけど、全ての機能が若返ったわけではないだろう。見た目、つまり皮膚などは老いたままな程度の若返りだと考えるなら、膣などの産道は硬くなったままかと思われる。そういう意味でも、帝王切開を行うのは合理的だと言えそうだ。


「あくまで卵巣、卵子だけの回春ということですね」


 老夫婦が若い頃みたいに体を求め合った結果がこれなのだとすると、性欲は若返ったという線はあるかも知れないけど。でも、どちらかと言うと、卵巣の回春薬に媚薬効果が伴われていた、と考えた方がいい気がする。

 昔の人は、今と違って多様な化学物質に触れる機会はほぼ無くて、その耐性が低かったはずだ。有名どころだと、シナモンやナツメグが媚薬として使われていたわけだし、刺激的な芳香くらいでも性欲が高まった可能性は、十分にあると思う。


「それが桃であれば、面白いですね。桃は神秘的な果実だとされてましたから、プラシーボ効果もあったんじゃないでしょうか」


 なるほど、ありそうだ。とある神がかったモモを食べた老夫婦が、それによってその気になり、原始卵胞の成熟も同時に進んで受胎が成立し、上海水蜜桃の様になった子宮を摘出したという新説。中々に説得力があるかも知れない。それを可能にするモモの種類も、含まれる成分も、ちょっと見当は付かないが。


「この絵図と一緒に見付かった古記録を、早速もっとよく調べてみます! 桃を食べたと書いてあるかも知れません!」


 こうして、楽しい議論は居待月(いまちづき)が南中するまで続いた。おじいさんとおばあさんの間に子供が産まれてなかったのは、子宮の奇形のせいではないかとか、創作にしては医学的に当てはまる部分が多いので、これが実話を元にしたオリジナルでは、といった具合に。

 翌朝、ぐうすかと寝ている後輩に「またな」と声をかけた後、泊めさせてもらっていた民家を出る。庭先に生えたモモの木に目をやりながら、私は次の村へと歩みを進めた。

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