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ばいおろじぃ的な村の奇譚  作者: ノラ博士
13/62

其ノ拾参 アンモナイト漁をする村

 奇妙な村だった。


 ポリネシア中心付近の公海上に位置する、無国籍の小さな島。火山と森とサンゴ礁から成るこの島の住人たちは、持ち前の好奇心で世界中から様々な生物を採集してきては、自分たちの島に放ってきた。それらが大事に維持されることで、今では極めて特異な固有種の宝庫となっている。

 多種の異なるフルーツを一塊に実らせる樹木、非常に長いトゲと管足によって海上に体を出して歩くウニ、外殻を左右にねじれさせながら成長する異常巻きのオウムガイ。例えばこういった珍奇な生物の楽園であり、私も1年に1回は調査に訪れている。


「いらさい、教授。今回も、イイのそろてるよ」


 日本語を話せる唯一の村人が、浜辺に降り立ったばかりの私を出迎えてくれた。以前に渡した3クールのアニメだけを教科書代わりにして、1年もかけずに日本語を覚えた天才少年である。

 10ヶ月ぶりの再会を軽く喜び合った後、新しく捕獲されたという例の生物を迅速に見せて欲しいとお願いをした。


「その前に、コレあげるよ。教授、コレ好きだたでしょ」


 前々回の訪問で出会った、多くの果実が密集した形で実るクワ科のフルーツ。他種の花粉による受精が刺激となって種子の単為発生を進めるこの植物は、胚乳ではその外来の遺伝子を利用することで、1つ1つの粒が異なる味と香りと食感を呈していく。あらゆる点で常識から外れた魅惑の実であり、多重の意味でのミックスフルーツ……私のお気に入りの1つとなっている。雨季の終わりに間に合って、本当に良かった。


 少年の頭を乱雑に撫でて礼を言いながら、村へと歩いていく。当然、その道中で先ほどの実を食す。中心部に並ぶ小さな緑色の粒は受粉も成熟もしていなくて、食べるのには不向きである。大きく膨らんで飛び出している部分が食べ頃だ。

 その膨らみの1つを口に含むと、濃厚なミルクカスタードクリームを思わせる感覚が、口腔と鼻腔いっぱいに広がった。ベリー系のソースの様な爽やかな風味も感じられる。ここの森でだけ見られるバンレイシ科の実と、ベースとなっている植物の本来の実との、キメラ的な味わいなのだろう。極めて美味である。


「着いたよ、教授」


 そんな享楽を1つの実から20種類も得られたタイミングで、村の中心部に到着した。陽気な半裸の村人たちが、それぞれ色んな動植物やキノコなどを手にして待ってくれていた。どれもこれも色彩や形態や生態などに興味をそそられるが、今回は真っ先に確認したい目当ての標本がある。

 30人の村人が手にする52種の初見な生物の中にあって、()()は、村に着いて数瞬で私の全集中力を注がせていく。


 それは、現生のアンモナイトだった。


 乳白色の透き通った薄い殻が、平面を満たすように螺旋状に渦巻いている。内面はうっすらとオパール的な輝きを有していて、開口部から続く空間には、干からびかけたイカの様なものが収まっている。一見すると腕は8本であるが、殻の巻きのヘソ部分が左右とも円板状の肉塊で覆われていて、これはもう2本の腕が特殊化したものだと思われる。


 この標本が少し奇妙なイカの類いなどではなく、アンモナイトだと断言が出来る理由は、その殻の内部に配置された隔壁と呼ばれるパーツの様相からである。

 外側の殻と、その中を幾つもの小部屋に隔てる一連の壁。この複合的な構造だけなら、オウムガイやトグロコウイカでも見られる組み合わせに過ぎない。しかし、アンモナイトの隔壁では、外殻と接する辺りで突起を生やしていき、それらが枝分かれを繰り返す傾向にある点が一線を画している。


