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ばいおろじぃ的な村の奇譚  作者: ノラ博士
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其ノ四拾六 食人を行い合う隣る村

 奇妙な村だった。


 スーダン共和国のヌビア砂漠に位置する、辺境の土地。ナイル川の東岸から紅海へかけて広がる炎熱の地を、エジプトとの国境に沿って東へ、東へと進んでいく。他の地域であれば雨の多い時期なのだが、この辺りは安定した乾きに支配されている。

 ようやく、涸れ川の見られる乾燥した平原にまで至ったところで、地平線から何かが小さく飛び出ているのが目に入ってきた。近付くにつれ、それが人工物なのだと察せられてくる。


 細長い二等辺三角形の面を有する、小型のピラミッドが1つ、岩の目立つ荒れ地に建っていた。この国にはエジプトの倍ほどもの数が存在するそうだが、そういった遺跡はナイル川の近くに多い。丘陵地帯を越えればもう紅海が目と鼻の先となる場所では、とても珍しいはずだ。

 高さ5メートル弱と、かなり小型なのも変わっている四角錐の建造物。その入口の前に、1人の男性が番をするように座っていた。墓守だろうか。もう夕方になるが、一体いつからそうしているのか、食事はどうしているのか、と気になってくる。私は岩陰を挟んで、少し観察することにした。


 おや、ちょうど食事が運ばれてきたようだ。ややお腹の大きな若い女性が2人、おそらくどちらも妊婦であろう。その女性たちが、パンの様なものとスープを墓守へと手渡した。へえ、干し魚を使ったスープなのか。海にまあ近い、この辺りならではの品だろう。

 味をイメージしながら眺めていると、人がぞろぞろとやって来た。思春期前くらいまでな子供たちは15人で、その内の2人はまだ小さく、母親らしき女性にそれぞれ抱かれている。それと、年代の異なる男性が3人だ。どうやら、ピラミッドの裏手の方に集落があるらしい。


 墓守は食事を終えると、ピラミッドの中へと入っていった。中には縦穴があるらしく、それを降りているようだ。そして、10分ほどして出てきた時には、その腕に、1体のミイラを抱き抱えていた。包帯に包まれてもいない、剥き身の乾燥した死体。左の脇腹には内臓を取り出したと思われる痕があるので、人為的なものだろう。そのミイラを男性たちが受け取ると、一行は墓守を残し、西の方へと歩きだした。

 もう日は暮れている。砂漠の夜は冷えるのだがなと思いつつ、私は彼らを尾行することにした。


 村人たちを見失わないように、しかし見付からないように、200メートル近く離れてのストーキング。漆黒のサマーコートが、闇にまぎれるのに役立っている。天頂には十日余りの月が座しており、死体を運び出す者たちの後をつけるという状況のわりに、フレッシュな好奇心が月光で励起されてるかの様な、爽やかな気持ちの高まりだ。


 その道程は、私が歩いてきたルートよりも少し南側に逸れていた。深夜を過ぎて、月が目の前で沈んだ後も、ちょっとした休憩を除いては一定のペースで歩みが続く。日の出の時間を考えると、夜通しの移動なのかも知れない。

 いや、ぎりぎり違いそうだな。夜明けを幾らか前にして、目的地が見えてきたらしく、特に子供たちのリアクションが賑やかだ。それは、小規模なオアシスに作られた村のようだった。あちらの村人たちとは示し合わせていたみたいで、出迎えの男性たちが20人も待っているのが見える。間もなくして到着し、歓迎を受けている様子を、私は少し離れたところの岩陰から眺めていた。


 ほう…。まだ太陽の光が届かない暗さの中、早速に始まったのは、どうやら食事会のようである。2つの村の民たちが、互いに向かい合って地面に座り、各々が用意したものを食している。

 オアシスの村人たちが食べているのは、ピラミッドの村人が運んできたミイラである。表面をナイフで少しずつ削り取って、ありがたそうに()んでいる。

 ピラミッドの村人たちが食べているのは、オアシスの村人が差し出してきた生の肝臓である。切り分けられてはいるが、元の形を頭の中で再構成するに、成人した人間のものだろう。黄色っぽさから判断して、脂肪肝だと思われる。


 食人は、極限の環境下で行われる場合と、社会的な意味合いが大きい場合、それと単なる食事などに大別されるが、これは何が目的なのか。とても気になってくる。

 ふむ。この中で食事をしていないのは、小さな幼児を抱いた母親と、生レバーをまだ食べられない乳飲み子の2人だけだな。


 陽光がほんのりと辺りを照らし始めても続いていた食事会は、日の出の瞬間を合図として終わりになった。脂肪肝は食べ尽くされたが、ミイラの方はほとんどが残っている。こちらは保存も効くわけだし、ちびちびと食べる感じなのだろう。


