其ノ参 生きたゾンビが徘徊する村
奇妙な村だった。
ハイチ共和国の沖合、カリブ海の中心付近に位置する、無人島と思われていた小さな島。沿岸をサンゴ礁に取り囲まれたその小さな島は、海抜の低い平地が大部分を占めており、そう遠くない未来には海水面の上昇で環礁となってしまいそうであった。
まだ雨季ではあるが、先日のハリケーンから間もないからだろうか。細々とした雲は太陽の光を遮ってくれそうにもなく、南国の暑さをダイレクトに味わうしか選択肢が無い。
海岸線を時計回りに30分ほど歩いたところで、人の足跡を見付けられた。その近くの茂みには獣道くらいに人の通った形跡があり、それが続く先を見るにどうやら人里があるようだ。
そちらに向かって少し歩いていくと、まともな小道と、その両脇に広がる稲作風景が目に入ってきた。稲は西アフリカ原産の品種のようだ。アジア原産の稲と比べると収量や栄養価では劣るが、干ばつや病虫害に強い種類である。
ちょうど収穫の最中で、数人の農夫が作業にあたっている。ここで、違和感を覚えた。ハイチは人口のほとんどが黒人で、あとは混血のムラートが主だ。しかし、遠目に見ても彼らの肌は決して黒くはない。
ひとまず小道を更に進んでいくと、間もなく集落に到着した。簡素な家屋の他にはバナナの草が生えているだけの寂れた村だが、その敷地はわりと広く、100人近くは住んでいそうな規模だ。
近くには17人の男女が確認されるが、私という来訪者にいっさいの反応を示さない。それ故に間近から彼らの観察を出来たわけだが、その誰もが一見して白人であった。観光客などであるはずはなく、様子からすると、この村に住み、この村で働いているようだ。
そして、白人の住人というだけでも奇妙なのだが、より一層に奇異なのは彼らの見た目である。
肌は白人にしても白過ぎであり、髪色から判断しても、メラニン色素が無いというよりは血の気が引いて青ざめた感じだ。また、この炎天下だというのに汗をいっさいかいていない。目は虚ろで、焦点が定まっていないように見える。動きも幾分ぎこちなく、周囲の物にぶつかりながら歩いている者が散見される。私から一番近くの男なんて、水が入ったグラスを叩き割ってしまっていた。
これは出血は避けられないだろうと思ったが、男の左手は白い肌のままである。不思議に思ってよく見てみると、肌は裂けており、肉も少しえぐれている。それなのに血の赤は見られず、痛がる様子すら無い。
肌に生気は感じられず、曖昧な意識と緩慢な動作、そして痛みを感じず血も流れない。ゾンビのステレオタイプの1つと言っていいだろう。血液をサンプリングして、解析してみることにする。
正直、血液の採取が出来るのか不安もあったが、吸血針で普通に可能だった。それに村人たちは状態があれなので、サンプリングは非常にスムーズに進んだ。調子に乗って、視認出来た107人全ての血液サンプルを収集し、手持ちのアナライザーで解析にかけている。
これで遺伝情報を得ることが出来る。流石にこの人数だと時間もかかるので、大きなバナナの草陰で休みながら待つことにしよう。
……どうやら、眠ってしまっていたようだ。夏の暑さの中、日陰で心地良い風を感じながら昼寝などしていると、夏休みがあった頃を思い出す。夕焼けがちょうど終わったくらいの暗さということは、数時間ほど寝ていたのか。
アナライザーに目を移すと、まだゲノム解析は途中だったが、同時に調べていた血中成分についてのデータは既に出ていた。それによると、脳における特定の機能を麻痺させる化学物質が、一般には未報告のものを含めて13種類も検出されている。
この結果から判断すると、村人たちは薬物によってマインドコントロールされているはずだ。判断力はかなり抑制されており、誰の指示にでも従う状態にあると予想される。
そして非常に面白いことに、村人たちの血液には、赤血球もヘモグロビンも全く含まれていなかった。血液中で酸素を運ぶ成分がヘモグロビンで、これを含む細胞が赤血球だ。この細胞を持たないなど、脊椎動物の常識から逸脱している。
そう考えているとゲノム解析の方も完了した。その結果を見てみると、どの様にして村人たちをゾンビたらしめているのか、完全に理解することが出来た。
まず、彼らは2タイプに分けられる。便宜的に、A群とB群と呼ぶことにしよう。
A群に属する76名では、ヘモグロビンの代わりにヘモシアニンを作る遺伝子を持っていた。血中成分データを見てみると、確かに検出されている。
ヘモシアニンは軟体動物などの血液に含まれていて、これも酸素の運搬を行うが、その能力はヘモグロビンに比べて劣ってはいる。それと、酸素と結合すると青色になる性質があるが、血中の酸素濃度が低い体表付近では、おそらく本来の無色透明に近くなるだろう。
