其ノ参拾四 マンモスが闊歩する村
奇妙な村だった。
日本の名寄盆地に位置する、山間の集落。ここ北海道では珍しくもない、ほぼ廃村までに過疎化の進んだ片田舎である。社会インフラが徐々に廃止・縮小されていき、夏は暑く、冬にはこうして豪雪に見舞われるこの土地は、訪れる者も少なくなり久しかった。
しかし、今日からは違う。世界でも屈指の観光地となることが確定している。我々の組織が一般向けに科学力で魅せる、初の施設がオープンするのだ。
「バオーーーンン!!」
「うわ~、本物のマンモスだぁ~~」
内側へと大きく湾曲した、迫力満点の長大な牙。上方へ突き出す頭と盛り上がった肩に、すとんと下がった腰が続くユニークな体型。そして、酷寒の地に適応した分厚い毛皮や、巨体のわりに小さな目や耳などのパーツ。
我々の技術で完全に再生された、ケナガマンモスの群れである。
「こーれはスゴい。子供の頃に図鑑で見たまんまだよ」
「あ~、こっちに歩いてくるよぉ」
ケナガマンモスの生息に適する氷期の草原を再現した、直径1キロメートルに達する内部ドーム。その透明な構造壁に面した通路から、今回の出資者の1人が子連れではしゃぎ眺めている。
「いやースゴい。でっかい、大きい、スゴい……」
「パパ~、マンモスの作り方がこれで見れるってぇ」
外部ドームの内壁は全面がディスプレイになっており、その大半はマンモスに合わせた太古の景色を映し出しているのだが、最下部では様々なインフォメーション映像が楽しめるよう設定してある。
あの親子が視聴を始めたのは、ケナガマンモス復活を目指したプロジェクトの数々についてか。
「人類が最初に考えたアイディアは、冷凍マンモスから精子を取り出して、アジアゾウとの雑種を作る方法でした」
シベリアの永久凍土に眠るケナガマンモスの死体から、少なくとも顕微授精が可能な精子を見付けてくることに始まる手法。
現生種の中では最も近縁なアジアゾウと掛け合わせて、1代目の雑種にて50%がマンモスな個体を作り出す。そうして生まれてくる個体とその子孫の内、メスに対してマンモス精子を用いた交配を繰り返していくことで、2代目で75%、3代目で87.5%、7代目では99%以上、つまりほとんどマンモスな動物が得られる、という着想である。
一見すると現実的にも思えるアイディアだが、それを可能にするほど新鮮な精子なんて、冷凍マンモスにはまず期待出来ない。瞬間凍結でないどころか、融けたり凍ったりの連続によって、細胞に大きなダメージが蓄積しているのだ。
問題点は他にも幾つかある。1つには、そもそも雑種が成立するのか、という視点の欠如が挙げられよう。異種の卵子と精子から成る受精卵では、胚発生が適切に進まないことが多いし、無事に生まれてきても生殖能力を持たないケースは珍しくない。
「次に提案されたのは、体細胞クローンを作る方法でした」
クローン羊のドリーの誕生によって、世間でも注目度が高まっていった手法である。冷凍マンモスの体細胞から核を取り出し、アジアゾウの卵子に移植してのクローン作製。雑種を作るメソッドとは異なって、100%がマンモスな個体となるし、それを1代目で作り出せるという点が洗練されている。
また、冷凍マンモスから精子を見付け出すには、当然ながら適齢期のオスの精巣などを狙う必要があるわけだが、こちらの手法ではオスメスや年齢を問わず、全身の細胞を対象に出来るというメリットもある。
しかし、こちらにも致命的な点がある。細胞丸ごとではなく核だけでも無傷なら…という期待は分からなくもないが、1万年を超える年月を経て、DNAはバラバラに分解しているのだ。とてもでないが、核移植によるクローンを作れるだけの状態ではない。
それに、精子を用いる手法でも言えることだが、ミトコンドリアはアジアゾウ由来となることへの配慮も必要だ。この細胞小器官の機能に関する遺伝子は、ミトコンドリア自身と核の両方に配置されており、そのミスマッチは不具合を起こし得る。
「iPS細胞が発明されて間もなく、より洗練された方法が考え出されました」
