54話 沈まないカゲロウ
彼女が放った衝撃の言葉を飲み込むのに、俺は数秒要してしまった。
「お姉…ちゃん?」
それが誰なのかは、心の中では既にわかっていた。
2年前の冬、イクリミナル砂漠で命を落とした少女、御影 結。それが彼女の名前だ。撤退の際、右肩を損傷し、俺たちを逃すために一人戦場に残り、その後消息を絶ったと言われている。特殊金属によって湧出した大量のモンスターを相手に生き残れる可能性は0に近かった。俺は最後まで彼女を見届けることができなかった。吹き荒れる砂嵐の中で、クナイに反射した光がその輝きを失ったのを知ったその瞬間、俺は絶望に落ちた。
イクリミナル砂漠で覚醒者である俺と結を消すのが裏切り者の神崎 士郎の目的だった。突如現れたテロ組織と言わんばかりの戦艦から現れた彼はいつものように陽気に俺たちに話しかけた。だが、その口から出てきた彼の正体と目的は、俺たち第一機動隊を絶望の淵へと叩き落とした。
そして、ずっと気づかずにいた1つの事実。
それは、遠い夏の記憶に残った唯一の悔恨に彼女が関わっていたということ。今から20年前、俺の親戚として俺を引き取ってくれた養父母の娘であるその少女は俺と森に虫取りをしに行き、帰りの家路で崖から転落。以後、消息不明となり死亡扱いとなっていた。だが、彼女の懐かしい風貌。そして、まるで俺を昔からずっと知っていたかのような口ぶりが、すべてを繋げた。
だが、それに気づいたのは彼女を本当に失ってからだった。
砂漠から無事に帰って来た俺がまず最初に向かった医務室には、彼女のものらしきクナイが一つ転がっていた。きっと唯の落し物だったのだろう。だが、それが俺の心を抉った。もっと早く気づいてあげればよかった。どうしてありがとう、そしてごめんと言えなかったのか。
結の妹と名乗るこの少女を前にしても、未だに答えは出ていない。
「ええ、結姉ちゃんは私の義理の姉。20年前に私の両親に村に流れる川の下流で流れ着いているのを見つけて引き取ったの。…そして、2年前の冬に…」
そこまで言って彼女は口を閉ざした。
「本当に…結の妹なのか?」
再度確認を促す。
「だから、そうだって言ってるでしょ!......うるさいわね。黙ってよ!!」
そう言って右手に持っていたクナイを投げつける。
俺は素早くそれを避けたが、かろうじて刃は俺の頰を掠ることに成功した。
情報を整理する時間は俺にはなさそうだった。彼女は本当に一体何者なのか。それさえも動揺が『嘘』だと思わせる。
依然として彼女、御影 風花は鋭利なクナイの切っ先を俺に向けている。
ー それにしても…なんで俺が彼女を殺したことになってんだ…
思い当たることはいくつかあるのは自分でも知っていた。だが、なぜそれを彼女が知っているのだろうか。
「…わかったから、まずはそのクナイを置いてくれないか」
今は彼女と剣を交わる時ではない。それに、このままではあの砂漠のときと同じ、ただの殺し合いになってしまう。もし、それで自分が勝つということにもなればそれこそ彼女に頭が上がらなくなる。
だが、彼女は様子を変えない。それどころか、さらに険しい顔になった。
「何?...同情?...何にもしらないアンタが知ったような口を聞かないで」
逆上させるつもりはなかったが、さすがにこのままでは終われなさそうだった。
「なら、そのナイトブレスでデュエルだ」
そう言って彼女の右手に巻かれているナイトブレスを指差す。
「何よ。クナイがそんなに怖いの?!」
「いいや、そういうことじゃねぇよ」
俯いてそう呟く。
すると彼女は態度を変えてナイトブレスを操作し始めた。きっとデュエルという提案に納得したらしい。
『デュエルを申し込まれました。許可しますか?』
ナイトブレスがぶるっと震え、小さなウィンドウが開いた。そして俺はそこから彼女について詮索してみた。
デュエルの申請。そこから把握できることは二つ。相手プレイヤーの名前と、主属性だ。5つに別れている属性だけは戦闘開始前に把握できるのだ。俺の属性は火。そして、彼女の属性は姉と同じく風だった。これは予想どおりと言えば予想どおりだった。
だが、注意しなければならないのは彼女の戦闘スタイルだった。抜群の運動神経と人並み外れた身体能力が御影 結の最大にして最強の武器だった。数十レベもの敵を相手にあそこまで登れたのは、『風の覚醒』以外にも覚醒している能力があったからだ。
忍者の里か何かとはぐらかせていたが、それは真実なのだろう。現に彼女の妹と名乗る御影 風花は俺の目の前で忍法なるものを見せつけたのだから。
『それでは、デュエルを開始します』
ナイトブレスからまるで俺たちの気持ちなんて考えてもいないような冷たい声が鳴り響く。
