其ノ弐拾六 憑き物筋と道祖神の村
むかし、むかし…
出雲国の浦々が連なる土地に、小さな漁村があった。
小さいながらも豊かに暮らしとったのは、嵐と潮の流れが、色んなもんを村にもたらすからじゃった。
船の積み荷、大きな鯨魚、知恵ある者。
しかしな、福となるか禍となるか、中には分からんもんもあったのよ。
ある嵐の晩に流れ着いた、異国の木箱。
翌朝、村人がそれを開けると、ぎょうさんの子蛇が蠢いとったそうな。
奇妙な村だった。
日本の横手盆地に位置する、山際の集落。緩やかな丘には赤々とした実りのリンゴ畑が連なり、そこから見て低地には、稲を刈り終えて間もない田んぼが広がっている。そんな畑と田の間を古くからの一本道が通っており、人家が薄らぐ南北の外れにて、村境を守る人形神が祀られていた。
「皆さん、完成しましたーー!」
朝からスタートしていた衣替えと称される行事が、正午を目前にして完了した。疫病などの災厄が村へ入らないよう睨みをきかせる、稲藁で作られた人形の道祖神。その木製の骨組みから藁製のパーツを取り外し、新たに作り替える作業が終わったわけである。
高さも幅も4メートル近いその巨体は、ここ秋田県の各地で見られる類似した神像の中でも最大級の1つである。間近で見ると、凄まじい迫力だ。
数百年の樹齢を誇るであろう杉の大木を背に、それよりも遥かに太く、勇ましく、荘厳な有り様で鎮座する蒭霊。その体は編みたてのむしろで幾重にも肉付けされており、特大の木針によって施されたダイナミックなステッチと、米俵の蓋で表現された乳房とヘソのデザイン性が面白い。
腰に巻かれた注連縄はその神秘性、藁製の鍔を付された2本の木刀はその武力、蛇腹の鎧にも似た極太の腕と脚は守りの力を強く感じさせてくる。
手足の指はねじった縄、頭として配されるのは俵、その上には藁束を幾つも束ねた作りの笠。あらゆる藁細工の技巧によって形を成されるこの神像は、日本の農村における稲作文化の結晶と評しても過言ではないだろう。
一時期は高齢化によって縮小していた行事であるが、近年は若者も増えてきて、田植え前と稲刈り後の年2回に総作り替えするよう戻ったそうだ。
確かに、村の参加者40人の内、半数ほどは若者から壮年くらいの見た目である。技術と伝統の継承はしっかりと行われているらしい。
「それでは、ガモ突きに行きましょう! ほらほら、先生も、せ~っかくですから参加して下さい」
ガモとは、この地方の言葉で男根を意味するそうだ。他の部位と同じく藁で作られており、大型のクジラのそれに近しい太さと長さに加え、2個の大きな藁製の玉と、杉の葉で表された性毛によって、こちらに祀られるのは成熟した男神であるのだと理解される。
それは編み笠を裏返すような手順を経て造形されていて、誇張された先端部のフォルムからは何やら執念めいたものが感じられる。
さて、それでは、青年団の団長の誘いに乗ることにしよう。若者たちに混じって、太さ30センチメートル、長さ概ね2メートル半にもなる巨根を持ち上げる。これを村の反対側まで運んでいくのだ。藁紐で固定されているだけなので、セパレート式なわけである。
「ドン!ドン!ドン!」
賑やかな太鼓の音が響く中、皆で掛け声を上げながら南下し始めた。それなりの重量ではあるが、10人がかりなので重くはない。
その道中では、見物に来た村人たちが撫で回したり、お腹を突いてもらう様子が見られた。子宝に恵まれるといった御利益が得られるとのことだ。
流石に30分ほども持ち続けて歩いていると、少し疲れてきた。運び方からスムーズさがやや失われて、ぶら下がる藁玉がアメリカンクラッカーの様に跳ねている。
お、杉の大木が見えてきた。目的地はもうすぐか。
村の南側で祀られるのは、この男根の持ち主とペアになる女神である。大きさや基本的な形はあちらの人形と変わりなく、パッと見では武装が薙刀であることと、顔として装着された仮面の違いくらいしか分からない。地蔵顔を思わせる男神の石仮面とは異なって、目鼻などのパーツを自然のコブで見立てた木仮面だ。
しかし、一番の相違点は、こちらには女性のシンボルがあることだろう。腰みので隠れてはいるが、藁縄を巧みに編んで用意された女陰が縫い付けられている。
