03
今日は土曜日。
多くの学生は休日を各々満喫していることだろう。
中には忙しい学生もいるが、僕は暇な方の学生だった。
しかし、そんな暇を真琴は忙しい日へと変化させた。
僕も真琴も双方暇なわけで、そういうときは呼び出されて一緒に過ごすというのはよくあることだ。
ただ、今回はちょっと違った。
呼び出された場所はいつもの喫茶店なのだが、電話での様子が明らかにおかしい。
「れーくん! 今すぐ! 喫茶店に集合~! と・に・か・く! 来ないと号泣してやるんだから!」
そこで電話は切れた。
訳が分からない。
とにかく何か急いでいることだけは伝わったが、号泣してやるという脅迫じみた発言には戸惑う。
「行くしかないんだろうな。というか行かなかったら後が怖い」
僕は自転車に跨がると、交通安全に注意しながらも急いで喫茶店へと向かった。
心地の良い昼下がり。
窓際からの光を受けてテーブルに突っ伏している真琴を見つけて声をかける。
「やあ、真琴。……えっと、どうしたのかな急に?」
こういうときにどんな言葉をかけるのが最適なのか、分からない僕はドラマの演技などでありがちな台詞を選択した。
「まあ、座ってよれーくん」
対面に座りつつ、真琴を見る。
声は聞こえども、顔は伏せたままで、彼女の感情を視覚的に把握することは出来ない。
「真琴……」
いつもの真琴とは違う様子に不安を感じる僕。
しばらくしてようやく真琴は顔を上げた。
「れーくん……」
はっとして息をのむ。
僕を見つめる彼女の瞳は潤いを溜め込んで今にもそれはあふれ出しそうだったのだ。
僕はどうしたら良いのか分からず、ただじっと彼女を見つめた。
何か優しい言葉でもかけたら良いのだろうか?
しかし、何故泣きそうなのか知らないまま何を話せというのだろう。
彼女は何かしらの感情を堪え、僕も何も出来ないことへの不甲斐なさを心の内で押さえ込んだ。
そして、彼女はとうとう泣いた。
大粒の涙が、一つまた一つと流れる。
止める方法は無かったのだろうか?
直前の流れを回顧し、反省を始める僕。
そんな僕の前で、真琴は震えだした。
とうとう、宣言通り号泣するのだろうか。
実際は違った。
「沙世ちゃん、好きぃ……」
真琴は間違いなくそう言ったのだ。
前回、真琴に水川さんのことを話してから数日。
一体何があったのか分からないが、真琴は泣きながら水川さんへの好意を僕に伝えた。
「真琴?」
真琴の涙は悲しみによるものではなかったらしい。
しかし、すぐには理解できない理由だった。
「私さ、ちょっと妬いてたんだ。ううん、不安だったのかもしれない。始まりがあまりにも自然で、私達ってあんまり恋人という関係性を意識しないじゃない? でも、沙世ちゃんの話聞いたりしてたら……ちょっとね」
「もっと恋人らしく振る舞った方がいいってことかな? まさか泣くほど真琴が悩んでたなんて」
僕は今の関係性を心地よく思っている。
互いに好きだという感情を、わかりやすい形で表現することは少ないけど、いつも優しさを感じている。
互いを認め、尊敬し、微妙な距離感を保つ。
それは優しさであるとともに、傷つくことへの恐怖だったのかもしれない、
僕らは友達以上恋人相当な世界に慣れすぎていたんだ。
もっと恋人らしく。
互いを求め、傷ついてもなお先に進んでいけるような関係性を真琴は求めているのだろう。
そう解釈したんだけど。
「れーくん、それは違うよ?」
「え? じゃあ、どういうこと?」
「えっとね、私はさ、沙世ちゃんが羨ましく思ったの。この世にはもういないという、そんなハンデを背負っていながらも、まだれーくんの心を掴んでいる沙世ちゃんがね」
「だからその優柔不断な僕の心に不満を持ってて、改心しなきゃ号泣してやるぞ! って話じゃないの?」
「ううん。れーくんが沙世ちゃんのことを忘れられないのは悪いことじゃないと思うの。しっかり向き合って考えるべきだって」
「うん」
「だからこれは何というか、私が勝手に沙世ちゃんに対して敵対心を持ってただけなの」
真琴が言うには、僕は悪くないらしい。
ただそれだと真琴が泣いている理由が分からない。
それに……。
「ねぇ真琴。さっきの『沙世ちゃん、好き』っていうのは何だったの? 敵対心を持っている相手に言う台詞とは思えないんだけど」
すると真琴はまた瞳をうるうるさせながら話し始めた。
「私ね、沙世ちゃんのこと色々聞いて、もっと知りたくなったの。れーくんの心をここまで掴んじゃう女の子って、どんな存在なのか。そこで私は彼女の家を特定し、突撃したの」
「え?」
「急に見ず知らずの……しかも元彼の今カノの来訪にも関わらず、沙世ちゃんのお母さんは快く迎え入れてくれたわ」
「ちょっと」
「そして私は初めて、沙世ちゃんと写真越しに対面したの。可愛い子だった。でも、その時点ではまだ敵対心が残っていた」
「ねぇ」
「でも、お母さんから秘密の遺書を受け取った時、その敵対心は意味を成さなくなったの。ああ、この子には勝てっこないやって」
「真琴……」
「だってそうでしょ? 命が短いことを悟りながらも、彼氏の新しい彼女のことを思って遺書を書くなんて。何? 聖人? 天使? そう、まさしく天使よ!」
「真琴さん、ちょっとストップ!」
どんどんヒートアップしていく真琴の語りを、僕は何とか止めた。
喫茶店の中なので、あまり声を張り上げないように。
でも、ちゃんと伝わるように。
「あ、うん。れーくん」
喋ることを止めた真琴。
その顔は涙で濡れ、しかしそこに悲しみの感情は見えず。
それどころか紅潮させて興奮しているという妙な顔だった。
「真琴。この短い間に、僕の知らない情報や驚くべき事実が押し寄せてきたんだけど、少し落ち着いて端的に話してくれないか?」
「おっけー。端的に……端的に。そう……要するに」
「要するに?」
「元彼さん、沙世ちゃんを私にください!」
おかしいな。
僕は質問の仕方を間違えたのだろうか。
真琴は僕に頭を下げ、まるで婚約相手の父親に結婚の許しを請うかのような発言をしたのだった。
ダメだ、真琴はまだ冷静になれてない様子。
何がどうなっているというのだろう。
『あ~、沙世ちゃん可愛いよぉ。大好きぃ、結婚したい』
などと呟く真琴を前に頭を抱える。
もし、水川さんが生きていて、この様子を目の当たりにしたらどう思うだろうか?
彼女ならきっと、面白がるのかもしれないな。
そんな大学二年生の休日。
何かが少しずつ動き始めるのを感じた。