其ノ拾九 キョンシーが出没する村
奇妙な村だった。
台湾共和国の台北市街外れに位置する、時代劇ロケーション地。一度は寂れた映画村であるが、今では再開発が進められており、リアルに再現された清王朝後期の舞台セットが建ち並んでいる。子供の頃に親しんでいた映画のキョンシーを思い出させてくれる、素敵なテーマパークである。
そのセットの1つ、道教の寺院の屋根上にて、映画さながらの超常バトルが繰り広げられていた。
「天雷招来…九天應元雷聲普化天尊!!」
「神氣金剋を以てこれを避くアルよ!!」
邪仙の放つ禍々しい木氣を帯びた雷に対して、知り合いの符咒師が、金氣を増幅させる呪符を貫いた七星剣で迎え撃つ。
「ゴガガガガガガッ!!」「バキュバシュンッ!!」
3枚の呪符が消し飛ぶと同時に、紫電の束が明らかにその威力を落とす。知人は神速の体捌きにて邪仙との間合いを詰めながら、彼女を追尾する雷光を微塵へと斬り刻んでいった。こんな戦闘を目で追えるとは、私の眼鏡の動体視力サポート機能も向上したものだ。
「ダカカカカッ!」「ビャッ!」「ビュン!」「ドゴァッ!」「バシュン!」「トッ」「ザシュッ!」
…とは言っても、まだ目で捉えきれてはいないようだ。あちこちから聞こえる物騒な音からして、私が視認を出来ているのは戦闘の一端に過ぎないらしい。
しかしそれでも、彼女の方がやや優勢なのは分かる。邪仙は氣の内圧を高めることで守りを固めているようだが、符咒の技と手数の多さの前に、その強堅な肉体にも小さな傷が増えつつある。
「ザシャアアアンッ!!」「啊啊啊啊啊啊啊啊!!」
!! 背にした三日月をなぞるように描かれた七星剣の軌跡が、邪仙の左肩から腹部にかけてを切り裂いた。致命傷とはいかないだろうが、かなりのダメージだと思われる。
「…趕屍……百壮士……!!」「不味いアル!」
彼女がそう叫んだ後……数瞬の静寂を挟んで、無数の足音が聞こえてきた。
「ピョン! ピョン! ピョン!」
舞台セットのあちこちに潜んでいたらしい人影が、リズミカルに跳ねながらその姿を現してくる。街中で見かけそうな服装の老若男女、その総数は100にもなる。3日前に市内で集団失踪した死体と同じ数であり、額に貼られた符を除けば外見上の特徴も一致するようだ。
どの100体も関節が固まっているかの様に、両腕を前に突き出した状態で、膝を曲げることなくジャンプしての移動である。
「バッゴォォォーーーン!!!」
!! 道の脇に停められていた軽トラックが、積み荷の撮影機材ごと宙を舞った。どうやら彼らの1体が、腕の横振りで障害物を吹き飛ばしたみたいだが、そんな剛力の所業を為したのは、幼稚園児くらいの子供の体である。人体に備わる生物学的なエネルギーによるものとは、到底思えない。
「私も知らない術で強化された僵尸みたいネ。見た目は第一級アルのに、第三級と同じくらい力強いヨ」
キョンシーとは「動く死体」系統の妖怪である。長い年月を経て成長していき、その段階に応じて第一級から第八級に分類される。最も下級である第一級は紫僵と呼ばれ、死後硬直によって体が上手く動かせないとされている。第二級の白僵で腐敗から脱し、第三級の緑僵になると記憶や知能が回復してくるそうだ。
階級が増すごとに力は増大していき、第六級からは仙人クラス、第八級にもなれば天仙の最上位や神獣の領域にまで達するという可能性を秘めた、夢とロマンに満ちた人造の妖怪なのである。
「ピョン! ピョン! ピョン!」
…邪仙とキョンシーによる、知人の符咒士に対する総攻撃が始まるのかと思いきや、決して少なくない数が私の方にも向かってきている。そうか、生きた人間に反応するんだったな、そういえば。
「パシィッ」
