其ノ拾八 肉の塊が地中に埋まる村
奇妙な村だった。
中華人民共和国の福建省、漳州平原に位置する、開けた農地。川の向こう側で栄えている都市部とは対照的に、稲作の風景に養鶏場からの鳴き声が聞こえてくる、牧歌的な場所である。もう十分に夏だと言える暑さの中、大人たちは汗を流しながら仕事に精を出し、子供たちは遊ぶのに夢中なようだった。
私は雲の影に隠れながら、ビーフンと沙茶醬で味付けされた肉の炒め物をランチに食べていた。香辛料のスパイシーさと魚介の旨味が合わさった調味料によって、上品な牛肉の風味がいい感じに引き立てられている。しかし、今こうして美味しく食べている肉は、牛肉ではなく「鶏肉」である。
ゲノム編集や遺伝子の組換えが行われた農作物が「気持ち悪い」「自然に悪影響」などと疎まれていたのも、既に昔のこと。膨れ上がった世界人口、減少する先進国の出生率、環境の保全との両立……人類が前世紀から抱えてきた諸問題の大きさに対して、一般の人々も科学リテラシーを高めざるを得ず、国際的な協調もあって今では農作物だけでなく、畜産物においても遺伝子を改変されたものが一般的になっている。
肉の生産には多くの穀物と長い時間が必要とされ、食料の生産としては非常にコストパフォーマンスが悪い。その中でも牛肉は特に効率が悪く、この国で最も消費されている豚肉も良くはない。そこで、繁殖力が高く、成長スピードが速く、飼料からのエネルギー転換の効率にも優れ、世界中で食材にされている「鶏」が注目されることになった。
牛肉、豚肉、羊肉、山羊肉など、主要な家畜の肉の味を付与された鶏が作り出されて、世界の食料事情は大きく改善したものだ。
それらの鶏で調節されている遺伝子は、脂肪酸の代謝に関わるものが中心である。肉の味というのは、その大半が「脂」に由来する風味だと言えるからだ。
油脂を構成する脂肪酸は、炭素と水素から成る鎖の様なものであり、その長さや枝分かれ、折れ曲がりなどの化学的な特徴が異なった数多くの種類が存在する。味や香り、口融けする温度はそれぞれに異なり、この組み合わせこそが肉の風味の屋台骨となっている。
また、脂肪酸は熟成や加熱によって更に風味を生じさせることが多く、私が先ほど食べていた牛肉タイプの鶏肉では、ラクトンと呼ばれる和牛の風味が生成されるようにも調整されている。
鶏肉には牛や豚など哺乳類の肉に特有なアレルゲンが存在しないので、そういった意味での代替としても役立っているそうだ。また、宗教的な禁忌に触れない動物であることのメリットも大きい。
人類にとってもう欠かすことの出来るはずも無い、革新的なトランスジェニック動物として世界中の人々に受け入れられ、そして日々食べられている。
「肉怪! 肉怪!」
何やら子供たちが騒いでいる。肉だけは聞き取ることが出来たが、一体どうしたのだろうか。まるで化け物でも見たかの様な慌て具合で一目散に走り抜けていく。
私は、1人その場に残っていた少年の方まで歩み寄って、声をかけてみた。しかめっ面の似合う少し不愛想な感じのその少年は、値踏みするような眼差しを私に5秒ほど向けた後、ビシッと力強く畑の一部を指差した。
畑の土の中に、ピンク色の滑らかな物体が見えている。近付いて観察してみるとしよう。
なるほど、表面は筋繊維の様なテクスチャーで確かに肉みたいだ。触るとわずかにヌメッとしていて、液体の詰まったゴムボールみたいに柔らかい。どうやら、幅30センチメートルほどの筒状の構造であるらしい。
私はこれの全体像を確認しようと、周囲の土を掘り起こしていった。幸いなことに地表の近くにしか存在しないようで、あまり深く掘る必要は無い。ん、さっきの少年も逆サイドから掘り進めているな。共同作業のスタートだ。
2メートル分ほど肉を露出させたところで、小さく分岐している箇所が確認された。幅4センチメートル、長さ25センチメートルくらいの、ユムシがイメージされる形の突起物である。少し平ためな先端部には口も毛も見られないが、他の部分と違ってそこだけ白っぽい色を呈している。
これを根元からメスで切除したところ、本体側からビュワッと液体が押し出されてきた。体液かも知れないと期待しながら成分分析を開始する。それに続けて肉の一部をサンプリングしての、ゲノム解析とトランスクリプトーム解析も進めることにした。
いつの間にか少年が近くまで寄ってきていた。私が採取した中空の肉が気になるようである。縦に半分に切って片方を渡すと、まじまじと上から横から観察を始めた。きっと彼なりの発見をしてくれることだろう。
