其ノ拾壱 食人族なアマゾネスの村
奇妙な村だった。
ブラジル連邦共和国のアマゾン川上流域に位置する、密林の大地。雨季のジャングルは降水量が多く、湿度の高さは凄まじいものになる。この暑く湿った環境こそが多種多様な生物を栄えさせているわけだが、その中には注意すべきものも数多い。
恐ろしい毒を持つヘビやクモ、集団で襲いかかってくるグンタイアリ、大型で肉食のクロカイマンやオオアナコンダ、そしてジャガー。どの生物も一瞬の油断が死をもたらし得る。
私は大抵の毒素に対する抗体を持っているし、危険な動物に対する各種の忌避剤も備えてきたが、それでも気を抜くべきではないだろう。この地で最も警戒すべき生物は何かと言うと、この近くにある村の住人たちなのだから。
彼女たちについては4年前に一通りの調査が行われている。その報告書では、男が生まれた場合は殺してしまうため女だけから成る部族であること、食人の習慣を持っていて外部の者との交流とは即ち食べてしまうこと、これらの2点が主なトピックであった。
しかし私は、報告書の中で軽く触れられていただけの、この辺りでしか確認されていない未記載種らしきキノコに興味を抱いて、再調査に訪れている。
彼女たちのテリトリーの少し外側まで着いたところで、ジャングル迷彩服に身を包んだ。辺りに落ちている木の葉も貼り付けて、リアリティーを高めておくとしよう。
さて、潜入の開始である。五感をフルに稼働させながら匍匐前進で林床を進んでいく。
慎重に進むこと2時間、村の居住エリアまで歩いて5分くらいのとこに来たところで、目的のキノコが見付かった。こんなに早く発見することが出来るとはラッキーだ。独特な形をしているので遠くからでも分かりやすかった。
このキノコは、長さ・太さ・質感・先端の膨らみが絶妙であり、誰がどう見ても下腹部から屹立するものにしか見えないだろう。柄の部分にはヤマドリタケに似た網目が見られるが、全体がナメコの様に粘性の物質で覆われている。触った感じは弾力があってグニグニしている。匂いはクリの花に近いだろうか。ひとまずマラタケと呼ぶことにしよう。
何から栄養を得ているのかとマラタケの下を少し掘り返してみると、人間の白骨死体が出てきた。男性の骨盤である。死体が分解されて作られるアンモニアを吸収して育つタイプなのだろうか。
…村の方から女が1人、こちらに向かってくる。報告書にあった通り、丈の短いミニスカートみたいなものだけ身に着けた半裸の姿である。肌には植物のペーストを塗っているようで、緑がかったベースに鮮やかな赤のアクセントで化粧されている。本来の目的は虫除けだろうか。
などと観察している間に更に近付かれてしまっていた。掘り返した土を戻して、樹木で死角になっている場所を利用しながら急いで離脱した。
ゲノム解析を行うサンプルを採取し損ねてしまった。とりあえず、手に付いていたヌルヌルの成分分析だけでも行っておこう。
そこそこ移動してから村の方を見ると、特徴的なサークル状の長屋の中心で、盛大に焚き火を行っていた。諜報員からの情報によると、つい最近、この辺りを地質調査で訪れていた3人の男性が行方不明になっている。おそらく、彼らが本日のディナーになっているのだろう。
彼女たちは大変グルメである。捕らえた人間を美味しく食べるために、下処理に1週間もかけるそうだ。ジャングル産の果物や香辛料のペーストでマリネしたり、母乳のみをエサとして与え続けるなどの工程によって、肉質を良くするらしい。そして生きたまま血抜きした後すぐに解体し、ロースやサガリなどの美味しい部位に切り分けていく。それらを遠火でじっくりと加熱することで、肉が固くならないように調理するという。
食人においては、加熱しての摂食でも感染してしまうプリオン病が悩ましいが、彼女たちは危険性の高い部位は食べないそうだ。これには一般的に美味とされる脳や脊髄も含まれていて、経験の積み重ねを感じさせられる。
そういえば、成分分析はもう終わっている頃だろう。そう思ってアナライザーを見てみると、ムチンなどの当然に予測された物質に加えて、催淫性の高い化合物と、人間の精子で見られるタンパク質が検出されていた。中々に面白い結果だが、もう少し他の情報が得られてから考察するとしよう。
