第6話 思いがけない鉢合わせ
鳥取旅行から帰ってほどなく。
ランチのスイーツに梨が登場した。
洋梨ではよく聞くコンポートやタルトを、鳥取から取り寄せた梨で、夏樹が試行錯誤して完成させたのだ。旅行中にイメージを膨らませていたらしくて、恐怖の試食もほとんどなかったのがちょっと驚きだった。
なんだかんだ言って、夏樹も進化してるのね、見直したわ。
本人には言わないけど。
「あらあら、まあ、もう梨の季節なのねぇ」
「はい! この間、日本全国美味しい物巡りで鳥取に行って、梨がすごく美味しかったんすよ。それで二十世紀梨で頑張って作ってみました!」
「これはコンポートね。洋梨ではよく聞くけど、和梨でも美味しいこと」
「ありがとうございます!」
マダムに褒められて、夏樹は本当に嬉しそうだ。
完成品の試食をさせてもらったけど、柔らかさの中にしゃきっとした歯触りがあって、梨本来の甘さを美味く引き出してて、本当に美味しかったのよ、コンポート。
あ、もちろんタルトもね。
私はどちらかと言うと日本の梨が好きなので、よけいに美味しく感じたのかもね。
そんな夏樹の梨スイーツと並行して、冬里が変わった趣向のスイーツを披露した。
メインのカウンターから、デザートエリアであるソファが並ぶあたりまでは、ちょっとした空間がある。その通路と呼べる一角に、まるで美術館の展示のようなガラスケースがお目見えした。
「まあ、綺麗」
「ほんとうに」
マダムじゃなくても、足を止めて見入るそのケース内には、落雁で作った季節の花が彩りよく配置され、それはそれはみごとな春夏秋冬が表現されている。漆黒の下地に、春は桜が、夏は朝顔、秋はコスモス、冬はなんと椿!、をメインにした落雁の花たちが絵画のように表現されている。
「砂の美術館で、ちょっと思いついてね」
と冬里が言ってたんだけど、ケースの中の世界は、さすがと言うか、冬里のセンスの良さにはこの私も感服するほど。
で、お客様は展示されている中から4つの落雁を選び、本日のスイーツに加えることが出来るのだ。なぜ4つかって? それは四季だからよ。けれど選び方は本人の自由、同じ物を4つとか、2つずつとか、そのあたりの組み合わせは何でもOKなんですって。
その上、落雁は注文を受けてからひとつずつ作ることになってるそうよ。まあ、あの3人だから別にそれで驚きはしないけど。
落雁は、珈琲や紅茶にも結構合うのよね。
けれどそこはそれ、落雁にはやはりお抹茶って言うこだわりのある方のために、抹茶もメニューに加えられている。以前のように、夏樹のお手前付きではないんだけどね。
そんなある土曜日のこと。
この日は珍しく、夏樹が不在だった。椿とB級グルメデートしていたのよ。
なーんて、びっくりしたでしょ? でも実は、口うるさい小姑のお姉様もご一緒していたわ。
こんなところでも、夏樹も大人になったのねーと思わざるを得ないわね。以前なら、店をあとの2人に任せてなんて、絶対に出来なかったもの。
(ただし、鞍馬くんにはしつこいほど梨のスイーツの事をお願いしていたけど)
カラン・・と、ドアベルが鳴って、新しいお客様が入ってきた。
「いらっしゃいませ」
声をかけた鞍馬くんは一瞬目を見開いたのだけど、そのあと優しい微笑みを浮かべる。
「あの、こんにちは」
はにかみながら少し頭を下げたのは、『はるぶすと』でただ2人、まぼろしの? モーニングを召し上がられた奈帆さんと、
「今日はちゃんとランチの時間に来てやったぞ」
不敵な笑みを浮かべる、ディビーさんだった。
「ようこそ、お久しぶりです。お2人はまた研修ですか?」
そう言いながら、手で空いた席を示す鞍馬くん。
「いえ、今日は前回のお礼も兼ねて、ランチをいただきに来たんです」
「奈帆がどうしてもって、聞かないんだよ」
「へえ、だったらディビーはそんなに乗り気じゃなかったの?」
苦笑しつつ言うディビーの後ろから、いきなり声がした。
