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4 挨拶終了


 見慣れているとはいえ、ロッドフォード家の邸は汚れきっていた。


 ごみが散乱しているということはないが、埃と蜘蛛の巣だらけ。

 さらにひどいことに、床には黒ずんだ埃が層のように張り付いている。


 窓やバルコニーには鳥の糞がこびりつき、足元には雑草が生えだしているし、飾られた絵も汚れ防止の布が掛けっ放しで、どういう絵だったかもうろ覚えになってしまっている。


 シャンデリアは危険だと言うことで撤去されて久しい。


 実際に使用している部分は綺麗だが、他との差が凄まじかった。


「……それにしても、荒れているな」


 ぼそり、と呟かれたブライアンの言葉。


「早々に我が家から使用人を派遣して清掃しなければ。これではロッドフォード卿も気分が優れないことだろう」


「それは、有難いですが、お父様の許可を頂かなければ……」


「そうだな、ついでに話をしていくとしよう」


 ほどなくして邸の奥まった部分にある書斎へ着く。


「突然では旦那様も驚かれるでしょうから、先に来客をお伝えして参ります」


 ユーニスがノックし、中へと入る。しばらくそのまま待っていると、再び扉が開く。


「お会いになるそうです。どうぞ」


 扉が大きく開かれ、見慣れた書斎が視界に広がる。ここは良く利用する部屋であるため、比較的綺麗に保たれていた。埃をかぶった本もないし、テーブルの上には小花というか雑草の花が飾られている。


 というのも、庭師なしで美麗な庭など維持できないからだ。なので、その辺の綺麗な草花(ただし雑草)を飾るのが精いっぱいだが、それでも生きているものがあると室内の印象が変わる。


 何より、父もひっそりと眺めて楽しんでいる様子なので、飾れるときは飾るようにしていた。


 ちなみに、現在庭では勝手に生えてきた野生の薔薇がそろそろ咲きそうなので、楽しみである。


 その父は書斎で歓談を行うためのソファに腰掛けていた。

 いつもは書き物机の方でひとり静かにしているが、ブライアンの来訪を告げられて移動したのだろう。


 ブライアンは帽子を外し、挨拶をするために腰を折る。


「お会い下さってありがとうございます。ロッドフォード卿……私は」


「知っている。オーティス家の倅だろう? 殿下にしばらく王都へ入るなと言われていたようだが、許可されたのかね?」


 口調や声音こそ穏やかだが、向けられている視線が鋭い。


 私も正直胃の縮む思いだ。ブライアンはそれ以上だろう。


 父はどちらかというと柔和な紳士といった雰囲気の持ち主だ。髪はやや白いものが混じりはじめているが、黒で、瞳は濃い青。瞳が良く似ていると言われる。物腰や雰囲気なども似ているらしい。言われてみればそんな気もするが、正直実感には乏しい。


「はい、王都へ入るのはお許し頂きました。もちろん、夜会などへの参加は未だにお許し頂いていませんが、ずっと領地にいるのでは困る事もありましたので、お優しい殿下のご配慮に感謝しております」


「そうか。それで? 我が家に一体何用だね……?」


 穏やかな声音。


 表情にも責めるような色は無く、病を患っていて痩せた身体と相まって、威圧感のようなものは皆無だ。


「はい、実はクラリス嬢との婚約の許可を頂きに参りました」


「婚約……?」


 流石の父も理解不能と言いたげな様子だ。


「しかし、私の記憶によれば、娘と君が話をしているところさえ見たことがないのだが。いつそのような話になったのかね?」


「今日です」


 ブライアンが告げた内容に、父はしばらく動かなかった。少しして、困惑の眼差しを私に向けて来たので、肯定の意味で頷いてみせる。そうすると、増々不可解だと言いたげな表情になるのがわかった。


 それはそうだろう。

 突然大して付き合いもない男からの求婚を娘が受けたと聞いて戸惑わなかったらまともな親ではない。場合によっては怒る可能性だってある。


 私とて、自分の行動がまともであるとは全く考えていない。


 ただし、現在私たちが置かれている状況からすれば、理由はそれとなく察せられる。父は深いため息をつき、質問をはじめた。


「クラリスは、受けると?」


「はい、受けると言って頂きました」


「そ、そうか……まあ、そうだろうが……しかし」


 恐らく、父としては娘が現状から脱却するために受けたのだということは分かっているのだ。分かったうえで、許可して良いのか迷っている。


「迷われるのも仕方ないことだと思います。ですが! 私は必ずやクラリス嬢を幸せにします。出来なければ私の命を捧げても良いと思っています!」


 断言したブライアンを、私は若干引きつつ見た。


 心の中で、いくらなんでもそれは大げさに過ぎやしないだろうかと考える。どうやら父もユーニスも同じことを思ったらしく、奇人変人を見るような目つきになってしまっている。


