其ノ壱 白い女しか居ない村
奇妙な村だった。
日本の九州沖に位置する、無人島と思われていた小さな島。30分もあれば船で一回り出来そうなほど小さなその島には、平地というものがほとんど無く、1つの山が丸ごと海に浮かんでいるかの様だった。
切り立った海岸線から島に入り、尾根を幾つも越えながら、山の奥へと進んでいく。人の作った道などはいっさい無く、獣道すら見当たらない山中を、ひたすらと。早朝から歩き始めていたが、もう周囲は闇に包まれて久しい。木々の隙間から時折に月明かりが射す時だけ、ぼんやりと周囲が照らされる。
そして、月が天頂まで昇った頃、辺りが急に開けてきた。唐突に林道に出たようだったが、それよりも興味深いものが目の前にあった。
白い少女。
和服に身を包んだその体は、肌も、髪も、眉も、ひたすらに白かった。おそらくは全身の体毛も。血の様に紅い2つの瞳だけが、その少女を染める色だった。
調べるまでもなく、OCA1Aだと思った。メラニン色素を合成するチロシナーゼ遺伝子が、完全に活性を持たないのだろうと。この遺伝子変異があると、体を黒くするメラニン色素の欠乏により、体の色から黒さが失われる。肌や髪はベースの色である白となり、瞳は眼底を流れる血液の色がそのまま現れて、紅くなる。
満月に照らされてぼうっと光るその少女は、自分の家に泊まるように申し出てくれた。正直、相当に気合の入った方言だったので、内容の理解にはかなり憶測が含まれているが。それでも、雰囲気とジェスチャーで大体は正確に分かるものだ。
案内された家は、これまたかなり年季の入った家屋だった。中に入ると日本昔ばなしを彷彿とさせる感じであり、実際に生活もその様なものだと思われる。現役で使われている囲炉裏なんて、初めて見た。
電気が通ってないのは当然として、自家発電機なんかも無いらしく、電化製品は何も見当たらない。と言うか、そもそも生活用品の類いも非常に少ない。目立ったものは、既に敷いてある2つの布団くらいだ。
片方の布団には、大人の女性が1人眠っていた。顔は見えないが、少女と同じく白い髪は確認される。母と娘の二人暮らしのようだった。
客布団などは無いのだろう。あと1つしかない布団の中に、少女に誘われるまま共に入る。少女はこちらにそっと寄り添い、少し笑みを浮かべながらすぐに寝付いたようだ。時刻を考えれば無理もない。その少女から、アケビの実の様な香りがするなと思いながら、私も眠りに落ちていった。
翌朝、少女にゆさゆさと揺さぶられ目を覚ます。日の高さはそこそこだったので、まだ早朝の範囲内と言えようが、この家の住人は2人とも起きていた。少女は「朝ごはんの時間だよ」と推測される言葉を発して、囲炉裏の方を指差している。
大人の女性が、食事の用意をしてくれていた。少女とよく似た、美しくも可愛らしい顔立ちだ。微笑みながら声をかけてくるその女性に、たぶん通じるだろうと普通に朝のあいさつを返す。
布団から出て囲炉裏の前に座ると、3人での食事が始まった。メニューは、アケビの実、キイチゴが幾つか、それと匂いから判断して、山羊乳だろう。搾りたてなのか、とても新鮮な味わいだ。エサに果物が多いのか、ほんのりとフルーティーな風味が感じられる。
少女の母親らしいこの女性も、やはり少女と同じ白さをしていた。紅の瞳は左右に少し揺れていて、OCA1Aの典型的な症状と言える。念のため遺伝子情報を調べておこうと、血液を少しサンプリングすることにした。隣で食事をしている今がチャンスである。
手袋の中指先に仕込んである麻酔薬を女性の耳の後ろに塗り付けてから、人差し指先の吸血針を刺してほんの1滴ほどの血液を採取する。これは、腕に装着した小型のアナライザーに繋がっていて、簡単なゲノム解析なら短時間で済ませることが可能だ。
一宿一飯の礼を述べて外に出ようとすると、少女が笑顔でついてきた。女性の方は、会釈して見送ってくれている。まあ、この辺りを散策している間くらいはいいだろう。ついでに、少女からも血液をサンプリングしておこう。
この村は、300メートルほど続く幅広な林道に沿って、13軒の家が並ぶだけだった。他にあるのは井戸が1つくらいで、神社やお寺も見当たらない。小さな集落とは言え、とても違和感がある。
また、稲や豆といった農作物を作っている様子も見受けられない。植生はアケビとイチジクの木を中心として、食味の良い果実を実らせるものばかりであり、今朝の食事も考えると、彼女たちはフルーツを主食にしているのだと思われた。
