60話 岐路
「何でよ!何でなのよ!...あいつ、私を放ってどっかへ逃げやがったなんて!!」
朝からずっとこれだ。なぜなら、今日の朝早く、俺たちの道場の師範が勝手に家出してしまったからだった。おまけに、それが発覚した直後に警察がたくさん来るわで頭の中がいっぱいでそれどころじゃなかった。
「まぁまぁ、落ち着いてくださいよ!美結さん」
こう言って落ち着かせてる努力はしているが、その効果は今ひとつらしい。
「これが落ち着いていられる状況?!冗談じゃないわよ!やっと見つけたっていうのに...もう...!」
とある理由があって俺の師匠である穂村 仁を追ってこの街にやってきた彼女は、仁さんと死神との戦闘をキッカケに休戦協定を結び、しばらく俺たち相澤道場の門下生として居候することになっていた。
だが、勝手にいなくなってしまったのでは話は別だと言う。側から見れば、完全に逃げに入ったと思われても仕方ないのかもしれないが...。
「とにかく、今俺たちにできることをやりましょうよ。美結さん!」
彼はどうして急に俺たちの前からいなくなってしまのだろうか?それと同時に押しかけて来た警察たちも不安要素の一つだと思う。やはり、兎にも角にも仁さんを早く見つけ出さなければならない。どこか遠いところに行ってしまう前に、早く...もっと早く見つけ出さないといけない。
「...ん、まぁそうだけどさぁ」
美結さんがうつむいて訝しそうに口を開く。
「察も鬱陶しかったけどさぁ、あいつはあいつなりに何か考えがあったのかもしれないわ。勝手に逃げるなんて、私が絶対許さないんだから」
思い当たる理由がすぐに思いつかない。一番先に思いつくのは、自分の存在が目立ちすぎたことで警察の目が光ってしまったことを予想した仁さんが、警察が来るまでにこの街から出て、せめて俺たちに迷惑をかけないように。というのが、最も納得のいく理由だと思っている。今のところは。
ー 他に思いあたるとすれば...
「ゴホッ...!ゴホッゴホッ......」
後ろから突然聞こえた咳の音は俺の実の姉である相澤 恵美のものだった。
「大丈夫?姉ちゃん」
「ええ、大丈夫よ。......ゴホッゴホッ...!」
だが、その咳がしばらく止まることはなかった。
「姉ちゃん!本当に大丈夫なの?具合悪いんじゃないのか?病院に行った方がいいよ」
「大丈夫だって!!...言ってる...じゃ...な..い........」
ー バタン!!
そう言ったのを最後に、姉は床に倒れてしまった。
「姉ちゃん!しっかりして!姉ちゃん!!」
「アンタ、しっかりしなさいよ!ねぇ!」
必死で呼びかけるが、反応がない。血の気が自分自身から消えていくのがわかる。
2年前のあの日、必死でレイズ本部へと向かって走った日は今でも覚えている。瀕死の状態になった姉の元へ早く、誰よりも速く向かわなければいけない。その使命感と、大切な人を失ってしまうかもしれない恐怖感が俺を襲っていた。
今も同じだ。今にも消えそうな小さな小さな光を、必死にもがくように手探りで掴むような。絶望の底へもうすぐ突き落とされそうな気分だ。
ー お願い。次も、今度も、今度も、、、起きて......
