3 求婚の理由
「少し、質問してもよろしいでしょうか?」
ブライアンの片眉が跳ねる。
それを肯定と受け取り、私はそのまま続けた。
「なぜ、私だったのですか?」
「どういう意味だ?」
「他にも、この話に飛びつく上流階級の女性はいたはずです。なのに、こんな面倒な思いをしてまで、なぜ私を選んだのですか?」
真っ直ぐ、彼の冷たくも温かくも見える灰色の瞳を見つめる。
それを真っ向から受け止め、ブライアンは手に持っていたカップを置いた。少し言いにくそうだ。
それはつまり、他にも結婚してくれそうな女性がいたのだということに他なるまい。それも恐らく、ひとりではない。複数いるように思える。だからこそ余計に不思議だった。
ブライアンはしばし黙考してからようやく言った。
「君の目かな」
「目? ですか」
「そうだ。どこか諦めたような、悲しんでいるような目。放って置けないと感じたのが理由だ。ここしばらく、君の様子を見ていたが、一度も笑顔を見ていない。誰に求婚するべきか考えているはずなのに、どうしても放置しておけないと思った。いつだったか、泣いているところを偶然見かけてしまって、以来、君のその声が耳から離れないんだよ。だから君に決めたと言う訳だ」
「……それじゃあ捨て犬を拾うようなものじゃないですか」
「いや、猫だろう。その見た目だと」
そう返されても、わからないので首を傾げるしかない。
だがどちらでも同じことだ。
ようするに、彼は私を捨て犬か捨て猫を拾うような気持で「保護」したということらしい。実際、彼のような男性から見れば私は犬や猫と大差ないのだろう。
「なるほど、理解しました。保護しないといけないと思って下さって、ありがとうございます。実際、助かりますし」
「それは良かった。中には、そういう理由で手を差し伸べられると嫌がるひともいるのでね」
「ああ、それはそうでしょうね」
プライドを大切にしている人間ならば、同情されて助けられるのを嫌がる場合がある。
「でも、お腹が空くのは辛いものです」
目の前の食べかけの皿を見て呟くように言う。
ブライアンは少し言葉に窮したのか何も言わない。私は皿をじっと見ながら、思う。
――それだけでなく、何かをするために行動することすら出来ない。でも、この話を受ければ、きっと……。
そのためならば、プライドなどドブに捨てても構わないと思った。
「だから、ありがとうございます。私に手を差し伸べて下さって、私を、選んで下さって……」
そう言って上目遣いにブライアンを見れば、困惑した様子が手に取るようにわかる。
きっと、そんな言葉が返って来るなんて予想もしていなかったに違いない。その様子が可笑しくて、私は少し笑った。
この日の話し合いはそこで終わった。
ちょっと困惑気味のブライアンに促されるまま、家へと送られる。
私の家は一応歴史のある邸だが、管理が行き届いていないために、外観は汚れているし、内部はもっと悲惨だ。
客人が来ることもあるにはあるので、一部屋だけ綺麗にしてはいる。それ以外では実際に使っている寝室などは努力して手入れしているのだが、他はあまり見せたくはない。
ブライアンのオーティス家は王都にも邸があるので、泊まる必要は全くないから何とかなるだろう。そう思って素直に送られる。
ほどなくして邸の車寄せに馬車が停まると、ブライアンは先に降りて手を差し伸べてくれた。
そんなことをされた事がないため、一瞬どうしたら良いか迷う。
おずおずと手を差し伸べれば、しっかりと手を掴まれて、下ろされた。
「あ、ありがとうございます」
「いや、当然のことだ。……いや、そうか、君はこういう気遣いもされて来なかったんだったな」
「まあ、従者もいないもので」
一応、小間使い兼従者役の女性使用人はいるが、彼女は忙しいのだ。自分で出来ることはすべからく自分でするのが当たり前になっていた。
何より、現在の私の格好は手助けが必要な装いではない。
それでも、何となく嬉しいと感じた。
「そうか。足りないものだらけだな……とりあえず、すぐに用意できるものから用意しよう。まずは、君の父上に挨拶だな」
「……え、今日ですか?」
このまま帰るものと思っていたのに、どうしたものか。少しくらいは掃除して多少取り繕いたいと考えていたし、父にも私から伝えようと思っていたのだが。
「話は早い方がいい。いつまでも、この状態にしておくのは私の気が済まないんだ。何、挨拶をするだけだ。済めば今日は帰るよ。まあ、絶対に嫌だと言うのなら明日以降出直すが」
「いえ、別に……構いませんが」
少し考えてそう答える。
そもそも、すでにどうしようもないほどボロ屋敷なのだ。明日にしようが明後日にしようが、取り繕うにも限界がある。父への話も、もしかしたら彼がいた方がスムーズに進むかもしれない。
結果がさして変わらないなら、いつでも同じだ。
「なら、挨拶させて貰おう。それにしても、凄いなここは」
「あまり見ないで下さい。手入れなど殆ど出来ていないもので」
「わかった。あまり見ないようにしよう」
あっさり頷いて扉を叩くブライアン。
すると、中から緩慢な足音がして、扉が開く。出てきたのは、この家唯一の使用人と言って良い少女だ。名前はユーニス・ダウナー。私より少し年下の十六歳だが、自分より年上と感じることもあった。
そんなユーニスは、飾りがひとつもない質素極まる黒のお仕着せを身に纏っているにも関わらず、私より余程令嬢らしく見える。
実際、流れるような銀髪に碧眼の美少女なのだ。
そんな可憐な容姿なのに、意外と力が強く、私に近寄ってきた変質者やら犯罪者を蹴散らしてしまう。とても頼りになる存在だ。彼女がいなければ、少し抜け気味の私などすでにこの世に存在していないだろう。
他にも働き口はありそうなのに、両親共々この家に残ってくれている。理由は、放置したら寝覚めが悪くなるからだそうだ。確かに、彼らに見捨てられたら貴族どころか庶民として生きるのもちょっと危ない父と私だ。
特に子どもの時から知っているので、不安になったのだろう。
彼女は私にとっての妹のような存在であり、彼らのことは使用人というよりも家族のように思っていた。
「お帰りなさいませ、ずいぶん遅かったですね」
「そう。少し長引いてしまって、それでね、これからお父様にご挨拶なさるんですって。ご案内して差し上げて」
「……え、ご挨拶って」
困惑した様子のユーニスに、ブライアンは笑顔で告げる。
「ああ、是非クラリス嬢との婚約の許可を頂きたくてね」
「……婚約?」
ユーニスの突き刺してくるような視線が痛い。
しかし、説明すれば理解してくれるはずだ。だが、恐らく今の彼女の眼には自分の仕える主が常軌を逸した行動をとっているように見えるのだろう。
「お父様は書斎? それとももう寝室へ引き取ってしまった?」
「書斎です。本を読みながら薬酒を召しあがっていらっしゃいますが、ほどなく寝室へ引き取られるかと」
「それなら大丈夫ね。案内して差し上げて」
「はあ、わかりました」
心底不承不承と言いたげな様子で、ユーニスは邸の中へとブライアンを招き入れ、私はその後に続いた。