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2 交渉中


 私の告げた条件という文言に、ブライアンは眉間に深く皺を寄せて目つきを鋭くした。


「わかった、聞こう。ああ、少し待ってくれ……細かいことはきちんと書かねば、後で話が違うと言われても困るし、確認のためにも必要だ」


 彼はそう言って、床に置いてあった鞄から帳面とペンを取り出す。


 それが済むのを待って、私は言った。


「まず、確認なのですが、名目上の妻という役割を演じると考えてよろしいのですよね?」


「ああ、その通りだ」


「つまり、本来の妻であれば必ずしなければならないことまでは要求しない、と考えても良い訳ですね。つまり、私が拒否すれば夜の営みなどは無しでも構わない、と解釈してもよろしいでしょうか?」


 そう問えば、ブライアンは面食らったような顔をした。


 当然だ。


 淑女がいきなり口にするべき話題ではないし、本来はすることさえはしたないとされている内容だ。

 しかし、ここは特に重要である。


「それは、その……しかし、私としては跡継ぎは欲しいのだが?」


「それは私との間の子どもでなければならないものでしょうか? 貴方が別の方との間に子をもうけ、その子を私の子として育てることも可能ではありませんか」


 淡々と訊ねれば、ブライアンは額に微かに汗を浮かべて眉間を寄せ、何か衝撃を受けたような顔をした。

 返事が返って来ないので、しばらく待つ。


「いや、そう来られるとは想定外だったが、どうしても嫌だと言うのであれば、そのようにしよう。しかし、可能ならば君との間に子を設けたいと考えていたのだが……」


「そうでしたか。では、私がそうなっても良いと判断した時に、そのようにお伝えいたしますが、基本的には無いようにお願いいたします」


「わ、わかった……他には?」


 ブライアンは組んだ手に額を乗せ、盛大にため息をつきながら続きを促す。私はそうですね、と前置いてから言った。


「現在、私の家には三人だけ使用人がおります。幼い時から家族で仕えてくれているひとたちで、その娘さんは連れて行きたいのですが、それだと邸に父と老夫婦の使用人だけになってしまいます。ですので、費用などはそちら持ちで、信用の置ける有能な使用人を何人か手配して頂きたいのですが」


「その程度なら簡単だ。君が私の領地に来る前にでも手配しよう」


「ありがとうございます。それでは、もう一つ、ご存じでしょうが、私は持参金を用意出来ません。ですが、体裁を保つため、そちらでご用意頂けませんか?」


 そう、お金がないからこそ、こんなことになっているのである。


 一応適齢期の若い娘であるのに、パーティなどで男性と知り合えないばかりか、持参金すらない。中には無くてもいいという心の広い紳士がいる可能性もあるが、そういう人間には裏があるよと教えられてきた。


 実際、雀の涙ほどの持参金で嫁いだ令嬢が、彼は変態だったと嘆くところを見たことがある。


 まだ子どもだったので、それは衝撃的だった。


 絶対にそんな男とだけは結婚しないようにしなければ、と強く思ったことは忘れたことがない。


 だからこそ、先ほどの夜の話につながるのだ。


 私は目の前の人間を良くは知らない。こんな風にこちらの弱みに付け込もうというのだから、婚約破棄事件以外にも何かあるのではないか。


 もしもこの男性が変態だったとしても、誰も守ってはくれないのだ。寝室はきっちりしっかり分けておき、鍵も取り付けておかなければ安心出来ないではないか。必要最低限、身の安全だけは確保したい。


 と考えていると、ブライアンはこちらの考えには全く気付く様子も無く、安心したように微笑んでいる。


「そんなことならお安い御用だ。最初に言ったように、私は君にお金で苦労を掛けることはしない。私が将来引き継ぐ領地は広大で、とても豊かなのだ。貴族の中でも上位に入るほど、広い領地を授かっている。回るだけでも一か月はかかるだろう」