「ズンッ!」「ズンッ!」「ズンッ!」
その秘部へと向けて、巨大な藁棒を突き当てることを繰り返す。これで、ガモ突きも完了になるらしい。ようやく休めるな。
「先輩、そっちはどうでしたか? 何か面白いことに出会えました?」
学生の時から変わらない、ヘルメットヘアーが絶妙に似合っている後輩が声をかけてきた。今回この村を訪れているのは、歴史学と民俗学のプロとして生計を立てている彼との、プライベートな旅行である。人形道祖神についてのフィールドワークを企画していると聞いて興味を持ち、久しぶりに長期休暇をとって同行することにしたのだ。関東の東側からスタートして、そろそろ1ヶ月にもなる。
よし、私なりの着眼点で気付いたことをコメントしていくとしよう。
まず、あの藁製の男根には芯として丸太が通してある。これは食肉目など一部の哺乳類で見られる陰茎骨を模しているとも捉えられるが、おそらく単に強度を増すための工夫だろう。
次に、使用される稲藁だ。あきたこまちがメインなのは秋田県なので納得だが、部分的にはコシヒカリも使用されていた。これは、前者は風で倒れにくいように茎が短く調整された品種なので、長さが必要なパーツのために後者をわざわざ育てているという話だった。
「なるほど~。流石、見るところが違いますね。ありがとうございます!」
こちらでは何か発見はあったのだろうか。
「作り方は岩崎で見たものと似ていましたが、前面だけでなくて裏側まで作り込んでる点が大きな違いですね」
確かにそうだった。これによって相当な貫禄が備わっているように思われる。
「それと! 仮面に享和元年と彫られているのを見付けました! 年代が分かる人形道祖神の記録更新ですよ!」
人形を作り替えるという行事の特性、それが村単位で行われるローカルな伝統ということもあり、この手の記録は非常に珍しいことらしい。おめでとう。
「享和2年から1年遡れましたね!」
……西暦1800年くらい、江戸時代の後期だったろうか。ちなみに、石仮面はまじまじと観察させてもらったが、文字などは確認されなかった。
「あの~、先生がた…。もう皆さん、直会へ向かいました。私たちも向かいましょう」
「ああ、すいません。ありがたく参加させて頂きます」
報告会などで盛り上がっている間に、この場は団長を含めた3人だけとなっていた。神事の後に酒と料理を楽しみ語らう直会を行って締めるのは、今回巡ってきた地域の多くで共通しているな。それにしても、ここでは昼間から行うのか。
「先輩、行きましょう」
では、行こう。西の空でうっすらと輝く眉月に目をやって、田と畑に囲まれた世界を歩いていく。直会をする場所は、村の中ほどにある交流会館だったはずだ。
「だどってな!」「が~はっはっはっ!」
「今年のガモはなげかったなぁ」「誰さつぐったんだ?」
「このいもっこ、うんめな」「んだから~」
私たちが会場に着いた時には、もう皆さんアルコールが入って盛り上がっていた。
「さあ、先生がたもどうぞ、どうぞ。日本酒とビール、どちらがよろしいですか?」
「自分はビールでお願いします。先輩は日本酒ですかね?」
地酒のひやおろしが目に入ったので、私の選択肢は既にそれに収束している。
「日本酒がお好きですか! 秋出しの一番酒ですから、うめぇですよ」
グラスにとくとくと注いでもらった冷酒を、くいっと口に含む。うん、芳醇なフレーバーとまろやかな味のバランスがいい感じで、くいくいと飲んでしまいそうだ。
「あ、先輩。自分は村長さんにあいさつに行ってきます。明日のお願いもありますし」
「先生、お供しますよ。えら~い学者さんだって紹介しましょう」
それでは私は、お酒と料理を楽しむ方に注力することにしよう。んん、この汁物も美味しいな。軟らかく煮られたサトイモのねっとり感が素晴らしいし、煮干し出汁とマイタケの風味がとってもいい仕事をしてくれている。
「兄ちゃん、いものこ汁には、このどぶろくも合う。うんめよ」「ああ、まちがいね。へんじぇど飲めぇ」
男神の衣替えで技術の伝授をしていた、気さくな老人たちだ。彼らの魅力的な提案を受け入れて、私も直会を心から楽しんでいった。
翌朝。私はすっきりとした目覚めで起床した。
