56話 邂逅
「今日はやけにひどい雨ですね」
「あぁ、そうだ...そう...ですね」
それが彼女と交わした最初の言葉だった。
俺がした返事はおどおどしていて、初な言い方だった。久しぶりというくらい人間の女性とは喋ったことがなかった俺は、うんと頷くことしかできない様子だった。
先ほどまでの悩みや苦痛を一瞬でも忘れてしまおうと、俺は会話を続けた。
「そんな雨なのに、どうしてこんなところにいるんだ?」
「そう...ですね。どうしてこんなところにいるんでしょう、私は。おかしいですね」
そうしてクスッと笑みを浮かべて、私はこれまでのことを忘れようとしていた。
突然後ろに気配を感じ、向こうもこちらの気配に気づいたところで、会話をしようとしたのは私の方だった。何故かなんてわかりっこしない。でも、誰かと話してなきゃ、頭の中が後悔と失念ではち切れそうだったのは確かだった。
「あなたはどうしてこんなところに?お散歩ですか?」
「あ、あぁ。まぁそんなものだな。あいにくの雨だが」
それなりに彼女と会話はできているつもりだった。女性経験が一切ないというわけでもなかった。
とある日の雨が降る昼下がり。たまたま一緒に同じ屋根の下で、顔も合わさずに会話をしている。それだけのつもりだった。
それだけのつもりなのに、心の高まりが収まらなかった。
一瞬、この一時だけ俺は俺でいることができた。それがどれだけ当たり前で、大切なことだったか、いつしか俺は忘れてしまっていた。
「...ここで会ったのも何かの縁だ。もう少し...話しをしないか?」
「ええ、いいわよ。で、どんな話をするの?」
彼はそう言うと、少し息を整えてから口を開いた。
少しの暇つぶしと、単なる興味本位で私はそっと耳を傾けた。
「2年前、俺はとある場所で一人の少女に出会ったんだ。彼女と交わした言葉は数えるほどしかなかったが、今でも俺はその言葉を一言一句覚えている。彼女は力のない声で俺にまずこう言ったんだ。そんなに悲しい顔をするな、って」
「その時、何か悩み事でもあったんですか?」
「まぁ、そうだな。悩み事にしては規模が大きすぎる気はするが、まぁそんなところだ」
「その人は、きっと優しいんですね」
「...どうしてそう思う?」
「だって、初めて会った人にそんなことを言えるんですよ。優しいに決まってるじゃないですか」
「優しい...か...」
確かにそうだったのかもしれない。だが、彼女はもっと違うことを俺に訴えかけていたと思っていた。彼女は俺の姿を見て、まず最初に可哀想な人だと思ったのかもしれない。同情や哀れみ。その類の感情が彼女の心の中に芽生え、それが『悲しい顔』という言葉として現れたのだと。
だが、そうだからと言って俺は彼女を他の奴らと一緒に邪険に扱いはしなかったし、向こうも不思議と邪険にはしてこなかった。
「私にもそんな人がいたらよかったなぁ...」
「いないのか?君には」
「...うん。今は、もういないの。私に優しい声を掛けてくれる人も、私を頭から怒ってくれる人も」
「...そうか。今思えば、俺も既にそんな人間は一人としていなくなったな」
「私、お姉ちゃんがいたの。すっごく優秀で。小さい頃から、いろんなことを教えてくれて、すっごい優しいお姉ちゃんだった」
名は、御影 結。2年前のあの日から、一度として忘れたことがない名。そして、それと同時にあの日からの2年間、私は事件の発端とされるレイズ、そしてそれさえも崩壊させたと言われる穂村 仁に復讐を果たすためにただ殺意だけを磨いてきた。
EXスキル『スキルドレイン』を習得し、苦手だった忍術もマスターした。そして、あの穂村 仁をあと一歩のところまで追い詰めた。...はずだった。
「いたのって言うのは、今はもうこの世にはいないの。丁度2年前、事故で死んだの。お姉ちゃんとは4年前からずっと会っていなかったの。それも、最後は喧嘩をして別れて」
「それは...気の毒だな...」
「とっても些細な喧嘩だったわ。上京するっていうお姉ちゃんを何とか説得して村に残したいっていう私のほんと些細なお願いから始まったものだったの。一人前になったお姉ちゃんは一人で東京に行くと言うことは一番身近にいた私が一番理解しているつもりだった。だけど、いざ別れるその時になって初めて『行かないで』と思うようになった。私にとって姉という存在は、自分が思っていたよりも大きいものだったの」
「姉か。俺には兄弟はいなかったが、兄弟同然のような奴はいっぱいいた」
「へぇ、どんな人達だったの?」
今遠い昔の記憶になってはいるもの、鮮明に覚えているのは、単に俺の頭がいいだけなのだろうか?それとも、俺の体に埋め込まれたナイトブレスコアの"記憶メモリ"が記録として残しているだけなのだろうか?