中国の伝説に、モモだけを食すことでモモの香りをその身に纏わす、桃娘というのがあるが、それに近いものがありそうだ。実際、少女からはアケビの香りを感じる気がする。夏頃には、これがイチジクの香りになっているのだろうか。
果物の他に食料にしていそうなのは、山羊くらいしか見当たらなかった。日本で一般的なザーネン種ではなく、小型種のシバ山羊に似た形をしているが、だとすると体がやや大きく思える。本来は肉用種のはずであるし、乳用種としての利用も考えると、この村で独自の品種へと改良されたのかも知れない。
そうして村を一通り見て回り、他に案内してもらえる場所がないかと少女に尋ねようとした時、この少女のとは別の家の戸が開いた。そこには、少女と瓜二つな容貌の少女が立っていた。
一卵性双生児だろうか。そう思って、寄り添う少女に確認したところ、どうやら姉妹ではないらしい。本当に違うのか。だとしたら他の可能性は何か。この閉鎖的な環境で何が起こっているのか。
そうこう考えていると、他の家屋からも次々と人が出てきた。皆一様に、白い肌と白い髪と紅い瞳。数十人は居るであろうその全てが、同じ色を呈していた。そして、その全員が女性だった。
また、同時にもう1つ気が付くことが出来た。そこに居る者の全てが、同じ顔をしていることに。今思うと、少女とその母親も、親子にしても似過ぎていた。あれは、少女にとっての育った顔、母親にとっての昔の顔だったのだ。
村人は総勢93人で、年齢には偏りがあり、新生児から二十代前半くらいに限られていた。この内の30人から血液をサンプリングし、ゲノム解析を行う。この結果次第で、可能性をかなり絞り込めるはずだ。
解析が終わるまでの間に、もう1つ調べたいことがあった。先ほど少女に聞こうとしていたことだ。村の真ん中辺りに、山の斜面に向かって人が通ったような跡があり、そこが怪しい。道というよりは、藪漕ぎをした程度のものであったが。少女に改めて尋ねると、祠があると答えているようだ。
獣道よりも険しい茂みの中へ進んでいく私を、少女は見送ってくれた。流石に少女が歩くのには難易度が高いのだろう。あるいは、信仰的な理由で、あまり子供が行くことを許されてないのかも知れない。などと思っていたが、ふと振り返ると他の少女たちと戯れていたので、友達と遊べる時間になっただけだろうか。
どの少女も同じ顔をしているが、服の柄などが少しずつ異なるので、それで見分けることは出来た。
たかだか100メートルほどの距離だったが、急な傾斜にクマザサが密生していて、登りきるのに20分もかけてしまった。後ろを向くと中々の絶景で、島の半分くらいを見渡せる。視線を下げて村の方を見ると、鬱蒼とした木々によって全く見えない。これはまさに隠れ里である。
さて、目的地にあったのは、祠というよりは大きな岩の塊だった。それが下から幾分くり抜かれ、ちょっとした祭壇の様になっている。これが彼女たちの信仰の対象なのだろうか。もう枯れ果ててはいるが花が供えられていることから、お墓としての機能もあるのかも知れない。
この岩に空けられた穴には、何か納められているだろうか。手を突っ込んでみると、奥は細くなっていてわりと深い。どうにか指先が届くところに、何か紙らしきものが触れる。体をねじって更に奥まで進め、2本の指で挟んで取り出せたのは、4巻の古びた巻物だった。
1巻は家系図らしく、10世代分の記録がされていた。もう3巻の内容は何が何やらといった感じだったが、その内の2巻は黒い紙が使われていて、白い文字が横書きで記されていた点が変わっている。
ともかく、古文書の解読は専門外である。スキャンしたデータを歴史学の専門家をやってる後輩に送り、意見をもらうことにした。すると、タイミングが良かったのか5分とせずに連絡がきた。
「先輩、これはスゴイですね! 今まで誰にも知られていない、平家の落人の集落のものですよ、これは。寿永4年、今から900年近く昔ですね。その時代に九州の離れ小島まで落ち延びてきた、兄と妹の2人をご先祖様とする村ですね。それと!」
後輩は案の定えらく興奮していて、相づちを打つのも大変だったが、隙を突いてこちらの聞きたいことも聞いていく。まずは家系図についてだ。
「系図書の記録は150年分ですね。どの代も、まあ他に相手が居なかったんでしょうね、兄と妹、あるいは姉と弟で、子を成しています。4代目の子供はかなり死んじゃっていて、御家断絶の危機だったみたいです。でも、雪さんという女性が子供を産んで、どうにか盛り返してます」
なるほど、やはり彼女らは、近交系の類いだったようだ。近交系とは、実験用のマウスなどでよく作られる、ほとんど同じ遺伝子しか持たない集団のことだ。兄妹もしくは姉弟で子孫を得る兄妹交配は、20回も繰り返せば、遺伝子の多様性がほとんど無くなる。これにより、ほぼ100%同じ遺伝子を持つクローンほどではないにしろ、遺伝的にかなり同一に近くなる。
