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シリウスにクッキーを捧げて  作者: 焼魚あまね
【3】かつての記憶
9/13

03

 それから僕達は、以前にも増して言葉を交わすようになった。

 彼女の表情も、出会った頃に比べてずいぶん柔らかくなった気がする。


 そして、僕は彼女の事がどんどん好きになっていった。


 好きだという気持ちの力は絶大だ。

 こんなにも僕の心を躍らせる。

 でもそれは、目を背けたい部分を隠す力もあった。


 忘れたわけではない。

 むしろそのことが僕達を繋いでいる。

 そう、水川さんが短命であるという事実が。





 水川さんの病気を知ってから一週間ほど経った頃。

 彼女は学校に来なくなった。


 先生によると体調が良くないとのことだ。

 僕はそれを聞いて理解する。


 それは風邪ではないこと。

 そしてきっと自宅ではなく、病院にいるのだろうということを。


 水川さんが無理を承知で学校に来ていたのは知っている。

 でも、その無理も限度がある。

 その限度を超えてしまったのだろう。


 不安になった僕は、彼女に電話した。

 連絡先を交換するくらいには仲良くなっていたことに、僕は安堵しつつ電波を飛ばした。


「もしもし?」

「あの、宮永零ですけど」

「どうしてフルネーム?」


「いや、電話するの初めてだし」

「もしかして緊張してるの? ふふ、宮永君らしい」


 澄んだ彼女の声が聞こえる。

 良かった、少なくとも彼女は……。

 最悪な状況を思い浮かべかけて、すぐ僕はそれを振り払う。


「学校を休んでいるから心配してたんだ」

「ありがとう。どうやらこのわがままな身体は、私の言うことを聞いてくれないらしい。これが俗に言うわがままボディというやつだね」


「あはは、違うんじゃないかな」

「良かった」

「何?」

「宮永君が元気そうで」


 こんな時だというのに、彼女は僕の心配をしていたのか?