もちろん私は私で、別のアプローチで観察を進めていく。携帯型の顕微鏡を用いて、細胞の構造を詳しく見てみようと思う。
ふむ、ほとんどの部分はリング状の遅筋繊維で構成されているようだ。その組織中に脂肪細胞から成る白い粒が散在していて、やや少なめだが毛細血管が備わってもいる。先端の方には小さな細胞が多く、この部分で活発に細胞が分裂しているものと考えられる。
他には特に目立ったものは確認されない。表皮も神経も無いらしく、内臓の欠片も見当たらない。厚さ5ミリメートルほどの筋組織が大部分を占めていて、生物というよりは、培養細胞から形成された単純な構造物といった印象だ。
ん、いつの間にか少年が近くまで寄ってきていた。…先ほど渡したサンプルを炙ってきたようだ。2人で半分ずつ食べようということらしい。地中に埋まる粘菌の塊を視肉と称して食す文化については聞いたことがあるが、そのノリなのだろうか。いや、この少年は、純粋に「食べて調べよう」という考えに違いない。彼の真剣な眼差しからは、全てを疑い探究しようという強い意志が感じられる。
牛メンブレンの串焼きを食べるような所作でガブリと頂く。うん、焼き加減が良いのもあるがジューシーな柔らかさで、水分が多く保持される遅筋に富むことと調和的である。あと、噛みしめるとほんのり豚脂の風味が感じられる。
……おそらく、豚肉タイプの鶏がベースにされた、未申請のバイオミートなのではないだろうか。考えにくいことではあるが、この国ならばあり得ることとも思われる。
通常の生物としての形を作るプロセスが省かれた擬似生物的バイオミートの技術は、人類にとって非常に魅力的なものであった。しかし、甚大なバイオハザードが発生した事例が世界に与えた負のイメージは凄まじいものであり、極めて厳しい国際的な規制が設けられることになった。
現在では、技術で先行すると共に痛い思いを経験している日本とアメリカ合衆国でのみ、離島の地下施設での実施など多くの縛りの上で研究が続けられている。誰もが安心出来るレヴェルの安全性が確立されるには、まだ数年間は要するものと予想されている。
この国でも鶏肉をベースに開発を進めているだろうことは、汎用性を考えれば当然だと言える。
鶏肉の味は脊椎動物における肉そのものの味に近い。脂の少ないカエルやワニの肉は鶏肉みたいだと評されるし、脂をよく炙り落とした豚肉は鶏肉の様な味と食感になる。風味に乏しいサラダ油で脂を置き換えたシーチキンは同様に鶏肉を想起させる食材だ。
筋細胞の培養から始めてのマイルストーンに「鶏肉の味」を設定することは、到達しやすい目標という意味で最適だろう。そして、まず鶏肉をベースとして技術を確立させてしまえば、あとはそのプレーンな素材に、それぞれの畜肉に特徴的な脂を上乗せすることで、多様なラインナップを実現することが可能となる。
5ミリメートルほどと思いきった薄さにしたのは、培養液から吸収される酸素と栄養分を、心臓なしで中心部まで行き届かせるためだと考えられる。叉焼や分厚いステーキなど、塊だからこその料理や脂身を重宝する場合には不向きになるが、細切りにしたりミンチやエキスにする分には、違いを判別する方が大変なほど本物に近いはずだ。肉の色素であるミオグロビンの量を調整していれば、見た目にも更に近付けられる。
そうこう考えている間に、少年は畑をどんどん掘り進めていた。私も作業を再開しようと思うが、その前に成分分析の結果だけ確認しておこう。
アナライザーの表示からは、あの液体が体液ではなく、グルコースやアミノ酸に脂肪酸といった栄養素を高濃度に含んだ培養液であること、安定的に酸素を発生させる物質が含まれていることが見て取れた。肉の風味はエサから受ける影響も大きいが、培養液であれば調整するのも楽だろう。
4時間後、2人で掘り起こした土の量はかなりのものになっていた。この暑さの中で頑張ったものだ。その成果もあって、畑に埋まっていた肉には7つの分岐があり、合わせた長さは63メートルにも及ぶことが分かった。どの先端でも盛んに細胞分裂している様子が確認されている。
そして、最も重要なのは根元を見付けられたことである。それは畑の端の地下部分に開いた穴から伸びていた。隙間からは培養液がじわじわと流れ出ている。