 整然と連なった隔壁と外殻との交わりは、化石化に伴ってしばしば可視化され、縫合線と呼ばれる美しいラインを描き出す。それが極まったタイプのアンモナイトでは、1本ずつ複雑さを増していくフラクタル様の模様となって、化石の表面に優雅な彩りを与えている。

 人類を最も魅了してきた幾何学的な形質の1つであり、その本体とも言える隔壁が光にかざすだけで透けて見えるこの標本は、神秘的な祭具やアンティークの逸品を彷彿とさせる。


 外殻は、アオイガイ並みの異常な薄さである上に、全体の形が少し平たくはあるものの、表面に見える成長の様子からはゴードリセラス属のそれに近く思える。また、ヘソ部分を覆う特殊化した腕は、私が大学院生の時にその属の仲間において存在を仮説立てたものであり、今回見付かった標本がゴードリセラスの仲間の子孫である蓋然性を高めてくれている。


 生身の部分は解剖して詳細な観察を行いたいところだが、殻ごと変に壊してしまっても嫌なので、今回はこのまま持ち帰らせてもらうとしよう。

 それにしても、恐竜と時を同じくして絶滅していったはずのアンモナイトが、一体どうやって生き延びてきたのだろうか。


「ずと南の海で、お父が捕てきたよ。氷の大地も見てきたよ」


 なるほど、南極の海に生息しているのか。まあそれが分かっても、あの大陸がまだ温暖だった白亜紀から、地球上で最も低温な環境へと変わった現代までの間、このアンモナイトの祖先たちが何を経験してきたかを想像するのは中々に難しい。


 そして流石は、伝統的な木彫りのボートで世界中の海を探索する村人たちの長である。前回の訪問でお土産として渡した耐寒性のジェルを使用することで、酷寒の地まで活動域を広げたらしい。


「次は、生きたの捕てくるよ」


 それは、本当に楽しみである。彼らは飼育方法を新たに確立するノウハウを豊富に持っているし、この小さな島には様々な条件の小環境が揃っている。低温の海水で満たされた地底湖もあったはずなので、そこで安定した繁殖まで実現してくれることだろう。解剖による観察は、それからでも遅くはない。


 ふと空を見上げると南中した太陽が目に入り、1時間ほどアンモナイトを観察していたのだと認識された。私は、他の村人たちが持ってきてくれた生物たちも一通り見たり触ったりしてから、お土産のキャンディーを大量に手渡した。これも大いに彼らの役に立つはずだ。


「またね、教授。いつまでも待てるよ」


 皆に手を振りながら別れを告げて、ボートを停めている場所へと足を向ける。普段なら1泊くらいはしてから島を発つのだが、今回はもう、アンモナイト以外のことを思考するのが可能な状態まで、脳が戻りそうにもない。

 少年の父から譲り受けた標本は、壊れたりしないように厳重な梱包をしてからポケットに仕舞っておいた。


 サクサクと歩いて浜辺まで戻り、通常ならついつい見てしまう貝殻や星砂に目もくれずボートに乗り込む。その時、波打ち際の近くの海底に、好奇心を刺激する形の何かが揺らめいているのが視認された。


 虹色に(きら)めく5つの突起物をメインとした()()は、立体的な魔方陣をイメージさせる奇妙な整然さを誇っている。特徴的な二叉(にさ)分岐のリピートと付属的な小さい萌芽(ほうが)の様式からは、スギノハウミウシの仲間が持つ背側突起に似ている印象も受けるが、この優美なパターンには別の心当たりがある。


 その突起物の、何かを召喚するかの様な魅惑的な動きに惹かれてか、1匹の小魚が近寄ってきた。そして次の瞬間、海底から突如として現れた10本の触手的なものに、全身を絡め取られてしまった。そのまま砂の中に引きずり込まれた小魚は、砂の動きから判断して、5分ほどで(むさぼ)り尽くされたのものと思われる。

