其ノ弐拾五 胎児の様な実がなる村
奇妙な村だった。
中華人民共和国の渤海に位置する、無人島と思われていた小さな島。黄河から流れ込む大量の土砂によって色付き濁る内海に、木々に覆われた緑の陸地がアクセントとなり浮かんでいる。この近くでは海底油田・天然ガス田が開発されていて、洋上に突き出た石油プラットフォームの輝きが宵闇の中を照らし出す。
「人参果?でしたかなぁ、今回のターゲットは」
日本人エージェントの問いかけに対して、作戦中の沈黙を目線で要請している中国人エージェントに代わり、私から肯定の返事をしておいた。
一昨日、この島から「胎児の様な実」がアラビア半島へ出荷されている、という情報が確認された。あの西遊記に出てくる、赤ちゃんに似た形の仙果の名が冠されているそうだ。これを受けてA級諜報員を3人も動員した上で、こうして2人のA級エージェントと共に潜入している。
どうやら、この国の最重要施設の1つがあるのは確からしく、警備を最大限に攪乱させ、手薄となったルートを確保してあるとは言え、戦闘は避けられそうにない。
「おっと!敵さんですねぇ、ここはローさんにお任せしますよ」
その言葉を聞き終える前に、中国人エージェントのローは警備兵2人の背後へと忍び寄っており、音も無く、瞬く間に無力化していった。得意の中国拳法による打撃で、おそらくは相手の心臓と肝臓を破裂させたものと思われる。
形意拳に加えて太極拳も高いレヴェルで修めたそうで、素手での攻防に限るなら、所属する部隊の中でも五指に入る強さにまで達したと聞いている。
「敵武装ハ、95式自動歩槍。ハンドル上部ニ、暗視装置ヲ装備」
「ひゅ~!流石はGReEKでも指折りの猛者ですなぁ、頼もしい限りで」
「…定時連絡ガ途絶エテ、兵士ガ殺到スル、ハズデス。急ギマショウ」
Genome-Regulated and Epigenetic Kightage、略称でGReEKと呼称されるのは、A級エージェントのみで構成される数少ない部隊の1つである。ギリシア文字のコードネームが各員に与えられた小隊であり、我々の組織における最高戦力の一角を担っている。
そのコンセプトは、数多の「人類が自然に獲得してきた変異」を「後天的」に付与した兵士による編成である。受精卵からの発生過程において働くカスケードの恩恵は得られない欠点があるものの、現時点で「戦闘を生業とする一族の王」にすら、2人がかりならば善戦も可能なほどに強化されている。
革新的に人為的な変異は付与されていないこと、生殖細胞の系列には付与しない調整が施されていることから、我々の技術の成果が奪われる可能性は低く抑えられている。
その性質から消耗品として捉えられそうに思えなくもないが、部隊名が示す通り、組織内では爵位を有する扱いとなっており、その地位はむしろ高いと言える。
さて、そろそろ島の中心部の辺りになるか。平たい蟠桃を実らせる果樹林と、農家を思わせるレンガ積みの家屋が見えてきた。人の気配は感じられない。これは廃村かな……いや、生活感の程度から判断して、昼間の作業の際にだけ利用される偽装集落といったところだろうか。
それよりも、気温と湿度が急激に上がったことの方が気にはなる。今時期はまだ夜でも暖かい季節であるとは言え、それにしても暑い。体感で気温37℃、湿度80%はあるように思う。…どうやら地下から加熱した上で、屋外の空気の流れを制御して温室の様にしているらしい。
「おや~?敵さんがぞろぞろ来ましたなぁ、それでは働きますか」
「敵ノ殲滅ヲ、任セタ。自分ハ、博士ヲ守ル」
「りょーかい!」
A級エージェントの2人が敵の接近を察知して、戦闘態勢へと入っていく。それぞれが異なるタイプの優れた感覚器を有しており、ようやく月が出てきたくらいの明るさでも視認を出来ているわけだ。
「ダドドドド!!!」「カカカカン!」
自動小銃の連弾を、中国人エージェントが太極拳の化勁を駆使して、手の甲で斜めに逸らしていく。相手の動作と弾道を読み取れるだけの視力があって成立する技術なため、通常の達人では演武での再現すら難しい技だ。
また、弾丸に直接触れるのは超硬質合金プレートになるが、この素材では内包する金属炭化物を整然と配置することで、飛躍的に強度を増している。貝殻の真珠層を参考にした産物である。
「バン!バン!バン!」
日本人エージェントは、愛用のコルト・アナコンダをご機嫌に扱いながら、敵兵士たちを次々に屠っているようだ。
ひとまずは安全が確保されたようなので、私は私で観察を始めることとしよう。
モモの木々に混じって、奇妙な低木が散見されている。一見すると少し不気味なだけの枯れ木にも思えるが、この様な樹形を私は他に見たことが無い。幹の頂から伸びる枝は2本しかなく、更なる分岐はせず先端に丸い膨みが伴われる。樹皮の質感も非常に独特で、植物というよりは、極めて分厚い皮膚の角質に近いテクスチャーである。