海坂や他の仲間たちと村で過ごした時間は決して楽しい時ではなかったが、それでも尊い時間だったのは確かだった。少なくとも、剣を振るい、狂気に満ちたことは決してなかった。
「みんな優しい奴らだった。いつも笑ってる奴や無駄に知識が豊富な奴まで。うざったらしい言葉遣いのやつもいたし、人気の町娘もいた。そんな奴らが俺は誇りでもあった」
「活気のある村だったんですね」
「まぁそうだな。それで...」
「私の村は、他の街から『忍者の里』なんて呼ばれているの。その名の通り、忍術修行をする村なのよ」
「忍術...そんな村がまだこの日本に残っていたとはな」
「驚いた?これでも私は一端の忍者なのよ」
そう言って胸を張ってみせる。柱を境界線に背中を見せ合っている向こうにその姿は見えないはずだったけれど、それでも私は自分が忍者であることを誇りに思ってみせた。
お姉ちゃんも同じ気持ちだったのかな...。だとしたら、今の私は彼女に頭が上がらない。喧嘩をして出ていったお姉ちゃんにあれから一度も会わずに、私はついに彼女を失ってしまったのだから。
一言。たった一言だけ『ごめんね、いってらっしゃい』と言ってあげればよかったのだ。
「すごいんだな。君は」
「やめてよ。ちょっとは嬉しいけど、そんなに褒められると逆に恥ずかしいよ...」
「忍術か...」
確か、彼女もそんなことを言っていたような...。
「今でも、お姉ちゃんが死んだ事故、いいえ、事件はただのテロなんかじゃないって思ってるの」
「どうしてそんなことを言う?」
「お姉ちゃん...結姉は何者かに殺されたの...」
「殺された...?」
「だから私は...あの男を...穂村 仁に復讐を果たさなければならないの!」
ー 穂村...仁だと?!
彼女から発せられたその言葉に、驚きは隠せなかった。なぜ今奴の名前が出てくるか?
あの一瞬、あの一時の戦いで出会っただけの男に、何があるというのだ?俺はますます奴のことがわからなくなってくる。
だが、これだけは言えた。
「そうか...」
「...何も、言わないの?」
さすがにここまで言うとは思ってなかった。さっき会ったばかり、さっき話し始めたばかりの顔も知らぬ人にこんなに重い話をしてしまったと反省してしまう。
「ただ、君には、復讐者であってほしくない。そう、思うんだ」
「え?...どうして、そんなことを言うの?」
「俺は...俺も誰かに復讐するために生きてきた。だがな、俺はいつしか復讐者ではなく、守護者になりたいと思っていたんだ。だから、君はそうであってほしくないんだ」
「...それは...」
私の向こう側にいる彼も、また誰かへの復讐に燃える人なのだろうか。復讐者ではなく、守護者。誰かを傷つけるのではなく、誰かを守る為の力。それを私は持っているのだろうか。
私は訳もわからずここまで来たけれど、やり直すことができるのだろうか。考えても、今の私には思いつかない。思いつくことすらできないのだ。これまで考えることを放棄し、ただ力のみに集中してきたこれまでが有る限り。
「...すまない。言いすぎた。俺はあまり人の事情に首は突っ込まない性分のはずなんだがな」
「いいえ、そんなことありませんよ。むしろ、感謝しています」
「感...謝?」
「はい。...私、あなたの言う守護者ってのになれますかね?」
「......あぁ、そうだな」
慣れると断言するつもりはなかった。だが、彼女が俺と同じ道を辿らないように、ただそれだけを胸に秘めて言う。
「なれるさ、君なら」
「......ありがとうございます。なんか、勇気...もらいっちゃいました」
「勇気なんて大したものじゃないさ」
いつの間にか、雨は上がっていた。濡れた木々が陽の光を浴びて背伸びをしている。
ずっと心の中にあった黒雲がすっきり晴れたように、穏やかな空はささやかな邂逅の幕を閉じる。
「私にできること、探してみようと思います」
ナイトブレス、未知なるMRMMORPG『Night Carnival』は結姉を殺した。今ではほとどの人々がナイトブレスを使っている。一時は夢と希望のデバイスとまで言われていた。でも、それは同時に悪と陰謀の絶望のデバイスでもあった。
それでも、私は希望のデバイスであると信じたい。そう、願うことで、世界の何かが、私の内の何かが変わるはずだと。
「雨、上がりましたね」
「あぁ、そうだな」
「...そうだ。あなた、名前は...」
そうやって振り返ったが、そこにはもう既に誰もいなかった。
雨が上がったとある日の昼下がり。初めて私たちは出会った。顔も知らない。名前も知らない。でも、それぞれが何かを得て、前へと進む一歩を踏み出す。
その時から、私の心の中に、復讐者はいなくなった。
56話 邂逅 を読んで頂きありがとうございます。
次話は、57話 新たなる戦いの始まり です。
それは、決して交わることのなかった糸。希望を失った志士と後悔を覚えた復讐者は"哀愁"を口ずさむ。
次話以降もよろしくお願いします。