お手玉くらいのサイズの布袋が放り投げられてきたのを、小気味いい音を鳴らしてキャッチした。中に入っているのは…米のようだ。
「襲われたら撒くヨロシ! 僵尸は糯米に弱いネ!」
ああ、キョンシーにもち米を投げかけると、爆散してダメージを与えられるんだったか。そんなシーンを映画で見た記憶もある。しかし、たったこれだけの量で防げる数ではないように思えるが。
「護衛も居るから安心ヨ!」
明らかに異形の様相を増した邪仙との高速戦闘を再開していた知人が、指で幾つもの印を結びながらそう言った。あの組み合わせは…確か、召喚の術だったろうか。
……夜の闇が、7つの歪みへと収束するように震え始めた。瞬きを2回3回と重ねるにつれ、その歪みは徐々に質量を感じる塊に変わっていく。そうして形を成したそれは、彼女が擁する最大戦力、中級のキョンシーで構成された七人同行の類いであった。
生者から魂を抜くことで即席に作られたと思われる邪仙のキョンシーとは異なり、死体を霊土に埋めた後に100年の時を要する、クオリティー重視の手法によって錬成された精兵だ。
7体は装束も武器も様々であるが、私の護衛をしてくれる1体は、清王朝の満洲族の礼服である刺繍入りの青黒い補褂を着て、頭には暖帽を被っている。つまり、映画でもお馴染みの格好である。戦闘面では、両手に持った桃木剣による二刀流を披露してくれそうだ。
方術を使うであろうこと、露出している顔や手の皮膚が虹色に輝いていることから、第四級の毛僵なのだと判断される。
そして、私が5回目の瞬きを終えた時、107の死体が飛び交うこの世ならざる戦闘シーンが、盛大にその幕を上げていた。
とは言え、戦いの趨勢は既に決まっている。7体の内の2体は、知人の師より受け継がれた第五級の飛僵である。二千年もの年月の間に練り上げられた「人外の武」は、規格外の強さなのだ。
重厚な鎧を纏った方の飛僵は、長い柄の先に湾曲した刃を取り付けた武器の一振りで、10体の敵キョンシーを粉々に消し飛ばした。その凄まじい威力は巨神の斧撃をイメージさせる。
オレンジ色の僧服を着た飛僵は、素手の一撃ごとに血黒い真球を次々と作り出していた。それは神業的な勁であるらしく、相手に打ち込んだエネルギーを体表から内向きに作用させる奥義なのだと、彼女から聞いたことがある。
この2体の切り込み隊長に加えて、4体もの毛僵が敵キョンシーを迎え撃つのだから恐ろしい。八卦鏡から放たれる妖しい光で範囲内の敵を弱体化させ、墨を染み込ませた糸の奔流でバラバラに切断するという、盤石の布陣を敷いている。どちらもキョンシーの弱点であるが、それらを駆使することなど造作も無いようだ。
運良くかこの布陣と飛僵から逃れられても隙は無い。彼女に近付けば、剣風に巻き込まれて邪仙への助太刀も出来ず、私に近付けば、護衛の毛僵がこうして双剣にて手足を一瞬で切り落とす。
護衛の毛僵は、右手に持った桃木剣をそのキョンシーの心臓に突き刺して、地面に固定してくれた。私が解剖を望んでいることを察しての行動だろう。知能が回復してくれていて助かるな。
私は念のため、もち米で弱らせてから解剖を始めることにした。一握り分を勢い良く投げかけると、爆竹が弾けるような音を鳴らして米粒が粉砕された。もしかしたらポン菓子になるのではないかと少し期待していたのだが、そういう現象ではなかったようだ。
それでは、十分に弱っているようだし、解剖を始めるとしよう。そもそも、これが目的で彼女に同行しているのだから。
まずは、腹部をメスで切り開いて内臓を確認してみる。…ふむ、どの臓器にも血は通っておらず、時間の経過を考えれば明らかに死体であろう。ただし、死んで間もないフレッシュな状態が維持されているという、かなりの異常さを備えた死体である。膵臓は溶けておらず、わずかな腐臭も感じられず、角膜の混濁も見られない