 正直、どう言い繕えば良いのか見当もつかない。


 父もどう返したら良いのか考えあぐねているらしく、口を噤んだままだ。周囲の様子に気づいたのか、ブライアンは突然何かに気づいたように言った。


「ああ! そうか、命とかではなく、全財産の方が良いですよね」


 少し照れた様子ではははと笑うが、そういうことではない。


 ここへ来て判断を間違ったような気がしてたまらないが、それでも、求婚を断るつもりは全くない。何より、ここまでの経緯からして、彼は悪人ではない。

 それは、私にとって十分すぎる理由だった。


 私は少し助け舟を出すことにした。


「あの、命とか財産とかは流石に大げさです」


 小声で指摘すると、ブライアンは衝撃を受けたような顔で黙り込んだ。 


 額に汗が浮かんでいるのが見える。

 良くも悪くもわかりやすいひとだ。


 何故こんな真人間の鑑みたいなひとが悪評を立てて王都を追放されたのかとずっと疑問だったが、この愚直さが悪い方に影響したとしか思えない。そうでなければ、目の前で起こっていることの説明がつかないのだ。


 基本的に表にでないまま過ごしてきた私が知っているのはごくわずかのこと。


 ブライアンは、ある令嬢と婚約していた。


 彼女には愛らしい妹がいた。


 そして、その妹もブライアンに恋をしてしまった。


 普通ならば婚約者を優先するのが常識なのだが、彼は妹の気持ちに応えてしまったという。傷ついた姉令嬢は気丈に振る舞い、その姿に心惹かれた王子殿下と新たに婚約した。愛する女性を傷つけた男と妹令嬢を王子殿下は許すことが出来ずに、しばらく領地から出ることを禁じた。


 ということだけは知っている。実際にどんなやり取りがあってその結末に至ったのかまではわからないが、とにかくそういうことになっている。


 それから時が経ち、ようやく王都に入ることが許されたという男が彼な訳だが……。


 笑みの表情のまま固まっている様は、彼の秀麗な容姿を完全に台無しにしている。


 さらに中々誰も口を開かないために、室内には虫がカサカサ動き、風が窓を揺らす音のみしかしない。


 私はとりあえず、自分がどうにかするしかないと思って口を開いた。


「ええと、お父様? とりあえず、お返事を聞かせて下さい」


「あっ、ああ……うん、そうか、そうだな」


 言いよどむ父伯爵。困ったように私を見るが、見られたところで意志は変わらない。じっと見返すと、父は何かを悟ったのか、大きく嘆息した。


「そうだな、私としては特にこの婚約に何か言うことはない」


 静かに吐き出された言葉には、諦めと苦渋が混じっている。


「で、では!」


 父の言葉を聞いたブライアンが喜色のこもった声を上げる。


「だが、あまりにも性急すぎる。婚約と言うものは人生における大事な契約だ。ましてや君は一度破棄している。また破棄される可能性がないとは言い切れないだろう。もう少し、私に君の人となりを見せて欲しい。それから、許可を与えることにしよう」


 そう重々しく告げると、ブライアンは少し黙り込む。

 それから、勢い込んで言った。


「わかりました! それでは、これから毎日ここへ通います。丁度良いことに、クラリス嬢にこの屋敷を掃除する人間を連れてくるという約束をしました。卿の許可さえ頂ければ、私もついて来て共に清掃にあたります。卿にはその様子を見て頂き、私の言葉が真実だと、決して約定を破ったりしないと信じて頂けるように努力します! まずは、来訪と清掃の許可を下さい!」


 炯々と輝くブライアンが父をじっと見る。


 父は少し気圧された様子で、戸惑いつつも頷いた。


「ま、まあ、屋敷が綺麗になるのなら、構わないが」


「ありがとうございます! ご心配なく、費用は私持ちですので。ここを蘇らせて見せましょうとも。クラリス嬢、君もそれでいいかい?」


「え、ええ……」


 ここで嫌だと答える理由は微塵もない。ないが、見た目の理知的な印象がまたしても崩壊していくことに少しめまいがする思いだった。


 ここまで前向きな人間だとは。やはりというかなんというか、人というものは話をしてみないとわからないものだ。


「よし、やるべきことも決まりましたから、私は一旦帰宅します。また明日、お会いしましょう。それでは、失礼」


「あ、送りますから」


 さっさと踵を返して立ち去ろうとするブライアンに、私は慌てて声を掛ける。しかし、彼は手でそれを制して微笑んだ。


「いいや、それには及ばないよ。屋敷の内部については大体覚えた」


「ですが、それでは失礼ですし……せめて、ユーニス、入り口まで送って差し上げて」


「はあ、わかりました」


 もの凄く嫌そうな顔をしたものの、ユーニスは頷いてくれた。


 扉の外へ出ていく背を見つめ、私は嘆息する。きびきびとした足音が小さくなっていく。それが全く聞こえなくなった頃合いで、私は振り向いて父を見た。



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