根はどうなっているのか確認するため、地面を掘り進めてみよう。素手で土をザクザクと削っていく。2分ほどすると土中に水分を供給している配管が現れてきたので、その液体の成分分析もしておくとする。
もう少し土を除いていくと、1本の根を露出させられた。これもまた、枝分かれの具合と表面の質感が異質な感じである。顕微鏡で観察してみると……小腸の微絨毛と酷似した組織に側面まで覆われていた。
ここまで分かれば、1つの仮説が立つ。この奇妙な樹木に見えるものは、人間をベースに形作られている可能性が十分に考えられる。
「ダドドドドドドド!!!」「カカカカカカカン!」
「ダドドドドドドド!!!」「カカカカカカカン!」
中国人エージェントが迷彩服を脱ぎ払い、体の要所に超硬質合金プレートを装備しただけの、半裸な姿で敵の増援に対応しだした。皮膚を介した知覚の精度を研ぎ澄ませるためだろう。
見た目こそ幾分か変態的であるものの、常に20を超える数の自動小銃から放たれる無数の弾丸、それらを舞い踊るかの様に流麗な所作で弾き逸らしていく様は、見蕩れてしまいそうなほどの優雅さを備えている。
「オ前モ、全力ヲ出セ」
「んん~!チャイナトランペットの大合奏ですなぁ、やりますか」
日本人エージェントの胸元が弾け飛び、2本の腕の下部に備わる3本目と4本目の腕が解放された。そして次の瞬間には、48丁のコルト・アナコンダと大量のマグナム弾が空中に放り投げられ、お得意のジャグリングが披露され始めた。一流のサーカス団員も顔負けな技術はそれだけでも楽しめるが、これは単なる準備に過ぎない。
「では!続いて独奏を始めさせて頂きますよぉ、皆さん」
「ババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババン!!!」
「啊!!」「呀!?」「呃!!」「……蚩尤??」「怪物!!」
次々と現れてくる敵兵が、それを上回る速さでヘッドショットされ倒れていく。久しぶりに目にするが、やはりこの曲芸は凄まじい。
2本の腕で装填し、もう2本の腕で撃ち続けるというだけではない。高速のジャグリングによって絶えず持ち替えられる愛銃たちは、ほとんど時間差が無いほどの速度にて同時並行で使用されている。1丁の銃による2連射の合間に、同じ手で20丁ほどからも弾丸を射出するのだから驚きだ。
この驚異的な射撃法によって、銃本来の連射性能を遥かに超えたスピードでの連撃が可能となっている。
「ひゃっはー!」
「四本腕ハ、ヤハリ強力ダナ」
この日本人エージェントは「人類が自然に獲得し得ない変異」を「先天的」に備えた兵士をコンセプトとして造られた。
ホメオティック遺伝子群を革新的な設計で操作することにより、椎骨の重複といった副次的な要素を排除された、第2世代の六足動物である。骨格の内で腕の基部となる肩帯と呼ばれる構造は、解剖学的には体幹の任意の位置にて収まりが良く、これを重複させることで通常の人体からプラス4本までなら腕の配置が可能だ。
ただし、追加の肩帯からは鎖骨を失わせることで骨格のプロポーションを整えており、そのため可動性については制限が生じている。
腕に加えて目も特製であり、色覚を司るタンパク質であるオプシンを12種類も保有している。近紫外線から熱赤外線にかけて対応したラインナップが機能することで、日本人エージェントの可視域と視覚世界は他の人類とは一線を画す。
恒温動物であるが故に生じる熱ノイズについては、眼球内の硝子体に熱電変換ナノマシンを注入することで対応しているが、血管の配置を調整することで生物学的に冷却するメソッドの開発も進められている。
「ダドドドドドドド!!!」「カカカカカカカン!」
「ババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババン!!!」
「ダドドドドドドド!!!」「カカカカカカカン!」
さて、安全が確保されている内に、解剖も進めておくとするか。オリハルコンのメスで幹に相当する部位に切り込みを入れて、そこから剥がすように刃を通していく。メスの材質に起因する効果によって体液に邪魔されず、断面そのものの観察が出来るのは非常に便利である。
……ふーむ、なるほど。やはり表面は動物的な角質であり、その下には表皮と真皮が続くが皮下脂肪には乏しい。更に内側には血液の通った筋肉、それと骨髄が満ちているようだ。一部を採取してからそっと戻しておく。
次はCTスキャンをしておこう。何が見えるか……ふむ、心臓が1つだけ見られるな。哺乳類のものに思えるし、その拍動は人並みだと言える。酸素運搬の面からは肺と接続されていない点に違和感を覚えるが、おそらくは地中の微絨毛から酸素を含む培養液を吸収しているのだと予想する。
その他には目立った臓器は確認されないな。脳や脊髄はともかく、老廃物の排出を考えると腎臓くらいはあっても良さそうだが。また、骨格も痕跡くらいにしか確認されない。
「ダドドドドドドド!!!」「カカカカカカカン!」
「博士、ソロソロ、」
「ダドドドドドドド!!!」「カカカカカカカン!」
