其ノ弐拾弐 洞窟の水神を崇める村
奇妙な村だった。
日本の富士山麓に位置する、溶岩地形の土地。冷え固まった溶岩は針葉樹の根に浅く覆われて、その地下には幾つもの溶岩洞が存在している。流れ出たマグマが大木を炭化させ、それを巻き込みながら固まることで作られた独特な縦穴も散見されるなど、火山活動の影響が色濃く見られる場所である。
そして私は、そんな地形の1つである氷穴の中で座敷牢に捕らわれていた。温泉が流れ込んでいた縦穴を足湯として楽しんでいたところ、怒り心頭な村人たちに囲まれてしまい、おとなしく捕まることにしたのだ。どうやら、この時期にだけ神様に湯を捧げるための神聖な穴であったらしい。悪いことをした。
牢屋の格子はただの木製であるし、A級諜報員に救助の要請を出してもおいたので、あまり長居はしないだろうが。
「あんた、助けてやるから、俺を手伝ってくれんか」
小柄ながら力強い意思を感じさせるギョロ目の男が現れて、予定よりも早い脱獄を提案してきた。状況はよく分からないが、助けてくれるなら助けてもらうし、助けてもらうなら手伝ってあげよう。
正直、真夏でも氷柱が見られるほど寒いこの洞窟にて、薄手のサマーコートで長時間を過ごすのは得策でない。
「うちの村ではさ、毎年この日に生まれた赤ん坊を生贄にする慣わしがあるんよ。1人残らず、オオグチサマって呼ばれてる神様に捧げるんだと。そうすりゃ村が豊かになるんだって」
小男が牢屋の鍵を開けてくれながら、この村の因習について話し始めた。オオグチサマ。大口様とでも書くのだろうか。
「馬鹿みたいな話だと思うだろ? でもさ、この村の人間は、ほとんどが7月生まれなんよ。どういうことか分かるか? 生贄にするためだよ。おかっしいよな、我が子をよ」
屈んでどうにか通れるくらいの狭さな横穴へと入り、ライトで照らしながら進んでいく。ふむ、この村の住人たちは、基本的に生贄のなり損ないということか。
「しかも、村の外に出てった奴らまで、この時期には里帰りして産んでくんだ。赤ん坊を生贄に出来たらさ、村から大金が貰えるんよ。どうやって用意した金なんかは知らんけどよ」
妊娠・出産するコストと、殺人というリスク。そして倫理的なブレーキ。昔からの伝統とは言え、相当な金額でなければ、それらが思い止まらせることだろう。
「俺はさ、昨日が誕生日なんだ。だからさ、たった1日の違いで死んでたかもと思うとよ…何だかなあ。もうこんなことは、止めさせなきゃって思ったんだよ。…おっ、着いたぞ」
洞窟の最深部に到着したようだ。広々とした空間の半分ほどが氷塊で満たされていて、それが電灯の青い光によって冷たく照らし出されている。
……そして、氷塊の反対側に位置している地底湖、その水面下に、巨大な動物の形をした何かが見えていた。肉眼では気が付きにくいだろうが、私の眼鏡を通せば鮮明に視認することが出来る。
暗褐色ベースの体表に不規則な黒い斑紋、ゴツゴツとした質感を呈するイボ状の皮膚、ヒダを伴う4本の手足とヒレ状の尾。幼生の様に露出させたエラを有する点を除けば、その形はオオサンショウウオの成体によく似ていた。ただし、全長9メートルという規格外のサイズである。この大きさは史上最大クラスの両生類に匹敵する。
オオサンショウウオでは100歳を超えるケースも知られているが、これが近縁種だとして、ここまで成長した個体ならばそれ以上になるだろう。
氷穴内の低温で活動停止していたところに、あの縦穴から湯を流し込んで活性化させたのだろうか? いや、これだけ大きくて、おそらくは相当に長生きしていることを考えると、妖怪に変化している可能性も考えられる、か……。
「おい! 村長が、赤ん坊を連れてきたぞ。俺が行くからさ、あんたは合図するまで待っててくれ。伏兵ってやつよ」
小男は小声でそう言うと、別ルートから歩いてきた老人に忍び寄っていった。老人の腕の中では、布に包まれた赤ちゃんが眠っているようだ。
「オオグチサマ、10人目の赤子です。どうぞ、御召し上がり下さい」
布を取られて裸にされた赤ちゃんが、老人によって今にも水中に沈められようとしていた。その背後から小男が飛びかかる。
「村長、止めろ!! こんな馬鹿げたこと、もう俺がやらせねえぞ!!」
「おごうっ!! 誰だ!? …末永さんとこの次男坊か!? お前、放さんっかい!!」
小男がしがみ付いて、取っ組み合いになっている。老人は体格で勝る点では有利そうだが、生贄を抱え上げた状態で抵抗しにくそうでいる。
…このままだと、赤ちゃんを落としそうで危ないな。合図を待たずに私も向かうとしよう。
「こなくそっ!!」「おごうっ!!」
小男がクリンチの様な感じのまま力を振り絞り、老人がバランスをくずした。赤ちゃんがオオグチサマの目の前に入水してしまいそうだ。間に合うか!?