和風な民家の、和室の客間。夜遅くまで直会に参加していた私と後輩は、宿まで戻るのも大変でしょうとのことで、村長の自宅に泊めさせてもらっていたのだ。
朝食として確保しておいたリンゴをかじりながら、隣で熟睡している後輩の頭をつついて起こす。
「ふわぁ……先輩、おはようございます。20分で準備するので、ちょっと待ってて下さい…」
人形道祖神を巡るフィールドワークの締めくくりとなる本日は、村長が所有する土蔵の調査である。江戸時代に建てられたものだそうで、そういった蔵の中からは学術的に貴重な史料が見付かることも少なくないらしい。
私にとっては、文系の学問の現場に触れられる貴重な機会だ。今日が最後なのだし、楽しんでいこう。
15分が経過。
「お待たせしました。では、行きましょう!」
朝の身支度を済ませた後輩と共に外へ出て、村長宅の左側にある蔵へと向かう。錠前の鍵は、昨日の内に手渡されていたようだ。
「ここです。古びた臭いが漂ってますねえ。期待が持てますよう」
後輩がガチャリと音を立てて解錠し、ギギィと音を鳴らせて扉を開く。確かに、雰囲気の感じられる香りが流れ出してくる。LEDランタンを手にして入っていく後輩に続いて、私も中へと足を踏み入れた。
「いいですねえ、いい感じですねえ」
蔵の中はかなり雑然としていた。明らかに2世紀ほどは昔そうな民具や、せいぜい昭和くらいのレトロな看板、捨てるのすら忘れられた感じのガラクタなど。こんな中から、後輩はめぼしい史料に出会えるのだろうか。
「おおっ、これは素敵な古記録ですよ!」
流石である。それでは、私も何かしら面白そうなものを探すとしよう。そうして骨董品とガラクタの山をしばらく眺めていたところ、それらの隙間に隠れるように置かれていた、1つの箱が気になった。
それは、一辺が23センチメートルくらいの立方体であった。ジェンガが複雑に絡んだような立体パズル…組木細工というものだろうか。木筒が構成要素であるらしく、1ヶ所だけ四角い穴が開いている。中には何かが入っているようでもある。
ふむ、ふむ。力のかけ方を色々と試してみて、短い筒やL字型の筒などが分離されてきた。そして、計6個のピースを外したところで、その残りが知恵の輪になっていると認識を出来た。8ヶ所で直角に折れ曲がった筒が2本、手順を要する様相で組み合わさっている。
知恵の輪は好きだが、あまり得意ではない。なので、このパターンのものは迷路のゴールを探すような試行錯誤で解ける、といった理解をしている。概して、元に戻す方が原理の把握が必要で大変だ。
「…かこ、かこ、かこ、かこ、かこんっ」
よし、解けたぞ。そして途中から気付いてはいたが、解かれた状態になって初めてアクセス可能になるピースがある。入り組んだ形をした木筒、その面の1つが、上手く力をかけることでパカッと外れそうに思われる。
「パカッ」
…ほう。奇妙な木箱を成していた不思議な木筒の中には、イイズナが入っていた。すっかりミイラ化しているな。少量をサンプリングして、ゲノム解析をしておくとしよう。
「先輩、それは何ですか?」
生息地域を考えると、おそらくニホンイイズナだろう。小さくて細長い、イタチの仲間だ。それなりに古そうなミイラではあるが、保存状態は悪くないと言える。
「にほんいーずな、ですか。ところで、そっちの木製の部品みたいなのは? え、元は箱だったんですか? ちょっと戻してみて下さいよ」
戻すのは大変なんだけどなぁ。私はそう思いながらも、好奇の心に支配された後輩のため、四苦八苦し始めた。
25分が経過。
「おおー、本当に真四角に収まりましたね。それに、やっぱり……これは……」
後輩が何やら思い至っているようだが、私の方もアナライザーの解析結果から得られた情報がある。
これは、憑き物筋に関わる動物だろう。
「これは、憑き物筋に関するものですね!」
同時に至った同様の判断。まずは後輩のそれについて説明してもらおう。
「憑き物筋はご存知なんですよね。ある種の式神みたいなものが住み着く家筋で、それによって富を得たり、妬ましい相手に狐憑きなどを引き起こすと信じられていました」
日本では狐憑きに代表される憑依現象、その生物学的なアプローチに関連して見聞きしたことがある。