これは…ある種の暗渠だな。かつて蛇行しながら流れていた川を埋め立てたものだろう。しかし、そうして見た目には消されたところで、川が流れるほどに水が導かれやすい領域においては、地下を水が流れ続けることなど珍しくもない。そこへ上流のある地点から、バイオミートが培養液ごと流入したのだと予想される。
暗渠とは、生活の場の一部として存在していた川や用水路などを、後から無かったことにしたものである。その無理矢理さは空間に違和感として残り続ける。それを丁寧に見付けながら進んでいけば、流入地点まで至れるだろう。まあ既に、施設の目星は付いているが。
少年は、地形から判断して下流だと思われる方へ向かおうとしていた。こちらが話しかけても一言も発しなかった彼ではあるが、その背中からは「そっちは任せた」と言わんばかりの奇妙な信頼感が伝わってくる。少なくとも、そんな気がした。
それでは、川の痕跡を上流側へと進んでいくとしよう。今考えると、この畑のやけに歪な形は岸辺に接していた名残なのだろう。川が大きくカーブしながら流れていた様子が目に浮かぶ。この様な感じで昔の流路をイメージしながら進んだ先には、小刻みに曲がりくねった道であったり、やたらと細長い謎の緑地が続いたりしていた。非常にそれっぽい感じである。
そうして行き着いた場所は、思った通り、この地方一帯のゴミを受け入れている処理施設であった。敷地を覆うフェンスの厳重さと、警備に当たっている兵士たちの武装から判断して、かなり機密性の高い政府関連の施設であることがうかがえる。
あの肉の出所がこの施設の地下だとして、流石に自分が潜入して調べることは難しい。それはA級諜報員の仕事である。おそらく多種の細菌などを用いた、有機物のゴミから培養液の原料を作り出す設備も有するだろうから、見てみたい気持ちは強くあるが。
ここはひとまず引き返して、途中で見かけた橋の跡の方を見てみるとしよう。位置関係からして、以前は川が分岐して流れていたはずだ。
警備兵に怪しまれないように自然な動きでその場から離脱する。肉の解析がもう完了しているので、その結果を確認しながら歩くことにしよう。
ふむ、やはり豚肉タイプの鶏肉がベースにされていることは間違いなさそうだ。白っぽかった先端部は特殊な間葉系幹細胞であり、1日に2回という驚異的なスピードで分裂する能力が備わっている。分裂後は片方が元の幹細胞として維持されて、もう片方は何度かの分裂の後に、基本的には遅筋繊維か毛細血管の細胞となる設計らしい。低い頻度で白色脂肪細胞にもなることで、霜降り肉よりも均一に豚脂が散りばめられる点は素晴らしいのだが、もう少し脂肪細胞の割合を大きくしないと豚肉の風味が弱いように私は思う。
そして最も気になった点は、ベースの鶏と比べて異常なレヴェルでゲノム上に変異が生じていることだ。これは、DNAを合成する酵素である各種のDNAポリメラーゼに対する、人為的と思われる遺伝子変異の導入が原因だと考えられる。
DNAの複製が絶妙に少しだけ上手くいかない程度に改変されていて、この状態で高スピードの細胞分裂が繰り返されたなら、ゲノムに多数の変異が蓄積することになる。数日も経過すれば、元とは大きく異なった細胞株になるはずだ。
これが多細胞体の生物であれば、1つの致命的な変異によって死んだり子孫を残せなかったりといった結末になることだろう。しかし、ただただ培養液から栄養分を吸収して、酸素を消費するだけな細胞の集まりであれば、進化が加速されたような状態で一部が存続していくことは可能だと考えられる。
おそらくは、遺伝子変異を加速してのスクリーニングによって、短期間で有用なバイオミートを開発することを目的とした工夫なのだと推測される。
さて、橋の跡だと思われる親柱の残る場所に到着した。この場所でも肉が露出していないか辺りを見渡したところ、20メートルほど先で、タケノコでも埋まっていそうな感じに土が盛り上がっていた。そこまで駆け寄って、根ごと草むしりする要領で表面の土を剥がしていく。すると間もなく、肉の質感をした物体が現れてきた。
…ふーむ、こちらに枝分かれした肉は、畑で見られたものとは大きく異なる様相だな。細長い筒状の構造の先端部に、幾つもの目が散りばめられた肉の塊が形成されている。ダチョウの卵くらいの大きさと形である。先ほど確認した畑産の肉のゲノムからは、この様な奇っ怪な塊を作るなどという情報は得られていない。どうやら、かなり変化が進んでいるらしい。
