01
その嫉妬は愛しさへと変化した。
真琴の心は変化し、今となっては水川さんへの好意を惜しげもなく発している。
普段から面白い人物であるが、今回は度を超えて面白い側面を目の当たりにしている。
「真琴、とにかく順追って説明してもらおう。まず、水川さんの家に行ったんだね」
「うん、行ったよ。れーくんと同じ高校に通っていて、でも高校一年生で亡くなってしまった子。その気になれば見つけるのは難しくなかったんだ。こういう詮索はいかがなものかと躊躇いもしたんだけどね。でも、どうしても彼女のことを知りたかったから」
僕にそう答える真琴の瞳は、僕の機嫌を伺い、許しを請うようだった。
もちろん僕は許可を出してもいないし、真琴がこんな行動に出るとは思いもしなかったけど、それ怒る気は生じなかった。
「そうなんだ。ちょっと驚いたよ。でも、そうさせるきっかけを作ったのは僕の話なんだよね」
「その話をさせたきっかけは私なんだけど」
「確かにそうだ」
でも、そんなこと言い出したらきりがない。
何が始まりかなんてさしたる問題ではない。
今は、今の話をしよう。
「沙世ちゃんのお家って、意外と普通のお家だったね」
「どういう家だと予想してたの?」
「何かもっと豪邸で、お嬢様なのかなって?」
「まさか」
「でも、世間とはちょっと変わった考えを持ってる、清楚な子なんでしょ?」
「概ねそうだけど、お嬢様じゃない。家庭環境に関係なく水川さんは変なんだよ」
まあ、目の前にいる真琴も充分変だけど。
「それでお家に行ったらお母さんが出迎えてくれて、れーくんの彼女ですって言ったら、ちょっと驚いてたけど招き入れてくれて、ケーキをごちそうになったよ」
「それは良かった。それで、それがどうして遺書の話になるの?」
問題はそこだ。
遺書って何だ?
しかも秘密の遺書だ。
水川さんの病気は突発的なものではなかった。
だから本人も最後を迎える準備をそれなりにしていたはずだ。
少なくとも僕にはそう見えたし、そう断言できる。
だから家族に宛てて遺書を残していても何ら不思議ではない。
ただ、僕宛の遺書はなかったし、恋人だったからといってそういった情報を何でも知っているわけじゃない。
それくらいの領分は理解している。
そこにやって来た遺書の話。
三年もの時を経てやって来るような話題ではないだろう。
「それなんだけどね、れーくん。ほ、本当にぃ……沙世ぢゃんっで……何なのぉ!」
「真琴?」
そんな泣くような話題なのか。
途端に何かのスイッチが入ったように真琴はまた泣き出した。
「落ち着いてくれよ、ね?」
「う……うん。あの、ね。……おほん! 沙世ちゃんは私宛に遺書を書いていたの。秘密の遺書を。隠し遺書を! もし、れーくんの新しい彼女に会うことがあったら渡すように言われてたんだって」
ということらしい。
まったく奇妙なことだ。
彼氏だった僕を差し置いて、未来に現れるであろう僕の彼女に宛てて遺書を書くなんて。
いや、そうじゃない。
これは確かに不思議なことだけど。
だけど、だからこそ。
そこに確かに水川さんを感じたんだ。
時間を超えてもなお、僕をこんな気持ちにさせる彼女に心底感嘆し、尊敬した。
そして生まれ出る感情は、抑えきれない笑いだった。
「うぷ……あはっ、あははははは!」
「れーくん?」
「ごめん、でも耐えきれなくて。そう……そうなんだ。水川さんはさ、やっぱり水川さんだ。ずるいよ」
「そう、それ! 普通未来の彼女に宛てて遺書なんて書かないでしょ? 沙世ちゃん良い子過ぎ! それで私泣いちゃって」
喫茶店のテーブルを挟み、僕達は対面している。
一方は泣き顔で、一方は笑っていた。
そんな奇妙な光景が生まれる。
それでも、僕と真琴の中には共感があった。
もうこの世にはいない、水川沙世という女の子が死してもなお生み出した共感が。
「真琴……、それが水川さんだよ」
