其ノ弐拾参 球形の巨岩を崇める村
奇妙な村だった。
マダガスカル共和国のベマラハ高原に位置する、奇岩の尖塔群。石灰岩の台地が雨水による侵食を受けて作られたその地形は、鋭く尖った独特なフォルムのみならず、人間の進出を妨げて数多の未知種を内包する点でも珍しい。大陸から切り離されて久しい広大な島、その外では見られない生物種がマジョリティーを占める驚異的な土地の中にあって、より一層に注目される秘境である。
岩の間から生える多様なユーフォルビアに目をやりながら、侵食地形の谷底を埋め茂る木々の間を進んでいく。大小様々なカメレオンも見ることの出来る楽しいトレッキングだ。
この道程を共にするのは、ちょうど1年前の葬儀でも同行した近隣の村人たち、老若男女の52人である。この地に埋葬したA級エージェントの親類や縁者であり、弔いの儀式のために参集している。
そう、彼が死んで、もう1年になるのだ。A級エージェント最年長だった彼は、マダガスカルの伝統的な武術、バタイ・クレオルの達人で、ゲノム編集や薬物などによる強化を信念上の理由で全く施していなかったにも拘わらず、所属する部隊の中でも上位の実力を有していた。
通常であれば、戦闘エージェントの遺体は組織内から出ることは無い。しかし、契約時に故郷での葬儀が強く求められていたこと、消去すべき生物学的な強化の痕跡がそもそも無いことから、特例で彼の希望が通っている。駄目押しで私の参列だ。
さて、この先からの岩山登りが墓地へと至るルートの終盤である。私はその気構えを整えつつ、道中に買っていた旬のバオバブジュースを飲み干した。バオバブの実の優しい酸味と砂糖の甘味が合わさった、少しラムネを想起させる爽やかな美味しさのドリンクだった。また買おう。
村人たちは、地獄の針山・入門コースとでも例えられそうに突出した岩々を、ひょいひょいと登り進んでいる。この地形に適応しているメガネザルのベローシファカほどではないが、かなりの機敏さだ。これに引き離されないスピードを保つのは中々に大変そうである。
前回は、A級エージェントの死体を運びながらだったので、もう少しペースが遅かったのだな。しかも、彼は致命傷を負ってからの1ヶ月間、ナノマシン治療は拒否する一方で高カロリーの点滴を受け続け、最終的には100キログラム近くまで太っていた。儀式のために必要なことだと話していたが、運び手の労力をかなり増す要件だと言えよう。
進むこと4時間と少し。これだけ移動しても直線距離では500メートル程度だという事実が、この地形の険しさを数字で示してくれる。途中で足を踏み外してザックリと傷を作った2人が、そこそこの流血のために脱落していったことからは、その危険度も実感されていた。
ん、突き出した岩の間隔がやや広くなってきたな。この雰囲気には覚えがある。村人たちがほぼ垂直の絶壁をどんどんと降りているし、もうこの下が目的地の辺りであろう。
100メートル近い高低差を越えてたどり着いた谷底には、以前と変わらず神秘的な空間が広がっていた。無数の石刃を敷き詰めたかの様な崖に囲まれた、裂け目の領域。その両サイドには球形の巨岩が整然と列されており、2種の奇岩で満たされたこの空間には、異質な文明の神殿へと続く参道をイメージさせる、そんな荘厳さが備わっていた。
巨岩の数は右に11、左も11、合計で22個にもなり、その1つ1つが彼らの村にて英雄と認められた戦士の墓石である。石室での合葬だったり、死体を包む布を毎年替えたりといった風習が一般的な彼らにとって、これは英雄だけに行う特別な葬法である。
多少のサイズ差はあるが、巨岩の直径は2メートル前後といったところだな。その大きさに改めて感心しながら、皆で奥へと進んでいった。左右の崖の合流部、列球の最終地点まで到達すると、そこに穿たれている穴へと村人たちが次々に入っていく。A級エージェントを埋葬してある鍾乳洞の入口である。
