昔話・神野庵と神野友梨佳(前)
人生が、価値観が、世界の見え方が変わる瞬間ってのは、あると思う。
例えば、母親だと思っていた人が、ただの職員であったり、祖父だと思っていた人が、園長という役職の人だったり、兄弟姉妹だと思っていた人達が、俺と同じ境遇の人達だったりして。
『希望の園じんの』
それが俺の故郷で、実家で、物心付く前に預けられてた、施設だった。
そして、俺にとっての、運命の人との出会いの場所でもある。
「庵。」
「ん?なにー?」
数日前、兄と二人の姉を送り出した俺は、神野家の長男になっていた。
当然、弟妹達の面倒を見る役目は俺に回ってくるし、独り立ちする為の勉強も、量、質、共に増えた。
これは、そんな事になんの意味があるんだよ、と思いながら、将来についてなんてまだ何一つ考えていない、ただただガキだった俺に訪れた、人生の分岐点、その出会いの話だ。
園長のじーさんに呼び出された俺は、補助金が出て新しくなったばかりの廊下を抜けて、園長室に入る。
飾り気のないシンプルな部屋の中で、そこだけが輝いているような錯覚。
部屋の中には、一人の女の子がちょこんとソファに座って待っていた。
「庵、この娘は今日から君達の家族になる、友梨佳ちゃんだ、君と同い年で、一番の年長になるね。さ、挨拶してご覧?」
じーさんが促すと、女の子は慌てて立ち上がり、勢いよく頭をブンッと下げた。
「きたむ…じゃなくて!神野、友梨佳です!今日からよろしくおねがいします!」
バサッと広がって落ちた髪が、先生と一緒にコッソリ見た超怖い映画のお化けみたいで、俺は思わず吹き出してしまった。
そんな俺を見て、じーさんは呆れたようにため息を吐いて、友梨佳は少しだけむくれた。
「挨拶されたら、返さないといけないんだよ!」
「ごめんごめん、髪がすっごいバサー!ってなるからさあ。俺は庵、よろしくな、友梨佳。」
そう言って右手を差し出すと、ムスッとしたまま握り返してくる。
その瞬間、その時の俺には良く分かっていなかったが、友梨佳の事を好きになったんだろう。
今となってはどのタイミングで惚れたのかなんて覚えてないし、まあ、これを運命の出会いと言うことにしておいて良いだろう、きっと。
友梨佳が来てから暫くは、俺の仕事は更に増えた。なんせ、今まで通りの事をこなしながら、友梨佳の案内や仕事を教えたりもしなきゃならない。
それでも、地頭が良いのか要領の差か、友梨佳はあっと言う間に仕事も弟妹の面倒も俺よりもこなせるようになっていった。
それから一年過ぎ、二年過ぎ、俺達が高校に通うような年齢になった頃、俺は友梨佳に告白し、初めてのキスをした。
「夜間学校?」
「うん、二人は勉強も出来るし、本当は全日制に行かせてあげたかったんだけど、ちょっと今の制度じゃ厳しくてね。」
「それで夜学か。確かに高卒認定は欲しいよな。」
ある日じーさんに呼び出された俺と友梨佳は、定時制の高校に通ってみないかと言われた。
言葉の通り、これから社会で仕事をしていくにも高卒認定があるのと無いのでは働ける職場も違うだろうし、出来ることなら金を貯めて、ちゃんとした結婚式をしたい派の俺としては、最低よりもちょっとは上の仕事に付きたいわけで。
「今の仕事しながらでも通える?」
「むしろそれを含めてギリギリなんだよねえ。金銭的に。」
「あー、なら、学校行きだして余裕があったら仕事増やすよ。」
「私も、実はファミレスとかで働いてみたかったんだよね。」
「いやあ、子供達が優秀で僕は嬉しいなあ。」
そんなこんなありつつ、俺達は高校に通うことになった。
周りは年上ばかりで、中には年寄りまでいたが、だからこそ俺達はかなり色々な事を知る事が出来て、この頃に、ちゃんとした大人になっていったんだと思う。
とにかく四年間、俺達は必死になって働いて、勉強した。
知れば知るほど、働けば働くほど、俺達はガキで、甘やかされて育ってきたんだと実感した。
今思い出しても本当に大変だった。
疲れが貯まれば仕事で失敗しそうになる。眠気で勉強が疎かになりそうにもなる。施設の弟妹の進路の相談やトラブルの解決も頼まれたりする。
そんな時でも、俺達はお互いを癒やし合って、支え合って、寄り添って乗り越えてきた。
卒業の時は皆で大騒ぎした。弟妹達も先生達も、施設をあげてお祝いしてくれた。
皆、施設と自分とでいっぱいいっぱいの筈なのに、プレゼントにスーツまで贈ってくれた。
きっと、俺や友梨佳のメンタルが強いのも、皆のおかげなんだろうな。
こうして、二十年弱過ごした我が家から、俺と友梨佳は卒業したんだ。




