00 終わらないもの
時は過ぎていく。
真琴は未だに、僕に隠し事をしていたことを気にしているようだった。
だけど、僕はそれをもう過ぎたことだと思っていたし、そのおかげか真琴の方も以前の真琴らしさを取り戻していった。
僕達は相変わらず、恋人同士だった。
それは一般的な恋人とは少し違う関係性で、客観的にはまだ友達くらいの関係なのかもしれなかった。
それでも、僕達はこの関係を好んでいた。
時は、過ぎていく。
過ぎ去る時間というものは、惜しむべきものなのかもしれないけれど、僕達は過ぎ去ることを望んでいたように思う。
そして、二月がやって来た。
そう、二月。
約束した二月だ。
厳密に言えば、二月の後半。
そして、僕達にとってはとても意味のある日。
僕達は歩いていた。
僕が知らない場所であり、真琴が知っている場所。
真琴は知っているけど、なかなかこれなかった場所らしい。
そこは、綺麗に整備された墓地だった。
墓地といえば少し怖いとか古めかしい印象も持つけれど、ここはとても綺麗だった。
緑の芝が生い茂るその丘に、多くの人が眠っていた。
その規則正しく並べられた墓石を僕は見ながら歩く。
隣には真琴がいる。
ここには真琴の家族がいて、僕の大切な人がいる。
きっとどの墓石の下にも、誰かの大切な人が眠っているんだ。
そう、ここは水野沙世さんが眠る墓地だった。
「ここがとっておきの場所なんだね」
「驚いたかな?」
「そうだね、でも安心したよ。彼女のお墓が、こんなに素敵な場所にあると知ってね」
なだらかな丘を登り、一つの墓石の前に立ち止まる。
墓石には、水野沙世の名前が刻まれていた。
僕は少しだけ彼女に再会した気になったけど、すぐに彼女がいないことを認識させられた。
でも、それでも嫌な感じはしなかった。
「遅くなっちゃったけど、来たよ沙世ちゃん」
真琴が墓石に向かって呟いた。
その一言は、真琴にとって勇気のいる言葉だっただろう。
「本当に遅くなってごめんね。家族が急に増えるなんて、私には望んでいない事だったけど。今は、沙世ちゃんに出会えて、家族になれて良かったと思うの。だからこそ、死んじゃったって実感が湧かなくて……」
心に閉じ込めていた思いを、吐き出していく。
「れーくんと関わることで、沙世ちゃんとの繋がりを感じていたかったんだと思う。それも沙世ちゃんが残してくれたノートのおかげなんだけど……。私ったら、沙世ちゃんに助けてもらってばかりだね。まさか、死んじゃった後までサポートしてくれるなんて、本当に自慢のお姉ちゃんだよ」
自然と溢れたその滴は、真琴の頬を伝っていた。
「でも、もう大丈夫だから。色々あったけど、前向きに生きていけそうな気がするから」
そう言うと、真琴は僕の方を見た。
「れーくんにも、迷惑かけちゃってごめんね」
「良いんだよ。今となっては、迷惑をかけてもらうためにいたようなものだから。それに、迷惑ならお互い様でしょ?」
「それもそうだね。ところで、れーくんは何か言うことないの?」
「そうだね」
僕は何を言うか考えようとしたけれど、すぐにそれを止めて、自分の今の気持ちに従った。
「水川沙世さん。やっぱり僕は、君のことが好きだ。君と出会ったことも、君と過ごせたことも、全部僕の宝物だよ。だから、僕は死ぬまでずっと君のことを好きでいようと思う」
僕の口から出た言葉は、そんな言葉だった。
僕のことを好きなまま死んでいった君が、残してくれたこの気持ちは、一生消えることはないだろう。
今の彼女の前でこんなことを言うのは変かもしれないけど、真琴はそれについて何も言わなかった。
僕と真琴はしばらく水川さんの墓石の前で涼しい風を受けていた。
「さて、湿っぽいのはこれくらいにしよっか」
真琴が沈黙を破る。
その顔は生き生きしていて、いつもの真琴らしい顔だった。
僕達がここを訪れた時、外は既に日が沈んで夜だった。
「こっちが今回のもう一つの目的だからね」
真琴が指を差した先には、星空が広がっていた。
「本当に、最高の場所だね」
天候も良かったのだろう。
多くの星が、空を埋め尽くしていた。
「ねぇ、れーくん。シリウスはどこかな?」
「分からずに指差ししてたの?」
「えへへ」
「でも、合ってるんだよ。真琴が指さした方向で。あの白っぽくはっきりと光っているのがそうだよ」
真琴はそれを聞いて、空をじっと見つめた。
「あれが冬の大三角だよね。三つあるうちの……どれだろ?」
「オリオン座の三つ並んだ星は分かる?」
「うん」
「その並んだ先に見えるのがそうだよ」
「あった!」
真琴が叫ぶ。
とても嬉しそうだ。
「見た感想は?」
「よく光ってるね」
「そうだね」
端的な感想だった。
真琴は喋るよりも見る方に夢中だった。
「ねぇ、真琴。これからもここに来よう。年に一回じゃなくて、来たい時にはいつでも」
「そうだね、れーくん」
僕達は約束する。
ここに来れば、まるで三人でシリウスを見ているようだった。
オリオン座の三つの星は僕達のようで、その先のシリウスは僕達の未来を照らしているようだったから。
「そういえば……」
真琴が急に思い出したように鞄を漁り出す。
そして、何か袋を取り出した。
「それは?」
「クッキー」
「クッキー?」
そういえば、星を見ながらやりたいことがあると言ってたな。
「これはね、沙世ちゃんのレシピで作ったクッキーなの」
「沙世さんの? クッキーを作るなんて初耳だよ」
「ふふん! これはね、ノートにも載ってない、秘伝のレシピなのだよ」
真琴は自慢げに胸を張り、それからクッキーを僕に寄越した。
袋に手を突っ込み、つまみ上げると、それは星形のクッキーだった。
「可愛いでしょ? 味も美味しいんだから」
僕は手に取ったクッキーを見つめる。
こんな形で、また沙世さんを感じることになるとは。
僕は受け取ったクッキーを空に掲げてシリウスに重ねる。
そして、そっと呟いた。
「いただきます。それと、誕生日おめでとう! 沙世さん」
その声は空に吸い込まれ、ずっと先のシリウスまで届くような気がした。




