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第1話 うるさいヤツらのいない間に


 そういえば今日は、レトロ『はるぶすと』の日だったわ。

 と言う事は。




 とある水曜日の早朝。

 今日から椿は3日間の予定で、山陰に出張だ。

「じゃあ、行ってくるね」

「ふわぁ~い、気をつけてねえ」

 時はまだ朝の5時前。

 いちど会社へ立ち寄ってから出張先に向かうため、始発に乗るべく部屋を出て行く椿に、ぼよん、と起き上がったものの、半分夢の中でふらふらしながら手を振っていると、彼が心配してベッドに戻ってくる。

「由利香ってば、出勤までまだ時間あるから、君は寝ていなさい」

「はい~、そのようにさせていただきます」

 はいはい、とかいがいしく布団をかぶせてくれたあと、何かが唇に降りてきて・・・。

「行ってきます」

 の言葉にきちんと反応できたかどうかは、定かではなかった。



 でね、椿の出張中、ひとりで家にいてもつまんなーいから、実家? に帰ろうかと思ってその旨を伝えると。

「ええー? 由利香さん椿がいないからって、またうちに来るんすかー? ディナーの準備の上に、由利香さんの晩飯まで作んなきゃいけないじゃないっすかー」

 とかのたまうイケメン末っ子の言葉にカチンときた私。

「なによ! 晩飯の用意くらい自分でするわよ!」

 と偉そうに言うと、思考の読めない次男坊が天を仰ぎつつ、なぜか楽しそうに言う。

「あ~でもさ、後片付けは僕たちにさせるんだよねぇ」

「いつも後片付けまでしてるじゃない!」

 すると、しっかり者の長男が、生真面目に聞いてくる。

「ですが夜食は召し上がりますよね。スイーツでよろしいですか?」

「わーありがとう。えーっとね、出来ればカロリー低めの・・・」

「うわっひでえ、仕事で疲れたシュウさんに、夜食スイーツまで作らせるつもりなんだ」

「ほーんと、たまに帰ってくるとこれだよね」

「なによ! 鞍馬くんが夜食は何がいいかって聞いてくれたんでしょ!」

 苦笑しながら「ふたりともその辺で」と、しっかり者長男が取りなしてくれたんだけど。

 いつものおふざけだって言うのはわかってるんだけど。

 だけど。

 今回私は、ずいぶん虫の居所が悪かったらしい。

「ふん! もういいわよ! 意地でも実家になんか来るもんですか」

 と宣言して、水曜日は同期と飲みに行き。木曜日はさすがに家でおとなしく過ごしたんだけど。


 金曜日の今日。

 ふと手帳を開いた私は、今日の日付の欄に〈レトロ『はるぶすと』〉の文字を見つけた。

 そこで冒頭に戻る。


 ーーそういえば今日は、レトロ『はるぶすと』の日だったわ。

 ーーと言う事は。


「ふふーん」

 誰かのようにニッコリ微笑んだ私は、そのあとの仕事を上機嫌でこなしていくのだった。




 ああ、疲れたー。

 プレミアムフライデーなんていう、もうすでに死語になりつつある(キャンペーンだったっけ?)もどこ吹く風の、金曜日の残業を終えて私は帰路についている。

 とはいえ、歩いているのはいつもとは違う道。

 そう、私は今、『はるぶすと』へと向かっていた。

 ★川から少し奥まった通りに入ると、可愛い切り妻屋根が背後の家明かりに浮かび上がっている。、ライトアップされているわけでもないのに、ほんのりと光っているような見事な桜の樹と庭の草花、そして、その向こうの窓越しには、あたたかな明かりが灯っていた。

