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ばいおろじぃ的な村の奇譚  作者: ノラ博士
17/62

其ノ拾七 吸血鬼が暗躍している村

 奇妙な村だった。


 ロシア連邦ウラジーミル州、環状に連なる古都群に位置する、川沿いの集落。中世の香りが今なお漂う古い田舎町であり、大理石の美しさが映える白い教会が村のランドマークになっている。

 その教会の隣には小さな診療所があり、近隣の住民のみならず、首都モスクワから通う者も少なくないほどの評判らしかった。


「Да, я вампир」「はい、私はヴァンパイアです」


 自己紹介を開始した診療所の医師の言葉を、彼を探し当てたA級諜報員が同時通訳してくれている。


「Я пью...」「私は人間の血液を飲みます。そのほとんどは採血を余分に行って得たものです。殺人は行いません」


 医師としての仕事は、フレッシュな血液を安定的に得るのに好都合というわけだ。


「Я...」「飲む量は平均して1日に約15ミリリットルです。基本的には普通の食事で暮らしています。ゆで卵入りのピロシキが好物です」


 それなら私もちょうど夜食に食べているが、鶏卵の他にも牛肉とタマネギのミンチがたっぷりと入っていて、一口の満足度が高い。ロシアでよく見る焼きタイプのピロシキだ。


「血液の味の好みが気になるでしょうか。血液型で味は変わりません。高脂血症の血液は脂っぽいので避けます。何にしろ決して美味しいものではありませんがクエン酸ナトリウム入りは風味が少し良くなります」


 採血管には血液が固まるのを防ぐ物質を入れておくことが多いが、彼はその種類を選ぶに際して酸味を加えることも意識しているらしい。


「私が、私たちの血族が血液を飲むのは生理的な欲求からではありません。血族の精神と肉体は基本的には普通の人間と変わりません。日光を浴びても灰にならないし鋭い牙が生えてもいません」


 そう言って見せてきた彼の犬歯は、確かに通常の範囲内の形だった。私の方がもう少し尖っているくらいである。


「大きく異なるのは胃です。胃酸の分泌が著しく抑制されています。高ガストリン血症が伴われて胃壁が厚くなっています」


 胃酸の分泌が少ないことの影響が顕著に見られるようだ。自分の肉体を調べて確認したのだろうか。


「血族の胃の特異な点はもう1つあります。胎児性Fc受容体が高発現していることです。微量の胃酸によって適度なpHに変えられた血液から免疫グロブリンGが効率的に体内に取り込まれます。これが私たち血族が血液を飲む目的の生物学的な意味付けになると思います」


 胎児性Fc受容体は、母親から子供へと免疫グロブリンGを移行させる働きを持つタンパク質だ。無垢(むく)な赤子にウイルスなどと戦う抗体をプレゼント出来る道具だとも言える。中性に近い酸性で働くため、中性に近いアルカリ性の血液から抗体を吸収するには、酸を加えるのが確かに有効である。

 人間では妊娠中に胎盤で作用するが、例えばマウスでは、出産後に腸管で初乳から抗体を吸収するのに使われる。今回のケースは後者に近い要素があると言えそうだ。


「血族の始祖は今から約600年前にこの地で生まれたと言い伝えられています。その頃から血液を飲む伝統が受け継がれていますが吸血行為の発祥した経緯は伝えられていません。免疫グロブリンGを取り込める性質を認識していたとは思えません。胃酸の不足で吸収する効率が下がる鉄分を摂取する目的だった可能性を私は考えています」


 特殊な胃を持っているとは言え、胃を全摘出した人と同じく固形物も食べられるのだから、血を少量ずつ飲むようになった動機を推察することは難しい。しかし、その考察は面白く思う。


「私が他に把握していることは遺伝的な要因です。それを今から説明します」


 既に調べられていることを聞くだけなので、今回はとても楽である。


「19番染色体に大規模な逆位が存在します。ATP4AとFCGRTの間です。これに伴ってFCGRT遺伝子の全体とATP4Aプロモーターの一部が重複しています」


 …なるほど、この先までの理解が出来た。遺伝子の向きなどから考えて、染色体の一部が逆向きに入れ替わることで起こり得る状況だ。逆位に伴う重複にしては異例の長さなのが気にはなるが。


「これによって胃ではATP4A遺伝子が十分に転写されずに胃酸の分泌が抑制されます。一方でFCGRT遺伝子はATP4Aプロモーターの制御下で胃に異所的な発現をします。重複したFCGRT遺伝子の片方は本来のプロモーターとセットのままなので悪影響はありません」