そこにいるのは、言わなくてもわかるわよね、そう、冬里だ。
「お前いつの間に。・・・でもまあ、お前のランチがどんなだか、非常に興味はある」
「それはそれは、では、ディビーのランチは僕が担当させてもらうよ?」
「望むところだ」
微笑みながらの静かなやりとりの裏で火花が散ってるみたい。やっぱりこの2人はお互いを好敵手として見ているようね。
鞍馬くんが奈帆さんに洋風ランチを、そして冬里がディビーさんに和風ランチを提供する。2人がやってきたのはランチには少し遅めの時間だったので、お客様は他には数名のみ。その人たちも、そろそろ帰り支度を始めていた。
料理を堪能したあと、2人は夏樹自慢の梨のスイーツが待つ? デザートエリアへと移動する。でも本人はいないから、提供するのは鞍馬くんなんだけどね。
「まあ、ねえ見てディビー。これって、この間行った美術展の展示みたいよ」
「この間? ああ、京都の?」
「ええ、蒔絵みたい、綺麗・・・」
2人は中程にある落雁のガラスケースを覗いてそんな会話をしている。
「ふうん。まあそれはいいとして、この中から好きな落雁を4つ、選んでもらう趣向なんだよね」
このスイーツの仕掛け人として、2人には冬里が説明する。
「ここから? わあ、素敵。迷っちゃうわね」
「なんで4つなんだ?」
「春夏秋冬から、ひとつずつ」
「なるほどな」
そこで、奈帆さんは四季の中からひとつずつ、ディビーさんも同じように四季からひとつずつ選んだ。
「ふふ」
控えめに笑う冬里に、ディビーさんがいぶかしげに聞く。
「なんだ?」
「ううん、ディビーが四季からひとつずつ選ぶなんて、意外だなあって」
「なんだそれ」
冬里は、個性的なディビーさんが、奈帆さんと同じようにお行儀良く4種類を選んだのが面白かったようだ。
「では、これからお作りしますので、あちらの席でしばしお待ちを」
「はい」
「楽しみにしてるよ」
2人は、ちょうど空いていた暖炉前のソファを選んで腰掛けた。このおふたりはランチが初めてなので、ここの席も初めてよね。
「面白い趣向だな」
「ええ、でもこちらへ移動するだけで、お腹にデザート用の隙間が出来るわね」
「甘い物は元から別腹じゃないのか?」
「うふふ」
などと可愛い会話をしていたとき。
カラン!
と勢いよくドアが開いた。
入ってきたのは、息を切らせたひとりの女子。
「はあ・・・、はあ、・・・ああ、間に合った、のかな? あの、まだランチありますか!」
その声と顔、どこかで見たような。
「いらっしゃいませ」
珍しいことに、また一瞬目を見開いた鞍馬くんが微笑んで言う。
「まだ大丈夫ですよ」
よくよく見ると、それはなんと、鳥取へ向かう特急列車の中で、鞍馬くんに助けてもらった、あの彼女だった。
「あ・・・はい。わあ、鞍馬さんだ! ここって本当に鞍馬さんのお店だったんですね」
などと、少しずれたことを口走る彼女に苦笑しつつ、手で座席を勧める鞍馬くん。
「どうぞ。お好きなところにおかけになって、落ち着かれて下さい」
「あ、はい! ありがとうございます!」
本当に嬉しそうに言った彼女は、少し迷ったあと、ちょっぴりはにかんで鞍馬くんの真正面に腰掛けた。
彼女のお名前は、早音さん。
暖かいおしぼりにほっこりして、出された水をひとくち飲んで、ようやく息が静かになったところで。
「ようこそ『はるぶすと』へ。こちらへはご旅行か何かですか?」
タイミング良く話しかける鞍馬くん。
「いいえ、あの時、お姉様に住所を教えてもらっていたので、絶対にランチをしに来るって決めていたんです。でも、ここって地図にも載せてないんですね。だからちょっと迷っちゃった」
「それは申し訳ありませんでした。電話もありませんので、お迎えに上がることも出来ませんし。もう少し配慮すれば良かったですね」
と、鞍馬くんが頭を下げるのに、手をブンブン振って恐縮する早音さん。
「いいえ! その気になればお姉様に連絡も出来たんですし、。鞍馬さんが気にすることありませんよ」