私は、歩きにくい岩の上を疾走しながら手を伸ばす。老人の頭上に持ち上げられていた赤ちゃんが、落下する。
「ズザァァァッ」
………!! 間一髪、どうにかキャッチすることが出来た。とは言え、赤ちゃんは全身が水に浸かってしまっていた。この低温はまずいな。私は素肌を触れ合わせて、自分の体温で赤ちゃんを暖め始めた。
早めに外に出た方がいいか。そう思いながら後ろを振り返ると、オオグチサマが水面上に顔を少し出していた。のっぺりとした平たい頭は90センチメートルほどの幅である。そして、その大きな口からは人間の足がはみ出していた。あの靴は、私を牢屋から出してくれた小男のものと一致する。
ゴキュンといった印象の音と共に、全身が呑み込まれたようだ。…ひとまず、オオグチサマの性状を確かめてみるか。そう考えて、私はその大口のサイドから垂れ下がっているエラをメスで素早く2回切りつけた。
その結果、一部を切除するようにした切口は血が出ないだけだが、縦に切り裂いた方の傷口はすーっと消えていった。なるほど、超常的な再生能力などは有しておらず、メスの素材であるオリハルコンの特性が出ているだけか。つまり、オオグチサマは神霊的な存在ではなく、生物学的に巨大な動物だと考えればいい。
そうすると、今なら心霊手術によって2つの命を助けられそうだ。小男はまだ、窒息も消化も進んでいないはずである。しかし、それは私も水に浸かりながらの作業となり、時間もそれなりに要してしまう。その間に赤ちゃんは凍え死んでしまう可能性が高い。
私は少し考えてから、それは彼の本意ではないはずだと判断し、赤ちゃんを洞窟の外に連れ出すことにした。老人は頭を打って気絶していたが、まあしばらくの間は放置でも大丈夫だろう。
採取しておいたエラの一部をサルプルにして、各種の解析をアナライザーで進めながら、老人が使っていた方のルートから地上へと向かう。
それにしても、おそらくは通常の寿命を超えて数百は年経た上に、人間の赤ちゃんを生贄として捧げられ続けた生物が、変化もしなければ神格も得ないなんてことがあるんだな。
想像するに、今日を含む数日間を除いた期間、つまり一年の大半は常に眠ったような状態にあり、それでは神霊的に年経たカウントにはならないのかも知れない。確かに、寝ていても変化が起こるならば、コールドスリープでお手軽に妖怪が作れてしまう。
そうして、赤ちゃんを抱き暖めつつ思考しながら進んでいると、洞窟の外の景色が見えてきた。木々の隙間から射し込んでくる月光をバックにして立つ、A級諜報員の姿もそこにある。
「お疲れ様で御座います」
私は赤ちゃんを彼女に手渡してから、諸々の指示を出しておいた。特に、オオグチサマに適切な処置を施すことについては念押しする。裸の新生児を食べるのに慣れた胃に対し、小柄であっても成人男性の衣服付きなんて、腸閉塞になっても不思議ではない。
「畏まりました。善処致します」
さて、それではオオグチサマを生物学的に調べていくとしよう。ゲノム解析などはまだ終わっていないので、採取したエラの組織を顕微鏡で細かく見るとする。上弦の月がメインの光源である樹海の中で、古い切り株に座っての観察だ。
ふむ、細胞のサイズが大きいな。通常のオオサンショウウオと比較すると、体積にして2倍はありそうだ。染色体数の多さも考量して、これは三数体であろうか。
染色体の本数が通常よりも増えた倍数体では、その倍率に比例してDNAの量が増加する。そして基本的に、ある程度の範囲までは、その量に応じて細胞の体積が増加する。これは全体の細胞の数が減らないケースにおいて、体の大型化とイコールになる。体の大きさとは「細胞サイズ」×「細胞数」であるからだ。
お、アナライザーの解析結果が出揃った。やはり三倍体か。ただし、三倍体の細胞1つに3本セットで存在している染色体の内、オオサンショウウオのものは2本ペアのみであり、残りの1つは未知の種に由来するものだった。分類的には新たな科に属しそうだ。この地域にかつて生息していたのだと仮定して、フジサンショウウオと名付けておくとする。
おそらくオオグチサマは、オオサンショウウオのメスと、フジサンショウウオのオスが交配して生まれた雑種なのだろう。
通常であれば受精の直後には、卵子に由来する2本セット、精子に由来する1本セットの染色体が含まれていて、その後に卵子が元から持っていた内の片方のみを放出する。そうして1+1で2本セットの状態が子でも維持されるのだが、この段階で熱が加わるといった刺激があると、その放出が抑制されて、2+1で3本セットの染色体を持つ受精卵のまま胚発生が進むことがある。