「中には単純に家で受け継がれるというよりも、歩き巫女やイタコといった、プロの霊能者が使役するとされたケースもあります。例えば東北地方のイタコでは、イヅナという小さなイタチみたいなものを、木の筒の中で飼うという話です」
なるほど。イイズナと聞いて、イヅナのことに思い当たったのか。
「それもありますけど、他にもあります。これを見て下さい。先ほど見付けた、この村の人形道祖神の作り方が記されてる指南書です。現在には伝わっていない工程になりますが、ここに、骨組みの一部として外法箱を納める旨が書かれています」
挿し絵を見たところ、骨組みの構成が昨日の行事とは少し異なり、外法箱と書かれた部分がある。それは今手にしている奇妙な箱そのものに見え、後輩も同一視したようである。
「外法箱は、歩き巫女が持ち歩いていた呪具です。中部地方で語られる憑き物、クダ狐の使役に用いていたともされています。自分が知っているのは、もっと箱らしい箱でしたが。あと、こんなに大きくはなかったですね」
呪具、か。べたべたと触りまくった感じ、特に禍々しいものではなさそうに思われたが、その感想の理由を聞かれても答えにくいので黙っておく。
「木の筒という、イタコの道具を想起させる要素もあって、この箱が憑き物筋に関するものだと判断しました。それで、先輩はどうしてそう考えたのですか?」
では、今度は私の方から説明していくとしよう。
解析の結果、やはりニホンイイズナと判明したこの標本から、アルファヘルペスウイルス亜科の一種に感染していた痕跡が確認された。今から30年ほど前、出雲市の近郊の村に住む老女から検出された1例のみが知られる、非常に珍しいウイルス。その2例目の発見であり、感染源となる動物の発見例としては初になる。
このウイルスは、人間に対して行動異常や精神症状を生じさせることが分かっており、その症状から、憑き物筋ヘルペスウイルスと我々は呼称している。
「出雲の辺りとなると、憑き物筋の多数地帯ですね…。時代が昭和になってすら、婚姻の際などに問題とされることが結構あったそうです」
このウイルスは人間だけでなく、複数種の動物にも感染することが分かっている。シミュレーションの結果、様々な獣やヘビなどを限定された空間で飼育して、1個体の中で2種以上のウイルス感染が起こりやすい状況を作り出すことで、広い範囲の異種間で感染する新種のウイルスが人為的に作られた、と考えられている。
つまり、多数の毒虫を1つの壺などに入れて喰い合わせる呪法、蠱毒の様なことが行われた結果だと推察されるわけである。憑き物筋ヘルペスウイルス側で細胞への侵入時に機能する糖タンパク質、そのラインナップから判断して、少なくともイタチ、ジネズミ、ヤマカガシは用いられていたはずだ。
「蠱毒を技術体系に含む巫蠱というのは、憑き物筋のルーツの1つと言われています。とは言っても、アニミズムの関係で動物霊の憑依に神降ろし的な良いイメージがあったところに、私利私欲に基づく呪法という概念が入り込んでしまった、という意味ですが」
概念の変化と事物の伝来、その両面で蠱毒が関わっているとすれば面白いな。
「それと、今挙げていた動物は憑き物の正体とされていますよ。イタチは狐憑きの正体だとされてるんです。犬神憑きについては、ジネズミだとされることが多いですね。トウビョウというのもあって、これは首の回りに黄色い輪がある蛇だと言われていますが、それがヤマカガシですか?」
確かにヤマカガシの幼体の特徴と一致している。
「あ、子供の蛇なんですか。つまり小さいんですよね。イタチは小さい狐、ジネズミは小さい犬として捉えられてたのと共通する理念がありそうです。普通より小さいということ自体が、ある種の神秘性を想起させるんでしょう」
なるほど、面白い。ちなみに、このウイルスに感染する感受性は、イタチの仲間で最も強い。その次にヤマカガシ、西日本のニホンジネズミと続くが、憑き物の正体とされる動物の地域性と関係はありそうだろうか? ヘビやジネズミであるという話が限られた地域のものだとしたら、それっぽい気がする。
「それ、まさにそうですよ! イヅナ、オサキ、クダ、ヤコなんて感じに、地域によって呼び名こそ違ってきますが、憑き物の多くは狐憑きです。犬神やトウビョウの類いは、四国周辺にかなり限定されていますね。その反面、その辺りでは狐憑きは少ないです」
