02
「驚くほどのことでもないと思うの。だって君は分かりやすいから」
真琴はそう言って、甘そうなカフェオレを一口飲んだ。
「僕ってそんなに分かりやすいかな? 元カノのことは何も話してないし、知られるような機会はなかったと思うけど」
「そういうとこよ」
僕には真琴が言わんとしていることがさっぱり分からなかった。
だから詳細を求めた。
これは別にクイズでも何でもないし、自分で答えを導く事が出来なかったからといって、何か損するわけでもない。
「つまりね、君は元カノさんの話を避けることに注力しすぎなの。過去に付き合った恋人だけじゃなくて、交友関係とかの話も、すぐ別の話にすり替えちゃうでしょ? 無意識にそういう所があるの」
「あえてそういう話を避けたことが裏目に出ちゃったのか。でも、それがどうして元カノのことだと特定できたの?」
僕のこれまでの言動は、確かに僕が隠していたことへのヒントにはなるだろう。
でも、それは元カノではなく友人のことかもしれないし、家族のことかもしれない。
僕が気にしていることが元カノのことだと決めつけるのは判断材料が少ないように思えた。
ただ、それに対しても真琴は自分なりの説明を用意していた。
「なぜそう思ったのか。それは……君が恋をしている顔をするから」
どこか不満そうに口を尖らせて、真琴はそう答えたのだった。
恋をしている顔。
今僕は、森野真琴と付き合っている。
厳密に言えば、恋人になろうなどという約束を交わしたこともなく、自然と付き合っているような状況だけど、それでも世間一般的には恋人同士の関係だと思う。
だから僕が真琴に恋をしているのであれば、『恋をしている顔』なのは何ら不思議はない。
でも、話の流れ的にそういう意味ではないことは、僕も理解していた。
「えっと、ごめん」
つい謝罪の言葉がこぼれる。
「何でれーくんが謝るの? 別に怒ってるとかそういうのじゃないから。今までそういうれーくんを許容してきた私も私だし」
「うん、真琴のそういう所、好きだよ」
「あぁ~、ちょっと! こんな時にそういう嬉しくなっちゃうこと言うの禁止!」
真琴は口では怒りつつ、両手を頬に当てて悶絶した。
いつも思うけど、真琴は表情豊かで面白い。
ちょっと変わっているところもあるけど、それくらい個性の強い彼女だからこそ、僕は惹かれたのかもしれない。
引きずられていると言った方が正しいか。
そんなことを考えていると、少し冷静になった真琴がカフェオレをゴクリと飲んで、僕の方を見据えた。
「はぁ、やっぱりれーくんはれーくんだね」
「それ褒めてくれてるの?」
「どうかな? とにかくね、君は恋をしている、そう私は思ったの。そしてその憂いを帯びた瞳は、私を見てはいないし、君の心はここではないどこかに飛んで行ってる」
「彼女にそう思わせてしまう僕って、相当ダメな彼氏だね」
「まあ、そう悲観に暮れない。それで、実際れーくんは元カノさんのこと気にしてるんでしょ?」
「そうだね」
真琴と付き合い始めておよそ二ヶ月。
互いの気心も知れた時期。
真琴のズバズバとした発言にも、その鋭さにも慣れてきたつもりではいたけれど、それでも彼女のこの発言には驚かされる。
普通なら怒るところだろう。
なのにそれどころか、僕に共感しようとすらしているのだ。
それが彼女なりの、彼女としてのあり方なのだろうか?
「だったらさ、それは解決しないとね」
「うん、きっぱり忘れて……」
「違う」
どうやら彼女の言う解決とは、忘れることではなかったらしい。
「僕は何か間違えた?」
「うん、間違えてる。忘れるって言うのはダメだよ。元カノさんとの思い出は、手放してはいけないよ。その関係があってこそ、今のれーくんがあるわけだし。ただ、それに縛られて前に進めないのは何とかしないとね?」
その真琴の言葉は、僕の中にすっと入ってきて染み込んだ。
ただその反面、どうすれば良いのか分からなかった。
真琴は僕が元カノのことを気にかけることを悪いことだと否定はしない。
かといって現状を許容するわけでもない。
この場合、僕が何か変わらなくてはならないんだろうけど、真琴の言う解決の方法が見当たらなかった。
「僕はどうすれば……」
「まあ落ち着きなよ。まずはさ、元カノさんのこと教えてよ」
「水川さんのこと?」
「そう! その水川さん……何でさん付け? まあいいや。私は君の元カノさんに興味があるんだ」
真琴にとって過去の関係性などはあまり関係ないのだろうか。
それとも、水川さんに対する興味が異常に増幅してしまったのか。
ともかく、僕は元カノである水川さんの話をすることに。
「さて、何から話すかな?」
「何でもいいよ。彼女のことなら何でも!」
「はいはい。まずは……名前。フルネームは、水川沙世」
「沙世ちゃん! 可愛い名前! ねぇ、沙世ちゃんって呼んでいい?」
「良いんじゃないかな? 今更本人に許可取れないし」
「でも、れーくんは水川さんって呼んでるし、悪いかなって」
僕に対する許可を取ろうとしていたのか。
テンション高い割にそういう所は気にするんだな。
「いいよ、その呼び方で」
「やったね」
それから色々話した。
とはいえ、話せたのはざっくりとした元カノの人となりだ。
この僕の話を聞いただけでは、かつての彼女を理解することなんて出来ない。
いくら言葉を連ねたところで、彼女に実際に会うこと以上の情報は与えられない。
でも、真琴は結構満足したようだった。
「良いね! 沙世ちゃん! 私とは違うタイプだけど、大人しくて、ちょっと変わってて。れーくんが好きになるのも分かる気がする」
「そう?」
「うん。それにしても、三年前ってことは高校生の頃だったんだね。そんな若くして亡くなるなんて……」
「そうだね……」
少ししんみりする瞬間もあったけど。
それでも、話して良かったと思う。
真琴と付き合っていても、ずっと気になってたことだし。
ここで全て心の整理が完了したわけではないけれど、真琴には感謝だ。
「じゃあね、れーくん」
いつもの調子で手を振る真琴に、僕も手を振り返す。
時折こちらを振り返りつつ歩いて帰っていく危なっかしい真琴を見送り、僕は息をついた。
勇気のいる会話だった気もするけど、それでもどこかすっきりしている気もした。
「悪くない、デートだったな」