「その、」
「はい?」
「お姉様と言うのは、少し、いえ、かなり違和感がありますので、言い換えていただけると、ありがたいのですが」
あ、と言う顔をして、「ごめんなさい、由利香さん、です」と、またはにかんで笑う。
2人は顔を見合わせて、可笑しそうに笑い合った。
「鞍馬」
「きゃ!」
すると、会話する2人の間に、ニュッと誰かが割って入る。
「ああ、すまないね。あっちの席にも水、もらえないかな?」
それはディビーさんだ。後ろから慌てて奈帆さんもやって来た。
「ちょっと、ディビー! あの、お話中でしたのに、どうもすみません」
「はい、お水をおふたつ、ですね。今すぐ。・・・早音さん、申し訳ありませんが、しばらくお待ち願えますか?」
「はい、もちろん!」
にっこり笑う早音に、こちらもニヤリとして「あんた、鞍馬とはどういう関係だい?」と、遠慮もくそもなく聞くディビーさん。彼女は、奈帆さんの応援をしているので、鞍馬くんに女の影(笑)があることが許せないらしい。
「ちょっと! ディビー失礼よ!」
「どうして? 奈帆も気になってるだろ? なんせ鞍馬がすき・・・」
そこで「わあ」とか言って、ディビーさんの口をふさぐ奈帆さん。
図らずも、鞍馬くんに心を寄せている? 女子2人がここで鉢合わせしてしまったのだ。
さあ、どうする鞍馬 秋。
と、そこへ、何というタイミングの良さでしょう、落雁をのせたプレートを手に、冬里が現れた。
「お待たせしました。あれ、どうしたの? お知り合い?」
三つどもえ? の争いに一石を投じて、余計に話をややこしくする張本人のご登場だ。
と思ったのだけれど。
早音さんが、冬里を見てちょっと息をのむような仕草をした。
「選んでいただいた落雁です。どうぞ新鮮なうちに、なーんてね」
そう言うと、珍しく、ちょっかいをかける様子もなく、ソファ席へと2人を誘導する。
いつもの笑顔で、ソファに戻っていく2人とやりとりしながら落雁を配る冬里を、心ここにあらずと言う感じで見つめている早音さん。しばらくしてハッと気がついたように口に手を当てると、小さな声で鞍馬くんに聞く。
「あの、あの方は」
「私と同じく『はるぶすと』の料理人で、紫水 冬里と言います。早音さんがお目にかかるのは初めてでしたね」
「あ、はい・・・」
少し、いえ、とっても後ろが気になりながらも、まずは、と、ランチをオーダーしようとしたのだけれど。
「大変申し訳ありませんが、本日の洋風ランチは売り切れておりまして」
とここで、本当に申し訳なさそうに言う鞍馬くんに、またブンブンと手を振る。
「あ、いいんですよお、遅くなってしまったので」
「そのかわり、僕が最高の和風ランチを提供させて頂きますよ」
気配もさせずに2人の間に割って入って、ニッコリと笑顔の冬里が現れた。鞍馬くんは当然のように少しため息をつく。
けれど。
「ひえ!」
少し遊んだだけのつもりが、早音さんに飛び上がるほど驚かれてしまい、めずらしく冬里が、え? とこちらも驚いている。
「あ、いえ、いきなりこんな近くで・・・、あ、いえ、・・・」
うつむいた早音さんの顔が、どんどん赤く染まっていく。
「?」
鞍馬くんも冬里も、訳がわからなくて顔を見合わせている。
ははーん。
野暮な2人にはわからなくても、この由利香さまにはピンときたわよ。
ちょっとあり得ない話だけど、早音さんは、冬里に一目惚れしてしまったらしい。
「あの、早音と言います。紫水さん、ですね。和風ランチ、とっても楽しみです」
「うん、よろしくね。僕、堅苦しいのはダメだから、フランクに話してくれていいよ」
「あ、はい」
嬉しそうに言う早音さんと冬里の間に。
「おい」
「きゃ!」
またディビーさんが割って入る。
「あんた、こいつはあたしの遊び相手なんだからな。横取りするんじゃないよ」
「ええー? いつからそうなったのー」
突然の告白に、なぜか超楽しそうに言う冬里。
