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「食い逃げだァ――!」
本気で脱力した。なんて、なんてアホくさい、ふざけたトラブル!
観光通りの向こう、物が割れる音と男の怒声、立て続けに女性の悲鳴が響いてくる。間違いない、たしかに事件だ。シンディ、苦笑を浮かべる。
「あーあ、まったくもう。シリアスなひとときだったのに……」
内容とうらはらに嬉しそうにつぶやき、帯に差し込んだ十手に手を置いた――
「待ちゃあがれコラッ! 誰か捕まえてくれ――」
おそらく店主だろう男の怒声に追っかけられて、一人の人影が、路上の人々を突き飛ばしながらこちらに向かって走ってくる。人波にぶつかるたびに女や子供の悲鳴があがる。
「捕まえてくれ――カネ出すから!」
それを聞いた、パンチパーマに捻り鉢巻き、肩までむき出しの二の腕にタトゥを入れた、体格のいい男三人組が、へらへら笑いながら食い逃げ野郎の前に立ちふさがって――あっという間に吹っ飛ばされて白目を剥いた。とたん、ザッと人波が割れた。怪我をしてまで捕まえてやる気はない。だいいち、追っかけていた当のオヤジの足が、驚きと恐怖で止まってしまっている。
「チャコ、小銭持ってたらくれない? できたら銅貨、2エン波銭がいい」
中央に穴が開いた茶色のコイン。手渡すとシンディ、それはもう楽しそうに道の真ん中に突っ立った。左手の十手を前へ突きだし、右手の波銭を鋭く、突進してくる男――やっぱり男だ――めがけて投げつける! とたん、「ウッ!」という声とともに男が鼻を押さえて、たたらを踏むように体勢を崩して――ようやく止まった。
シンディ、右手に十手を持ち直し構えた。
「御用だっ」
そしてこっちを見やる――
「コレこうやって使うの!」
「わかったってば!」
「フフフ小娘――」
陰々とした声に顔を向けると、鼻血を垂れ流した――白い獅子髪の、老人だった。浅黄色の、『水干』という今ではとても珍しい服装をしている。
――老人!?
今まで全力疾走していたはずなのに息一つ乱しもせず、皺に埋もれた目は逆に異様な生気にあふれ、ぎらついた光を放っている。ニッ、と笑った。
「さしずめ『銭形小平次・銭打ち秋宿場の段』かな……懐かしいのう、小指を浮かせるその独特の見得、初代・大河橋蔵か?」
「! ――あなた一体?」
いきなり老人が鼻血で汚れた両手を組んだ。十本の指が複雑に絡み合い――印を結ぶ。
「ノウマク サマンダ ボダナン エンマヤ ソウカ……」
このときのシンディの貌を、チャコは、一生忘れないだろう! まん丸と目を見開き、口をぽかんと開け――
「ノウマク サマンダ バザラ ダンカン……ほほう、なんのまねかな?」
シンディは十手を地に捨て、人差し指を老人に向けていたのだ――
「──雷ッ!」
とたん空気の爆発衝撃波とともに直径1メートルはありそうな電光が突き刺さり――
チャコ、悲鳴をあげた!
なにするのシンディ!?
相手はただの人間――
ただの――
「――!」
チャコは目をむいた!
神の一撃、爆雷の電撃が、老人の頭上で、まるでガラス板にでもぶち当たったかのように、真っ平な断面を見せて停止していたのだ!
――いや、ぶっとい電流は老人に向かって滝のように激突し続けている。ただその切断面からスッパリと、まるで異相の別宇宙に吸い込まれているかのごとく、無抵抗に貪欲に飲み込まれ、むなしく消え去って行っているのだ。
「クッ──」
ついにシンディはエネルギーの無駄を覚り、雷を消したのだった。
チャコ、パニックだった。
シンディが、負けた──!?! 爆雷で、負けた──
膝がくずれ落ちそうになる。
なによりも、あの老人は──
──
そう。
──
──
──
男の、魔女だった!!