恐らく彼女のナイトブレスには特殊金属の発生の加工はされていないはずだった。それに合わせて、俺も特殊金属の発生は停止させておく。
静かな間が過ぎ去り、両者のナイトブレスから高らかな音が鳴る。
『3、2、1、ポーン。デュエルスタート』
デュエルが始まった。
途端、空気が弾け飛んだように彼女は突進してきた。さっきとは簡単には見分けはつかないが、確実に彼女の持っているクナイはナイトブレスによって作られた擬似ウェポンだった。それは、数年も本物と偽物を使い分けた者にしかわからない。
だからこそ、俺も本気で向かい合う。中途半端な試合をして彼女を説得できなかったら意味がない。ここはビシッと年上として威厳という者を…
だが、そう思うよりも先に彼女のクナイが俺を襲う。本物のクナイよりも軽くなったからか、さっきよりも格段に攻撃速度が上昇している。姉に負けず劣らずの速度だった。
ー 俺も負けてはいられねぇ…
右手から片手直剣を召喚する。
『リアライズ ストームスライサー』
風属性のランク6の武器だ。よく使う『ミッドナイト オブ ファング』はランク9の上物だが、こちらは攻撃速度が何倍か速い。他にも速度上昇のスキルが存在するが、基本的な要素は武器にかかっている。
緑色のラインが銀色の刀身に入っているその剣を右手に逆手に持って対抗する。
彼女も逆手であることを考慮したわけではない。それは、もう片方に持っている木刀の存在が理由だ。MRMMORPGナイトカーニバルには『二刀流』というエクストラスキルのようなものが存在している。それは片手剣のスキルマスタリーを取得したのち、とある条件をクリアすることによって解放させるものだ。だからこそ、それまでは剣を通常二つ同時には持てないのだ。だが、一方を逆手に持つことで機械の認識としては『短剣』扱いになり、かろうじて装備することができる。短剣とハンドガンはサブウェポンとして常時装備できるのだ。それ以外では、二刀流を装備した瞬間体を強く吹き飛ばされる。
だが、逆手に持った戦いにはあまり慣れていない。早く分解する必要があった。
しかし、彼女の猛攻は一向に治らない。目にも止まらぬ高速移動。体の軽さを活かした高速回転剣舞。さらには、多重武器召喚まで。短剣はサブとして扱える分、使いこなせれば多重に召喚し、装備せずに懐にしまうことができる。
彼女のクナイが一斉に緑色に光り輝く。属性スキルだ。彼女の周りに緑の風のようなエフェクトが現れる。だがそれは仮想の風であるからして実際には風は起こってはいない。
対抗するために俺も火属性のスキルを打ち込む。大きくできた彼女の隙を利用して木刀を分解する。
『デコンポーズ ウッドブレード弐式』
同時に『ストームスライサー』を順手に持ち替え、強く念じる。
ー フレイム ウィンディカービア!
風の武器を十分に活かせるスキルが『フレイム ウィンディカービア』だ。右手の剣を左肩に担ぎ、剣に付与された速度上昇を使って一気に振り下ろす。同時に付与される火属性によって弱点属性である風属性には効果抜群だ。
『フレイム ウィンディカービア』
ナイトブレスからシステムコール音が鳴る。
続いて彼女のブレスからも音が鳴る。
『スキルドレイン』
その言葉がイマイチよくわからないのも無理はなかった。なぜなら、俺はその言葉を知らなかったからだ。
ー スキル…ドレイン?
だが、疑問も置き去りに俺たち二人の体は高速で近づく。
そして、正体不明の技を使った彼女のクナイとオレンジ色の炎を纏った俺の剣が交わる。
「カルゥゥゥンン!!!!!」
軽い金属音が鳴り響く。
俺の剣は確実に彼女の胴を触れた。そして、彼女のクナイは恐らくただただ俺の剣に触れただけでダメージを一切与えなかった。それは顔の左上に浮かぶデュエル専用の体力バーが顕著に表していた。『Huuka』と表示されているHPバーは4割ほど減っているのに対し、『Jin』と表示されているHPバーは3割しか減っていない。さっきの攻防からの変動を考えると、俺へのダメージは0に等しかった。
だが、俺はここまで来てとある異変に気がついた。
ー おかしい。ダメージ0はありえない。確かに剣と剣が触れた音はしたはず。だったら、少なからず衝撃によるダメージがあるはず…
すると、その異変にドラゴンも気づいたのか、ようやく口を開いた。
『仁。今のスキルはまさか、スキルドレインではないのか?』
あのドラゴンでさえも動揺を隠せないようだった。
「あぁ、俺も今それについてあんたに聞きてぇとこだった。何なんだ?スキルドレインって』
すると、ドラゴンは恐る恐る話し始めた。
『スキルドレイン…対象の属性やスキルを一時的にコピーできる能力だ』
「な、なんだって…?」
ー そんなの、チート行為じゃねぇか…!
