其ノ参拾五 大縦穴と地下水脈の村
奇妙な村だった。
ベネズエラ・ボリバル共和国のギアナ高地に位置する、テーブルマウンテンの頂。ボンネティアの木々が鬱蒼とした森林を構成し、その合間の開けた地面に数多の食虫植物が根付く。大型の動物はまず見られず、鳥や獣すら珍しい。断崖の絶壁で隔たれたこの地形には、その1歩先の直下とは全く異なる環境が広がっていた。
ここは、標高千メートルを超える天空の大地。辺りには同様の地形群が見渡され、その数だけ別世界が存在するのだと興奮させてくる。
私が昨日に踏破してきた場所は、あの山の更に向こう側になるか。凄まじく巨大化したリクガメの中に広がっていた、ずんぐりと丸い獣たちの巣。その深部に住まう人々の村。宿主の呼吸のたびに形を変える、肉壁の空間。あれほどの冒険は、中々出来るものではない。
さて、体力も全回復したことだし、次なる秘境へ足を踏み入れていくとしよう。
ボンネティアの木がツバキ的な花を咲かすジャングルの中、断崖の端から歩いて2時間半ほどの地点に、大きな縦穴があった。幅85メートル、深さ60メートルといったところか。この平たい山の内部を流れる地下水脈が削り作った空洞、それが崩落によって露出したものであろう。
私は、都合よく階段状に崩れている箇所を利用しつつ、ロッククライミングの要領で地面へと降りていった。
陥没穴の底は、麓とも頂ともまた異なる空間となっていた。空気の流れはほとんど感じられず、湿度はほぼ100%。生い茂る木々は、異様な混交林を成している。林床のあちこちに転がる巨石はコケで覆われて、これが保持する水分を頼りにイワタバコやランの仲間が着生する。
こういった隔絶された環境では、多くの固有種が見られるから面白い。もちろん、それは植物だけではない。アリやカエルにヤモリの他、カビやキノコに粘菌など、そして微生物の類い。この小さな世界は、独自の進化を遂げた生き物たちの箱庭なのである。
岩壁に沿って少し歩いていくと、3メートルにもなる山盛りの種子に出くわした。ヤシ科、クスノキ科、カンラン科のものばかりに見える。これらの植物は、どれも穴の上では観察されなかったものだ。おそらく、油分に富んだ果実を好むアブラヨタカが、麓の密林まで飛んでいって食事をした後、巣に戻って種だけ吐き落としたものだろう。
ちらほらと発芽しており、周囲には大きな木に育ったものも見受けられる。一体どれだけの年月を要して至った状況なのか、興味が湧く。
お。種が積もって成された山の裏から、ひょっこりとモフモフしたものが現れた。この丸みを帯びたシルエット…羽の模様などから考えて、巨大化したアブラヨタカ……ではないな。アブラヨタカのヒナ革を束ねてすっぽり纏った、人間の子供のようだった。
それに気が付いた時には、岩陰や木陰からひょこひょこと、同じ格好をした子供たち総勢8人が出てきていた。
外界からの訪問者なんて、とても珍しいのだろう。自分たちとは違った人間に興味津々らしく、被り物の隙間から輝かせた目で、まじまじと観察してくる。その内に近くまで寄ってきて、どこかに案内するよう私の両手を引いていった。
ふむ、外見からは純粋なインディオに思えるが、大きい子ほど顔や手足などに白っぽい斑模様が目立つ点は少し気になる。色ごとにサンプリングして、ゲノム解析とトランスクリプトーム解析をしておくとするか。
子供たちの話す言葉は解せなかったが、ジェスチャーなどから判断するに、食料の採集を行っていたようだ。あの種子の山から新鮮なものを拾い集めたり、食べることの出来る草などを採っていたらしい。また、アブラヨタカのヒナを4匹も捕まえたそうで、1番大きな子が誇らしげに腰からぶら下げていた。