四国で狐憑きが少ない理由は、狐の生息数が少ないこととも関わりがありそうに思う。やはり身近な動物の方が、そういった対象になりやすい気がするからだ。
「あ、それもそうっぽいですよ」
だとすると、狐憑きという概念は希薄な一方で、四国のイタチは、憑き物筋ヘルペスウイルスの感染源になってはいたのだろうな。
「巫蠱が中国から、おそらくは西日本に伝来した関係もあるかもですね。犬蠱や蛇蠱といった呪法があって、それぞれ犬神やトウビョウと類似しているんですよ。日本における憑き物筋の発祥の地が四国なのかは分かりませんが、古い形態が残っていたのは確かでしょう」
先ほどは説明をあえて省いていたが、中国に生息するヤマカガシの中には、イタチの仲間と同じくらいに感受性の高いタイプがいることも分かっている。
「これは、話が繋がりますね~~。元は中国から入ってきたウイルスということですか?」
そう考えることの蓋然性は高い。日本のヤマカガシにもそこそこ感染するのは、それに関わるレセプターが「似ているが異なる」ことに起因すると考えられる。また、ジネズミの仲間は中国にも生息するが、西日本のニホンジネズミのみに感染することから、ウイルスのオリジナルが中国であっても、日本において改変されたと考えるべきだろう。
「中国から入ってきて、日本で変化したウイルスで、イタチなどから人間にも感染するウイルスですか……詳しいことは調べられてるんでしょうか? 治療法とか」
治療法は確立されているが、気にする必要は無いだろう。実は、憑き物筋ヘルペスウイルスは人間への感染性は比較的低く、口唇ヘルペスなどで著名な単純ヘルペスウイルスによって駆逐されたと考えられている。
「は~、そうか。とても珍しいウイルスだって言ってましたね」
ただし、憑き物筋ヘルペスウイルスの感染が成立した場合、それは決して楽観視を出来るものではなかった。三叉神経を介して脳にまで至ると、極めて高い確率で抗NMDA受容体脳炎を引き起こす。その症状は、思考滅裂、興奮状態、幻聴、幻臭、統合失調症状、せん妄などに加え、口や舌など顔面に不随意な動きが出現し、何かに取り憑かれたかの様に激しく痙攣する、といったものである。
世界中で報告例のある憑依現象の内、かなりの割合はこういった脳炎で説明することが可能であり、少なくとも昔の日本においては、憑き物筋ヘルペスウイルスが原因である場合が多かったものと想像される。
「本当に、狐憑きなんかの典型みたいな症状なんですね…。毒性は高いんですか?」
他のウイルス性脳炎とは異なり、致死性は低い。このウイルスが引き起こす脳炎が直接の原因となって死亡することは、珍しいケースだったはずだ。また、人間への感染性が低いのでそもそも罹りにくい上に、症状は基本的に一過性で、再発することもほぼ無かったと思われる。
「そうすると、治療と称して殺してしまうことの方が多かったかもですね。昔は、精神疾患だなんて考えられる人は一部の知識人だけでしたから、憑き物を落とすためボコボコに叩くなんてこともあったそうです」
霊的なものを物理的に叩き出すという発想か。随分とまあ、危うい手法だな。
「それにしても、ウイルス説は斬新ですね。憑き物筋という概念が広まったのは江戸時代に入ってからと考えられていて、それには社会人類学的な考察などが為されてきましたが、実際にはウイルスの感染拡大だったということでしょうか」
どういった考察なのだろうか。ちょっと気になるな。
「ええとですね、江戸時代は、村の外からやって来た人々が財を成すなんてことが結構ありました。新田開発による人口増、定住生活に対する強制力、それに商品作物や貨幣経済の浸透なんかによって、そういった成り上がり者が生じやすい時代背景があったんですね」
後輩の話し方からは、これが全てじゃありませんけど、といったニュアンスが感じられる。例えば、放浪していた修験者が定着して異端視される、なんてケースもあったのだろう。
「それは人並みであることが求められる閉鎖的な村社会において、あまりよろしく思われなかったんですよ。そして、急激に富を蓄えるという異質さに対して、怪しげな術を使うからだという理由付けがされて、果ては病の元凶だと考えられるようにもなったという考察です」