「僕は元気だよ」

「そう? 君は考えすぎるから、私を心配して元気を失ったりしそうだもん」

「どうかな」


 参ったな。

 事実、電話で声を聞いて喜んでいるのは、僕の方なのかもしれない。


「会いたいな」

「僕もだよ」


 まるで恋人同士のような会話。


「病院は退屈なんだ」

「やっぱり病院にいるんだ。その、体調はどう?」

「今は落ち着いているけど、かなり危険な状態だって。こんな風にお喋りできるのに、不思議ね」


「無理はしない方がいいよ」

「うん、君の言うとおりにする」

「待ってるから、また学校で会おう」

「うん、学校で」


 僕達は信じた。

 また会って、いつものように会話をする。


 希望にすがりながら、懸命に生きる日々が来ることを。



 それから時は流れた。

 それはもう、予想していた以上に流れた。


 出会った春はとうに過ぎ、夏が来て秋が来て、冬に突入した。


 それでも彼女は学校には現れなかった。


 冬休みも終わり、寒さは一層厳しくなる。

 そして二月に入ってやっと、彼女からの電話がやって来た。


「もしもし、宮永だけど」


 意気揚々と電話に出た僕の耳に聞こえてきたのは、聞き慣れない声だった。


「あなたが宮永君?」

「そうですけど」


 電話の主は水川さんのお母さんだった。


「あの、水川さん……水川沙世さんは……」

「こっちに来てもらえないかしら?」

「こっちというのは?」


 それは、水川さんのいる病院のことだった。

 水川さんは決して入院している病院を教えてはくれなかった。

 そもそも、僕の電話にも出てくれなかったし。


 しかし、その彼女が来て欲しいと言っているらしい。

 僕は彼女のお母さんから場所を聞き、急いで病院へ向かった。


 外は雪が降り、風も強い。

 それでも危険と言うほどではないし、何が何でも彼女の所へ行かなくてはならないと思った。

 幸い病院の場所は知っている所だったし、自宅からもそう遠くはなかった。


 こんなにも近い病院にいたのに、今まで会えなかったことは少し寂しいけど、これから会えることを考えると大した問題ではない。


 速く、速く。


 心の焦りを追いかけるように足を進める。


 僕は病院に到着すると、カウンターで彼女の病室を教えてもらい、急いで向かった。


 ――――水川沙世。


 そのネームプレートを見つけると同時にその扉は開き、一人の女性が出てきた。


「宮永零君?」

「はい、そうです」

「沙世は中にいるわ。話をしたがっているから、気の済むまで話してあげて」


 そう言われ、僕は病室の中に入った。

 病室は個室で、中に一つのベッドがあり、そこに一人の女の子が横になっていた。


 彼女の腕には点滴が繋げられ、ベッドサイドのモニターにはいくつかの波形が波打っている。


「来てくれないかと思った」

「まさか」

「雪がすごいから」


「僕の家はこの近くなんだ」

「本当に? 私は君の家も知らないから」


 元々色白な彼女の顔は一層白かった。

 それでも、会話のテンポは少しゆっくりなだけだった。


 懐かしい彼女の声は、記憶通りだ。


「会えて良かったよ」

「そうね。でも、学校でって言うのは守れそうにない」

「構わないよ、贅沢な約束だったんだ」


 彼女が僕を呼んだ理由。

 今、彼女がどういう状態なのか。

 直接聞かなくても分かった。


「外、寒かったでしょ?」

「そうだね。でも、走ってきたから今はちょっと暑いくらい」

「ふふ、顔真っ赤だね」


「そう?」

「うん。私は真っ白でしょ? きっと外の雪の色が移ったのよ」


 他愛もない会話。

 それがたまらなく楽しい。


 でも、だからこそ僕は会話を続けられなかった。

 しばらく沈黙して、外の雪を彼女と見つめた。


 楽しい時間が、意図せず終わることに恐怖して。


 そんな中、勇気を出して声を出したのは彼女の方だった。


「ねぇ、宮永君」

「何かな?」

「宮永君って、彼女とかいるの?」


 思いがけない質問だった。


「いないの知ってるでしょ?」

「会ってない間にできている可能性もあるでしょ?」

「でも、本当にいないんだ」

「そっか」


 宮永さんは僕の答えを聞くと、少し考える素振りを見せ、また話し始めた。


「私の初めての友達は宮永君」

「そう言っていたね」

「それでね、できればその……友達じゃなくて」


 彼女が何を思い、何を言おうとしているのか、僕にも察しがついた。


「友達じゃなくて……えっと。えっとね、私、宮永君の事が……」


 それは彼女の勇気を振り絞った選択なのだろう。

 しかし、それを僕は拒んだ。


 だって、彼女が迷っているのは明白だったから。

 僕がそれを受け入れることで生じる事を、危惧しているはずだから。


 だから僕は彼女の選択を否定し、僕の選択を押しつけた。


「僕は水川さんのことが好きだ!」


 早口で押しつける好意に、水川さんは目を見開いて驚いていた。


「宮永君?」

「君のことが、水川沙世という存在が、僕は大好きなんだ。受け入れられなくてもいい! 返事もいらない! でも、僕が君のことを好きだということを、知っていて欲しい」


「私は……」

「返事はいらないって」


「でも……」

「だったら、僕は今失恋したことにする。僕は後悔しない! 君が好きだったことを、誇りに思う。だから水川さんは何も気にしないでいい」


 これでいいんだ。

 この気持ちは、ここで綺麗さっぱり終わりにする。


「ずるい」

「ずるくない!」

「いいや、宮永君はずるい! 自分で何もかも背負った気でいて、私にだけ、こんな素敵な気持ちを抱えたまま死なせるなんて」


「僕がそれを望んでいるんだ」

「そんな、そんなだから。君がそんなだから、私は宮永君の事が……もうっ」


 これが、僕達の最初で最後の喧嘩だった。

 あまりにも不器用で、あまりにも穏やかな喧嘩だった。


「君がどう思おうと、僕は君のことを忘れない。きっと忘れようとしても忘れられないから」

「絶対後悔する。でも、宮永君はそういう人だ」

「分かってるじゃないか」

「ふふ」


 僕達は病室で喧嘩をし、そして笑い合った。


「宮永君、そろそろ」


 それが何を意味するのか、僕は知っている。

 だから僕は答える。


「そうだね」


 ベッド横の椅子から離れ、僕は歩き出す。


「楽しいお話ありがとう、宮永君」


 そう言った彼女の表情は、本当に楽しそうだった。

 僕は病室を出る前に、一言彼女に言葉を残した。


 考えに考えて、何とか絞り出した言葉は、他人からすれば変な言葉だったかもしれない。



「もし……。もし仮に、水川さんが消しゴムを落としたとしても…………僕は拾うよ」

「私の消しゴムは弾力があるし、丸いから移動範囲が広いよ?」


 苦笑しながら水川さんは問いかける。


「それでも、どこまでも追いかけて拾うよ」


 僕は笑顔でそう答えた。



 これが、僕達の最後の会話だった。


 本当に、最後の会話だったんだ。

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