其ノ参拾七 宝樹を千年先に託す村
奇妙な村だった。
インド共和国のシロン高原に位置する、辺境の土地。3つの大河が亜大陸の北部に形成した広大なヒンドゥスターン平野、これと唐突な標高差をもって境する隆起地形の南端である。台地面の海抜は概ね千メートルを超えており、湿った空気をもたらすベンガル湾と、そこから吹く季節風を遮るヒマラヤ山脈との位置関係が相まって、世界でも有数な降水量の多さとなっている。その有り様には、「雲の住み処」と称されるに異論の余地があるはずも無い。
私は、そうした多雨により削り込まれた谷底を歩いていた。知人からの招待を受けて、千年に1回の周期で催されるという神事を見学することになっており、それを執り行う村へと向かう道中である。お祝いの品にと背負ってきている日本酒の一斗樽が重たいが、心地良い空気に満ちあふれた晴れの日なのは救いだろう。今時期は雨が比較的に少なく、日中は暖かで、朝方は涼しい程度な過ごしやすいシーズンだ。
お、ここから尾根へと上るみたいだな。インドゴムノキの気根が縦横に絡まり癒着していて、はしごか階段の様になっている。まさにそうした用途で利用されている使用感であり、私が手足をかけてみても実にしっくりくる。
空中に広がる枝とは異なり、地表を這う根は空間的な制約や土での固定され具合のため密着しがちで、そのまま自然に一体化することも少なくない。しかし、この造形は人為的なものだろう。それを上りきった先の光景が、技術の介在をあからさまに分からせてくる。
小さな谷にかけ渡されてあるその吊り橋もまた、インドゴムノキから成っていた。対岸に生えた大木から幾多もの気根がこちら側へ引き寄せられ、がっしりとした構造物として根付いている。橋桁から手すり、ケーブルやタワーに至るまで、全てが生きた木で構成されたこの橋は、人類と自然の在り方として1つの極致とも言えるだろう。
しなやかで強靭な気根を、まだ細くて自在に扱える内に任意のデザインで配置する手法。それを伸ばしている木の本体が生きている限り、橋を構成する気根は太く強くなることが期待されるし、損傷があってもオートで回復する。年単位の製作時間と継続的な手入れこそ必要なものの、その耐用年数は数百年間だというから驚きである。
幅は1メートル半ほど、長さは50メートル近く、おそらく大型の部類に入るだろう。実際に渡ってみると、その安定感はまさに大木といった印象で、太い枝の上を歩いているリスの様な気分になってくる。これだけの強度があれば、この地で起こりがちな洪水にも確かに耐えられそうだ。また、橋桁は気根がぎっしりと密集して、その溝には土が詰まっており、わりと平らな面になっていて思ったよりも歩きやすい。
まじまじと観察しながら生きた木の根の橋を渡りきった後、村へと続いてるらしき山道を進んでいく。お、斜面に作られたパイナップル畑が見えてきた。もう近くまで来たようだ。インドゴムノキの気根がゲートの様になっている場所もあり、それを抜けると賑やかな声が聞こえてきた。
5分と少し歩いたところで、村の広場に到着した。人々は祭の時くらいしか着ないであろう目立った装いで、歌と踊りに興じていた。女性は頭を花飾りで彩って、黄金色を感じさせる2枚の布をそれぞれ左右の肩にかけるよう身に着けている。この辺りの特産であるムガサンの絹製だろうか。男性の頭には羽飾り、半裸の姿でヤクの白い毛束を振りかざしているのが印象的だ。
村人たちの外見はこの国では珍しく、東南アジア系である。文化についてもその色が濃いそうで、インドで独自の発展を遂げた料理の数々がもう楽しみだ。
広場の脇をそそくさと歩いて村の奥へと進む。視認される家屋はどれも竹の壁面に藁葺きの造りで、私はその中でも一際に大きなものへと入っていった。
年配の女性たちが会話をしている。怪訝な顔をされる前にと招待状をさっと手渡したところ、すぐに来賓の者として扱われた。日本酒の一斗樽を背中から下ろし、美味しいアルコールだと主張しながら進呈する。時間をかけて搾られた、フレッシュでフルーティーな風味の純米大吟醸。きっと気に入ってもらえるだろう。
