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「オンミョウジ、てなに?」
一人置き去りにされかけているチャコだ。
「“陰”と書き“陽”と書き、“いんよう”と読む。一切の万物はこの二気によって生じるとする哲理で、わが国に入ってからは“おんよう”と呼ばれた。この哲理をもとにした天文・暦数・卜筮・卜地などをあつかう方術師が、これすなわち陰陽師よ……」
えらいバカ丁寧に、まじめくさって説明してくれる。
「むかし、本で読んだことがある──」
これはシンディだ。
「――わたしたち魔女よりも、遠い歴史の――神話的存在」
彼女は続けた。
「太古の世界においてさえ“失われた過去の世界”と呼ばしめられていた、さらに昔々の幻の世界。その名も“平安時代”――
嘘か真か巷には、さまざまな魑魅魍魎が跋扈していた時代だという。夜ともなれば異形のモノが町中をさまよい、怨霊、祟り、呪いはつねの世の中だったという。
兎や蛙が人間さながら相撲を取って遊び、猿やキツネ、タヌキが人語を平然と話した、とも伝えられる。
ではその時代の人間はというと――人々は、酔極まる歌をもって日常の言葉となし、老いも病も悩みもなく、まるで花の雲の中をたゆたうように、日々を過ごしていたという。万事がゆったりとした時間で流れ、だからこそ移動の車は、牛に引かせていたとのこと」
「なつかしいの……」
老、ぼそっと独白。シンディが続ける。
「その神仙郷の神話の時代――帝に仕えていたという“魔女”が、陰陽師……。
九百年前にオブラエル・ド・リンネが表した魔女史大全には、たしかそんなふうに記載されていたわ」
「……博識じゃの?」
「でも、でも――」
チャコ、一番気になっている疑問を口にする。
「このお爺さんは男よ? 魔女じゃない──」
老人が苦笑した。
「お嬢ちゃん……今もそうかも知れぬが、昔はもっと、ずっと、男尊女卑の世界だったのじゃよ。言うてることがわかるかな? 簡単に言うと、世の中のすべての職業はほとんど、男が主役だったのだ。
まじないの世界もまた然り。まさか性差により、おなごの体の方が、“ちから”を体内に貯めやすいなど、当時は誰も知らんかったことじゃ。
翻って、魔女黎明期。すなわち人類最終戦争時。
方術を会得するということは、効率の良い女に任せて、そのかわり男どもは、剣をはじめとする武器の腕前を上げる事に熱中したのじゃ。その方が、効率がよかったし、なにより性に合っていた、ということじゃな」
「なぜ、そこまで知っている──」
もはや血の気が失せたシンディだった。
「あんた本当に、どこからやって来たのよ!?」
「嬢ちゃんがゆうてくれた、“そこ”から来た。これが、元祖・陰陽師たる男の儂の力。もっとも、いまや真言やら悪魔払いやら、なんでもやる拝み屋に成り下がっているがな。威張れたもんじゃない」
威張ってる。
「さすがはセキハラの地……へんなのが掘り出された、と言いたいトコだけど」
チャコ、目を疑った。シンディが、悔しそうに顔をゆがめ、意外な言葉を吐き捨てたからだ。
「――信じられない!」
「レディ……そこが、そなたの限界というものよ」
「――」
かたまるシンディに追い打ちをかけるように、老、天を指さした。円くなりはじめた月があった。はっきりと、その縦筋が確認できる。
ザ・ストレンジ・ムーン、奇妙な月――
「あれは、儂がやった。帝に、なんかやって見せよ、とねだられたんでな」
「!」
「縦に真二つに割って、片っ方を裏表半回転させてやったわい。そしたら帝のヤツ、腰を抜かしおってな、元に戻せと、戻してくれよと、あの帝が──ハハハハ」
「信じられない!」
「それが、そなたの限界というものよ」
「──」
シンディがたあいなく絶句してしまったと知り、
「哀れ、小娘――」
老陰陽師、秀磨の両眼に青黒き燐光が灯った。それは魔女の光にそっくりだった。白髪が空中に揺らめく――怒髪天? スイッチが切り替わったかのように、がらりと彼は怒り始めたのだった。
「――これも何かの縁であろうッ。今宵は特別、儂が力を見せつけてくりょうぞ! おのれが程を、よっくぞわきまえ、以後何事にも慎むがよい!」
豪と轟く叫びと共に何種類かの印が高速で結ばれ――
「オン バザラ ダラマ キリク ソワカ――」
“原始の力”がこもった文言が朗々と流れ――
「オン バザラ アラタンノウ オンタラク ソワカ――」
シンディが引きつった顔で老人に指さし、逆に見えない“ちから”に弾き飛ばされ――
魔法が効かない!
「オン アラハシャノウ――」
チャコは老人めがけて突っ走った。それは本能だった!
「オン サンマヤサトバン――」
このままやらせてはいけない! この老人は危険──!
「オン サンザンサク ソワカ――」
チャコは――腕を振り上げた!
「オン バザラ ダトバン――」
魔力ではなく、自分の手で――
「ノウマクサンマンダ バザラ ダンカン――」
――手で、物理的に口をふさいでやればいい!
老人の話を信じれば、まだまだ女の自分たちの方にも分があるということだ! だいいち、“現代魔女”に呪文はいらない。つまり、効率の悪い男の身の悲しさゆえ、力を引き出すために呪文、あるいは物々しい儀式が必要なわけで──
「オン アミリタ テイゼイカラ ウン――」
だから――口をふさぐ、あるいは、あの印相を崩してやれば――!
が──!
「オン シャレイ シュレイ ジュンテイ ソワカ――」
――チャコ、吹っ飛ばされた。
「オン アボキャベエロ シャノウナカモ タラマニ ハンドモ ジンバラハラハリタヤ――」
秀磨、気合いの一声とともに、ついに呪を完成させる――
「――ウン!!!」
――
――
――!