なるほど。そういった時代背景と、蠱毒の産物が野生のイタチを介して野に放たれてしまった時期が、一致したのかも知れない。一旦そうなると、人間同士では感染が広がりにくくても、感染源となる動物はあちこちにいる状況が出来上がってしまう。
特にニホンイタチは、民家の屋根裏や床下に住み着くことも多いので、ウイルスの媒介者としてよく機能したのだろう。元凶と考えられていた憑き物筋の家ではなく、被害者とされていた憑かれた人々の家に巣くっていただろうことは、少し皮肉である。
「あれ、そうすると、ウイルス説ではちょっと分からないことがありますね。憑き物筋は近畿地方ではほとんど報告が無くって、でも東日本にはある点が疑問です」
近畿には、我々とは対象を異にする組織の日本支部、その前身が古代から存在していた。彼々の対処によって京都とその周辺への感染拡大が抑えられていた可能性は高そうだが、それを後輩に言及するわけにはいかない。
どうやってか近畿では感染が食い止められて、東日本には人為的に移入されたのではないか、と話しておく。
「あり得る話ですね…! 東日本のイヅナやクダ狐、特にイヅナがですが、それらはプロの霊能者によるものです。その人々が持ち込んだ可能性はありそうに思えますよ」
わりと食い気味に同意してきたな。
「憑き物の正体とされるイタチも、確か違うんですよ。もっと小さい種類ので。にほんいーずなと、もう1つ、オヤマクダリとか言ったりするやつで……」
ニホンイイズナとホンドオコジョだろうか。
「そう、それです! それで、特に東北などのイヅナ地帯では、イタチが正体とはされてないんです」
なるほど…先ほど行ったゲノム解析の結果によると、あのニホンイイズナは家畜化されている。AMY2B遺伝子のコピー数の増加によって、炭水化物をエサとして与えられることへ適応し、ウィリアムズ症候群と共通する遺伝子変異によって、気性の荒さが緩和されている。どちらも、オオカミから犬ほどへの変化には及ばないが。
想像するに、以前から何らかの目的で使役していたニホンイイズナを、憑き物筋ヘルペスウイルスに感染させるため、イタコやら歩き巫女などが近畿より西まで遠征したのではないだろうか。
東北にもニホンイタチは生息しているが、そこでは憑き物の正体とはされないと言っていたことを考慮すると、憑き物が野生化しないように管理されていた、ということも考えられそうだ。
「プロの霊能者が管理していたというのも、非常にありそうです。関東地方の東側から東北地方にかけてがイヅナ地帯ですが、ここでは単純に家筋でないことに加えて、近代には憑き物筋が廃れているという特徴もあります」
憑き物の野生化が抑制されたことによって、憑き物筋ヘルペスウイルスの撲滅が早まったと言いたいのか。
「従来の説だと、東日本、特に東北地方では、同族結合…本家と分家の繋がりが強かったため、外から来た人々が成り上がりにくかった、それで家筋ベースの憑き物も少なかったとされています。近畿で極めて少ない理由については、貨幣経済の浸透がとても進んだ結果、伝統的な村社会が崩壊したからという説明になっています」
良くも悪くも緊密な人間関係から成る村社会、その上で適度に他人である関係性だからこそ、「妬みに基づく憑き物筋」の概念が発生した、という考えだろうか?
「その通りです。ですが、その理屈だと九州地方の西側などでも少ないことの説明を出来ていなかったんです」
九州では伝統的な村社会が続いていたし、本家と分家の関係性が東北ほど絶対的ではなかったので、憑き物筋の家系がもっと多くなければ違和感がある、と。
「でも考えてみれば、あそこも家筋だけでなくプロが盛んなところだったので、管理されてたんですかね!」
プロの霊能者によって、憑き物が管理され、野生化することが抑えられた。それが、家系に受け継がれる形式な憑き物筋の抑制にも繋がった、という仮説。
そうだとすると、どうしようもなく湧いてくる疑問がある。どうやって憑き物を管理していたのか、ということだ。1匹でも逃がせばウイルスの感染が広がりそうなものであるが。
……人形道祖神で管理していた?