そう願って握りしめた手は、あれから1週間経った今も離れることはなかった。
静かな白い部屋の隅っこに置かれたベットの隣の窓から、呑気にさえずる小鳥の声が聞こえてくる。窓際で生けられた一輪の花が風に揺られている。
今もなお、ベットに静かに眠っている彼女がいつ起きてもいいように、彼女の手をそっと握りしめる。日に日に弱まっていく彼女の生命力を確かにこの手から感じる。そう思ってしまう度にすぐにでも涙が出てしまいそうになるが、自分が泣いてしまっては意味がない。俺は少ない体力を補充するように、弱くなった分、強く握りしめて上げた。
「紅葉。あんたまだここにいたの?」
病室の入り口の方から若い少女の声が聞こえてくる。
「美結さん。来てくれたんですか」
「当たり前じゃない。...彼女は仮にも私を養ってくれている存在なんだから」
そう言って彼女は軽やかに俺の隣の椅子に腰を降ろし、黙って姉さんを見つめた。
「...まだ目、覚まさないわね。...医者は?」
「原因はわからないと言ってました。...だから、いつ目覚めるのかってのも、まだわからないって...」
口を開く度にネガティブな方向に思考が進んでしまうことが、また俺の不安を掻き立ていく。
しばらくの間、沈黙が俺たちを襲った。だがそのすぐ後に、はっと何かを思い出したかのように、美結さんがその沈黙を破った。
「あーもう!こうもうじうじしていても仕方ないじゃないの!...うじうじしてたって、何も変わらないわよ!」
「そんなこと言ったって、俺ができることなんて、全然何もないし...」
そうやって自然と俯いてしまう。今の自分に、まだ立ち上がる力なんて残っていないと、そう自分を納得させてしまったのだ。
元々何もない俺は、ただただ姉の手に引っ張られてここまでやってきた。大好きだった母さんは死に、俺のことなんて無関心だった父親は事故で行方不明。頼れる存在は姉だけだった。だから、俺は彼女にずっと頼ってばかりだった。奇跡というものがこの世に存在しなければ、俺は今ここにいないだろう。そんなわがままな俺には何もできないと、そう思っていた。
「あんたは今まで何をアイツから学んでたのよ」
だが、その言葉は俺の予想もつかないほど以外で、あまりにもわかりきっていた質問だった。
「それは...」
彼女は俺の肩を全力で揺さぶる。
「あんたはアイツから、何を得たのよ」
ー 何を得たのだろう...
この数ヶ月間。まるで夢のような時間だった。姉ちゃんから聞いていた憧れの人に剣術をまがいなりにも教えてもらい、同時に新しいお兄さんができた気分だった。そして、仁さんや姉ちゃん、坂田さんや美結さんが体験した残酷で受け入れがたい過去や、海坂と名乗る機械仕掛けの人間がいたということが俺を違う世界へと連れてっていった。
全ての記憶が”忘れるな”というように必死で語りかけているのだ。
ー もしかして、その経験が、俺が得たものなのだろうか?
そんな残酷なモノなんてこちらから願い下げでもしたいくらいだ。
でももし、願い下げしたいその”残酷なモノ”が仁さんの強さの理由なのだとしたら、それこそあまりにも不条理過ぎる。でもそれが、本当の強さに繋がるのだとしたら、俺はそれを乗り越えてゆかなければならないのだろうか?
「美結さん。あなたは、どうして強くなろうと思ったのですか?」
すると、彼女は水を得た魚のように光った目で言った。
「それはねぇ...誰かを守れるようになりたかったから。...お姉ちゃんが死んだって聞いてから、私は自分の無力さを改めて知ったわ。だから私は強くなろうと思ったの。もちろん、犯人って言われてたあの男をぶっ飛ばす為にも強さを求めていたけどね。でも、結局は、誰かを守れる力が強さの源なのかもしれないわね」
天井を見ながら彼女はそう言う。
「誰かを、守れる力...」
そのとき、走馬灯のように姉の姿や仁さんの姿が脳裏に蘇った。
「...さぁ、私たちも行きましょ。少しは外の空気でも吸って、リラックスよ。リラックス」
だが、彼女は俺の思考なんてものは御構い無しに俺の背中を強く押した。
60話 岐路 を読んで頂きありがとうございます。
次話は、61話 強さ です。
投稿が超絶まちまちになってることをお詫び申し上げます。今後の展開をお楽しみください。
それは、決して交わることのなかった糸。希望を失った志士と後悔を覚えた復讐者は"哀愁"を口ずさむ。
次話以降もよろしくお願いします。