ちょうど昼食にするタイミングだったようで、私にも料理がふるまわれた。計画通りである。
まず私が食したのは、ジャードーと呼ばれる定食みたいなものだ。もち米の周りに好みのおかずを何品もぶっかけていくスタイルで、肉の煮込みや野菜炒めにサラダなど、色んな料理を一皿で楽しめる。…うん、美味しい。一般的なインド料理からするとスパイスの風味は抑え気味で、しかし素材の味を活かしつつ旨味を上乗せした感じと言えるだろうか。
次は、トゥングリンバイとかいうのを使った料理を食べてみる。…おお、これもまた良いな。複雑な味わいのするポークカレーで、黒ゴマ、納豆の様に発酵した大豆、それと川魚の干物のチャツネが入っているようだ。
全体的に油とスパイスが控えめ、主食はもち米で、牛肉も豚肉も食べることや、発酵食品を多用する辺りが特徴的なのだと思われた。インド主体というよりは、大陸側の東南アジアに近しい文化であるらしい。
そうして思索しながら胃の満足感に浸っていたところ、年配の女性の1人が、自分に着いてくるようにと身振り手振りをしてきている。よく分からないが、着いていくとしよう。
そこは先ほどの広場の中心だった。そして、私の小指くらいの太さなインドボダイジュの若木が16本、直径50センチメートルの円を描くように等間隔で生えている。なるほど、これが次代の宝樹というわけか。
この村では、宝物を宿した巨樹が千年ごとに受け継がれるということだが、それは合体木なのだと考えられる。合体木とは、複数の木々、と言っても基本的には2本の木の幹が、生長による肥大化のため密着したものだ。
同種であれば癒着して一体化することも多く、これは、傷の修復メカニズムが両方の幹で発動することによる。維管束が分断されて植物ホルモンのオーキシンが蓄積すると、それに起因して未分化な細胞が分裂と分化を行うのだが、過剰な密着によって両方の幹に十分な傷が生じた場合、両側から再生することで癒合してしまうというわけだ。
この現象が自然に起こる確率は、決して高くない。隣接する木々は、葉で受ける日光や根から吸収する物質についてライバル関係にあり、大抵はあまりに近いと片方が駆逐されてしまうからだ。この村の宝樹では、元になる16本の若木が同程度の勢力となるよう同時に芽生えさせ、おそらく日照などのコントロールも行っているのだと予想する。
あの配置ならば、直径が10センチメートルになる頃には密着するはずだ。そして、更なる肥大化で増していく応力は概ね均等に分布し、損傷と再生を経て一体化していくことだろう。
「お久しぶりでございます」
日本語ということは、私に対するあいさつに違いない。その声が聞こえてきた村の入口の方へ目を向けると、18人の巨漢から成るシルエットが目に入ってきた。
「「「「「Shihajaaaaaaaaaaaaaaaar!!!!」」」」」
村人たちが一斉に歓声を上げた。巨漢たちは担いでいた大型のヤクやタンドールなどを、村の男性たちに手渡そうとしている。にこやかな表情を浮かべてはいるが、彼らの風貌は鮮烈な圧迫感と共に記憶されている。この国のラダック山脈で知り合った、戦闘を生業とする一族である。
「無事に到着されていたようで、何よりです。強き方々の主よ」
巨漢のシルエットに隠れていた2人の内、優男風な方が近付きつつ話しかけてきた。語学に長けるそうなので、今回も渉外役を担っているのだろう。
「久しいな。息災であったか?」
この村での神事に招待してくれた、彼らの頂点に君臨する少年王である。73もの多重なる遺伝子変異を発現させた、奇蹟の顕現。以前に会った時よりも一層に「力」を増大させているのが直感的にも理解され、それは成長期の故かと思われる。……平均的なA級エージェントでは、まだまだ足元にしか及ばないだろう。
礼を失さないよう私からもあいさつをして、今回の招待に改めて感謝の意を示す。
「苦しゅうない。ほれ、宝樹の地へと向かおうぞ」
王の言葉を受けた渉外役がアナウンスを行い、メインの舞台となる場所への移動が始まった。村人たちは一部の者だけが参加のようで、長老らしき男性の他はほとんどが女性である。一妻多夫の伝統を守り続けている、この村らしい構成だ。