やはり先ほどのキノコをもっと詳細に観察したい。村では宴が始まっているようだし、今なら戻っても誰も居ないかも知れない。
そう思って引き返したが、少し違うところに来てしまったようでマラタケが見当たらない。そんなに離れてはいないはずだが、どこだろう。周囲を見渡しながらズリズリと林床を進んでいく。すると、キノコではないが面白そうなものが目に入った。
地面に直径30センチメートルくらいの白いモヤモヤしたものがある。近付いてよく見てみると菌糸のようで、それは人間の男の顔を覆うように育っていた。これは土の中に埋まっていた首から下にも続いていて、服を着る代わりにカビを生やしている感じのシュールな死体だ。
この村の調理法だと肉の熟成は行わないはずだが、どういうことだろう。また、死斑や死後硬直の程度から判断して死んだのは今日のはずなので、ここまで菌糸に覆われているのは驚きだ。
……しまった。目の前の興味に集中し過ぎて、人が接近していることに気が付くのが遅れてしまった。今からでは変に動けば見付かってしまう。掘った土を急いでざっと戻し、少しだけ距離をとって森の土塊のコスプレに全力を出すことにする。
ジャガー革を腰に巻き付けた女が、先ほどの死体の前で立ち止まった。多くの村人では植物性の衣服だが、一部の強者は己の仕留めた獲物の革を身に着けるのだそうだ。
このジャガー革の女が何をするのかと見ていると、死体の下腹部の辺りをまさぐり始めた。そして土の中に太短いキノコを見付けると、非常に嬉しそうな笑みで顔面を歪めた。そのキノコは長さこそ足りないものの、白骨死体が埋まっている地面で見付けたものと同じに思えた。
それらが同種だと考えるなら、1つの疑問が生じる。キノコの成長スピードを考慮すると、目の前のマラタケは苗床になった男が生きていた時から寄生していたはずだ。つまり、生きた虫の体内で菌糸が育つ冬虫夏草に似たライフサイクルだと予想される。
そうすると、白骨死体の上に生えていたマラタケは、骨だけになるまでの長期間に渡ってあの形だったことになる。次世代を残すための胞子を飛散させる、傘を広げてないということである。若いキノコや、カビに侵されたキノコくらいでしか見られない状態のはずであり、注目に値する点だ。
!!?? 少し目を離している間に、ジャガー革の女はあの太短いマラタケを利用し始めた。その独特な形と、表面に含まれる催淫性の物質を活かす最適解の1つに違いない。目は半ばほど白目になっていて、だらしなく開いた口からは舌を垂らしていることから、脳への作用は相当に強いものと思われる。
下手に動いて見付かることは避けるべきである。これが終わるまで待って、その後はキノコを採集して実地の調査は終えるとしよう。
しかし、そのキノコの効果は私の予想以上に強かったようで、飲まず喰わずで雨が降ろうと構うことなく、短時間の睡眠と数時間の活動が繰り返される様子を、私は見続けることになった。幻覚性の物質を含むキノコを用いるシャーマンなら何度も見てきたが、こういった趣のは初めて目にする。
これが三日三晩も続いた後、ジャガー革の女はガクガクと痙攣を起こしながら気絶して、30分ほど経って意識を取り戻すと、ようやく村の方へと戻っていった。
やっと終わったか。この3日間でマラタケはグングンと成長しており、20センチメートル近くも伸びていた。これより短いものも顔や胴体から6本生えて、計7本で1つのコロニーを形成しているようだ。短い6本は長さだけでなく、傘が大きく開いていく点も異なっている。
さて、早速マラタケを採集する。何とも言えない香りになっているが、そんなことまで気にしてはいられない。早く掘り出して街まで戻り、ゼリー食でないものを味わいたい。ここに来てからこれしか食べれていないのだ。
マラタケは死体の股の間、本物の方の下側から生えていた。これまた絶妙にそれっぽく反り返っている。途中で折れてしまわないように大事に扱いながら、根元から捥ぎ取った。傘が開いたキノコも1本採っておこう。
森の土塊の気持ちになり過ぎていた体を軽くストレッチした後、ゲノム解析を始めてから匍匐前進を開始した。