私はこの肉塊についてゲノム解析を進めながら、解剖しての観察も行うことにした。まずメスを入れて両断したところ、その内部は中空ではなく、脳の様な組織と不完全な眼球で満たされていた。細胞分裂する箇所はその中心部だと思われる。
この国のバイオミートは、中胚葉系の細胞を作り出す間葉系幹細胞の培養がコンセプトのはずである。それなのに、外胚葉系である脳や眼球が作られてしまっている。エピジェネティックな要素も含めて、かなりの変化が蓄積しているのだろう。これでは他の場所へと枝分かれしていった肉についても、何に変貌していようが不思議ではない。
私は、少年が歩いていった先の肉が胸騒ぎ的に気になってきた。現地までダッシュで向かうことにする。
「救命啊啊啊!!!」「来人哪! 来人哪!」「…救…命……」
私が息を切らして現場まで到着した時には、そこは既に地獄絵図となっていた。
助けを求める叫び声と、体表が酸で焼かれる臭い。それらが水田で農作業をしていたと思われる16人から放たれている。おそらく、胃酸の主成分である塩酸を大量に分泌するようになった「肉」が現れたのだろう。その強酸からガードするための粘膜も同時に獲得され、それが極めて粘性の高いトラップの様に機能する変化も重なり、この様な恐ろしいコンボになったものと想像される。
屈強そうな農夫がどうにか1人は引っ張り上げたが、かなり苦労しているようだ。そして両者とも熱傷が痛々しい。これは、まずは酸を中和した方がいいだろう。
私は消石灰、つまり水酸化カルシウムを探して走り回った。農村なのだから相当量が置いてあるはずだ。そこの小屋が怪しいか。これは農薬…これは肥料……これだ! ずっしりと重たい大袋を急いで運び出し、中に詰まっている白い粉を水田へと撒き投げていく。
「ドシュシュゥーー」
「熟石灰……??」「中和! 中和了!」「疼痛减少了~~」
50キログラムほど投入したところで、問題ない範囲にまで中和を出来たようだ。やれやれである。後の救助は力強い農夫たちに任せればいいだろう。
そうして地面の上で大の字になって休憩を始めたところ…別の脅威が目に飛び込んできた! 他に何をする猶予も無いレヴェルの切迫さの中、私はすぐ隣に存在を認識していた溜め池へと転がり込んだ。
「ドッゴアアアアアアアアアアアアアアン!!!!!!!」
光学ステルスと音響ステルスを搭載した爆撃機が、水中にまで届く爆音を轟かせていた。おそらくは、流出したバイオミートをこの村ごと焼き尽くす作戦であり、水の外はナパーム弾が豪雨の様に降り注いでいることだろう。
断続的に響いてくる振動と、徐々に上がっていく水温。燃焼による酸素濃度の低下も考えると、しばらくは水中に隠れているべきだ。酸素が供給されるキャンディーを舐めて潜みつつ、A級エージェントに救援の要請を出して待つとしよう。
そうして飴を1つ舐め終える頃には、水温がちょっとした温泉くらいにまで上昇していた。そろそろ大丈夫かなと、顔の上半分を溜め池の外に出してみる。
「「「「ジャカッッッッ!」」」」
考えが甘かった。肉片の1つすら残さない作戦であろう状況下にて、こんな水の溜まった場所など警戒されていて当然だ。まあ、もう少し遅ければ薬品での処理などをされていたかも知れないし、出るタイミングとしては悪くなかったはずであるが。
…化学戦に対応した武装に身を包んだ4人の兵士たちが、私に銃口や射出口を向けている。その動きから判断するに、相当に訓練された特殊部隊員だと思われる。目の端で捉えられる情報を考慮すると、数十名の規模で派兵されているようだ。A級エージェントは間に合わなかったか……さて、どうするか。
「ドサ」「ドサ」「ドサ」「ドサ」
戦闘態勢であった兵士たちが、焦土となり果てている地面に次々と崩れ落ちた。
「危なかったネ。迎えに来たアルよ」
目の前に現れたのは、そういえばこの村で待ち合わせをしていた知人であった。どうやら二個小隊ほどの戦力を、風が吹き抜ける程度の間に無力化してのけたらしい。間一髪、しかし結果としては過剰な戦力によって助けられたものだ。
「もう時間無いネ。すぐ出発するヨロシ」
命の恩人の言うことである。息つく暇も無く、泥水に漬け込まれた服を着ながらの移動であろうと、文句などあるはずも無い。
……地中に埋まる肉の塊の様な妖怪である太歳は、その姿を現す時に災いをもたらすと言い伝えられている。しかし、それでもこの状況よりはマシであろう。全てが焼け野原になり、灰燼と帰して、村人も失われた廃村を眺めながら、私は次の村へと歩みを進めた。
 