今カノに元カノを自慢するのは変かもしれないけど、僕はそう真琴に伝えた。
「そっか、本当に沙世ちゃんって変な子だね。すっごい良い子だけど」
真琴がそう言うくらいだ。
きっとその遺書の中には、お節介すぎるくらいの優しさが詰まっていたのだろう。
気になる。
「それで、その秘密の遺書には何が書いてあったの?」
その問いに、真琴はこう答えた。
「ふふふ、お主、気になっておるな」
先ほどと打って変わり、妙な口調で笑みを浮かべる真琴。
こういうときは大抵くだらないことを考えている。
「知りたかろう、知りたかろう」
「勿体ぶるなぁ。何か対価でも差し出せと? 例えばここのパフェを奢るとか?」
「対価は求めぬ。だって……秘密なんだもん!」
結論。
教えてはもらえない。
「真琴宛だもんね」
「あ~、諦め早いなぁ」
「教えてもらえる可能性はあるの?」
「まあ、ないけど。もっと焦らして悔しがる姿を楽しもうかなって」
「そういうのあんまり僕には効果ないよ」
「知ってる。遺書にも書いてあったし」
「え?」
「この遺書は、元カノさんから今カノさんへの引き継ぎメモでもあるの。れーくんのあんなことやこんなことまで、色々書いてるの。ふっふっふ~」
一体、水川さんは僕の何を書いたのだろうか。
真琴が鞄から出してきた封筒は、会社員が仕事の書類を入れているような大きめの封筒で、厚みも結構ある様だった。
気合い入りすぎじゃないだろうか。
ここまで来ると、もはや知らない方がいいのかもしれない。
「残念だけど諦めるよ。でもなんだか嬉しいよ」
「棚からぼた餅って感じ? でもね、ぼた餅はまだあるんだよ、れーくん」
「え?」
がさごそと鞄の中を漁り、真琴が取り出したのは一冊のノートだった。
よく大学の授業で使うノートよりもずいぶん厚みのあるそのノートは、日記なんかにも使えそうな感じだ。
「それは何?」
真琴はすぐには答えず、無言で僕の顔の前にそのノートの表紙を突きつけた。
特別凝った装飾が施されているわけではないそのノートは、それなりに品揃えのよい文房具店などに行けば売ってそうなノートだった。
表紙には、その文房具メーカーのロゴが、あまり目立たない程度にプリントされている。
そしてそのノートには、カタカナで大きく『ノート』と書かれていた。
おそらく黒の油性ペンで書かれたのだろう。
インパクトはあるが、ノートにノートと書いているのを僕は初めて見た気がする。
用途を書くのが一般的ではないだろうか。
それにしてもこの文字……。
僕が何かに気がついたことを、真琴も気がついたのだろう。
真琴はニヤリと笑うと、口を開いた。
「れーくん……気づいたね? 見たことある字でしょ?」
「うん、これって……水川さんの字だよね?」
「せーかい! 私宛の遺書は見せてあげられないけど、これは別。どうやら私達に託された物らしいの」
「このノートが?」
「そう、このノートが」
にしても、ノートだ。
ノートと書かれているだけのノートだ。
もう少し親切に説明書などつけてくれても良いのになと僕は思った。
「真琴はこの中身を見たの?」
「見たには見たけど、れーくんにも意見を聞こうと思って」
手渡されたノートの表紙を僕はじっくり見る。
まあ、普通にノートだな。
表紙をめくって中身を見る。
最初に思ったように、用途は日記だった。
他人の日記を、それも当人が死んだ後に見るというのは、少し悪い気もする。
ただ水川さんが僕達に託したらしいことを考えれば、許可を得ているのと同等であると判断できるだろう。
例えば生前に伝えることの出来なかった何かを、これを通して伝えようとしているとか。
何かしら意味があるはずだ。
パラパラとページをめくりざっくり内容を確認する。
「どう思う、れーくん?」
「どうって、これ……日記なのか?」
そこに書かれた内容は、ずいぶん変わっていたのだった。