 私は、その場所を先ほどの突起物ごと両手で囲い持ち上げた。手の檻から砂だけを海中に振るい落とす。


 それは、現生のアンモナイトだった。


 私の手の中に非常におとなしく収まっているこの軟体動物は、一見すると少し奇妙なイカに思える人がほとんどだろう。タコの様な吸盤のある10本の腕、虹色の色素胞が散りばめられた体表、ヒレを欠いたツツイカに似た形の体。しかし、体の後部に直径1センチメートルの円を描くように配置されている、特徴的な枝分かれをした突起の存在が、殻を失うナメクジ化という進化を経たアンモナイトであると確信させてくれる。

 この幾何学的な形の突起は、軟体動物の体を覆う外套(がいとう)膜から生えてきた立体物であり、本来この辺りの部位が鋳型となって形作られるのが隔壁だ。つまり、アンモナイトの十分条件である複雑な形の隔壁を作っていた名残が生えていると言えるので、この生物は間違いなくアンモナイトなのである。突起のパターンからは、ポリプチコセラス属に近い印象を受ける。


 それにしても、外殻の中に耐久性の高い浮力チャンバーを作るのに使われていた、枝分かれした外套膜を、殻を作らなくなっても維持している点は興味深い。あの補食シーンを考えると、疑似餌として利用しているのだろうか。


 さて、周囲の浅瀬を見渡してみると、同様のアンモナイトが視界の範囲だけでも40匹は潜っていそうだ。この1匹くらいは解剖してしまってもいいだろう。

 私は、懐から取り出したメスをアンモナイトの腹にスッと当てて、正中線に沿って厳かに切り開いていった。消化管、肝臓、エラ心臓、精巣……目にする臓器の全てが、これまで化石から得られてきた情報を上書きしていく。どれもこれも筆舌に尽くすのが困難なほどの成果だが、特に、小さめながら墨袋が確認されたのは凄まじく素晴らしい知見である。


 世界中で化石の見付かるアンモナイトではあるが、そのほとんどは殻の部分だけだ。中に詰まっていた軟体部の痕跡が見られる例は極めて少なく、情報が得られたとしても断片的である。また、アンモナイトは原始的なオウムガイを祖先とすること、原始的なアンモナイトからイカやタコが派生したことを考慮して、進化的に近しい現生種から推定が可能なこともあるが、それにも限界はある。

 腕の本数、吸盤の構造、色素胞の有無、墨袋の有無……そういった古生物学上のミステリーをこうして直に観察出来ることに、この上ない喜びを感じずにはいられない。


 とは言え、3億年を優に超える時の中で、数多の種類のアンモナイトが繁栄していたわけであり、1種や2種だけを見て全体の把握が出来るなどと考えるべきではない。古生代や中生代を生きたアンモナイトと、現在まで生き残ってきたアンモナイトとの間で、失ったものや新たに獲得したものが当然あるはずなことも、意識しておく必要がある。


 そうだ折角なので、味もみておこう。私は、解剖したアンモナイトの口から内臓にかけてを素手で取り除いて、海水で軽くすすいでから口の中にそっと入れた。

 肉厚なホタルイカを思わせる食感の身を噛みしめると、アオリイカとマテガイを合わせたような味わいが舌を包み込んだ。鼻を突き抜ける余韻には、ホタテの貝柱を思わせる風味も淡く感じられる。端的に言って、非常に美味しい。沖漬けにしても良さそうだ。


 これで、現地でざっと調べられることは概ね済んだろうか。この島に生息していたアンモナイトは10匹を捕まえて、研究室で飼うことにする。異常巻きオウムガイを繁殖させる目的で作ってあった、この島の砂浜から深海までの環境を再現したビオトープがあるので、きっと上手くいくはずだ。

 移動の途中で回収してもらえるように手配しておこう。


 古生物の再生や生き残りの発見などは、ここ7年間で大分やり尽くしたと思えるほどに進んでいた。そのため、今や神霊的な案件よりも遭遇するのはレアになっている。にも拘わらず、現生のアンモナイトが2種も確認された幸せで心を満たされながら、私は次の村へと歩みを進めた。

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