延々と進むこと1時間半、もうすぐボートを隠した川沿いの茂みに着くなあと気を抜いていたところ、獣の様な哀しい叫び声が後ろから聞こえてきた。…マラタケを採ったことがバレてしまったのだろう。私は少し考えた上で、そこから全速力で走ることにした。
木々の間をスルスルと走り抜けて、倒木はジャンプして跳び越える。あと少し。確かこの辺。あれだ! 茂みからボートを川へと引きずり下ろす。
「ピュピュピュピュピュン!」「ガガガッ!」
追い付かれた! 矢の嵐と凄まじく感情の乗った雄叫びがここまで届いている。私は振り返りもせず颯爽とボートに乗って全速力で離脱した。ここまで来ればもう弓矢の攻撃は防げるし、仮に泳いで追われたとしても問題なく逃げきれる。
「ア゛オ゛オ゛オ゛ーーーーーーウ!!!!」
半身を失ったかの様な悲痛な叫び声も、遠くのものになってきた。落ち着いたところで、ゲノム解析の結果を確認するとしよう。
解析の結果、2本のキノコは同じゲノムを持つクローンであった。形こそ違ったが、やはり1つのコロニーから生えていたのだ。そして、担子菌類のハラタケ目に属するキノコだとも分かったが、既に知られている種類とは大きく異なることから、新科で新属の新種であると判断された。
遺伝的な意味で変わった点としては、人間の遺伝子を取り込んでいることが一番だろう。子嚢菌類に属する冬虫夏草の一種の遺伝子を含んでいることは、その生態から可能性の予想も出来ていたが、こちらは驚きである。
とは言え、他種の生物からDNAを受け継いでいること自体は、珍しくはあるが多くの生物種で確認されている。例えば最強生物と称されることの多いクマムシでは、細菌や菌類に植物などから非常に多くのDNAを獲得しているし、人間にしてもウイルスに由来するDNAをゲノムに持っている。
ふう。もう今日は疲れたことだし、続きはマナウスの街にある施設で明日やることにしよう。
翌日、朝から大量のシュハスコで腹を満たした私は、採集してきたキノコの解剖を昼過ぎになってから行った。
立派な方のマラタケからは、人間の精子とそれの元になる精原細胞が観察された。それらのゲノムは行方不明になっていた男たちの1人と一致している。どういうメカニズムかは分からないが、宿主にしていた人間から精原細胞を吸い上げたのだろう。表面のヌルヌルの中で元気に泳いでいる精子は、マラタケの中で成熟したものと思われる。
精原細胞の維持と精子の形成には、マラタケが持っていた人間の遺伝子が利用されているだけでなく、マラタケ独自の未知の成分も効いているようだ。このキノコは色々なことに利用することが出来そうである。
何故、こんな奇妙なキノコが生まれたのか。空想の域を出ないが、例えばこんなストーリーはどうだろう。
今よりもずっと昔、あの女部族の先祖には、生きた肉を土中に埋めて熟成させる調理法があった。そしてマラタケの祖先は、人間に感染する真菌症をもたらすカビの一種であった。このカビにとって、湿った土の中に人体があるのは成長するのに好都合で、大きなキノコを生やすものが現れてきた。
しかし、肉の熟成が済んだらキノコは取り除かれてしまう。あるいは催淫の効果に目を付けられて使える形の若い時期に掘り出されてしまっていた。これはマラタケの祖先にとって不都合であった。
そんな状況下にて、傘を開いて胞子を飛ばす数本に加えて、大きくなっても傘が開かないキノコをコロニー中に1本だけ生やすタイプのものが現れた。一種の幼形成熟である。この1本が長期間に渡って若いキノコの形を保つようになり、栄養源となった人間の精子を作り続けるというミラクルも重なったことで、女部族の先祖は肉を熟成させるよりも、キノコを大切にすることを優先するようになった。
こんな感じに、女部族はマラタケを栽培して、マラタケは女部族に快楽と精子を安定的に供給するというかたちで、共進化が起こったのかも知れない。
キノコの本体はその下に広がる菌糸の集合体であり、これが子孫を増やすために胞子を散布する生殖器がキノコだと言える。そのキノコにあんな形と機能が備わるとは愉快な進化である。2種類の形で分業しているのも面白い。
すぐにでもマラタケの記載論文を書こうかと思うが、この種類のキノコでは慣例として味も報告する必要がある。あの複雑なテイストをどう表現しようかと考えながら、私は次の村へと歩みを進めた。