「そんなに、それは凄いですね。安心しました」


 それなら、さほどお金に執着もあるまい。

 金をくれてやったのだから、言うことを聞けと脅すような男ではなさそうに思える。しかし、安心は出来ない。

 結婚前はいい顔をする男性がいると親戚に聞いたことがある。


 実際、そんな男と結婚したせいで、自害した親戚の知り合いの話を聞かされた。簡単に信用はするまい。


「だろう、お金に関しては全て私が何とかしよう。確か、少々借金もあると聞いた。それも当然私が代わりに返済しよう。それで、お金以外でまだ何か?」


「ええ、先ほどもお伝えしましたが、もしも愛人などを囲う予定が出来ましたら、必ず私にも教えて下さい。それと、体裁を保つためには別邸を用意するなどし、同居は避けた方が良いでしょう」


「……いや、そんな予定は全くないし、本当なら持ちたくないのだが?」


「そうですか。困りましたね」


「困るのは私なのだが……その、そんなに嫌かな?」


 執拗に夜の同衾を拒否するので、ブライアンは少し悲しそうだ。

 とはいえ、こんな今日初めて喋った相手と数か月後に同衾など、毛ほども考えられない。


「そうですね。私が貴方を好きになれれば良いのですが、可能性が低いような気がします。ですので、現実的な方をお勧めしているのです」


「そうか! わかった、ではこうしよう。これから私は君に好きになって貰えるよう努力する。しかし、三年経っても現状のままならば、諦めることにしよう。これでどうだ」


「わかりました。そのようにしましょう。三年ですね?」


「三年だ。そのくらいあれば、君も私のことを理解出来ているはずだ」


 確かに、多少ブライアンに有利なような気がしないでもない。だが、年数を区切るのは良いだろう。ただ、三年で見極められるかは甚だ疑問ではあるのだが、これは戦いなのだ。


 文字通り、人生がクソみたいなものになるか、多少マシなものになるかの戦い。向こうがその気ならば、私は受けて立つだけだ。


「そうですね。恐らくは、貴方にも私の事を理解して頂けることでしょう。それでは、話をつづけましょう」


「ま、まだあるのか?」


「当然です。今日会ったばかりなのですよ? 友人ですらないんです。だというのに、これから一緒に暮らさなければならない。取り決めは細かい方が良いでしょう。しばらく暮してみて、変更が必要になったらその都度話し合いの場を設け、協議致しましょうか。

 これも条件に入れておいて下さいね」


 告げてにっこり笑うと、ブライアンの端正な顔が引きつった。

 きっと、人選を間違ったとか思っているに違いない。


 だが、私は石橋を叩いて叩いて、叩き壊してから別のもっと頑丈そうな橋を命綱をつけて渡りたいのだ。


 危険な思いはしたくないし、相手にもさせたくない。


「では、話し合いをつづけましょうか? それとも、今日のところは一旦置いておいて、また別の日に話をしましょうか?」


 訊ねれば、ブライアンは覚悟を決めたように言った。


「いや、遅くなればちゃんと送っていくから、話を全て終わらせてしまおう。何なら、ここで食事も済ませてしまおうか」


「ああ、良いですね、そうしましょうか」


 そう答えると、ブライアンは珈琲と私のための紅茶を注文する。さらにメニューを持って来させ、慣れた様子でちょっとした軽食も注文した。 


 苦悩するブライアンを眺めながら、思う。


 なぜ、この人は私に白羽の矢を立てたのだろうか。他にも、追い詰められた令嬢はいたはずだ。


 何より、ここまで面倒くさいことを言えば断られると思っていたのに、その考えは外れている。つまり、彼は何としてでも私と結婚しようとしているのだ。


 本来なら、もっと詰めて聞くべきだ。


 しかし、好奇心は止めようもなく、私は自分の口からその質問がすべり出るのを止めることが出来なかった。



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