この辺りには温泉もあるので、オオグチサマについてはこの可能性が高そうに思われる。オオサンショウウオは本来この辺に生息していない点がミステリーではあるが。
なお、三倍体化による細胞の大型化よりも、フジサンショウウオとの間の雑種であることの方が、オオグチサマの巨大化にもっと貢献しているようだ。
シミュレーションによると、フジサンショウウオはオオサンショウウオほどではないが大型に成長したらしく、これはオオサンショウウオとは異なる遺伝的な背景に由来している。それがオオサンショウウオのゲノムに上乗せされることで、両親よりもかなり大型に成長出来るだけのポテンシャルを得た子が生まれたわけだ。
いわゆる雑種強勢という現象であり、大型化という点では、ライオンとトラ(タイガー)の雑種であるライガーが有名な例だろう。
オオグチサマがフジサンショウウオから雑種強勢によって得た恩恵は、体のサイズに関わる細胞増殖スピードの高さに加えて、成長スピードも速く、長生きであり、成体でもエラを保持し、長期間の冬眠にも耐えるといった特徴があるようだ。
そして、オオグチサマの巨大化に最も貢献した要素は、三倍体化による性成熟の抑制と、ホルモンの異常な分泌による成長の常時活性化、これらのコンビネーションであろう。
三倍体の生物は、機能的なオスやメスに発達しないケースが多い。これは性成熟に伴う「成長期の終わり」が回避されることに繋がり、その結果、成長が継続して大型化する例が知られている。染色体の構成や遺伝子の発現、血中の性ホルモン濃度から判断して、オオグチサマは性成熟していないメスだと考えられ、その効果を受けているものと推定される。
これに加えて、オオグチサマは脳下垂体と膵臓にガンが生じているらしく、その影響で成長ホルモンやインスリンなど、成長を促進するホルモンが高い血中濃度で維持されているようだ。
これらの状態が、たたでさえ100年を生きるオオサンショウウオをベースとし、雑種強勢によってブーストされた長寿の間、続いていたわけである。
この村で祀られてからの食事ペースなどを考えると、それ以前の時点までで既に世紀を越える時を生き、かなりの巨体になっていたものと思われはするが。
つまり、オオグチサマは「細胞サイズが大きく」「細胞の増殖能力が高く」「成長期が終わることなく」「常に成長が促され」「長い年月を生き続け」、大型のオオサンショウウオと比べても、体積にして約200倍もの大きさまで巨大化したのだと考えられる。
また、重力の影響が小さい水中に生息することや、良質な栄養分を大量に摂り続けられたことも重要なファクターであろう。
繁殖能力は持たないし、非遺伝性のガンが寄与していることもあり、1世代限りのチートではあるが、ある意味での極致を見られたのは幸運であった。そう思いながら、私は月も沈んだ富士の樹海を後にした。
1週間後、諸々の指示を出しておいたA級諜報員から報告があった。オオグチサマは研究室に搬送の上で、胃の内容物を摘出したとのことだ。今はバイオミートに餌付いて元気にしているらしい。
村長には、死んだ神を迎えに来た使いだなどと説明したとある。あのまま腸閉塞を起こして神が腐肉となっていたよりも、神が失われる方がまだマシではあろう。
なお、オオグチサマの糞は呪術的な霊薬として加工され、それが村にとっての莫大な収入源になっていたそうだ。人体も糞便も、薬として重宝する文化は今の世でも根強く、それが神から出されたとなれば飛躍的に価値が高まるのだろう。
赤ちゃんについては、村の因習を考慮したところ両親の元に戻すことは困難と判断され、我々の組織で戦闘エージェントか諜報員の卵として育てられることになっている。
オオグチサマの胃から摘出された小男は、可能な限り外見を復元した後に、遺族の元へと戻されたとのことだ。
彼が救おうとした赤ん坊は生き延びることが出来た。霊薬という御利益が無くなった今、来年からは生贄の儀式も廃れることだろう。正義感に燃えていた彼にとっては、これで本望なのではないだろうか。
しかし一方で、あの村の極めて高かった出生率は、急激に下がることにもなるはずだ。オオグチサマが神であり続けていれば、生まれてくるはずだった命。その未来が失われたことに思いを馳せながら、私は次の村へと歩みを進めた。