そして、彼女はゆっくりと立ち上がりほくそ笑んだ。
「これで、アンタも終わりね」
デュエルの制限時間は既に残り30秒を切っていた。
『仁!危ない。恐らく彼女の使ったスキルドレインによって私の力までコピーされている!!』
それは俺への死の宣告のようなものだった。
「それをあいつは?!」
『わからない。だが、今のままでは確実に…』
彼女が両手に持ったクナイを煌めかせる。その切っ先に臙脂色の炎がかすかに見えた。それは、彼女が一時的に二人目の『炎の覚醒者』になっていることの表れだった。
すると、彼女のナイトブレスから彼女の属性からはありえないシステムコール音が鳴り響いた。
『ファントム オブ デスクライシス』
火属性の属性スキル。そこに覚醒の力を加えるとなると、その威力は恐ろしい程になる。それを食い止める方法はただ一つ、火炎弾の中心にあるナイトブレスとオブジェクトを繋ぐ部分を断つことだ。だが、今からやってくる火の玉はただのオブジェクトじゃない。本物の火を纏った正真正銘の火の玉なのだ。触れれば火傷もするし、直撃なんてのは即死の可能性だってある。
今の状況を打開する方法さえも困難が立ちふさがる。
右腕に火の球を召喚した少女が叫ぶ。
「死ねぇ!!!!」
途端、火の球が手の中から飛び出した。火球はまっすぐ俺に向かって飛んでくる。
ー やべぇ…もう…無理か…
そう思った瞬間。
「シュピゴーーーン…!」
高速で突進する火の玉を横から一本の光の槍が貫いた。データの交換をしていた部分が破損し、火の球は一瞬で消えていく。
間一髪で俺は助かったのだ。いや、助けられたのだ。パーフェクトバーサーカーの相澤恵美に。
「恵美…」
その凛々しい立ち姿は昔と何ら変わりなくそこに存在していた。装備はしていないものの、右手に持つ特殊金属でできたレイピアの輝きが彼女を剣士にしている。
「大丈夫?仁」
心配そうな顔をこちらに向ける。
そんな顔は見たくないと、穏やかな顔で返事をしてみせる。
「あぁ、大丈夫だ」
崩れた体制を整え、もう一度彼女を見直す。
だが、彼女は俺ではなく、もう1人の侵入者の方を見つめていた。
「あなた、何者?」
その鋭い視線に恐れを感じたのか、黒衣の少女は身構える。だが、ここで引き下がってはいけないと思ったのか、少女は再び厳しい目をして返事をする。
「私は御影 風花。結姉ちゃんの義理の妹よ。あんたらにお姉ちゃんの仇を打つために来たのよ」
その言葉にさすがの恵美も驚いたらしい。そして俺と同じく、しばらく口を閉ざした。彼女の頭の中に巡る数々の記憶でどこまでが善行でどこからが悪行なのか。御影 結に関する思い出を思い出せば思い出すほど辛くなってくる。そして、自分をも復讐対象にしてしまいたくなる。
数十秒の沈黙を経て、恵美はようやく次の言葉を発した。
「すまないけど、今日のところは帰ってくれるかしら」
俺には予想できなかった言葉だった。
「は?今なんて言ったのよ」
突然の帰還命令に驚く少女。
「…帰って。また、今度...話…聞いてあげるから…」
その震えた声を聞いてさすがの彼女も動揺したのか、口調がおかしくなった。
「ちょっと、何言ってんのよ!あなた、突然現れて何よ!......まさか、あなたが相澤恵美ね!お姉ちゃんを見殺した…」
「いいから黙って帰って!!!!」
その言葉に過剰に反応した恵美が声を荒げる。
彼女の目には小さな涙が浮かんでいた。なぜそれだけしか出ないの?と思うくらいの小ささだった。だが、それが辛く思い一粒であることを俺は知っている気がした。
そして、黒衣の少女はそっと体を反転させ「そう」と小さく呟くと、ゆっくりと立ち去っていった。彼女の目にも滲むものがあったことを俺は見逃していなかった。それが、彼女の言っていることが本当であることの何よりもの証拠でもあった。
俺はそっと恵美の方に手を置くと、「さっきは助けてくれてありがとな」と一言言葉をかけて玄関の扉を開けた。
いつかは見つめ直さなければいけなかったのだ。それが今来ただけの話。遠い砂漠の地で失った何かは今でもずっとあそこで眠り続けている。それが誰かに受け継がれることは決してない。俺が犯した罪。恵美が犯した罪。隊長が犯した罪。それぞれが互いに交差しあう時、物語はやっと終焉を迎える。
自然と右の拳に力が入った。悔しくて仕方がない。
自分に対して…
54話 沈まないカゲロウ を読んで頂きありがとうございます。
更新がはたまた遅れたこと深くおわびします。
次話、55話 天谷鳥 は、明日(5/8)予定です。
それは、決して交わることのなかった糸。希望を失った志士と後悔を覚えた復讐者は"哀愁"を口ずさむ。
次話以降もよろしくお願いします。




