01
世界のバカ野郎。
そう叫んだ僕の握りこぶしには何も残らず、まぶたの裏で蒼い閃光が一瞬煌めいただけだった。
その日、僕の中の何かが大きく変わったのは間違いないが、それでも時間は流れ続けた。
だからこうして僕は成人を済ませ、一応大人として日々を過ごす。
あれから三年が経っている。
でも、僕は彼女のことを忘れられない。
ここでいう忘れるとは、記憶から消すことではない。
要するに、それをふと思い出してしまう頻度の高さ、執着や名残惜しさに起因するそれを振り切れないことだ。
思い出す度に、僕の時間は止まる。
過去に思いを馳せ、巻き戻るのではない。
そこにあった幸せにすら触れることなく止まるような感覚に陥るのだ。
彼女はここには居ない。
その喪失感が、僕を今でも苦しめている。
でもそれは思い込みであったようで、やっぱり世界は動き続けている。
それを教えてくれたのは、今の彼女だった。
「れーくん」
彼女の呼び声に顔を上げる。
「ごめん、何の話だっけ?」
パフェのようにクリームが乗った飲み物のグラスに手を添えて、彼女が答える。
その顔はどこか呆れたようだった。
「別に何の話もしてないよ。ずっと上の空な君を現実に呼び戻してみただけ」
「そんなに上の空だった?」
「いつものことだけど、そんなにだよ」
喫茶店でデート中に上の空というのは、やはり褒められたものではない。
彼女は時々、そんな僕をこうやって現実に戻してくれる。
とても優しい人だ。
前の彼女よりも気さくな女性だ。
それでいて賢くてチャーミング。
こう表現してしまうと、なんだか前の彼女に悪い気がするけど。
でも、そういう所がこんな僕を恋愛という関係性に再び引き込んだのかもしれない。
それに彼女はどこか彼女に似ている。
「いつもありがとう」
現実に戻してくれた彼女に礼を言う。
一瞬、ごめんと言いそうになったけど、それは控えた。
かつて、前の彼女に指摘されたことを思い出したから。
誰かに何かをしてもらったら、謝るのではなく感謝をと。
「どういたしまして。それで、やっぱり今でも気になるの?」
「何が?」
「だから、君が上の空な理由。元カノさんのこと気にしてるんでしょ?」
「どうしてそれを……」
今の彼女。
森野真琴は、やはり鋭い。
かつての彼女、水川沙世の話など、一度としてしたことないのに。
どうしてその結論に達したのだろうか?
僕が困惑しつつその原因を考える。
しかし、何も思いつかない。
そうこうしているうちに、今の彼女、森野真琴による講義が始まるのだった。