「鞍馬くん、いるいる」

 私はなんだか嬉しくなって、足取りも軽くその明かりを目指していく。

「ふふ、なんだか懐かしい気分」

 まだ以前の『はるぶすと』がオープンしたての頃、今とは違う場所のそこへの帰り道、窓から漏れる明かりにホッとして、疲れがちょっぴりとれるような気分になったものだ。

 今日も一足ごとに疲れを落としつつ、入り口にかかる「CLOSE」のプレートをあえて無視して、カラン、とドアを押して開けた。

「由利香さん?」

 思った通り、店には鞍馬くん1人だけ。

 カウンターの中からこちらを振り向いた鞍馬くんは、少し驚きつつも、にんまり笑う私を見て何かを感じ取ったのか、微笑みを返してくれた。

「由利香さん、今日も残業ですか?」

「はい、よくご存じで」

「この時間ですから。・・・それで、今日もまたハラペコでいらしたのですよね」

「アハ、これまたよくご存じで」

 しょうがないな、と言うように苦笑いした鞍馬くんは、「お待ち下さい」と言って、厨房をぐるりと見渡す。

「今日はレトロの日でしたので、たいしたものはお出しできないのですが・・・、そうですね、オムライスなどいかがですか?」

「え? うわ、オムライス? うれしーい。ぜひお願いします!」

 パチパチと手を叩いて喜ぶ私に、また微笑みを返した鞍馬くんは、「よっこらしょ」と言うかけ声とともに真正面の席に腰を下ろして鞄を隣の席に置いた私に、水のグラスと暖かいおしぼりを優雅に提供してくれる。

 そのあとはいつもながらの早業で、まずスープが出てきた。

「どうぞ」

「え? スープまで? なーんてね」

 ちょっとふざけつつも、冷めないうちにとスープカップを持ち上げて口に運ぶ。

「いただきまーす・・・ああ、美味しい、しあわせ~」

 中身は、以前椿がいつでも変わらない味と評価した、コーンスープだ。私が猫舌なのを知っているからか、アッチッチって言うほどに熱くしていない所も心憎い。

 鞍馬くんの料理は、いつでもあったかくて美味しくて、ホント幸せ。

 カップを持ちながらほわんとしていると、

「ケチャップの代わりに、デミグラスソースかホワイトソースも出来ますが」

 鞍馬くんてば、優雅に立ち働きながらそんな提案までしてくれる。

「本格的ねー、けどケチャップでいい・・・あ、ケチャップが、いいわ」

 言い直した私に、おかしそうに言葉を返す。

「ですね、由利香さんはお子様ですから」

「なにぃ!」

 怒ったふりのあとクスクス笑っていると、鞍馬くんの手元から美味しそうなケチャップライスの匂いが漂ってくる。

 で、そのあとは私の好きな、シンプルに卵で巻いたオムライスが出来上がってきた。

「よく知ってるわね、私がこっちの方が好きなこと」

「お客様の好みを覚えておくのも、料理人のつとめですから」

 しれっとどこかで聞いたセリフを言う。いつまでたってもこれだもん、夏樹人気に隠れてわかりにくいけど、鞍馬くんのファンが結構いるのもうなずけるわよね。


 今日私がここへ来ようと思いついたのは、レトロの日は、うるさい2人の弟、冬里と夏樹が日本全国美味いもの巡りをして、店にいないのを知っていたからなのよね。

 けれど、オムライスを美味しくいただいたあと、食後のミルクティまで出してもらったのに、2人が帰ってくる気配もない。

「それにしてもあの2人遅いわねー。いつもこんな時間まで帰ってこなかったっけ?」

 私がそんな疑問を投げかけると、鞍馬くんが意外そうに言った。

「由利香さん、椿くんに聞いておられなかったのですか?」

「なにを?」

「今日は冬里と夏樹は、鳥取へ行っています」

「え?」

 鳥取って、確か椿の出張先。

「椿くんの仕事が終わったら、会ってくると、それで遅くなると。・・・ですが、確かに遅すぎですね」

 そこで言葉を切った鞍馬くんは、「もしや・・・」と小さくつぶやいた。

「ちょっと待って。椿、2人が来るなんてひとことも言ってなかったし、だいいち私が明日から椿に合流しようと思ってたのよ!」

 そうなのだ。

 ちょうど金曜日で終わる出張だったので、土日を利用して鳥取観光なんていいかもねー、と提案すると、椿は嬉しそうにOKしてくれたのよね。だからこれから帰って旅行の用意しなきゃならないんだけど。


 RRRRR・・・

 そんなタイミングを見計らったように、鞄の中の携帯が鳴り出したのだった。




「いぇーい! 由利香さーん、今、俺たちどこにいると思いますー?」

 携帯のテレビ電話に、満面笑みの夏樹に首根っこを取られている椿が映っている。

 背景から察するに、どうやらホテルの一室らしい。

 このー!