生者から魄を残して魂を抜く製法だと考えるなら、ただの死体の間の腐敗が起こり得ないことは理解出来るが、それにしても、死にたての瑞々しさがここまで保たれるとは驚きである。
次は、右手の切断面からメスを入れて、肘から肩にかけての皮膚を剥がしていく。露出させた筋肉は部位を問わず収縮しているらしく、これが原因で関節が固まっているかの様な動きしか出来ないのだと思われた。
死後硬直なんていう、数日間しか維持されない現象が長く続くのは不自然だと考えていたので、これは嬉しい知見である。折角なので、もう少し検証してみよう。
上腕三頭筋をメスで分断すると、キョンシーの腕がガクッと曲がった。引き続いて肩周りの腱をブチブチと切っていくと、力が骨格へ伝わらずに腕が垂れてきた。なるほど、やはり思った通りだ。
「動く死体」系統の妖怪・魔物については、これまでに骨だけのスケルトン、腐肉を伴うゾンビ、干し肉を伴うミイラなどが観察されているが、それらは全て、個々の「骨」をある種のポルターガイストで動かすタイプのものであった。動きが糸で操作される人形をイメージすれば分かりやすいだろうか。
バラバラになったスケルトンが復活することも、腐ったり干からびたりした肉の持ち主が動けることも、筋肉や関節を代替する霊的なエネルギーの存在によって説明されるというわけだ。
その一方で、今回は死体を動かす新たなメカニズムが発見されたと言っていいだろう。筋肉や腱といった、骨格を生物学的に動かすのに機能する部位を切断した時の挙動から、キョンシーはそれらの物理的な装置を流用して動作するものと考えられる。
とは言え。今回のケースは特別に鮮度の高い死体であるものの、通常のキョンシーについては多少の腐敗はしているわけなので、流石にアクチンとミオシンを化学的に制御して筋収縮させているとは考えにくいが。
何にしろ、この霊的な原理はフレッシュな死体だからこそと言えるだろうが、他の新鮮な「動く死体」ではどうなのだろうか。非常に気になるところである。やはり、魔物としての吸血鬼は早く観察してみたいものだ。
「…啊…啊………啊…………!!!」
!! 消え入るような邪仙の叫びと同時に、解剖していたキョンシーが青白い炎で包まれた。いや、この死体だけではない。辺り一面に散らばっていた99体分の残骸も、邪仙が多角的な攻撃のために分割していた五体も、この場にあった全ての敵だけが燃え盛っていた。その炎は音までをも焼き尽くすらしく、人払いの結界内は本来あるべき静寂で満たされている。
これは……陰火だろうか!? そうだとすると、知人の符咒士は今回の討伐で十分な「徳」を積み終えて、人の身でありながら天仙の域にまで到達したというのだろうか?
「まだ体得は出来てないネ。たまたま上手く出せただけヨ」
屋根上からふわりと地上に降り立った彼女は、衣服を含めて綺麗な無傷であった。100体のキョンシーを使役する邪仙よりも、獣人の様に全身を剛毛で覆われた飛僵よりも、この麗しい知人の方がよっぽど超越しているのだと実感させられる。
「お腹空いたネ。何か食べに行きたいアルよ」
それでは、近くの夜市で食べ歩くとしようか。牛肉麺と胡椒餅は外せない。久しぶりに、蚵仔煎の美味しい店に行くのもいいな。今の時間からなら、もう少し離れた方の夜市にも行けそうだ。今日は深夜まで食べ続ける方針に決まりでいいかな。
そうして台湾の夜を楽しんだ翌朝、妖怪を解剖し過ぎたためにメスが腐食していたことに気が付き、代わりの品を用意しなくてはと考えながら、私は次の村へと歩みを進めた。
 




