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シリウスにクッキーを捧げて  作者: 焼魚あまね
【3】かつての記憶
8/13

02

 ある日の放課後。

 水川さんは僕を誘い、屋上へ出る扉の前に連れてきた。


「どうしたの? 水川さん」

「話があるの」

「話?」

「そう、大切な話。宮永君にはしておこうと思って」


 改まってなんなのだろう。

 いつも以上に積極的な水川さんを前に、僕は少し緊張する。


 僕が話を聞く体勢に入ったのを確認し、彼女は言葉を発した。


「私はもうすぐ死ぬと思う」

「え?」


 一体何の話なのだろうかと、僕は困惑した。

 誰が死ぬって?


 彼女の言葉は耳に入っているはずなのに、それを脳が拒む感覚。

 きっと脳が認識したとしても、それを心が拒むだろう感覚。


 心を支配しているのは脳ではないのか?

 では心にそれだけの力はないのではないだろうか?


 いや、そうではない。

 そういうことじゃなくて。


「えっと……ん?」


 ただひたすらに疑問に思うことしかできない。

 言葉通りの意味だとしても、その解説を彼女に委ねる。


 勝手な憶測など無意味だから。

 しかし、彼女はこう返した。


「言葉通りの意味。私の命は少ないんだって」


 内容とは裏腹に、彼女はいつも通りの冷静さを保っている。

 だから僕もできる限り冷静を保つことにした。


「いつもと変わらず元気そうに見えるけど」

「本当にそう思う? 私って、元々元気を表に出して表現するタイプではないけれど」

「そうだね、でも僕には分かるんだ」


「それは、宮永君が私に詳しくなったから? それとも願望かな?」

「それは……」

「ごめん、ちょっとからかってみただけ」


 そう言って宮永さんは微笑んだ。

 彼女が笑う事なんて数少ないから、僕はその表情にドキリとする。


「私の外側はかろうじてその機能を保っているけど、その中身はダメみたいなんだ」

「どこか悪いの?」

「うん、この辺とか」


 宮永さんは胸の辺りに手を当てる。


「心臓?」

「それだけじゃないの。他にも色々」


 僕は医学には詳しくないけれど、それでも彼女の病状が深刻なのは理解できた。


「ここに、学校に来ている場合ではないんじゃないの?」

「そうとも言えるし、そうでないとも言える」

「それって?」


「命が短いと分かっている患者にはいくつかの選択が与えられるの。そのまま治療を続行し、できるだけ長く生きる。もしくは、治療を止めて好きなように生きる。こんな選択がね」


 彼女は後者を選んだのか。

 それは簡単な選択ではなかったはずだ。

 でも、彼女は何故こんなことを僕に伝えたんだろう?


「私がここにいるのはある種の奇跡。こうあるべき状態にないのに、こうありたいと願ってここにいる」


 その言葉は、彼女が命をぶり絞って紡ぐ言葉だ。


「そして、それは宮永君がここにいたから」


 夕日に照らされた彼女は、右手を僕の方へ広げてそう言った。


「僕が?」

「君だ!」


 僕が何をした?

 彼女に何をしてあげられた?


 全く見当がつかない。

 でも、彼女はそう言ったんだ。


「面白い顔をしているね。これは単なる偶然で、それでいて奇跡なんだよ」


 ただ彼女の顔を見つめて話を聞く。

 ああ、今の僕はどんな顔をしているのだろう。


「無理を言って高校に入学した私には、一つの決心をした。それは、とても私らしくないものだったけど、こんな状態だからこそ、できた決心だったんだと思う」

「どんな決心を?」

「ふふっ」


 彼女はまた笑う。


「隣の席になった子と、友達になろうって」

「だから僕と……」

「そう」


 たまたまだ。

 たまたま僕がそこにいたから。

 彼女は僕と友達になろうとした。


 それが奇跡だと彼女は言うけど、単なる偶然ではないのか?

 少しだけ、僕の心が軋む。


 でも、彼女の表情は儚くも希望に満ちているように思う。

 そのギャップに僕は戸惑っていた。


「宮永君は私の初めての友達で、君はとてもいい人だ。それは私にとっては奇跡のような幸運なんだよ」

「初めての友達?」

「ずっと入院してたからね。ここに入学するのも大変だったよ。でも君に会って報われた」


 そんなことを彼女は言う。

 でも……。


「僕は何もしていないよ? ただ君とお話をして……、それは僕がただ僕として生きていただけだ。君のように生きることに懸命でもなかった。生きるのが当たり前だと思っていた。まるで空気のように、生命は続くものだって……」


 何も特別な事はしていない。

 人は失って初めてそれを理解する。


 なんて言われたりするけど、まさしく今の僕がそうだ。

 目の前に彼女のような人が現れて、初めてそれを意識する。


 彼女の眩しさと、自分の愚かさに恐怖する。

 だけど彼女はそれを咎めることはなかった。


「そう、宮永君は宮永君だった。それでいいんだ。それだから私は救われた。私って、こんなだから。学校での集団生活には慣れてないし、みんなとどこか違ってしまう。そんな私に、普通に接してくれたから、私は安心したんだ」

「僕で良かったの? 本当に?」

「違うよ、宮永君が良かったんだ」


 その言葉に、僕は安心した。

 そして、急に視界が揺らいだ。


「ちょっと、泣くことはないだろう?」

「え? 僕、泣いてるの?」


 どうやらそうらしい。

 これも全部奇跡のせいだ。


「ひとまず、このことを宮永君に伝えておきたかったんだ。別れることになっても、私が幸せだったと知っておいて欲しいから」

「うん。でも、出来る事なら長く……いや、わがままかな?」

「大丈夫。私だって生きることを諦めているわけではないから」

「うん」


 この日、僕達の間には新しい関係性が芽生えた気がした。

 悲しみを抱えてもなお、抱きつつけることのできる希望を得たのだと思う。


 儚いから輝くものもある。

 そして、それを手放したくないと僕は思ったんだ。

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