あらゆる種類の体細胞から作ることが可能であり、体を構成する全ての細胞に分化することの出来る、iPS細胞。ミトコンドリアも含めて真に100%がマンモスな個体を作り出すには、この細胞を経る手法が最もスマートであろう。
顕微授精や核移植みたいに個々の細胞を試すのではなく、体組織からまとめて培養をスタートするという効率の良さも嬉しい点である。冷凍マンモスの巨体の中に、たった1つでも生きた細胞が残っていれば…という期待を抱かされる。
適切な条件で培養することでマンモスのiPS細胞が得られたなら、次はそれをアジアゾウの胚盤胞へと移植する。そうして生まれてくる子供は、アジアゾウにマンモスの細胞がモザイク状に混ざった状態となっており、生殖器がマンモスの細胞で構成されているペアを選び出して繁殖させれば、完全なケナガマンモスの誕生となる。
同様の手法は、進化的により離れたマウスとラットの間で確立されていた。子宮と胎盤と子供の組み合わせが同一の生物種になるため、例えば免疫寛容の破綻といった、雑種や異種の妊娠に際しての胎盤に関わる諸問題が回避され、その点においても優れるメソッドだ。
しかし。たった1つでも生きた細胞を期待することは、やはり、冷凍マンモスに対しては酷なものであった。
「冷凍マンモスから生きた細胞を得ることが諦められていく中、ゲノム編集を用いる風変わりな方法が流行しました」
冷凍マンモスのDNAが分解しているとは言え、それは遺伝子の配列を確かめられる程度に留まってはいた。細胞からのアプローチが進まない中、ゲノム解析だけは徐々に成果が得られ、ケナガマンモスの特徴的な外見、季節に応じて毛が生え換わるサイクル、低温でも機能するヘモグロビンなど、様々なことが遺伝子レヴェルで理解されていった。
それらの情報を元に、アジアゾウの遺伝子の一部を編集して「ケナガマンモスの様なアジアゾウ」を作り出す、こういった考えが出てくるのは、必然だったのかも知れない。
確かに、一般的な科学力しか想定を出来ないのならば、この手法が唯一の現実的なものに思えるだろう。フクロオオカミやリョコウバトなど、他の絶滅種への取り組みに応用されるのも、致し方ない。
しかしである。ケナガマンモス復活という人類史に残る偉業が、そんな妥協の産物によって為されてしまうことに、我々は堪えられなかったのだ。
「そして、私たちの開発した方法こそが、現在唯一の成功例になっています」
我々がまず取り組んだのは、母体となるアジアゾウの調整である。
比較的に大型の亜種であるセイロンゾウをベースとして選び、ミトコンドリアに関連する遺伝子をケナガマンモスのものに置換、子宮や胎盤で働く遺伝子についても問題が生じないように改変し、他にもヒストンなどの遺伝子を少し調整している。また、成長ホルモンなどの分泌量を増すことで、出産されるサイズがケナガマンモスと変わらないよう大型化してもある。
これと平行して、ケナガマンモスのゲノム構築も実施していった。
数多くの凍結マンモスを対象に行ったゲノム解析の結果から、病的な変異を排除した100個体分の染色体の情報を組み上げていく作業。これは例えるなら、無地で同形のジグソーパズルを型なしで仕上げることに似る苦行だが、難易度はそれよりもずっと高い。我々独自の解析アルゴリズムと量子収束観測機の両方があって、初めて可能となるほどである。
母体の調整とゲノム構築が完了した後は、いよいよケナガマンモス細胞の再現である。
母体の細胞から核ゲノムを消去した上で、ケナガマンモスの各染色体を合成する。この操作には、特殊なDNAポリメラーゼと鋳型用のヌクレオチドを組み合わせた、DNA合成ナノマシンを使用している。電磁波に反応して鋳型が高速で配置される設計で、任意の1本鎖DNAを正確に合成していく。2本鎖になるところからは、内在性のシステムが利用される。
最後のステップは、ケナガマンモスの初期胚を組み立てて、発生を進めることである。
