其ノ四拾七 天才がよく生まれる村
奇妙な村だった。
台湾共和国の南東沖に位置する、中国に実効支配されていた小さな島。沿岸部には幾らかの平地があるものの、それでも1つの山が丸ごと海に浮かんでいるように見えるのは、サンゴ礁に囲まれた火山島だからだろう。その斜面は棚田と熱帯雨林に覆われており、この地の雨の多さを物語っている。
この島は、我々の組織に移籍してきた「東方より来たりし三賢者」の故郷である。東アジアを渡り歩いていた海洋民族の末裔で、今も自然と調和した生活を続ける人々が、7つの集落に分かれて暮らしている。
その集落の1つが、今回の目的地になる。天才がよく生まれるという噂が中国政府の知るところとなり、優秀な頭脳の源として島ごと管理される発端になった村。そこでは、半農半漁の素朴な彼らの生き方からは場違いにも思われる、高度な技術による産物が散見されるそうだ。
一般に知られる試作品やそのコピー品ではなく、完全版の「アンティキティラ島の機械」が発見されていることからは、その異端なる才能の血脈が、少なくとも紀元前から受け継がれるものなのだと理解される。
台湾政府と協力して行った我々の調査によると、その村の出身者は約1%が生まれながらの天才であり、それは例外なく、アストロサイトが多くなるタイプであった。
頭の良さには、脳のサイズや、神経細胞たるニューロンの数が大事なのだと思われがちだが、実際のところ重要度がより高いのは、ニューロンが作るネットワークの質や複雑さである。これには、神経細胞の手助けをする3種のグリア細胞も関わっていて、特に、ネットワークの構造を支え、栄養素の予備タンクとして働き、そして神経伝達にも寄与するアストロサイトの多さは、天才性を成立させる主要なファクターの1つである。
そう考えると意外に思われる病において、アストロサイトがとても増えている。それは、21番染色体が3本に増加してしまい、DYRK1A遺伝子などの発現が高まることが発症の原因となる、ダウン症候群である。
この病気では、アストロサイトの数が増えるのとトレードオフに、ニューロンの数は減ってしまう。また、炎症によってニューロンの自殺が引き起こされることも重なり、知能はむしろ低下することになる。
ところが、この島で確認された天才たちは、ダウン症候群をベースとして成り立っていた。
ニューロンを作り出す元になる細胞は、胎児の時に活発に増殖するのだが、その細胞は後に、アストロサイトを作り出すようにクラスチェンジする。こうした生産体制の移り変わりが、ダウン症候群では後者側へと傾くのである。しかも、分化したアストロサイト自体の増殖能も高まり、それが炎症を起こすので、ニューロンにとっては踏んだり蹴ったりだ。
その一方、この島の天才たちでは、これに更なる遺伝子変異が加わることで、ニューロンは特に減らず、しかしアストロサイトは増えている。
この驚くべき状態は、HMGA2遺伝子の発現を調節するDNA配列が、欠け失われることで発生する。
この遺伝子は、ニューロンを作り出す細胞でよく働き、アストロサイトを作る時には抑えられていく。正常な場合は、そうして2種の細胞数のバランスが取られるのだが、HMGA2遺伝子の調節が効かなくなって、本来よりも働いてしまう場合は別だ。アストロサイト作りへの移行がある程度の制限を受け、その分だけニューロンが増えることになる。また、この遺伝子はアポトーシスの抑制にも機能する。
つまり、21番染色体が3本になり、その上でこの遺伝子変異が伴われると、アストロサイトの増殖は十分に高まったまま、ニューロンの減少が二重に抑えられる。そうして、質の高いシナプスが数多く形成され、天才的な頭脳へと発達を果たす。これが、この島で昔から起こってきたことなのだ。
「オ待チシテマシタ生物学ノ教授サン。不便ナトコマデ遠路ハルバルアリガトウゴザイマス。チョウド晴レテルタイミングデ良カッタデスネ」
指定されてた岩場にボートを停めていると、独特な早口とイントネーションで話しかけられた。ちょっと帰省中な三賢者の1人が、予定通りに出迎えてくれたのか。では、村へと案内してもらうとしよう。
「コノ近辺ハモウ村の範囲内デスガ中心部マデハ少シ歩ク必要ガアリマス。海カラ吹ク風ガイツモ強イ土地デスイマセン。サア向カイマショウ」
島を一周するように作られた道路を、確かに強い潮風に吹かれながら歩いていく。谷川や湧き水を利用している棚田はタロイモ専用らしく、サツマイモやヤムイモに粟といった他の作物は、畑で育てているようだ。
道中の各所で見かけられる山羊は、立派な角を生やしていて、毛色は黒・白・褐色の3パターン。道も畑も崖も何をも気にせずに、本当に自由に歩き過ごしている。その様からは、家畜なのか野生なのかの判別も難しい。