そうしてコミュニケーションをとりながら、獣道みたいなルートを進むこと20分ほど。その先に、やや幅広な洞窟の入口が見えてきた。引き続き子供たちに手を引かれて進んでいく。どうやら地下水脈が流れる経路の1つらしく、奥に進むほどに水が湧き出してくる。
私の背丈より少しは高かった天井はだんだんと低くなり、屈まずには通れないくらいになってきた。それと反比例するように水量は増していて、これはもう立派な川だと言える流れである。
最奥部らしき場所に着く頃には、私はビシャビシャに濡れていた。激しさを帯びた水は、より細くなった穴の中に流れ込んでいる。これ以上は進めそうにない。などと思っていると、子供たちはサイドに空いた小さな穴に入っていき、その先へと進んでいった。
うーむ、この経路なら水浸しにもならなそうだが、流石に私には無理なサイズだ。などと考えていると、1番小さな子供が私の手を引いて、水脈の続く先へと誘ってくる。被り物や食料は他の7人に渡したらしく、問題ないと言いたそうな顔だ。
こんな5歳くらいの男の子が大丈夫だと主張するのだ。私は、どうにかなるだろうと意を決して、上を向かねば息も出来ないくらいな水位の急流に身を委ねた。
「ドザザザザザザーーッ」
酷い目にあった。全身びしょ濡れなのは当たり前として、途中からは呼吸など不可能なほどに水中だった。かなり狭くなっている部分もあり、私がもう少し太っていたら危なかったに違いない。
まあ、ともあれ、こうして不可思議な空間へと至れたのだから良しとしよう。
天地も四方も一続きの岩で囲まれた、がらんどうの大空洞。頭上は深く閉ざされているものの、全体としては先ほどの縦穴と近しい規模の広がりである。ぼんやりと灯った火明かりの1つだけでは、とてもでないが岩壁を照らし出すのに足りていない。
出入口に見えるものは視認されないし、今来たルートを遡上して戻るのは現実的でない。乾季でこれだけの水流なのだがら、アクセスしやすい時期などは無いのだろう。
外とは違って、涼しめの空気がふわりと流れているな。地下水脈が水流ポンプの様に働いて、少しずつ外気が取り込まれているのだと考えられる。この水の滴る姿のままでは、体を冷やしてしまいそうだ。
私をここに連れてきた男の子を見ると、少し白さを帯びた肌や髪からざっと水気を払い飛ばして、唯一の光源である火が灯る方へと駆けていった。そして、その火を覆うように盛り上がった小山に体当たりしたかと思うと、隙間からぬるっと中に入っていく。
他の子供たちもこの中に居るのだろうか。そう考えながら小山に近付き観察したところ、その表面には鳥の羽毛がびっしりと配置されていた。なるほど、これはこの空洞の中で暮らす人々がとる、集団行動の様式であるようだ。
静かに燃える小さな火を中心として、その周囲に子供、大人の順番で層状に並んだ、裸体の塊になっている。肌にはオイルが塗ってあるらしい。おそらく保温を目的として、アブラヨタカのヒナから抽出した油脂を用いているのだろう。また、全員が密着しているのも、最外層の大人は背面を羽毛で覆っているのも、放熱を抑えるためだと思われる。
熱帯とは言え標高の高い地中な故に冷涼であり、家を建てる材料に乏しくもあるこの場所では、こういった方式が熱を保つのに有利となるわけだ。
間近で見ると、最外層の大人たちはアブラヨタカのヒナ革を羽織っており、それを除いては皆が完全に全裸であった。こちらに対して特に警戒はしていないようだが、怪訝そうな表情でチラ見はしてくる。その一方で、先ほどの子供たちは隙間からにゅるりと顔だけ出して、私を好奇心旺盛に眺めていた。
こうして見比べると、やはり年長者であるほど白さを増しているようだ。大人たちは髪も肌も、全身がかなり白い。ただし、瞳はダークブラウンを呈している。