 これが本当なら素晴らしい確率の奇跡である。遺伝子が「いつ」「どこで」「どれだけ」働くかを調整するプロモーターが交換されたり、一部を残して削られることで、彼が説明している通りのことが実現し得る。


「結果として適度なpHになった胃で胎児性Fc受容体が働くことになります。これは免疫グロブリンGを生涯に渡って外部から能動的に得られることを意味します」


 胎児性Fc受容体はFCGRTタンパク質だけでなく、小さなサブユニットであるB2Mタンパク質とで構成されているが、こちらは胃も含めた多くの組織で元から作られているので、気にしなくても問題ない。


「私は医学の知識があるのでアナフィラキシーショックや抗体依存性感染増強などを避けつつ有益な抗体を含む血液を選択的に摂取しています。そこまで注意していない血族でも健康に1世紀を生きることは珍しくありません」


 抗体には病原体や毒素、更にはガンの無力化をも期待が出来るわけだが、何かを患っている「患者」という存在は、その供給源として理想的なのだろう。

 あと、抗体がシステムエラーを起こしてしまうような事象にも、当然に対処しているのか。


「血液型の相性も多少は気にしますが少量の血液しか摂取しないので重要視していません。そして血族の大多数はRh-型なので基本的に問題ありません」


 Rh-型の血は、Rh+型の赤血球を攻撃してしまう免疫グロブリンGを含む場合があるが、自身がRh-型なら攻撃される心配は確かに無いか。逆パターンであっても、吸収する抗体が少量なので問題にはならない。今回のケースでは赤血球を取り込まないので、輸血とは注意点が違ってくるな。


「血族は基本的に血族同士で婚姻しますが近交弱勢を避けるために普通の人間との間に子を作ることもあります。これにはRh-型の男性が選ばれます」


 遺伝病に対する真っ当な対処である。また、彼らを吸血鬼として成立させている遺伝的な構成は、大規模な逆位であるため通常の染色体と混ざることが抑制されて、その維持は楽なはずである。男性を選ぶのは赤子の確保が容易だからだろう。


「その場合は全ての子が…ヴァンパイアハーフになります。孫の代では新たな血族が誕生します」


 ヴァンパイアとの交配であれば2分の1、ハーフ同士であれば4分の1の確率で生まれる計算になるだろうか。残りのハーフかハーフですらない子供の扱いが気になるところだ。


「私から伝えられることは以上で全てです。全て話しました。どうか私を無事に解放して下さい」


 どうやら人体実験でもされる想像をしていたらしい。私は少し考えてから、研究員の待遇で我々の組織に勧誘することにした。ひとまずは私の血液を入会ボーナスとして提案してみる。性能に優れた既知の抗体のほとんどを、()()()()()()()()()毒素や病原体に対する備えの作品まで含んでいる特製品だ。魅力的であるに違いない。


「Обет на крови...」「血の盟約……と驚いているようです」


 驚いているのは言われずとも彼の様子から察せられるが、何らかの儀式的な提案をしてしまったのだろうか?


「Да...」「はい、承知しました。謹んでお受け致します」


 ちょっと状況を把握しきれていないが、生物学的に面白い家系の人間とは関係性を築いておきたい。研究員としての期待を抱けるだけのセンスも感じられることだし、まずは彼らの始祖で生じた逆位の原因について、自らの手で詳しく調べてみて欲しいと思う。ひょっとすると、珍しいメカニズムを有したウイルスの痕跡でも見付かるかも知れない。

 などと考えながら、私は採血をされようと彼に左腕を差し出した。


 ……!! 彼は私の腕を厳かにつかむと、ゆっくりと歯を当てて小さな切り傷を作り出した。上手なものだ。そして、傷口からにじみ出る血を敬虔(けいけん)な様子で舐め取っては飲んでいく。突飛な行動ではあるものの、彼の真剣な眼差しは、その行為の神聖さを理解させるのに十分なものであった。食欲を満たしたり、麻薬的な愉悦を得ているわけでは決してない。

 1分間ほど続いた儀式の後、彼は家臣にでもなったかの様な所作で私に接してきた。まあ悪くはない。最初の研究テーマを言い渡してから、組織に入るための諸々をA級諜報員に任せて診療所を出る。


 彼は全てを話したと言っていたが、それは生物学的な視点に限られているだろう。自分たちとは異なる存在が大多数を占める世界において、彼の先祖たちは陰惨さに乏しくない歴史を積み重ねてきたものと想像する。社会の狭間に溶け込み潜んで暮らす生活の中で、それでもアイデンティティーを失わずに生き抜いてきたのではないだろうか。

 白夜ほどではないが明るい夜に彼ら血族のイメージを重ねながら、私は次の村へと歩みを進めた。

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