そして、見かけられる人間は4パターンだ。服装には統一感があって、男性は日本のふんどしに似た装い、女性の方は布面積がより広くはあるというように、半裸がスタンダードになっている。彼らを明確に類別させる要素はこれでなく、ゲノムに根差したその風貌である。
「私ノ生マレタ村ニハ八百十九人ガ住ンデイマス。天才ハホンノ一握リデ他ノホトンドハ大キイ人ト普通ノ人デス。外見ガ違ウノデ見分ケ易イト思イマス」
村人たちの半数ほどは、見た目にもゲノムにも特に変わったところは無く、この島の他の村と同様な、この辺りに住むモンゴロイドといった感じでしかない。
残りの村人の大半は、変異したHMGA2遺伝子を1つ持っているタイプだ。ダウン症候群でもあれば天才になるわけだが、これ単体だとそうはならない。
目立った特徴は、その高身長であろう。10歳に満たない子供が、既に通常タイプの大人を超す背丈であり、大人では2メートル以上が普通となっている。細胞の増殖が活発になっているのが原因であり、それ故に頭部も大きく、笑顔では歯茎がチャームポイントになる。しかし、バランスの乱れで逆に小さくなるものもあり、指については短めだ。また、脳腫瘍や脂肪腫を患いやすく、白血球や血小板では減少が起こりやすい。
少数派には2パターンがあり、その1つはダウン症候群の者である。心も体も成長が滞っていて、低身長で頭は小さい傾向にある。顔は外側の方がよく成長するため、鼻は低く、目はつり上がった感じになっている。彼の村では老若男女の6人が暮らす。
なお、心臓や消化器に問題のあることが多く、白血病やアルツハイマー型認知症のリスクも高い。その他にも様々な健康上の障害があり、前世紀での平均寿命は、日本でさえ長らく10歳前後という病だった。しかし、彼の村では昔から、投薬と手術で老年まで生きられているそうで、かつて医学に秀でた天才も居たのだと考えられる。
3本の21番染色体と、HMGA2遺伝子の変異1つを併せ持つ天才タイプが、少数派のもう1パターンである。移籍してきた3人を含む計8人が確認されている。
この同行する彼がそうであるように、2つのタイプの特徴が絡み合ったアウトプットになっており、身長は高め、頭部は大きめ、指は短めだ。顔はまあ独特な風貌で、平たい顔と説明するのが簡易には適当であろう。心臓の中隔欠損など、ダウン症候群で見られる成長の遅さが関わる障害の多くはいい感じに相殺されているが、脳腫瘍や脂肪腫の患いやすさがHMGA2遺伝子の活性化による体質として引き継がれており、造血器に関する疾患リスクについてはやや複雑なものとなっている。
とは言え、やはり医学的な対処法はかつての天才が開発済みらしく、それは伝統の中に自然なかたちで溶け込んでいて、天才たちも健康体たらしめている。
「天才ノ女ニハ普通ノ男ガ未婚ノ間ハ性交ニ通イマス。唐氏ノ女ニハ大キイ男デス。婚姻ハ大キイ人ト普通ノ人トガシテ女ガ五十歳ニナルマデ子作リシマス」
なるほど。村人たちのゲノム解析結果と戸籍情報から察せられてはいたが、やはりそうだったか。その組み合わせでの結婚・交配が基本とされれば、通常タイプとHMGA2変異タイプの比率が1:1で保たれるし、高齢出産を是とすることから、平均して1%近くが天才タイプとして生まれてくる。
ダウン症タイプも同率で生まれる計算だが、そこも成長後には、若くして天才タイプが生まれやすい相手との間に子を成すことになり、天才の量産という意味で無駄の無い運用だ。実際、高齢出産でなくとも2%強もが天才として生まれてきている。また、天才タイプの相手は通常タイプであるのも同様の結果をもたらすわけで、本当に余念が無い。
ダウン症タイプと天才タイプの女性は、男性とは違って不妊ではないものの、約4分の2の確率で孕まれる21番染色体が3本の胎児は、高い確率で流産することになる。それでも、わざわざ未婚の男性たちと交配する習慣まで設けているのだから、天才を生み出すことへの強い執念が感じられる。
人口の推移は把握していないが、おそらく、天才タイプが常に1人は居るくらいの塩梅なのだろう。
「私ノ実家ニ着キマシタ。コノ石垣ニ囲マレタ範囲内ニアル五ツノ建物ガソウデス。メインノ家は天井ガ低クテ立テナイノデスイマセン」
もう着いたのか。へえ、面白い造りの家だな。斜面を掘り下げて、茅葺きの屋根だけが見える程度の半地下な建築になっている。これなら強烈な台風が通りかかっても、その風を上手く受け流すことが出来そうだ。竹製のパイプで斜面の下側へと排水する仕様にもなっていて、実に効率的である。
「ア、アレガ私ノ母親デス」
彼の母親らしきダウン症タイプの女性がちょいと顔を出したが、あまり歓迎されてないようだ。私がではなく、彼がである。
「ようこそ。そこの兄の弟です。こちらにどうぞ」
母親の後ろからすっと出てきた、まだ小柄な少年。日常的に過ごす方の家屋ではなく、作業場を兼ねている感じの建物へと案内される。その中に入ると、土の床と木の壁で囲まれた空間になっていた。天井は低めだが、まあ立てる。
