其ノ弐拾四 円盤石を子孫に遺す村
奇妙な村だった。
南アフリカ共和国のグレート・カルー高原盆地に位置する、荒涼とした土地。岩や砂の目立つ乾燥した草原の中に、牧羊とトウモロコシ栽培をして暮らす人々の集落があった。この辺りで特徴的なことと言えば、本のページをめくる様にペリペリと剥がせる性質を持った頁岩、これが多く見られることくらいである。
この村の住人たちは、寝ている時間と働いている時間、その他の最低限な活動の他は、不思議な作業を黙々と進めることに全ての時間を使っていた。
彼らは頁岩の加工に長けているらしく、直径1メートル半ほどの円形に削り出した上で、1ミリメートル弱の厚さにまで分割したものを、幼子から老人までが所持している。
そして、その中心部に空けた小さな穴に片方の足の親指を置いて、何やら紋様を渦巻くように掘り連ねていく。そんな作業に、異常なまでの執着を示しているようだった。
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日本であれば小学校に通い始めるくらいの年頃な子供が、これだけの紋様を47秒の間に刻んでいった。凄まじいスピードと精密動作性である。
金属製の針を使ってのこの作業は、早朝から深夜まで、場合によっては数時間も連続して行われた。大人たちは仕事の合間にも、子供たちは遊びもせずに延々と。その間、疲労や作業の乱れといったものは全く見られず、夜の暗さも寒さも問題としないで進められ、およそ人間の動きとは思えない異様な光景だと言えた。
滞在して3日目、1人の老人が亡くなったようだ。この村で唯一の、紋様を掘り進める作業が見られなかった大人である。
その老人の死体は、洗い清められもせず、布に包まれることもなく、ただそのままに集落から少しだけ離れた原野に置き去りにされた。墓を作られるでもなく、歌や踊りが供されるわけでもなく、家畜が生贄に捧げられもしない。
先祖を崇拝したり、死霊の祟りを恐れることの多いこの地方では、珍しい風習に思われた。
ただ1つだけ行われた儀式的なことは、老人が生前に掘り終えていたらしき頁岩の塊が、村長の邸宅に安置されたことだろう。その塊は、1ミリメートル弱に剥がされていた頁岩が、数百枚も重ね合わされたものだった。どうやら、にかわ様のもので接着されているようだ。
当然ながら相当な重さであるらしく、男性たちが10人がかりで縦にしてから、ゴロゴロと転がしながら運んでいった。
私は遺族にお願いして、その円盤石を観察させてもらうことにした。携帯型のCTスキャナーを用いて、覆い隠されて外からは見ることの出来ない部分も含め、全ての紋様データを読み取っていく。1ミリメートル四方の面積につき平均して3つの紋様、そんな高密度さで全ページ両面が埋め尽くされていた。
私は1つの仮定のもと、アナライザーでその紋様の解析をスタートさせた。
それにしても、村長の大きな家の中は壮観な異様さを誇っているな。生活する空間がほとんど無くなるほどに、分厚い円盤石が大量に積み上げられてある。その数は数百、あるいは千個に達しているかも知れない。少しだけスキャンしてみたが、どれも内部までびっしりと紋様が刻まれている。
おそらく彼らにとっては、これこそが生きていた証であり、故人の墓標に相当するものなのだろう。
その様なことを考えながら、円盤石が織り成す列柱の中で過ごさせてもらっていたところ、アナライザーによる解析が完了した。
なるほど。やはり、円盤石に掘られていた紋様の羅列は、ゲノムの塩基配列を意味するものだったか。4種類の紋様は、ゲノム情報を構成する4種類の塩基とそれぞれ対応しており、メチル化といったエピジェネティックな情報も色分けによって示されているようだ。
また、老人の円盤石から得られたデータは、老人の死体から調べておいたゲノム情報と完全に一致していた。このことから、この村では先祖代々、生涯をかけて自分自身のゲノム情報を石へと書き写し、それを子孫へと遺してきたのだと考えられる。
一体どの様にして、そんな高度に生物学的な情報を村人たちは把握してきたのだろうか。おそらくは我々の領分ではなく、念視に類する超能力や、土地柄を考えるなら精霊の囁きなどで説明されるものではないかと推察される。
生物には、自分の遺伝子を残すという前提が、無視することの出来ないテーマとして存在する。そして、人間の様に雌雄の交配によって子孫を作る生物であれば、その子供は両親の遺伝子を半分ずつ受け継ぐのが基本である。当然ながら孫にはその更に半分、ひ孫には更に半分の遺伝子が継承される計算だ。これは、世代を重ねるごとに「子孫という個人」は「先祖のコピー」としての側面が半減されていく、ということを意味している。
一方で、自分の全遺伝子を網羅するゲノムという情報、それ自体を紋様として記録してしまえば、半分どころか全ての情報を遺せるというのは、確かに道理ではある。
彼らはこれを至上のものと考え、生きている間の自由な時間を、余すことなく注ぎ込んでいるのだろうか。あるいは、いつの日にか再生されることを夢見ているのかも知れない。…今世での生を謳歌すること、現世において楽しむことと引き換えにして…そんなことを考えながら、私は次の村へと歩みを進めた。