 すっかり日が昇って朝になった。ピラミッドの村人たちはオアシスの村で休んでいくようだ。私も1人の旅人として、滞在させてもらうとしよう。

 村の中に入ったところ、拒絶こそされなかったものの、ややピリピリとした視線にさらされた。閉鎖的…というよりは、タイミングの問題で警戒しているのだろう。どうやら先ほどのミイラの残りを、オアシスの村中で分けて回っているようだ。それに気が付かないふりをして、あまり怪しまれない程度に村の中を散策しておくとする。


 日干しレンガの建物が多く見られ、400人くらいは住んでいそうな規模である。湧き水だけでは不足らしく、井戸も散見される。村人の女性を見ると、赤と黒を基調とした服装で、(きら)びやかな装飾品や布で顔を隠している。ピラミッドの村の女性はもう少しシックな感じだが、顔立ちはよく似ていると思う。

 通常の食事では、豆やソルガムといった雑穀に、山羊乳、スイカにナツメヤシの実など、それと(はち)の子が食材になるようだ。山羊は角が無くて長い垂れ耳が特徴的なヌビアン種で、家畜な獣は他にもヒトコブラクダが飼われている。半定住の、元ベドウィンかなという印象を受けた。


 日が暮れるまでの間、じっくりと時間をかけて慎重にサンプリングを試みたのだが、先ほどのミイラには触れることも出来なかった。各家庭で、家長であろう男性が懐に入れて守っている。あちらの村に残りがあっても墓守が番をしているはずだし、難しいな。

 まあ、あの食事会に参加していた者たちからは、全員分の血液を採取してあるし、オアシスの村人については追加で42人からも得てはいる。それらの成分分析とゲノム解析を、妊婦に対してはセルフリーDNAを用いた出生前の解析も併せて、開始しておこう。


 ピラミッドの村人たちは、今度は見送られたりはせず、日没になると静かに帰路についていった。男性たちは、オアシスの村人から受け取っていた大きな包みを持ち運んでの移動となる。その中身はちらっと見ることが出来ており、炭酸ナトリウム十水和物と炭酸水素ナトリウムを主成分とする鉱物、ナトロンであるようだ。

 よし、距離が開いたな。行きと同じくの尾行を始めるとするか。明るい十二夜月に照らされながら、私はアナライザーの解析結果を見つつ歩いていく。


 …ふむ、なるほど。ピラミッドの村とオアシスの村は、それぞれの抱える必要性を、互いに食人し合うことで満たしているのだと考えられるな。


 オアシスの村人については、ゲノム解析を行った62人において例外なく、非アルコール性脂肪肝炎の遺伝的なリスクが確認された。食事会で供された脂肪肝は、彼らの死体から摘出されたものと考えるのが妥当だろう。その鮮度の高さから判断して、昨日の日中には死者が出ており、それが狼煙(のろし)か何かでピラミッドの村へと伝えられ、迅速に今回の催しになったのだと想像する。


 ピラミッドの村人たちが、オアシスの村人の脂肪肝を食べる理由は、自分たちの中にビタミンD依存症ⅠA型の者が多いからに違いない。

 ビタミンDは、血中のカルシウムイオン濃度を高めるのに必要で、骨形成などに重要な物質である。その作用は活性化することで発揮されるのだが、それには食事や日光浴で体内に増えた後に、まず肝臓で25-ヒドロキシビタミンDへと変えられなければならない。その働きをする酵素について、ピラミッドの村人たちは遺伝的な障害を持ちがちなのだ。


 遺伝子は基本的に、父親と母親から1つずつ、計2つが受け継がれる。そして、今回の25-ヒドロキシビタミンD合成においては、その2つともが変異型となった場合に、正常な酵素が全く作れなくなってしまい、くる病や骨軟化症などを罹患することになる。

 ピラミッドの村人の内、妊婦は2人とも問題なかったが、胎内の子供はどちらも遺伝子の1つが変異型だった。他の子供たちでは、7人が1つ、2人が2つとも変異型という結果。母親の内の片方は変異1つで、その乳飲み子は変異2つである。そして、大人の男性は3人ともが変異型のみだった。


 変異を有する割合の違いから考察するに、胎児と乳児への栄養源である母親と、思春期より前の子供たちは例外なく、大人については骨軟化症になった者だけが、オアシスの村人の脂肪肝を食べることになっているのだろう。

 肝臓には、既に合成済みの25-ヒドロキシビタミンDが貯蔵されている。また、脂溶性の物質であるため、脂肪肝にはより多く蓄えられるし、オアシスの村で食材にされていたセイヨウミツバチの幼虫は、ビタミンDの元になるエルゴステロールを高濃度で含んでいる。つまり、彼らの肝臓は、25-ヒドロキシビタミンDを合成することの出来ないピラミッドの村人にとって、健康に生きるのにベストな食材というわけだ。

