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シリウスにクッキーを捧げて  作者: 焼魚あまね
【5】シリウスにクッキーを捧げて
13/13

00 終わらないもの

 時は過ぎていく。


 真琴は未だに、僕に隠し事をしていたことを気にしているようだった。

 だけど、僕はそれをもう過ぎたことだと思っていたし、そのおかげか真琴の方も以前の真琴らしさを取り戻していった。


 僕達は相変わらず、恋人同士だった。

 それは一般的な恋人とは少し違う関係性で、客観的にはまだ友達くらいの関係なのかもしれなかった。

 それでも、僕達はこの関係を好んでいた。


 時は、過ぎていく。


 過ぎ去る時間というものは、惜しむべきものなのかもしれないけれど、僕達は過ぎ去ることを望んでいたように思う。


 そして、二月がやって来た。


 そう、二月。


 約束した二月だ。


 厳密に言えば、二月の後半。

 そして、僕達にとってはとても意味のある日。


 僕達は歩いていた。


 僕が知らない場所であり、真琴が知っている場所。


 真琴は知っているけど、なかなかこれなかった場所らしい。


 そこは、綺麗に整備された墓地だった。

 墓地といえば少し怖いとか古めかしい印象も持つけれど、ここはとても綺麗だった。


 緑の芝が生い茂るその丘に、多くの人が眠っていた。

 その規則正しく並べられた墓石を僕は見ながら歩く。


 隣には真琴がいる。

 ここには真琴の家族がいて、僕の大切な人がいる。


 きっとどの墓石の下にも、誰かの大切な人が眠っているんだ。


 そう、ここは水野沙世さんが眠る墓地だった。


「ここがとっておきの場所なんだね」

「驚いたかな?」

「そうだね、でも安心したよ。彼女のお墓が、こんなに素敵な場所にあると知ってね」


 なだらかな丘を登り、一つの墓石の前に立ち止まる。


 墓石には、水野沙世の名前が刻まれていた。

 僕は少しだけ彼女に再会した気になったけど、すぐに彼女がいないことを認識させられた。

 でも、それでも嫌な感じはしなかった。


「遅くなっちゃったけど、来たよ沙世ちゃん」


 真琴が墓石に向かって呟いた。

 その一言は、真琴にとって勇気のいる言葉だっただろう。


「本当に遅くなってごめんね。家族が急に増えるなんて、私には望んでいない事だったけど。今は、沙世ちゃんに出会えて、家族になれて良かったと思うの。だからこそ、死んじゃったって実感が湧かなくて……」


 心に閉じ込めていた思いを、吐き出していく。


「れーくんと関わることで、沙世ちゃんとの繋がりを感じていたかったんだと思う。それも沙世ちゃんが残してくれたノートのおかげなんだけど……。私ったら、沙世ちゃんに助けてもらってばかりだね。まさか、死んじゃった後までサポートしてくれるなんて、本当に自慢のお姉ちゃんだよ」


 自然と溢れたその滴は、真琴の頬を伝っていた。


「でも、もう大丈夫だから。色々あったけど、前向きに生きていけそうな気がするから」


 そう言うと、真琴は僕の方を見た。


「れーくんにも、迷惑かけちゃってごめんね」

「良いんだよ。今となっては、迷惑をかけてもらうためにいたようなものだから。それに、迷惑ならお互い様でしょ?」


「それもそうだね。ところで、れーくんは何か言うことないの?」

「そうだね」


 僕は何を言うか考えようとしたけれど、すぐにそれを止めて、自分の今の気持ちに従った。


「水川沙世さん。やっぱり僕は、君のことが好きだ。君と出会ったことも、君と過ごせたことも、全部僕の宝物だよ。だから、僕は死ぬまでずっと君のことを好きでいようと思う」


 僕の口から出た言葉は、そんな言葉だった。

 僕のことを好きなまま死んでいった君が、残してくれたこの気持ちは、一生消えることはないだろう。


 今の彼女の前でこんなことを言うのは変かもしれないけど、真琴はそれについて何も言わなかった。


 僕と真琴はしばらく水川さんの墓石の前で涼しい風を受けていた。


「さて、湿っぽいのはこれくらいにしよっか」


 真琴が沈黙を破る。

 その顔は生き生きしていて、いつもの真琴らしい顔だった。


 僕達がここを訪れた時、外は既に日が沈んで夜だった。


「こっちが今回のもう一つの目的だからね」


 真琴が指を差した先には、星空が広がっていた。


「本当に、最高の場所だね」


 天候も良かったのだろう。

 多くの星が、空を埋め尽くしていた。


「ねぇ、れーくん。シリウスはどこかな?」

「分からずに指差ししてたの?」


「えへへ」

「でも、合ってるんだよ。真琴が指さした方向で。あの白っぽくはっきりと光っているのがそうだよ」


 真琴はそれを聞いて、空をじっと見つめた。


「あれが冬の大三角だよね。三つあるうちの……どれだろ?」

「オリオン座の三つ並んだ星は分かる?」


「うん」

「その並んだ先に見えるのがそうだよ」

「あった!」


 真琴が叫ぶ。

 とても嬉しそうだ。


「見た感想は?」

「よく光ってるね」

「そうだね」


 端的な感想だった。

 真琴は喋るよりも見る方に夢中だった。


「ねぇ、真琴。これからもここに来よう。年に一回じゃなくて、来たい時にはいつでも」

「そうだね、れーくん」


 僕達は約束する。

 ここに来れば、まるで三人でシリウスを見ているようだった。


 オリオン座の三つの星は僕達のようで、その先のシリウスは僕達の未来を照らしているようだったから。


「そういえば……」


 真琴が急に思い出したように鞄を漁り出す。

 そして、何か袋を取り出した。


「それは?」

「クッキー」

「クッキー?」


 そういえば、星を見ながらやりたいことがあると言ってたな。


「これはね、沙世ちゃんのレシピで作ったクッキーなの」

「沙世さんの? クッキーを作るなんて初耳だよ」

「ふふん! これはね、ノートにも載ってない、秘伝のレシピなのだよ」


 真琴は自慢げに胸を張り、それからクッキーを僕に寄越した。

 袋に手を突っ込み、つまみ上げると、それは星形のクッキーだった。


「可愛いでしょ? 味も美味しいんだから」


 僕は手に取ったクッキーを見つめる。

 こんな形で、また沙世さんを感じることになるとは。


 僕は受け取ったクッキーを空に掲げてシリウスに重ねる。

 そして、そっと呟いた。


「いただきます。それと、誕生日おめでとう! 沙世さん」


 その声は空に吸い込まれ、ずっと先のシリウスまで届くような気がした。

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