其ノ弐拾 オリハルコンを鍛える村
奇妙な村だった。
ポリネシア中心付近の公海上に位置する、無国籍の小さな島。火山と森とサンゴ礁から成るこの島の住人たちは、持ち前の好奇心で世界中から様々な生物を採集してきては、自分たちの島に放ってきた。それらが大事に維持されることで、今では極めて特異な固有種の宝庫となっている。
近赤外線で光合成を行う透明な海藻、死ぬと硬骨が溶けて食べやすくなる魚、大量絶滅から生き延びていたアンモナイトの末裔。例えばこういった珍奇な生物の楽園であり、私も1年に1回は調査に訪れている。
現生のアンモナイトの飼育法は、前回の訪問時に期待していた通りに繁殖まで含めて確立されていた。この島で最も規模の大きい風穴の最深部に位置する地底湖にて、205匹ものアンモナイトの大集団という夢の様な空間が実現されているのを、昨日からほぼ徹夜で観察してきたところである。
ゲノム解析やトランスクリプトーム解析も既に終えて、その結果は暗記するレヴェルで目に焼き付けてきた。研究室に戻ったら、こちらの解析が済むまでと我慢していた、2例目の現生アンモナイトについてもゲノム解析などを進めるとしよう。
数多く得られた凄まじいデータの中から私が最も興奮したのは、オウムガイでは見られる肉の頭巾、つまりフード構造が、アンモナイトの始祖には受け継がれていなかったと高い精度で証明されたことである。
イカやタコも含めた頭足類と呼ばれるグループの動物は、発生の段階では腕の原基を10本持っている。そしてオウムガイでは、その内の6本を特殊化させた特別な構造としてフードを形成する。
今回のアンモナイトに対する解析では、ゲノム上にその名残が皆無であった。これは、アンモナイトではフードが退化したのではなく、その祖先となったオウムガイがそもそもフードを持たない種類だった、と考えられる結果である。
イカやタコとの比較からも予測は出来ていたことだが、やはりアンモナイトで調べてこそ説得力が増すというものだ。
「おはよ、教授。約束してたコレ、見せたげるよ」
ひょいと私の目の前に現れたのは、この村で一番仲良くしている少年だった。前に会った時よりも、少しだが日本語のイントネーションが良くなっている。
彼が手に乗せて見せてきたのは、今回この島に着いた時に話してくれていた彼の宝物だ。朝日を受けて黄金色に輝くそれは、長径で1センチメートル程度の小さな巻貝の貝殻である。指先でつまみ上げると見かけ以上の重量が伝わってくるが、それはこの貝殻がほとんど金属で構成されているためだ。
表面はメッキされたような状態で純金に覆われていて、その下地は通常の炭酸カルシウムから成る殻ではなく、銅とベリリウムを主成分とする合金になっている。当然ながら工芸品などではなく、生命の営みとして形成された貝殻である。
非金属元素との化合物ではない構造物を作るというだけで、この巻貝の生物学的な素晴らしさは明らかだ。鉱物資源としても単純に魅力的だろう。しかし、この巻貝が注目されている最大の理由は「オリハルコンの素材」だという点に尽きる。
オリハルコンは、かつて大西洋沖で産出されていた幻の金属として知られるが、我々の考古学部門における研究によると、少量の金とベリリウムを含む銅ベースの合金であることは確からしい。組成からするとベリリウム赤銅ということになる。
しかし、ベリリウム赤銅をどの様に鉱石から製造・加工しても、単に強度や耐蝕性などに優れる合金になるだけで、現存するオリハルコンで確認されている神秘的な性質はこれまで再現が出来ていなかった。
「おおー、来たかい。久しいなあ。元気にしてた?」
3年近くは会っていなかった先輩と、村の外れへと続く小道でばったり出くわした。クラインフェルター症候群に典型的な高身長から発せられるあいさつに返答をして、同じく典型的に細長い腕を伸ばして向けられた手と握手を交わす。
多くの研究員がオリハルコンの再現は不可能だと考えていた中、わずかな文献的知識を抜群のセンスで適切に飛躍させ、世界中に根を張る人脈と多くの幸運にも助けられ、ついに正解までたどり着いたのが、この先輩である。工学部門と考古学部門の両方に上級研究員として在籍する鬼才として我々の組織でも有名で、今はこの村に住み着いて、鍛冶師の才能を独力でめきめきと開花させている。