「さて、汝よ。四つ手の婿をくれるのは、一体いつになるかのう?」
和やかな雰囲気が続くと思っていた私が甘かった。王からの詰問。護衛の1人も1隊も連れてこなかった自分の判断を、少しばかり悔いる。
我々の組織で造った4本腕の人間の内、現時点で繁殖が可能なのはA級エージェントの1人だけである上に、あれには特別な視覚まで付与してある。そのため、友好的な関係を築いているとは言え、出向させられる条件の限界をかなり超えてしまう。彼らへの婿としては、4本腕なだけの個体を新たに出生させており、第二次性徴を迎えるまで促成しているところなのだが……
「楽しみにしておるぞ」
……場合によっては、あのA級エージェントを精巣の交換手術を施した上で送り出す、そんなことも検討する必要があるな。
「到着を致しましたよ、皆様がた。こちらが宝樹の地でございます」
おお、これはまた、素晴らしいインドボダイジュの巨木である。その幹は数多の気根によって覆い込まれ、癒合して、ダイナミックな質感を呈している。高さは30メートルにも達し、直径4メートルという規格外の太さであることは、この宝樹が合体木であることの蓋然性を物語っている。
宝物は、合体木としての初期にあったはずの空洞に、村人たちの千年前の先祖によって納められたと考えられる。今回の神事は、それを回収するための儀式なのだろう。
「皆の者、始めよ」
王が一声を上げるや否や、巨漢たちが宝樹を取り囲んでいく。ぎゅぎゅうと狭苦しそうな状態で、各人が腰を落とし、広げた両腕で幹を抱擁して…一気にその筋力を解放した!
「ボッボッボボボボボッッ!!!」
悠久の時をかけて大地に行き渡っていた根の束が、次々と姿を現してくる。じりじりと、しかし確実に巨大な木が持ち上げられていき、その高度を垂直に増していく。重量だけを考えても数百トン、引っこ抜くことを考えればそれ以上の負荷だ。巨漢たちの肉体は、今にも噴火しそうに思えるほどの怒張を見せている。
「中国拳法でいうところの聴勁で、全員が、力を加える機を揃えています」
相対する者の動きを、肉体の接触で察知するとかいう技術のことか。筋力と術理の高度な融合…その様に理解は出来ても、凄まじい光景であることに変わりは無い。重軽石みたいな要素もなければ説明出来ないレヴェルだろう。
そうこう考えている間にも宝樹は持ち上げられていき、約2メートルの上昇に至ったところで、その状態の維持にフェイズが移行した。当然ながら力を抜くことはまだ許されない巨漢たちは、ギリシャ神話のアトラースを想起させる立ち姿で、途方もない重量を支え続けている。
「ターン」「ターン」「ターン」
王が、瞬く間に三方から宝樹へと掌打を繰り出した。それにより生じた衝撃で、持ち上げられた幹と根と地面の隙間から、大量の土ぼこりが噴き出てきた。
「吹き払えい」
王の命を受けて、控えていた2人の巨漢が特大の団扇で土ぼこりを吹き飛ばしていく。西遊記の 芭蕉扇が実在するなら、この様なものなのではないか。そう空想されても不思議ではない、とても力強い風力だ。
「では、執り行ってくるかのう」
「インドラの祝福あらんことを」
王が、土ぼこりの一掃された幹と根が囲む空間へと入っていった。この中から、宝物を無事に回収することが王の役目なのだろう。
私は、見学するのにいい場所を確保して、その様子を眺め始めた。絡み合った根の隙間から差し込む陽光、それに静かに照らされながら、王は、幹の直下をキツツキの様に叩いている。そして次の瞬間、ボフンッッという小さな爆発音の様なものが聞こえたかと思うと、パラパラと細かな木片が降り注ぐ中、王は白い塊を手にしていた。
淀みない軽快なステップで跳び出てきた王は、その白い塊を村の長老に手渡した。村人たちは皆、王の人間離れした動きに数秒のフリーズをしてしまったようだが、長老が白い塊を掲げ上げると、一斉に歓声を上げだした。
「「「「「Shihajaaaaaaaaaaaaaaaar!!!!」」」」」
これが宝物…? いや、これはおそらく、宝物を収納している石灰岩の入れ物だろう。
「「「「「Shihajaaaaaaaaaaaaaaaar!!!!」」」」」
「パキィーーーン…!」
