01
「れーくん、ねぇってば」
いつもの午後。
そう、いつもの午後だった。
いつもの喫茶店で、いつもの席で。
僕はいつものように真琴と向かい合って座っていた。
窓の外を流れる風景を見ながら、僕は少しだけ昔のことを思い出していた。
「ごめん、真琴。何だっけ?」
「何だっけって、れーくん大丈夫?」
「ああ、うん。水川さんのことを、少し思い出していたんだ」
「そう? 邪魔しちゃった?」
「いや、そんなことはないよ。それで……」
真琴は僕に何かを話していたのだろう。
まったくもって集中していなかった僕には、何も聞こえていなかったけど。
「沙世ちゃんのノートの件だよ。順調に進んでるけど、この先どうするかって」
「ああ、そうだったね」
彼女の、水川さんのノートに書かれた希望を代わりに実現する。
それは順調に進んでいた。
もっとも、それは内容があまりにも簡単なものだったからだ。
手を繋ぐとか、会話をするとか、こうやって喫茶店に行くとか。
本当に簡単なものが多かった。
よって大半のものが終わっていた。
しかし……。
「これだけは分からないんだよ」
そう言って真琴が見せてくれたノートには、こう書いてあった。
『宮永君とシリウスを見に行く』
大きな文字で書かれていたそれは、どうやら最後の願いらしい。
「どういう意味か分かる?」
「そのままの意味だと思うけど……」
「そうじゃなくて、何でシリウスなのかって事」
「そういうことか……」
確かに疑問に思うのはそこなのだろう。
でも、僕にはなんとなく察しがついた。
シリウス。
おおいぬ座の一等星。
冬の大三角の一つであり、冬によく見える星だ。
二月頃が見頃だろうか。
そう、水川さんが亡くなったあの冬の時期だ。
きっとこの願いは、彼女が亡くなる少し前に書いたものだろう。
雪の降っていたあの日には見えることはできなかった星。
彼女はそれを僕と見たかったのかもしれない。
僕はそのことを真琴に教えた。
「そっか、それでシリウスなんだ」
「時期を考えると、そうかなって。冬に見える星は他にもあるし、何でシリウスなのかって言われると、好きだったとか、よく光るからとかかな? 詳細は分からないけど」
「でもロマンチックだよね。へぇ~、沙世ちゃんはシリウスが好きなんだぁ」
真琴は嬉しそうだった。
どうやら、このシリウスの謎がどうしても知りたかったようだ。
「でもまだ秋だからね。見えなくはないけど、できれば」
「二月の下旬に見たいんだよね?」
「え?」
おそらく真琴の口から自然と出た言葉なのだろう。
しかし、どうして彼女は二月の下旬なんて言ったんだろう?
「ん? どうしたの?」
「何で二月の下旬? もしかして、シリウスの見頃な時期を知ってたの?」
「あ、うん。そうなんだ、意外だった?」
「うん。真琴はあんまりそういう話しないし」
びっくりした。
本当は、水川さんが亡くなった時期に見たいと思ってたんだ。
彼女が亡くなった二月の下旬に。
それを真琴が知っていたのかと思って驚いた。
真琴には、水川さんが二月に亡くなったことは伝えたけど、下旬とは教えていない。
だから、どうしてそんな限定的な時期を口にするのか疑問だった。
そうか、星についての知識があったんだな。
「というわけで、時期は決定したものの実行はまだ先なわけだね」
「そういうこと。その間どうしよう、真琴」
「う~ん、特別何かをする必要はないんじゃない?」
「それもそうかな」
どうやら本当に願いはあと一つだけのようだ。
これから冬を迎え、真琴と星を見る。
シリウスを見た後に、僕はどうなるんだろうか。
何気なく始めたノートの希望を叶えるという行動。
水川さんの事を忘れられない僕が、何か区切りをつけるきっかけになるかとも思ったけど。
実際やってみると、彼女の事を思い出す一方で。
真琴の方は何だか楽しそうにやっているけど、今の彼女として、元カノの願いを代行するというのは妙な感じがしないのだろうか。
実際、この疑問を真琴にぶつけたことがあるけど、本人はやりたいからやっていると言うのみだった。
真琴自身も、水川さんの事が気に入っているみたいだし。
ただ、この関係は本当にいいのだろうかと時折思う。
今の彼女、真琴がそれを許容しているだけであって、僕はそれに甘えているだけなのではないかと。
未だに僕達は恋人同士と呼ぶには不安定な関係だ。
双方恋人同士であるという認識はある。
でもやっていることは単に男女の友達という関係の域を出ない。
これが終わったら。
冬のシリウスを見たら。
何かが変わるのだろうか?
多分、変わらない。
ただ目の前に舞い込んできた事を、ただやっているようなものだから。
真琴の行動力の高さに、ついて行っているだけなのだから。
「れーくん?」
「何?」
「またぼーっとしてるから」
「ごめん。えっと、それじゃあ冬にシリウスを見に行くって事で」
「決まりだね」
「うん」
こうして今日のデートは終わり。
僕は冬までどう過ごそうかと考えながら、喫茶店を出た。
何をしようか。
シリウスをどこで見ようか。
何が必要だろうかと。
「れーくん」
喫茶店を出ると、真琴が僕を呼ぶ。
「ん?」
「これ、れーくんが持っててよ」
手には『ノート』と書かれたノートがあった。
「もう願いも残り少ないし、れーくんの手元にあった方がいいでしょ?」
「うん、じゃあ」
僕はそれを受け取ると鞄に入れた。
「さぁ、ここからラストスパートだね」
「二月まではまだ時間があるけどね」
「またね!」
「うん、また」
駆けていく真琴を見送り、僕は歩き出した。