2ヶ月ほど前にこの村の住人たちから連絡があった時にピンときたという発想力と、それから瞬く間にオリハルコンの製造を微量ながらも成功させた実行力は、是非に見習いたいものである。
「インゴットまでは、もう出来てるからな。日が暮れるまでには完成しとるよ」
鍛造に足る量のオリハルコンを製造して物に加工するという意味では、今回が初の試みとなる。その成果物を私のために作ってくれるのだから、先輩というのは真にありがたい存在だと感じずにはいられない。
秘匿している製造方法についても、傾国級の諜報員によるアルコールを用いた聞き取り調査で少しは明かしてくれたりと、実にありがたい優しさを持っている。その情報によると、オリハルコンガイと称されるあの貝を内臓も含めて丸ごと使用すること、貝殻の結晶構造を活かしながら低温で処理すること、これらの2点が重要ではあるらしい。前者については、合金中に含まれることになる微量成分に影響を与えるのだろう。
「じゃあ、また後でな」
先輩はそう言って、ドアの向こう側へと進んでいった。昔話に花を咲かせながら歩いている間に、オリハルコンを扱う小さな工房の前に到着していたのだ。外から覗き見ることが出来ないように窓も無く密閉されており、この辺りとしては涼しい時期に入ったとは言え、中はかなり暑くなりそうに思われる。
私は、工房から5メートルほど離れた木陰にて、少年と2人で待つことにした。
「ねえ、教授。この貝、なんでめちゃ金属になるの?」
少年が、自分の宝物の生物学的な特性について疑問を抱いている。これは丁寧に教えてあげねばならないな。進化のストーリーも絡めて説明するとしよう。
オリハルコンガイの祖先は、漸深層の熱水噴出孔の付近に生息する巻貝であり、その貝殻は一般的な炭酸カルシウム製だった。しかしある時、遺伝子変異によって、貝殻の表面に位置するキチン質の薄膜に特殊な微細構造が生じることになる。
その構造は、金イオン還元細菌にとって居心地が非常に良いもので、薄膜の表面をびっしりと覆い尽くすまで増殖していく。その過程で、海水中にわずかに含まれる金イオンから極小の粒子がゆっくりと作られ、それが貝殻の表面に蓄積していった。こうして、まずは純金で覆われた炭酸カルシウムの殻を持つようになったのだ。
「カーン」
純金で貝殻がコーティングされることで、オリハルコンガイの祖先は五千メートル級の深海層にまで生息域を広げられるようになった。通常であれば、炭酸イオンに乏しい深海では炭酸カルシウムの殻は溶けてしまうのだが、この貝殻は金メッキされているようなものであり、要するに強い耐性を獲得していたのだ。
そして、この金による海水からの保護は、錆びやすい金属の単体で炭酸カルシウムの殻を置き換える、そんなブレイクスルーの可能な状況をも同時に作り出していた。
「カーン」「カーン」
深海層に進出したオリハルコンガイの祖先に、また新たな遺伝子変異が生じた。それは貝殻を作る組織である外套膜の分泌能力に影響を与え、カルシウムイオンと炭酸イオンではなく、銅イオンを分泌するように変化させるものだった。
炭酸カルシウムの殻は、それを構成するイオンとその結晶化を制御するタンパク質が、キチン質の薄膜と外套膜で隔たれた限定的な空間で作用して形成される。銅イオンだけの分泌はそのシステムの崩壊を意味し、祖先の貝は金で覆われた薄膜しか作れない世代が続くことになった。
「カーン」「カーン」「カーン」
しかし、外套膜にベリリウムイオン還元細菌が共生するようになり、状況は一変した。この細菌は、海水中にわずかに含まれるベリリウムイオンから極小の粒子を作ることに長けているのだが、高濃度の銅イオンが存在する場合は、効率は落ちるものの一緒に細胞内に取り込んで、合金製の粒子にしていく働きをする。
オリハルコンガイの祖先が暮らしていた熱水噴出孔の近くは、銅イオンの濃度が特に高い場所である。そして、銅イオンは軟体動物では酸素運搬に利用されているが、この祖先の貝では体内に少し過剰に蓄積させていた。
こうして色々な要素が絡み合って、金でコーティングされた薄膜の直下に、ベリリウム銅から成る貝殻を作るという、前代未聞の生物が誕生することになったのだ。
