其ノ参拾六 始祖の脳を受け継ぐ村
奇妙な村だった。
トルクメニスタンのガラグム砂漠に位置する、窪地の小オアシス。砂と空ばかりの世界に突如として現れる、水と緑の集落というものは、どの地で行き着いても奇跡的な光景に感じられる。道中で見てきた壮観な大地の造形、天然ガスを内包する空洞が陥没して生じたクレーターや、石灰岩の白と酸化鉄の赤に彩られた侵食地形と比べても、その素晴らしさには少しも遜色が無い。
日中が涼しい時期なのでゆったりと歩き向かっているが、これが灼熱の夏であれば、ラクダ乳を発酵させたドュエ・チャルを求めて集落へと駆けていたことだろう。村の住居は中央アジアなどでお馴染みな移動式の天幕で、飼われる家畜は羊とヒトコブラクダ。ドュエ・チャルを作っている可能性は高い。
村に到着したところ、何やら人々がこの世の終わりみたいな感じを呈して騒いでいた。その中心には1人の男性が居て、地面の上に寝転がりながら自転車をこぐような動きをとっている。前頭葉てんかんでも発症したのだろうか。
私は、自分に医療技術があることをジェスチャーで示しつつ近寄った。その一環として懐からメスを取り出したのだが、それを見るや否や、村人たちは一転して歓喜の声を上げだした。
長老らしき男性の指示で、その患者は四肢をがっしりと固められ運ばれていく。私はその間に幾人もからお願いをされ、言葉はよく分からないものの、その趣旨は「手術をして欲しい」ということだと思われた。
皆に促されるまま村の奥へと進み、古びた天幕の中に入る。家財などはほとんど無いが、造り自体は一般的なガラオイのようで、深い赤色を基調としたトルクメン絨毯の内装が美しい。おそらく、かなりのアンティーク。織り込まれている紋様は、初めて見るタイプのものである。
……ほう、珍しいのは紋様だけではなかったか。21枚ある絨毯を続けて見ると、術式をコマ送りの図で表したものになる。なるほど。これを、そこの2人をドナーとレシピエントに実施して欲しい、と。ふむ……興味深い。
天幕の中心には木製の台があり、その上に先ほどの患者と、若い青年が寝かされている。2人とも眠ったように落ち着いているのは、枕元にあるケシの未熟果より得られた乳液を飲んだからと思われる。鎮痛剤と睡眠剤として用いたのだろう。また、頭は剃毛されており、何らかの液体で殺菌が試みられてもいるようだ。
青年には、カエルの意匠が施された銀製の帯飾りが剣と共に装着してある。これは確か、魔除けの類いであるらしい。村人たちとしては、これで準備は万全なのだろう。
…彼らの伝統は守りつつ、こちらも流儀は通すとするか。携帯型のCTスキャナーで、2人の全身をざっと診ていく。患者の男性の方にだけ病変が確認された。前頭前野に脳腫瘍が1ヶ所、体積はそうでもないが広範囲に広がっている。しかし浸潤は特にしておらず、良性のものでありそうだ。
私はSPF化ポリマーを2人の頭部に塗布し、空気を送り込んで即席の手術用バルーンを作製した。私の両腕にも同じく処理をした後、4つのバルーンを融合させて1つの空間にする。これで、大抵の感染症については気にせず頭を開くことが出来る。
さて、それでは始めよう。
まずは患者の前頭部を、円を描くように切開する。オリハルコンのメスをくるりと舞わせて、皮膚、骨膜、頭蓋骨、3層の髄膜までを一呼吸で切り、同時に頭部から外す。
額には長径1センチメートルほどの傷があったが、それは以前この患者が受ける側だった時のものだろう。腫瘍はその直下から広がったようだ。
そう考えながら、正常な部位との境界に隙間を作るようメスをすべらせ、病変部を全て摘出した。その一部をアナライザーで解析にかけ、残りは保存液に浸ける。
外していた前頭部を元通りにはめ直す。オリハルコンの特性により傷口は瞬く間に塞がった。本来はそのまま死なせてしまうのだろうが、そうは表されてないので私の自由だ。
続いて青年の方の額を丸く小さく切り開き、脳腫瘍を移植する。図では部位がやや曖昧で量も明確でないが、前頭極の大脳縦裂を選んで、小指の先ほどの塊を埋め込んだ。
伝統に則った手法で術式を施したマークになるのだろうと察し、こちらの傷は残るようにして元に戻す。これで、私が依頼されたことは完了である。SPF化ポリマーを回収する。
うーむ。オリハルコンのメスが便利過ぎて、腕が鈍ってても問題なさそうなのは問題かも知れない。たまには訓練もしておくべきだな。
さて、余っている腫瘍を顕微鏡で観察するとしよう。…大型な細胞の中にニッスル小体があり、細胞核の数は2つと異常。嚢胞や線維化は見られない。神経節細胞腫が特殊化したものだろうか。アナライザーでまだ解析途中なデータを確認してみると、ゲノム解析、トランスクリプトーム解析、エピジェネティクス解析から総合的に考えて、その推測は当たっていそうだ。
ふむ、やはり良性の腫瘍であるらしく、増殖能も転移性も低いと思われる。しかし、図示された術式では受け手が3人であることや、変異の痕跡などを考慮すると、昔はもっと悪性度が高かったのではないだろうか。それが次第に、長期間の保有が可能な程度にまで変化していったのだと想像する。
腫瘍と患者本体は、ゲノムの状態から考えて明らかに別人の細胞から成っている。やはり、この脳腫瘍は人為的に移植し継がれてきたものだと考えられる。原初のそれが他の臓器などから転移したものではなく、またグリア細胞に由来してもおらず、脳の神経細胞から生じたガンであろうことは、果たして何を意味するのだろうか。
おお!? 腫瘍の方のゲノムでは、ネアンデルタール人に由来する特徴が有意に多い上に、現代の人類からは検出されたことのないDNA配列までもが確認されている。これは、2種のヒト属が交雑してからの経過時間が比較的に短い可能性を見出させ、脳腫瘍のオリジナルが相当に古いことの示唆となる。
私は考察を続けながら、天幕の外へと出ていった。先ほどの術式を初めから見守っていた長老は、かなり困惑しているようだったが、それは患者の方が生き残っているからだろう。本来なら代替わりの様な儀式であるとも想像されるので、無理もない気はする。
ガラオイの外はもう日が暮れてきており、気温は少し寒さを感じるくらいに下がっていた。薄く輝く繊月も、そう時間をかけず沈んでしまいそうだ。そのわずかな時間だけの月空を眺めながら、彼らが受け継いできた術式の意味を考えてみる。
前頭前野は、認知機能・人格・社会的行動などを司る脳の領域である。あの図の曖昧さからすると、移植を受ける箇所は厳密には一貫しないはずで、手術時に損傷される脳の部位に応じて、性格の変容、自己や周囲に対しての無関心、独特な性行動など、様々な症状が誘発されたことだろう。今回については、計画性の欠如くらいになるよう狙ってみた。しかし、それも腫瘍の発達によって変化していくと思われる。
つまり、遠い先祖の精神を受け継ぐことが目的だと考えるには、結果に一貫性が乏しいはずである。それよりは、シャーマンの降霊における、精霊ガチャみたいな意味合いの方が近いのではないか。あるいは、単純に脳の培養を目的としている線もありそうだと考察しながら、私は次の村へと歩みを進めた。