緩やかに上方へと傾斜している洞窟内を、鍾乳石やルーセットオオコウモリの仲間を眺めながら前進する。4分も歩いていくと明るさが増してきて、間もなく広間の様なスペースに到着した。
天井の一部が崩れ落ちて空いた穴から日光が射し込んで、水の溜まった大きな縦穴を照らし出している。直径は3メートル弱、深さはその何倍もあると思われるこの穴の底に、A級エージェントの死体が一時的に埋められてある。
その埋葬にあたっては、まずバオバブの樹皮から作られた丈夫なロープ製の網が沈められ、それに続いて砂が投入されていた。その後に、赤い絹の死衣を着用させられた彼の死体が、7部位を紐で縛って固定した上で安置されたと記憶している。追加の砂により埋めていっての屈葬だった。
そうやって埋葬された状態から、先ほどの列石に加えるのが今回の儀式である。英雄の葬儀に限られたことではないが、彼らにとって、死衣を着て適切な手順で弔われることは、先祖の末席に加わるために欠かせないプロセスであり、死後の安寧を得るための絶対条件なのだ。
さて、A級エージェントを埋めていた砂は、村の若者たちによって概ね取り除かれたようだ。この次は、皆で彼を引き上げていく作業となる。網が収束した先のロープを私も含めた全員でつかみ、滑車を利用しながら引いていく。分かってはいたが、凄まじく重い。しかも、それなりに深い位置に沈められていたらしい。
5分が経過。もう…すぐ…。もう…一部が、見えて、いる…。ああ、浮力が…失われ……負荷が……
「ザギャギャギャッ」
全体が持ち上がったタイミングで、待機していた1人が金属製の板を移動させ、埋葬していた縦穴を覆い隠した。その上に丸ごと彼をそっと置いた直後、皆一斉にぶふぁっと息を吐く。ここに居る者の総意のはずだが、とても疲れた。洞窟内が外よりは涼しいのも気休めにしかならず、汗が大量に吹き出している。
それにしても、重いのも当然である。直径2メートルにもなる、球状の炭酸塩コンクリーション。その重さは10トンを超えているはずだ。
石灰質ノジュールとも呼ばれるこういった石の塊は、アンモナイトなどの化石を良質な状態で現代まで送り届けてくれる、タイプカプセルな側面がある。彼の出身地では、このノジュールの形成メカニズムを参考にしたかの様な手法を用いて、各時代の英雄たちを球形の巨岩へと変じさせてきたのだ。
通常の石灰質ノジュールの形成は、例えばアンモナイトの死体が海底で埋まるところから始まる。死体が適度な厚さで砂に覆われると、酸素ではなく海水中の硫酸イオンによる酸化が進み、腐敗していく死肉から炭酸水素イオンが発生する。これが海水中のカルシウムイオンと化学反応を起こすことで、炭酸カルシウムが析出するという流れだ。これによって硬い塊の中で化石が守られて、この例だと、アンモナイトの殻が美しく保存される。
簡単に説明するとこの様な感じだが、実際には、各イオンが拡散を抑えられつつ反応を出来るだけの絶妙な砂の間隙など、様々な条件が重なる必要がある。
この洞窟における儀式では、それに少しアレンジが入っている。まず、ここは鍾乳洞であるので水が石灰岩を溶かし込んでおり、カルシウムイオンと炭酸水素イオンに元から富んでいる。そのため、そもそも炭酸カルシウムが析出しやすいのだが、死体に由来する炭酸水素イオンが生じることで、化学的な平衡が炭酸カルシウムを形成する方向に傾いていく。つまり、より一層に析出しやすいというわけだ。
しかし海水と違って、この場所の水は硫酸イオンの濃度は低い点がマイナスポイントである。これを補うため、村人たちは海塩を精製する時の副産物、にがりを大量に投入しているのだと、A級エージェントの彼が生前に話してくれていた。