長老が激しく振りかざし続けた勢いで、石灰岩の入れ物が砕けてしまった。千年間もの時間経過と植物体内の酸性環境、そして王から受けた衝撃を考えれば無理もない。杖の様な細長いものが、煌めく軌跡を描きながらクルクルと空中を舞っている。お、私の方に落ちてきそうだな。
「パシぃ」
しんと静まり返る刹那の時間、この場に居る全ての者が、それぞれ思い思いの感性で、その宝物に心を奪われていた。
村人たちからすれば、千年前の先祖からの贈り物が露わになったのだ。神事の佳境ということもあり、伝統に根差した感動は相当なものだろう。200カラットはある巨大なダイヤモンドがはめ込まれているが、そこは重要なポイントではないに違いない。
その一方で、私が、私の手の中にある宝物から目を離せていないのは、それが人間の脊椎を加工したものだからである。
S字状にカーブした椎骨の連なりからは、第一頚椎から尾骨までの完品であることが理解出来る。頭蓋骨・肋骨・腸骨は関節から外してあり、椎弓の突起などは削られて、生物的でありなら人工的でもある、見事な曲線美が表現されている。
特に興味深いのは、全ての椎骨が一体化するように癒合している点である。鳥類で見られる複合仙骨が更に発達したかの様な異形…おそらくは、進行性骨化性線維異形成症の類いによって、靭帯が骨化しているのだと思われる。ゲノム解析を試みてみたいものだが、この衆人環視の状況ではサンプリングは難しいか。
ダイヤモンドは仙骨にはめ込まれており、その輝きはブリリアントカットに比べると鈍く思える。正八面体の原石の形を活かして、サイズを小さくしないことに重きを置いた様式なのだろう。
「これは……ヴァジュラ…でしょうか……?」
「うむ……間違いないのう」
戦闘を生業とする一族としては、彼らが特に神聖視しているバラモン教の神々の王、インドラの持物だとされる「ヴァジュラ」であることが衝撃だったようだ。千年前からの約定として神事のために来訪したはずだが、宝物が何であるかは伝承されていなかったのか。
…そうか、ヴァジュラと言えば、賢者の骨から鍛えられたとも、金剛石から成るともされているが、これが実物だとすると、両方について矛盾が無いな。雷を操る法具であるとも聞くが、その能力や如何に。
「「「「「Shihajaaaaaaaaaaaaaaaar!!!!」」」」」
村に戻ると、酒を酌み交わしての宴が始まった。私が重たい思いをして持ってきた日本酒は大変に好評で、すぐに空になりそうだ。私自身は現地のものが飲みたかったので、もち米だけから作られたというライスビールを楽しんでいる。微発泡の白濁したお酒で、ほのかな甘味と酸味が実に良い。巨漢たちが料理してくれた、ヤクのロース肉のタンドール焼きとも非常に合っている。
王と渉外役は、長老や女性たちとの交渉を続けている。どうしてもヴァジュラを持ち帰りたいらしく、16本の若木のところに仮置きされたその宝物に対して、強烈な熱意を注いでいる。下手に出ているとまでは言えないが、王があんな風にお願いをするなんて、彼らにとって相当に重要なものなのだろう。
翌朝。私は、次の目的地が同じ方向だというのもあり、王たちと共に村を出た。途中まで送ってくれるとの申し出をされて、疲れたら巨漢の1人に背負ってもらえることにもなった。
「貴公のおかげで、我らが悲願の1つ、ヴァジュラを手にすることが出来た。心から感謝するぞ、友よ」
「今や、氏族の長と同格でございます。第二の故郷として、いつでもお気軽にご訪問ください、室長殿」
やたらと私の待遇が良くなったのは、あの宝物の所有権が私へ移ったからに他ならない。どうも、儀式の間に最初に手にした人間が正当な持ち主となるらしく、その条件に適合したというわけだ。
私は、この一族をヴァジュラの守り手として任命し、また、次の千年後に託す宝物は王が用意する。そうした約定が新たに結ばれて、全てが丸く治まったのである。
「そうだ、貴公が興味を持ちそうな村、1つ知っておるぞ。チベットに古くから住む、とある一族でな…」
大変にご機嫌な王から、存外に面白そうな話を聞きながら、私は次の村へと歩みを進めた。