 実際、骨軟化症で見られる低リン血症と高骨型アルカリフォスファターゼ血症は、3人の男性で軽く見られる程度に抑えられている。


 一方で、オアシスの村人がミイラを食べる理由についても察しはつくが、その仮説は、実際にミイラを調べてからまた考えたい。


 帰りの道程も行きと同じく徒歩でひたすら、10時間以上をかけての移動であった。子供も大人も当然ながらへとへとなようで、墓守に軽くあいさつをした後は、集落があるらしき方向へと足早に進んでいった。

 私はまた岩陰に身を潜めて、墓守が隙を見せることを期待して待ち続けた。日が昇ってよく見えるようになった墓守の顔は、一昨日とは別人のものだった。流石に、少なくとも交代制らしい。


 ……ふーむ。丸一日ねばったが、ピラミッドに忍び込むのは無理そうだな。睡眠薬で眠らせてとかは趣味じゃないし、そもそもこういうことは、A級諜報員に任せるのがいいだろう。


 2日後、思ったよりも早くA級諜報員から報告があった。ミイラのサンプルが5グラムほど得られたとのことで、その実物と、ゲノム解析と成分分析の結果をまとめたレポートが手元に届いている。また、ピラミッドの村におけるミイラの作製法まで聞き出したそうで、優秀な部下を持てていることに、大変に安心感のある嬉しさが感じられてならない。

 さて、そしてやっぱりか。オアシスの村人は、彼らが遺伝的なリスクを抱えている非アルコール性脂肪肝炎、その症状を抑えるための薬として、あのミイラを食べていたのだな。


 ピラミッドの村におけるミイラの作り方であるが、基本を守っている部分と独自なところが混在している。ミイラ作りでは、腐りやすい内臓を体外に出すことが肝要であり、それは私も推察した通り、切開した左の脇腹から行われている。また、脳みそは鼻の穴からかき混ぜて、ドロドロにしてから排出される。

 これは伝統的で手間暇をかけたやり方なのだが、取り出した内臓は捨ててしまうという点が変わっている。凝ったやり方なら、内臓もちゃんと処理をして保存するものであり、この手法ではそこに、ちぐはぐさを感じる。


 次の工程では、没薬(もつやく)とシナモンを粉末にしてから亜麻仁(あまに)油と混ぜてペースト状にし、空になった体腔に注入して、更に体表にもべったりと塗り付ける。その量がかなり多いことも特徴的だが、注目したいのは原料の選ばれ具合である。

 没薬はミイラの語源でもある()()()ノキの樹脂であり、これは殺菌目的の使用だろう。シナモンも伝統的に用いられてきた原料の1つで、本来は主に防腐目的であったはずだ。しかし、ミイラ作りで重要視されていた他の樹脂やスパイスは不使用となっている。それなのにシナモンだけが大量に使われていることから、これは何か別の目的を重視しているのではないか、とまず仮定した。


 シナモンは、ニッケイ属の樹木の内樹皮から得られるスパイスであり、強い抗炎症作用を示すプロアントシアニジンを多く含む。また、亜麻仁油にもリグナンという抗炎症物質が含まれている。これらが、オアシスの村人を苦しめる非アルコール性脂肪肝炎の進行を抑えるのに役立ち、それ故にピラミッドの村産のミイラが重宝されているのだと考えられる。

 脂肪肝は、肝硬変・肝臓がんへと進行していく恐れのある疾患であり、それを服薬で避けられるのなら利用したいのが心情だろう。江戸時代の日本においても、ミイラは抗菌作用などに着目されて、万能薬として扱われてたという話が思い出される。

 なお、成分分析の結果では当然に、高濃度のプロアントシアニジンとリグナンが検出されている。


 ミイラ作りの最後の工程では、吸水作用の強いナトロンが用いられ、内臓の処理から始めてトータル70日間になるまで乾燥される。この辺は、伝統的なやり方を踏襲しているはずである。しかし、包帯や護符は伴われない。


 全体的に見ると、死者の死後の暮らしのために作られていた本来のミイラとは相当に異なって、このピラミッドの村では、抗炎症を目的とした「保存の効く薬」としてミイラを作っているのだと考えられる。それが、自分たちが患いがちなビタミンD依存症ⅠA型、それにより発症する骨疾患などを予防するための、交換材料になるのだから。

 人体を加えてミイラにする必要は無さそうにも思われるが、必要な要素だけを分離するというのは、実験においても難しいことではあるか。


 ここスーダンでは、シナモンはあまり料理に使われないし、気候的に、生産をしているわけでもないはずだ。それなのに、小規模な村で大量に仕入れているらしいことは、ちょっとしたミステリーであろう。もしかしたら、古代エジプトとの関わり深いこの国に残る、昔からの秘密の流通ルート、その中継点がこの村だったりするのだろうか。

 そんな歴史の欠片がかたちを変えて、2つの村を繋げる奇習として人々の助けになっているのだとしたら、それはまた随分と愉快な話だと笑いながら、私は次の村へと歩みを進めた。

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