また、酸素を筋肉中に貯蔵する色素であるミオグロビンの遺伝子も持っていない。要するに、彼らは血も肉も赤くないことになる。傷を負っても白いままだった理由は、これで説明が出来る。赤い血が流れなかったというよりは、透明な血が流れていたわけだ。
酸素の運搬能力の低さを補うため、基礎代謝はかなり低くなっており、気温や日光によって体温を変化させているようだ。つまり、両生類や爬虫類の様に変温動物ということになる。
遺伝子改変にあたっては、哺乳類では珍しく変温動物である、ハダカデバネズミを参考にした形跡が見られる。おそらく、陽の出ている時間帯しか活動が無理な代わりに、1日200グラム以下の食事で十分なはずだ。
そして、HSAN4、つまり先天性無痛無汗症のⅣ型であることも分かった。これは、神経細胞に関わるNTRK1という遺伝子に変異のある遺伝病で、汗をかいたり、痛みを感じることが出来なくなってしまう。物にぶつかりながら歩いていたのは、痛覚が無いので注意することが出来ないためだったのだ。
また、動きがぎこちなかったのは、シャルコー関節になっていたからと思われる。これは、痛みを感じないために、関節に大きな負荷をかけて過ごしてしまう過程で、関節が破壊と再生を繰り返した結果、変形してスムーズに動かせなくなった状態を意味する。
次にB群だが、こちらではヘモシアニンすら含まれていない。その一方で、コオリウオに特有の幾つかの遺伝子セットを持っている。コオリウオの仲間は、水温が氷点下付近の南極海に生息している魚であり、驚くべきことに、赤血球やヘモグロビン、ミオグロビンを基本的に持たない。その血液は本当に無色透明をしている。酸素はその血液中に溶け込んだ状態で運搬されるのだが、効率は当然に低い。
これを補うため、コオリウオの血液量はとても多く、血管は毛細血管に致るまで太くて、心臓も大きくなっている。つまり、効率の悪さを血流量でカバーしているのだ。B群の村人たちが実際にそうか、あとで確認しておこう。
コオリウオはそれに加えて、酸素が溶け込みやすい低温の環境で暮らしていることも、透明の血で生きていく助けになっているのだが、ここハイチ共和国は全域が熱帯である。そのためだろう、B群の村人たちは、暑い日中は全員が屋内で眠っていた。そして日が暮れてやや涼しくなった今、辺りをうろついて何かしているようだ。仕事というよりは、ただ単に徘徊しているように見える。まるで、それ自体が目的であるかの様に。
ちなみに、日中に起きていた村人たちは全員がA群だった。生態が違うというわけではなく、おそらくは、そういった行動をとるように指示されているのだろう。
とは言え、熱帯の夜間と南極海では環境が違い過ぎる。ちょっと涼しめくらいでは、酸素の運搬効率などほんの少ししか改善されない。
そこで、B群では鳥類に備わっている気嚢を持っているようだ。この特殊な呼吸器官は、酸素に富んだ新鮮な空気が肺に常に入っているシステムを可能にし、酸素運搬の効率を飛躍的に高める。哺乳類が呼吸に用いている横隔膜との連携が気になるところだ。B群は、哺乳類と鳥類の二重の特性を備える、恒温動物の1つの到達点と言えるかも知れない。
変温動物であるA群とは対照的である。やはり、直接確認してみたい。なお、B群もA群と同じく、NTRK1の遺伝子変異によって痛覚と発汗の機能が失われている。
それぞれの村人たちが寝ている間を見計らって、彼らの体を触診や、携帯型のCTスキャナーで調べていく。ゲノム解析で期待された通りの結果ではあったが、実際に確認することは、やはりとても好奇心を満たしてくれる。生きたゾンビとも言える存在を観察することが出来て、とても満足である。
しかし、誰が何の目的でこんな村を作ったのか。何となく大方の予想はついているが。たぶん、よくある類いの動機だろう。A級諜報員に調査を依頼するとしよう。
4日後、その調査結果が手元に届いた。どうやらあの村は、とある富豪が作っている最中のテーマパークであるらしい。その富豪はゾンビ映画が大好きで、「一度でいいから自分もそんな世界に身を投じてみたい」と、本気で願っているそうだ。その夢を叶えるために作ったのが、あの生けるゾンビたちの住む村というわけだ。
莫大な資金と、優秀な人材。数十年という時間と、数多の人体実験。それらを使って実行するだけの力と、強い想いの両方が、その富豪にはあったのだ。ハイチを舞台にしたのは、ゾンビパウダーのお話で知られるヴードゥー教を意識したのだろう。
ゾンビから逃げ惑いたいのか、ゾンビと死闘を繰り広げたいのか。そのどちらを富豪は夢見ているのかと考えながら、私は次の村へと歩みを進めた。