「兄は村のしきたりを守らず、大人から悪く思われてます」
ああ、彼だけ洋服を着ていることを含めた色々か。様々なルールが尊重される村社会であることは、主に科学的な分野の天才を輩出し続けるここであっても、近隣の村と特に変わらないのだな。首長の様な中心的メンバーは設定していないそうなので、その補いとして、厳格なルールが求められるのかも知れない。
「生物学ノ教授サンニ後デ面白イ物ヲオ見セシマスヨ。私ノ村デハ家ノ威信ヲ示ス為ニ家ノ中ヲ飾ル習慣ガアルノデス。ソウダヨナ弟ヨ」
「そうですね。調整します」
この弟も、その口調と所作と外見からだけで、天才タイプなことは理解される。しかし、裏の科学界にて三賢者とまで称された兄と比べると、流石に大きな差があるのは明白だ。この村における天才タイプである上に、太い脳梁や、脳の特定領域の増大など、幾つかの脳奇形が付加されることで至った珠玉の頭脳、それがマギなのである。
この彼について言えば、天文学と占星術における極めて優秀な研究者で、最も有名な業績としては「星の死後に残される素霊子的な影響」と題した論文が挙げられる。我々の天文学部門が渇望するに足りた人材であり、今では2つのラボで室長を務め、特別上級研究員として精力的に楽しんでいる。
「食事です。どうぞ」
あ、それでは頂こう。トビウオの燻製とタロイモを茹でたものかな。まずはタロイモだ。…うん、良い。薄めた海水を使ってるらしく、いい感じの塩気が感じられる。ねっとりした食感にねっとりした甘さの重なるスイーツ感が、その海の味でシャープに仕立て上げられている。トビウオとは別々に茹でてあるみたいだな。
お次はトビウオの燻製だ。んー、これも美味しい。強めの香りとギュッと詰まった魚の旨味が、タロイモの強さと十分に釣り合っている。脂に頼らず肉の味で勝負するタイプの食材と言えるだろう。
「母が畑仕事に行きました。あちらを案内します」
食後の一休みをしていると、母屋の方を案内してくれる提案が弟からあった。先ほど話していた家の中の飾りとやらを、早速に見せてくれるのだろう。では行こう。
隣の建物へと移動して、茶室を思い起こさせる低く小さい入口に狭苦しさを感じつつ入室する。そして身を屈めたまま、奥の方の段へと進んでいった。ほどなくして、何やら異様なものが見えてきた。
「過去ノ天才ガ遺シタ作品デス。私ハソノ一ツヲ子供ノ時ニリバースエンジニアリングシテ遊ンデマシタ。ソウシテ星ノ動キを学ンデ興味ヲ持ッタノデス」
「これらを現在の天才が真似るのは禁忌です」
……ああ、散見されるとは、こういうことだったのか。私は、2人が話している内容にかろうじて意識を割きつつ、眼の前の光景に圧倒されていた。予想以上だと言わざるを得ない。
母屋の低い天井には、数多の骨や角に混じって、幾つものオーパーツがぶら下げられていた。その1つはあの、アンティキティラ島の機械の完全版。天王星と海王星に加えて、かつて自由浮遊していたところを太陽系に縛り付けられた「星の幽霊」、計都と羅睺の動きまで反映されている。
その隣で赫に輝くのは、ヒヒイロカネ製のメスであろう。製法はおろか、高めの金含有率ながら緋色を呈する理由さえ不明な、オリハルコンと同系統の謎の合金。これまでは日本でのみ確認されていたが、まさかルーツはこの島に……?
いやはや、他にも様々な驚きの品々が、目の視野を変えるたび、焦点をずらすたびに飛び込んでくる。あれは、クリスタル髑髏であろうか? 異様に変形された頭骨を表しているのが興味深い。あ、あれは! おお、それも…! これは、ちょっとこの時間では見尽くせないな。
「ザザァァーーーッッ」
この時期らしい天気になったようで、雨音が響き渡ってくる。畑仕事に出ていた母親が戻ってきたらしく、マギの彼は居心地を悪そうにしているみたいだが、私がひとしきり観察するまでは我慢して欲しい。
……うーむ。これは、各部門が連携して、かなり大がかりな調査をする必要があるな。その価値がずっと気付かれずに、この状態で保たれていて、本当に幸運だった。他の家でもそうであれば、より一層とんでもない成果になる。もっと早く、正確に教えてくれてても…いや、だからこそ中国政府も把握してなかったのか。
結局、次の予定に移るギリギリとなった11日後まで滞在し、総勢で100人を超す調査団として観察にあたったが、本当に素晴らしかった。考古学部門は特にそうに違いないが、天文学部門、物理学部門、数学部門でも、かなり大きな発見が幾つもあったようだ。生物学部門としてはそこそこだが、組織全体では相当なプラスなのだから完全に良しだ。
天才をよく生むように努めてきた村人たち、その祖先たちに感謝の念を抱きながら、私は次の村へと歩みを進めた。
 