これには、用意したケナガマンモス細胞から、3種類の細胞を作り出すことが求められる。全身の細胞になるiPS細胞だけでなく、卵黄嚢になる細胞と胎盤になる細胞、これらが揃って、受精卵より生じてくる細胞のフルセットと同等になるからだ。適切にミックスされた3種類の細胞は自動的に組み上がっていき、母体の子宮へと移植すれば、あとは出産を待つのみとなる。
「バオーーーンン!!」「バオォーッ!!」
ケナガマンモスの群れが、見学用の通路からほど近い場所にて鳴き合いだした。子供マンモスは特に気にせず、その脇を優雅に歩いている。太古の昔にもあったであろう、日常の光景。それが、こうして完全に再生された遺伝情報を持つ個体たちによって繰り広げられ、一般の人々に公開されている。
私はその事実に満足しながら、二重のドームに囲まれた空間をゆっくりと回っていった。
入口から半周した反対側、お土産ショップやレストランへと続く下り階段のところまでやって来た。ちょうど昼時なので、レストランの方の様子を見ておくとしよう。
おお、盛況だな。席は全て埋まっているし、2時間待ち以上になると表示されている。まあ、この場に来ていない世界中の人々に先駆けて、本物のマンモスの肉を食べられるのだがら、この状況は当然だと言えるだろう。
「うおおう、これが本場のマンガ肉か! どうだ、来て良かっただろう?」
「んむぅ~、何だかおいひいねぇ」
一番人気は、やっぱりマンガ肉のようだ。しばらくは並の高級車よりも高いメニューになってしまうものの、言い換えるとお金を払えば夢を叶えられるのだ。飛ぶように売れるのも納得である。
ゾウ肉は大味だとも言われるが、うちのマンモスたちはフキやヨモギに北海道米などをいっぱい食べていて、草と穀物の風味がバランスよく乗った美味な肉となっている。
様々な部位を調理に使用しており、マンガ肉であれば、大腿骨とその周辺の肉塊が丁寧に処理されている。分厚い皮下脂肪は適度に残して取り除き、約60℃でじっくり煮込んで肉もスジも柔らかくした後は、脂肪を擬似的なサシとして注入してから、表面をこんがりと焼いてある。味付けはワイルドに岩塩のみ、薬味は山ワサビと行者ニンニクの2択だ。
私は昨日、マンモスの鼻肉の煮込みを関係者の特権として賞味したが、最も動かしている部位だけあって、旨さも肉質の良さも格別だった。
「青椒長毛象肉絲、お持ち致しました~♪」
「この、マンモス照り焼きバーガーってやつ、ください。1つ」
「これが……マンモスの肩ロース肉……? 原始の味がするステーキだ……!」
様々なマンモス料理が楽しまれているシーンを見られて満足しつつ、私は通用口からドームの外へと出ていった。
「长毛象!」「¡Mamut!」「แมมมอธ!」「Mammouth !」「マンモス!」「Mammoth!」「!الماموث」「Мамонт!」「長毛象!」
野外に設けたマンモスに乗れるゾーンでは、グローバルな老若男女が、その特別な体験をはちゃめちゃに楽しんでいるようだった。のっしりと歩き回るマンモスたちと、その背中に乗る現代人たち。氷点下の雪原で、誰もが実にいい顔になって時を過ごしている。
この小型のケナガマンモスには、ゲノム編集による家畜化を施してある。気性は温厚で、背中に人間を乗せるのが好きなくらいだ。一定の範囲から逃げ出そうともしない。
食用にしたり、毛皮などの素材を加工に使うのもメインはこちらで、成長は早めに設定してある。牛ほどの大きさと小型なのは、北海道くらいの寒さではそれが適度だから、という理由もある。
現在の地球上に、ケナガマンモスが野生の動物として暮らせる場所など存在しない。気候はずっと暖かくなり、大地は文明で埋め尽くされた。わずかな適地だけでは、檻の中のゾウと変わらない。彼らが闊歩することの出来る、酷寒で広大なマンモスステップの草原は、過去の世界にしか存在しないのだ。
絶滅して久しい種が今を生きるには、人工的に当時の環境を再現した空間で飼われるか、人間に都合よく改変されるかしか道が無い。それでも、人類はマンモスに再び会いたかったのだと感慨に耽りながら、私は次の村へと歩みを進めた。