「ちょっとあんたたち! 何やってるのよ!」

「なにって、せっかく鳥取に来たんだから、ちょうど出張で来ている椿と、一晩熱い夜を過ごすのは、当たり前でしょ?」

 画面の外から、面白がっているときの口調で冬里の声が聞こえる。

「由利香、ごめん」

「なんで謝るんだよ、椿。由利香さん心配しないで良いっすよ。今夜は椿を飽きさせません」

「まったくー」

 するとそれまで静かに私たちのやりとりを聞いていた鞍馬くんが、「夏樹」と画面に向かって言った。

 私は、黙って手を差し出す鞍馬くんに携帯を渡す。

「はい? あ、あれ? シュウさん。なんか見たことある景色だと思ったら、そこ、うちの店じゃないっすか」

 鞍馬くんはそれには答えずに、静かに次の一言を紡ぎ出す。

「冬里を出してくれるかな」

「は、はい・・・」

 その声の調子からただならぬ気配を察し、明らかに狼狽したような夏樹が冬里を呼んでいる。

「なに~?」

「紫水 冬里」

「あれ? 理由もなくいきなりマックスモード?」

「当たり前です。椿くんのホテルに、押しかける、とは聞いていません」

「押しかけてないよ。どうせなら泊まろうかってなって、ちょっと椿の部屋をトリプルに替えてもらっただけ。それに、ちゃんと連絡取ったよ」

「いつですか?」

「さっき」

 こともなげに言う冬里に、今日初めての大きなため息をついた鞍馬くんは、けれど画面越しではどうにもならないとわかっているのだろう。

「わかりました」

 と告げると、携帯を返してくれたあと、律儀に頭を下げる。

「申し訳ありませんでした。私の監督が行き届かず」

「え? いいのよー明日は私も行くんだし」

「それでしたら、私はこれから車で現地に向かいます」

「え?」

「幸い、明日はディナーなしの営業でしたので、店を急遽ですがお休みさせていただいて。おふたりのせっかくの休暇旅行に水を差すわけに行きませんので、冬里と夏樹は即座に連れ帰ります」

「え? ええー! そんな、いいのよ、慣れたことだし」

 手をブンブン振って言っていると、いつの間にか画面に椿が映っていた。

「そうですよ! 交代もなく夜中じゅう運転なんて危険です。それに・・・」

 何だろう、椿が何か言いよどんでいる。

 するとまた後ろで声がした。

「シュウは来てくれるだろうと思ってさ、明日の切符、取ってあるよ」

 との冬里さまのお言葉と同時に。

 ブブ・・・

 と、私の携帯が鳴って。

 なんと、私が乗るのと同じ列車の座席予約が、メールで送られてきたのだった。

「シュウの携帯にも、同じ内容が届いてるよ。残念ながら座席は離れちゃってるけどね」

「シュウさーん、許して下さいよお」

「えっと、それにさ由利香。明日泊まるホテルが変わってるんだよね、いつの間にか」

「え?」

 聞くと、予約したビジネスホテルが趣のある温泉旅館に変更されているとのこと。

 いつの間に! ホントいつもながら見事な冬里マジックね。

「ええっすごい! それって、ここ良さそうねってふたりして言ってたところよね」

「うん、それについては俺もちょっとびっくりして、感謝、かな」

「だろ? だろ?」

「うるせえ、お前じゃなくて、冬里に、だよ」

「椿ぃ~」

 冷たくあしらわれる夏樹に吹き出したあと、やったあ、と腕を突き上げると、画面の向こうで椿と夏樹もバンザーイしてはしゃいでいる。


「本当に、あなたたちは・・・」

 ため息とともに、鞍馬くんの決めぜりふが聞こえてきたのは、言うまでもなかった。




 それからね、手回しがいい冬里は、明日のお休みのこと、常連さんにはそれとなく耳打ちしておいたんですって。もちろん鞍馬くんがそのことを聞いて、また大きなため息をついていたのを私、知ってるわ!





本格的に始まりました、はるぶすとシリーズ第15弾です。

今回も皆でお出かけです。とは言え始まりはイレギュラーな感じのシチュエーションですが・・・。いつもながらの冬里マジックに翻弄される鞍馬くんたち。その運命やいかに!? なんてね。

どうぞお楽しみ下さい。


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