この他にも、死ぬ前に一生懸命に肥え太ることは、炭酸水素イオンの供給源となる脂肪が増えるメリットがあるだとか、屈葬された状態は手足の突出が妨げられることもあり、全身の骨を包み込んだ球形に固まりやすいだとか、幾つものテクニックが受け継がれているものと思われる。
たった1年間であれほど大型の塊が形成される謎もあるが、これは是非、地学部門の研究員にテーマとして頂きたい。そして、私が死ぬまでにその技法が再現されたなら、死後には夢のノジュール葬をして欲しい。私の骨格をサジタル面切断した球形の巨岩を、博物館の展示物にしてもらえたら最高だ。
考えごとをしている間に、彼を含んだ巨岩が村人たちによって転がされていた。いよいよ英霊の列に加わるわけだ。列石の空間までの経路は緩やかな下り坂なので、運ぶのは数人もいれば十分そうである。
鍾乳洞を出て、先祖たちの墓の間を通り抜け、その末席に彼のノジュールが安置された。回収した時点の上下が保たれるように、配置が微調整されて……完了したようだ。
いつの間にか、パーカッションによる音楽が奏でられていた。宴が始まる。
この葬儀は3日間、色々な料理を食べつつ続けられる。村の居住地から離れた奥地であるため食材は限られており、コブウシの肉を燻製にしたキトゥザが多用されているようだ。この国はフランスの植民地だった歴史があり、幾つかのメニューからはその影響の色濃さが感じられた。キトゥザのコンフィとブイヨンが好みである。
2日目には、私も持参していた調味料を使って、コブウシとインディカ米の牛丼を作ってみた。A級エージェントの彼は牛丼が好きだったので、ちょうどいいだろう。うん、皆の口にも合ったようで、あっという間に大鍋が空になった。米が主食で牛肉を好む文化なので、受け入れやすかったのだろう。
3日目になると、墓石な巨石を撫で回す行為がよく見られた。今は骨しか残っていない先祖たちとの、スキンシップみたいなものだろうか。通常の葬儀と違って死体に触れることが出来ないので、その代替なのかも知れない。洞窟の入口に近いものほど表面が滑らかで、洞窟真珠を思わせる鈍い輝きを放っているのは、この風習によるものなのだと思われる。
お、パーカッションのリズムが何やら変わってきた。小刻みなビートが体と心の芯に響いてくるかの様だ。私ですらそうなのだから、文化的に感受性の高い村人たちでは興奮度が高まっても不思議ではない。
その内に1人の女性がガクガクと震えだし、少しの間ではあるが気を失ってしまった。皆が見守る中で目を覚ました彼女は、男性の様な声色になって何か言葉を紡ぎ出している。マダガスカル語であるらしく私には理解を出来ないが、村人たちの反応を見るに、先祖の霊からのメッセージを受け取っているのだろうか。
不思議な印象が彼女から感じられる。まるで、複数の人格が1つの体に同時に存在しているようだ。そして、その中の1つはあのA級エージェントである気がする。
我々の組織には神霊部門といったものは存在しないので、彼が現地とのコネクションにでもなってくれたら嬉しいのだが。
そう考えていると、トランス状態となっている彼女が、私の両肩をつかんで言葉を発してきた。マダガスカル語……音だけ覚えて、後で解読することにしようか。
「...septième extinction...deux mille...trois cent...cinquante-trois...」
彼が気を利かせてくれたのか、フランス語で言葉をくれた。なるほど……これは、ありがたい情報が与えられたものだ。第七の絶滅まで、300年ほどの猶予があるということか。それまでの間に人類が各種の技術的臨界点に到達することを促すという、我々の組織の大義名分のもと、私はまだまだ世界を楽しめるようである。
予測されていた最悪のケースと比べて、10倍以上もの時間が残されている。死んでからの葬られ方を考えるだけでなく、今生きているこの時間の連続性を大切にしていこうと改めて決意しながら、私は次の村へと歩みを進めた。