この村の祖先については、9回の兄妹交配を繰り返している。その後の700年間、最低でも母と子などの近親交配が続けられていたとなると、おそらく99%以上は遺伝子が同じ、つまり純系に至っている可能性が高い。
通常、この様なことを続けていると、何かしらの遺伝病が子孫で見られることが多い。一見すると健康な人間も、遺伝病の原因となる遺伝子変異を1つ持っていることは、決して珍しくない。それなのに健康なのは、遺伝子は基本的に2つ1セットになっていて、もう片方の遺伝子が正常に働いてくれるからだ。
これが近親交配となると、血縁者は同じ遺伝子変異を持っている可能性が他人よりも圧倒的に高いので、結果として、子供が何らかの遺伝病を抱えて生まれてくることが多くなる。
おそらく、4代目の大量死はそれが主要因だろう。生き残った女性の雪さんは、名前から判断して、雪の様に白い姿で生まれてきたのではないだろうか。つまり、チロシナーゼ遺伝子に2つとも変異があったものの、深刻な症状となってしまう遺伝病からは、どうにか逃れられたのだと考えられる。
「…という感じで、こっちの巻子本は子孫の為に残された、平家物語といったところですね。通説との違いが非常に興味深いです! 残りの2巻の中で、最も古いものは文応2年に書かれていますね。改元を知る由もない彼らは、寿永を使い続けてますが。この村だけでは、平安時代が続いていた、なんて言えるかもですねえ」
こちらが考察を続けている間も、後輩は話し続けていた。まあ、聞いてはいる。なるほど、雪さんの孫が生まれた頃か。
OCA1Aでは、目からメラニン色素が失われているため、光をまぶしく感じやすく、また、目が左右に揺れる症状を伴うことが多い。これらは、前者は黒地に白字、後者は横書きにすることで、文字を読みやすくすることが可能だ。そういった対処がされた書物と、雪さんの子孫が繁栄する時期が一致することからも、彼女がOCA1Aだった可能性は高いと考えられた。
「という訳で、出来れば実物を拝見したいのですが…!」
解読のお礼に、当然そうするつもりではあった。この村の女性たちの体格では取り出すことも無理だったろうし、既に忘れ去られた遺物だろうから、まあ問題も無いだろう。
そう考えていると、30人分のゲノム解析がちょうど完了した。結果は、どの組み合わせでも近交系数が99.9997%以上、つまり純系の域だった。100%よりは十分に低いので、やはりクローンではない。また、体の色についても予想通りで、チロシナーゼ遺伝子の活性が失われるタイプであった。
ここまでで、白くて同じ顔の人間だけな村である理由は把握することが出来た。しかし、若い女しか居ない理由の決定打にはならない。何らかの遺伝病の影響で若くして死んでしまう、特に男性が…という可能性は、ゲノム解析の結果からは否定されている。これはきっと、外的要因のせいだろうと仮定して、私はこの村を後にした。
2週間後、調査を依頼していたA級諜報員から、その理由を知らされた。あの村は、世界でも第3位のシェアを持つ製薬企業の、飼育施設であるらしい。
この某社は、医薬製品の革新性もさることながら、その効能や副作用、その他の人体における生理作用などのデータが、非常に正確で優れていることで有名だった。これにより、30年前の設立時には小さな国内ベンチャーに過ぎなかった某社は、今では日本の経済、そして世界の医療にとって欠かすことの不可能な、グローバル企業へと成長を遂げている。
生物学的な実験には、その効果を正しく判断するため、実験動物に遺伝的な均質性が求められることが多い。その必要性には、ラット、マウス、ゼブラフィッシュやショウジョウバエなどで対応されてきた。しかし、人間における薬の効果や遺伝子の働きは、人間に近い動物で調べるほど、正確な情報が得られる。虫より魚、魚よりネズミ、ネズミよりサル、そしてサルより人間なのである。
村に居たはずの男性は、その某社の施設にて管理されているそうだ。適切なタイミングで村に放たれて、交配する。そしてまた連れ戻され、といった感じで繁殖を管理しているわけだ。女性の方は、25歳になると施設に移される。遺伝的に均質なだけでなく、年齢も揃えてあることが実験には望ましいのだ。また、あの村ならば食生活の差も無いに等しいだろう。
あの少女は、10歳になる手前くらいだろうか。そんなことに思いを馳せながら、私は次の村へと歩みを進めた。