「限界デス!!」
「ババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババン!!!」
「残弾の数が!心許なくなりましたぁ、」
「ダドドドドドドド!!!」「カカカカカカカン!」
「帰りましょう!!」
「ダドドドドドドド!!!」「カカカカカカカン!」
無限湧きかと思えるくらいに兵士たちが集まってきている。それに、仲間の屍の山を塹壕にして戦い続けるとは恐れ入る。虎の子の一個大隊が島の地下施設に駐屯していそうだという、A級諜報員からの情報は正しかったわけだ。
私から半径5メートルほどの範囲内にあったモモの木は、その全てが銃弾で砕かれバラバラになっており、蟠桃の甘い香りが硝煙と混じって流れていた。確かに、潮時だろうか。
私は、木の枝に相当する部位に目をやった。その先端の膨らみが大きい方を選んで、さっとメスで切り取り採集する。長径30センチメートルで形はソラマメ状、重さは5キログラム弱といったところか。
よし、それではA級諜報員に撤退の支援をするよう合図を出そう。
「ドッゴアアアアアアアアアアアアアアアアン!!!!!!!」
「啊!!」「呀!?」「呃!!」「石油平台??」「爆炸!!」
この島からそう遠くない位置にある石油プラットフォームを爆破してもらった。それと同時に指揮系統を攪乱させるプログラムが多重に起動しているはずであり、これに乗じて脱出するという計画になっている。
ちなみに、原油の流出は環境汚染に繋がるので、そういった事態にはならないように徹底させている。
「博士、撤退シマショウ」「今の内!ですよぉ、帰りましょう」
私は、地面に落ちている蟠桃の欠片を1つ口に含んで、一般的なモモよりも固くて甘くて香り高い特徴を楽しみつつ、その場からの離脱を開始した。そうだ、サンプルのゲノム解析も始めておこう。
「ドバァアアアアアアア」
A級エージェントの2人による護衛のもと、ボートにて高速で日本へ向かっている。爆破による炎上の光と煙はもう見えなくなっており、空に浮かぶ寝待月の美しさに目を移してゆっくりしていた。
ん、アナライザーの解析結果が出揃ったか。それでは詳しく見ていくとしよう。
ほお……上手く設計したものだな。この「人参果」を実らす木を模した人体は、細胞の移動を制御することによる、臓器の配置をダイナミックに動かす技術が目新しい。それに加えてアポトーシスを駆使し、基本的には人体にそもそも備わっているパーツの組み合わせを変えることで、あの異形を実現させているようだ。
植物に由来する遺伝子などは含まれず、ゲノムの大半は人間のものになるが、消化管の一部では硬骨魚類を参考にした改変が行われているのは例外である。具体的には幽門垂の様に細長い袋状の管の束が、胃の後方ではなく小腸において作られる。その時点までは人型の外観を保っているが、これ以降がダイナミックな変化になっていく。
まず、頭部や手足、不要な臓器などが消失していきつつ、消化管が裏返しになりながら幽門垂を真似た構造を外へと出していく。やがて根に相当する部位となり、培養液から酸素と栄養分を吸収するわけだ。
子宮も残存する臓器となるが、これはミュラー管の癒合が抑制されることにより、2本に分かれた重複子宮になるよう調整されている。そして、2本それぞれが外陰部と下腹部ごと隆起していき、膨らみを伴う枝状の部位へと変わっていく。
また、先ほどは気が付けなかったが腎臓はやはり存在していたらしく、根に相当する部位の基部に配置されるようだ。
そして、外界に露出した部分の角質化が進んで樹皮状になるというプロセスを経て、あの様な木に似せられた人体へと変わっていく、というシミュレーション結果になっている。
この様に手間暇かけて設計された先の用途は、移植用の臓器を目的としたクローン人間の作製、そのための培養であると考えられる。樹木状の体は漢民族の女性をベースとしていたが、最後に採集した膨らみの中に収まっていたものは、イスラム圏の著名な指導者とゲノム情報が一致している。
現在では拒絶反応を抑えた豚の臓器が実用化しているが、宗教上の理由で使えない人々は確かに存在する。彼らの需要を満たしつつ、西遊記のエピソードを利用して箔を付けることを意図したのではないか。簡便な代理母を活用しない理由は、それくらいしか思い付かない。
「九州沖ニ、入リマシタ。最寄リノ研究所ヘ、向カイマス」
「おおっ!本日は疲れましたなぁ、もう休憩にしましょう」
私は「胎児の様な実」として採集してきたものを、外陰部が癒着したと思われるラインに沿ってメスで切り開ききり、その中の赤黒い塊を取り出した。それは「実の様な胎児」と呼ぶべきものであった。
この世界には、多様なかたちの科学が存在している。それは時に正気によって発展し、また時には狂気によって飛躍する。あらゆる制約を取り払い、清濁を併せ呑んだ先にようやく繋がり得る人類の未来に思いを馳せながら、私は次の村へと歩みを進めた。