「カアアンン」
現在この村のテリトリーに生息しているオリハルコンガイは、村人たちの先祖が大西洋沖の深海から紀元前に採集したものの子孫である。その当時にどういった手法で高圧の暗黒から貝を生け捕りにしたのか、金属化に必須な2種の共生細菌の生命活動に高圧が求められることを把握していたのかは、中々に面白いミステリーである。
村人たちの伝承には、黒い煙を吐き出す深海で黄金の貝を育てている、とだけあるらしい。たったこれだけの情報を頼りにして見事に回収するのだから、現在の村人も凄まじいものだ。少しばかり水中で活動しやすくなるキャンディーがあったところで、中深層にすら至れないというのに、彼らにはその程度のアドバンテージで十分だったらしい。
「バシュウウウ」
聞き慣れない音が工房から響いてくる。もしかすると、鍛造が終わったのだろうか。そう考えていると静かにドアが開き、汗だくになった先輩がやや興奮気味の笑みを浮かべながら外に出てきた。
「出来上がったぞー。ほら、早く、試し切りしてみてくれよ」
私は体力の限界そうな先輩のところまで駆け寄って、両手で厳かにそれを受け取った。銅本来の明るみを帯びた橙赤色の中に、やや銀白色の落ち着いたニュアンスも感じられ、光の受け方によっては青みがかった黒い輝きを放つという、不思議な質感を呈している。その一方で、スリークな曲線美から続いてシャープな機能美を理解させるその形態は、私が愛用していた「メス」そのものであった。
「ほら、教授。コレ持てきたよ。試し切りしよ」
少年がたった今採ってきたのは、房が1つしかない柑橘類のフルーツであった。私はヘタを持って5秒間の精神統一をした後に、その果物を上下に二分する形で一気に切り裂いた。ぽとんと落ちた下半分を少年がキャッチする。……10秒は経過したが、果汁の雫は落ちてこない。成功だろうか…? 上半分をそっと下ろして断面を合わせ、更に10秒間を静かに待つ。
そして持ち上げると……くっ付いている! つかんで捻っても離れない。これは、完全に癒合して元に戻ったと考えていいだろう。先輩の顔にも先ほどより爽やかな笑顔が見て取れる。
「成功だな。大事に使ってくれよ」
切断面の細胞が押し当てただけで元に戻るというこの絶技において、それを実施する者の技量と刃物としての鋭利さが大事なことも確かだが、圧倒的に重要なのは霊子吸蔵合金としての性質である。これはオリハルコンの他では、金の含有率が高めになっている同系統の合金、ヒヒイロカネでのみ確認されている特性である。
通常の状態では周囲から霊子を吸収し、金属原子の間隙に高密度で保持していくのだが、何かを切断する時にはその対象によって異なる作用を示す。簡潔に言うと、霊子に乏しいものを切る時には霊子を放出し、逆に豊富にある場合には吸収するといった感じだ。
この現象について具体的に説明すると、大抵の生物は霊子に乏しい存在なので、その切断時には霊子吸蔵合金から霊子が放出される。この特性によって、切られた面の細胞は霊的に生命力が増加して、短時間であれば先ほどの絶技の様なことが可能となるし、出血などを抑える効果もある。これを利用すれば、傷口を残さない心霊手術もかなりお手軽に行うことが出来る。
霊子に満ち満ちた妖怪などが相手の場合には、霊子を吸収する効果によってスパスパと切り裂くことが可能となる。通常の素材であれば刃が霊子で脆くなってしまう確率が高いのだが、そんな心配も無くなるので安心だ。また、単純に対神霊の武器としても優れていて、例え神が相手であっても低位の格までなら有効な攻撃手段になり得る。
「またね、教授。いつまでも待てるよ」
「じゃあな。次に来る時は、もっとゆっくり過ごしてけな」
用事が済んでもう旅立ちたくなっている私の心情を察した2人が、別れのあいさつをかけてきた。また好みのフルーツが実る頃には来ますよと告げて、海辺へと向かい始める。
装備した「オリハルコンのメス」は、夕陽に掲げるとその光を神秘的な輝きへと変換していく。こんな誰もが宝物だと思うであろう逸品を、親しい人に作ってもらえる幸せを噛みしめながら、私は次の村へと歩みを進めた。
 