太陽光がほとんど届かない洞窟の中などにおいて、そこに生息する動物がアルビノとなることは珍しくない。黒い色素であるメラニンは、紫外線からの防御に役立ち、視力にとっても重要であるが、暗闇の環境ではコストカットの対象になりがちなのだ。今回は、それと共通点のあるケースだと思われる。
アナライザーの解析結果を確認したところ、メラニンの合成能力は失われておらず、c-KIT遺伝子の変異によって、メラニンを合成する細胞の生存・増殖・分化などが抑制されていた。つまり、アルビノではなく白変種である。遺伝の形式は、変異型で揃う必要があるタイプだ。
シミュレーションの結果は、生まれた時点だと手足以外は概ね本来の体色だが、徐々にメラニンを合成する細胞が減っていき、成長が終わる頃には皮膚や体毛は白がメインになる、となっている。眼球については、色素細胞の供給源が別であったりなどで色が残る。
この大空洞の中で暮らす人々は、体の小さい子供の時期だけは、隣接する大縦穴に出ることが出来る。そのおかげで外部から食料を集めることが可能であり、そこではメラニン色素の恩恵を受けるのが好ましい。大人になり出られなくなってからは、そのコストは削減した方がいい。加齢に伴い白くなっていくタイプの白変種であることは、彼らの生活スタイルに上手くはまっているわけだ。
c-KITの他にも複数の遺伝子で変異が見られ、その内の幾つかが代謝を活性化させることで空洞内の気温に適応しているみたいだが、浮いた分のコストも多少はそれに貢献しているだろう。
お、村人たちが食事を開始したようだ。スクラムを組んだ体勢のままで様子はうかがいにくいが、サリサリという咀嚼音は聞こえてくる。採集してきた種や草などを生食しているらしい。
火は、アブラヨタカのヒナから抽出した油脂を燃やして生じさせるのだと思うが、それを調理に使えるほどの量で確保することは難しいのだろう。限られた資源であるが故、最低限の光源や熱源を得るために、そして保温目的のローションとして、とても大事に使用されているのだと考えられる。
ん、子供たちの1人が食べているのは、何か細長い動物みたいだな。口からちょろりと出ているそれを観察するため顔を向けたところ、私の口内にひょいと1匹を入れてきた。これも生食か。表面は粘液で少しぬるっとしていて、長さは5センチメートルくらい。噛み潰しながら体の構造を理解しつつ、同時にその味も楽しんでいく。うん、さっぱりとした風味で食べやすい。食感は、エイの縁側に似ている感じで面白いな。
私は、口の中で得られた情報から判断して、この食材がとても興味深い動物のはずだと考えた。捕まえたい。狙い目は、水の流れで堆積した砂が湿っぽくなっている辺りだろう。
その予想は的中しており、探し始めて5分も経たずに4匹も見付けられた。退化した目に、顎の無い円形の口、そして胸ビレと腹ビレを欠く魚体。それは、地下水脈に生きる新種とすべきヌタウナギであった。
体表に色素を持たないようで、半透明である点が特徴的だ。地下での生活に適応した結果と思われる。また、粘液が少ない点も独特であり、椎骨がほとんど退化しているヌタウナギの特性も相まって、捌かず生でも美味しく食べやすい。
持って帰って研究室で飼おうと思うが、そのためには、まずこの大空洞から脱出しなくてはならない。水脈が続く先は別の空洞、あるいは縦穴、最終的にはテーブルマウンテンの滝まで繋がっているはずである。そのルートを流れ通れることに望みをかけよう。
酸素が供給されるキャンディーを1粒、舌に乗せる。んー、ハッカ味か。まあ、準備は出来た。子供たちに手を振って別れを表明し、水が流れ出ている小穴を見据える。無事に外に出られるようにと祈りながら、私は次の村へと歩みを進めた。