「え? あの、・・・いえ、えっと」
早音さんはどぎまぎして、あとの言葉が出てこない。
奈帆さんは、もうダメだという感じでソファで首を振っていた。
とにかく。
鞍馬くんを巡る女2人の争いは、冬里の出現により事なきを得た。
あ、違うわね。
冬里を巡る女2人の争いに、形を変えたっていうべきかも、ね。
とは言え。
ランチを食べ終わって、ソファ席へ移動した早音さんと、奈帆さん、ディビーさんの3人は、その場ですぐに打ち解けてしまい、甘くて美味しいスイーツを幸せそうに堪能して、大満足でお帰りになったとのことだ。
帰り際、ディビーさんが冬里に挑戦状をたたきつけた。
「早音には、お前さんの落とし方をみっちり伝授しておくから、今度来たときが年貢の納め時だぞ」
「ふうん、それは楽しみだね」
「へえー、そんなことがあったんすか。俺も3人に会いたかったなー」
「そうよね。なんで連絡してくれなかったのよ」
「あれ、まだ覚えてないの? 残念ながら『はるぶすと』には、電話はございません」
「知ってるわよそんなこと!」
「まあまあ」
と、いつものやりとりが、その日の夕食時に繰り出されて。
もうおわかりの通り、椿と私は夏樹に便乗して、また実家で夕飯にありついている。
そこで今日の出来事を聞いて、ちょっぴり驚いたりなんだり。
でも、早音さんが冬里に一目惚れって、ねえ。
早音さんがあとで鞍馬くんに語ったところによると、彼女はちょうど冬里のような容姿と体型と、つかみ所のない雰囲気と、ニーッコリと笑うその顔が、もう、彼女のどストラーーーーイク! だったんですって。鞍馬くんのフェミニストは、それはそれは胸に響いたけど、素敵、と思ったけど。冬里に出会ってしまったのでごめんなさい、なのだそうだ。鞍馬くんは、全然気にしていませんから、と苦笑して答えるしかなかったらしい。これは鞍馬くんが私たちにこっそり教えてくれた話。
でね、3人は、今度はディナーを楽しみに来ますと言って帰っていったそうよ。
『はるぶすと』のディナーは予約制なので、今度こそ私たちも会えるわね。そのいつかを楽しみにしておこうっと。
「ふわあ・・・、今日は店を任せちまってすみません。ありがとうございました」
私たちが帰ったあと、しばらく三者三様に時を過ごしていたのだけれど、やはり最年少? の夏樹は、早く眠くなるようだ。大あくびをしたあと、2人に向かって言った。
「今日はもう寝るっす」
すると、珍しいことに冬里もうーんと背伸びなどして言った。
「だったら僕も寝ようっと」
「え?!」
「なーに」
「あわわ・・・なんでもないっす! じゃあお休みなさい」
また墓穴を掘りかけた夏樹は、慌てて部屋へと逃げていく。
すると鞍馬くんが、読んでいた本を静かに閉じたあとリビングの明かりを落とす。今日は珍しく、鞍馬くんももう部屋に引き上げるようだ。
2人が部屋の前でお休みなさいを言って分かれる直前に、ふと鞍馬くんが思い出したように言った。
「そういえば、ディビーさんに遊び相手だと言われて、楽しそうだったね」
「え? そう?」
「ああ、とっても」
「うーん、だってさ」
少し首をかしげて続きの言葉を待つ鞍馬くんに言う。
「手抜きせずにとことん相手になってくれる百年人って、稀少なんだよね。普通はさ、僕がなんで? って言うと、なんでかな、皆すぐに逃げちゃうんだもん」
「ああ、そう、だね」
「あれ? 可笑しい?」
なぜだかうつむく鞍馬くんに、大笑いするのかと冬里はご不満そうだ。
「いや、いいことだなと。じゃあ、おやすみ」
「? うん、おやすみ」
パタンと閉じた部屋の中で、冬里は「?」と首をかしげる。
鞍馬くんは、窓辺に歩み寄るとレースのカーテンを開く。今日も月は、「想いを聞いてあげるよ」と、煌煌と彼を照らしている。
「さて」
部屋に備え付けの冷蔵庫から、チーズとワインを取り出してくる鞍馬くん。
月を相手に、彼がどんな話をしたのか、それは鞍馬くんだけが知っていること。