「……人形道祖神で管理していた?」
同時に発した同一の言葉。後輩からその考えを説明してもらうとしよう。
「実は、人形道祖神のルーツと思しきものは、千年以上も昔の京都における記録があります。天慶元年に記された小野宮年中行事という書物なのですが、それによると、京の都の辻々に赤く塗られた男女の木像が立てられていたそうです」
江戸時代どころか、平安時代にまで遡ってしまった。そして、その赤い木像というのは、今回の旅で出会った中に似ているものがあったのではないか。
「ここより青森県に近い、大館盆地の辺りで見た人形道祖神と似ていますよね。あれは、京都から伝わった古い形態のものが残っていた例なんだと思います。そして、北は青森県から南は千葉県においても、形を変えながら細々と受け継がれていたのだと考えます」
旅路が思い出される。素材とする植物、駆使される技術、最終的な造形…多様性に富んだ人形たちだった。
「人形道祖神、つまり村の境界神として明確な記録が見られるのは江戸時代の後期になってからです。しかし、その頃には少なくとも秋田県の各地で見られる風習だったことから、それより前には流行り始めていたはずです。そのタイミングは、憑き物筋の概念が広まっていく時期と合っているのでは?」
年代が分かる人形道祖神の記録が乏しいなら断定は出来なさそうだが、矛盾はしていないように思う。どちらも江戸時代だと考えられるのだろうから。
「東北においては、イタコがイヅナを導入するのと時をそう違えずに、その管理を目的として、外法箱を組み込むかたちで行事を普及させていったという説はどうでしょう? 神職による普及なら明治にすらありましたし、難しいことではなかったと思います」
家畜化したニホンイイズナが逃げた場合、村から出てしまう前に捕らえることを目的としたなら、村境に設置することの合理性が感じられる。
捕獲性能を考えてみても、野生のイタチすら管の様に細い場所を好むので、木筒から成る外法箱はトラップとして機能しそうだ。そして、人間に対して使役するための訓練を受けていたと考えれば、人型である人形に寄ってしまうということも十分に考えられる。
「もしかすると、村境から村境まで移動したガモ突きや、稲作の大敵である害虫を排除する虫送りなんかは、野に放たれてしまった憑き物を、人形道祖神というトラップの場所まで追いやることを兼ねていたのかも知れませんね」
この村では行わないそうだが、虫送りも今回のフィールドワークで見聞きした賑やかな行事だ。確かにありそうな話である。
そうだ、小さめの人形を川などに流す鹿島流しについては、簡易的なトラップになっていたのかも知れない。外法箱の様に回収機能は持たせられなくても、憑き物を呼び寄せて、水に流すことで野生化を防ぐことは出来ただろう。
「そうですね! それと今気が付きましたが、人形道祖神を通年で祀る地帯と、イヅナ地帯はほとんど一致していますね。憑き物の管理を人形でしていた説、信憑性が高い気がしますよ!」
関東の東側から東北にかけて、この1ヶ月で巡ってきた地域には、そういった共通点もあったのか。実に面白い。
「中部地方ではプロと家筋が両存しているのは、人形道祖神を小正月にしか祀らないから、トラップ機能が低いなんてこともありそうじゃないですか?」
そう考えると、新潟の北部や千葉の南部で見てきた人形神は、1年中祀ることによって、常設の防波堤みたいな役割を果たしていたと言えるのか。まさに、疫病が村に入ることの阻止というわけである。
「あと、近畿地方でウイルスの感染拡大を防いでいたのは、辻々の赤い人形のおかげだったとか!」
そうかも知れない。私はそう答えながらも、野生化したイタチは人形に寄っていくような訓練を受けているはずも無いので、何か高度な呪術的メソッドが併用されたのではないかと予想する。
憑き物筋ヘルペスウイルスが人間だけでなく、イタチやジネズミにヤマカガシからも現在では確認されなくなったことも、彼々の組織が手を回した結果である可能性が頭に浮かぶ。
「九州のヤコ地帯で憑き物筋の残存が少ない理由と、何らかの管理が為されていたのか! 今後のテーマとしたく思います!」
こうして、ひとしきり後輩との考察と議論を繰り広げて迎えた昼。楽しいフィールドワークを終えた私と後輩は、再会を約束して解散し、それぞれのルーティンへと戻っていく。結局、休暇中にも生物学的に奇妙な村を訪れてしまったなと苦笑いしながら、私は次の村へと歩みを進めた。




