36話 漆黒の空白
長時間に渡る恵美の銃の指南による体の疲れをケアしに、俺は医務室に向かった。といっても、ただ愚痴を吐きに行っただけと言われれば否定はできない。
真っ白な医務室はいつも閑散としていて、神崎さんがいなければお化けがでないかと思うくらい静かで暗い。だが、暗いと言っても、昔の人が言うような暗さではない。機械についているLEDや照明は綺麗に光り輝いているのだ。寂しい、というか、この医務室だけはまた違う世界のような木がするのだ。
だが、それがまた心のケアにもなるのだ。別世界とはまた随分メルヘンチックな言い回しだが、それに興味や関心、夢がないと言うわけではない。
俺はいつも通り並んだ椅子の中から一番ボロいものに座る。数ある椅子の中でも、このボロい椅子は唯一自分のいるこの世界と医務室という別世界を繋ぐものであるような気がしていた。
まだ神崎さんはいない。外出でもしているのだろうか。暇を持て余した俺は医務室を見渡す。
改めて見るとここは医務室とは言えないくらいの設備が整っていた。わかりやすく言うとするならば、ここは人のケアもするが、機械のケアもするということだ。決してメンテナンスという意味ではない。もっと大切な何かをケアするのだろう。
ー 例えば、覚醒者のこととか...
自分が『炎の覚醒者』と言われたのも、思い出せばここだった。
部屋のベットに寝かされていた俺は、かすかな違和感を感じ、長い眠りから冷めた。
そしてそこにいたのは、神崎さんだった。そのときはまだ名も知らない、ただの医者だった。そう、俺が勝手に思っていた。真っ白な白衣を身につけ、陽気に事を話す神崎さんがとても不思議でおもしろかった。
同時に俺は、ここで結に出会った。『風の覚醒者』と言われる彼女は、もともと忍者の村に生まれたと言っていた。今ではただの悪友になりかけているが、彼女は唯一の俺の理解者でもあるのだ。
覚醒者とは、言ってみれば人間ではない。通常人間では出せない炎や風などを出せるというのは、ゲームやフィクションの世界では特殊としてヒーロー扱いになるが、現実世界のここではそれはただの差別の対象になる。
人種の争いは今でも続いている。それは、肌の色の違いや国籍とか出身だけの問題ではない。近年、テクノロジーの発達によりクローン人間が開発されるとも言われている。
もし、本当にクローン人間が生まれたとして、人々はそれを人間と見るのだろうか。少なくとも俺は見れない。断言してしまうのもまた違う気もするが、そうなってもおかしくない。仕方がないと言われればそこまでだろう。
一体覚醒者なんてものは、どこで生まれ、どうやって作られたのか知りたいものだ。
数年前に人体実験が起きたというニュースが世間を騒がせた。国によって情報の流出は一切なかったが、その後実験にあった人の中で奇怪な行動をすると噂になり、おおまかなことが公表された。
俺は感情が高まると、覚醒して炎を出すようになるらしい。怒りや悲しみ。様々な感情がキーとなり、俺は力を発揮する。
最初のとき、俺は自分の溢れ出す不安と恐怖の感情に負け、自己を失った。
そしてそれを結に助けてもらったのだ。あのとき投げつけられたクナイの傷跡は今でも少し残っている。それを何回も誤ってくるところを見ると、結も悪い奴ではないことは確かだ。
ー それにしても、神崎さん遅せぇなぁ...
医務室に入ってから既に10分が経過していた。こんなに待たされるなら来ない方が体のケアになるのだがと思った。
が、そのとき、すーっと医務室のドアが開き、一人の白衣を着た男が入ってきた。
その無精髭を撫でる仕草は彼の癖だ。
「おぉ、仁君ではないか。こんなところに急に来て、どうしたんだい?」
なぜかその表情は放った言葉とは裏腹に落ち着いていた。
「あぁ...まぁ、ちょっと愚痴りに来ただけさ」
包み隠さず俺はありのままの用事を伝えた。
「ほう、それは是非聞いてみたいものだ。...で、何かな?その愚痴とは」
興味深そうに彼は自分の椅子に腰をかける。椅子を回転させ、まずは自分のパソコンを起動させる。ファンが回る音が聞こえてくる。そのパソコンが実は2010年のものであることは、俺と結しか知らない秘密なのだ。
「なぁ、何回もくどいようだけど、なんでそんな昔の機械を使うんだ?もっと最近はかっこいい、使いやすいものがあんだろ」
すると、神崎さんは進めていた指を止め、椅子をもう一度反転させてこちらに向き直った。
「ん...まぁそう言われれば反論の余地はないけど。あれかな?レトロなのが好きなのだ。これに慣れているというか、変に未来的なものは嫌いなんだ、僕は」
未来的という言葉に少し引っかかった。確かにこのパソコンができたころから考えれば未来的とも言えるが、それは昔の話だ。今になってはそれは未来的ではなく、現実的なのだ。
何はともあれ、神崎さんはいつもそう言って古いパソコンを使う理由を詳しく教えてくれない。
「それは置いといて、最近の調子はどうだい?」
俺は彼から率直に聞かれた質問に答える。
「そうだな...問題がないと言っておいた方がいいのかな?特に何もないが」
腕を組んでこれまでのことを思い出してみる。だが、一向にトラブルは起こってはいない。
「それはよかった。カルテに付け足しておくよ」
そう言って彼はデスクに向き直り、パソコンの新しいタブを開き、俺のカルテを表示させる。そこに、『現状問題なし』と書き足した。もうすぐページが切り替わるようだ。ちょくちょく俺の記録を取っているようで、カルテは既に3枚目に突入していた。もうすぐ4枚目。
ー どんだけ多いんだ。俺の情報は...
それだけ彼が俺に興味を持ってくれていることにそこまで嫌悪感は抱いてはいないつもりだった。
「いやぁ、それにしても、君があの相澤上級管理長を負かしたと聞いた時は驚いたよ。稀なことも起こるものだってね。僕はずっと期待していたんだよ。君がもしかして、彼女の悩みを吹き飛ばしてくれるんじゃないかって。まぁ文字通り、吹っ飛ばしてくれたのだけどね」
デスクにあるコップを手に取り、そのまま口のところまで持ってくる。そんなところに飲み物なんてあったのかと俺が驚いた。
「でもあの時は大変だったんだよ。君たちがあのあと、屋上でランデブーしてくれたおかげで、所内は大騒ぎ。秘書の桐山くんの怪我の治療にはかなりの費用と時間がかかったんだよ」
「ランデブーって...神崎さん。それはあまりにも大げさすぎやしないか?」
「あはは、本人にそう言われちゃ黙っておくしかないね」
そう言って彼は頭を掻く。
「...そうだ。それで、君の愚痴というのは何なんだい?」
話をだいぶ逸れてしまってしまっていたのに俺も気づいていなかった。
「そうだった。聞いてくれよ、神崎さん。実はさ...」
俺がそう話をしようとした時だった。
『ピーーーッピッ 緊急事態 緊急事態 すぐに第一機動隊は待機室に集合するように』
CODからの出動命令だった。
「おやおや、出動命令が出たみたいだね。ほら、早く行ってくればいい。話はいつでも聞くからさ」
神崎さんの優しい一言に背中を押され、俺は医務室を後にした。
「あぁ、じゃあまたな。神崎さん」
部屋を出ようとしたしたそのとき、ふいに神崎さんが口を動かした。
「そうだ、仁君。これからは神崎さんじゃなくて、神崎って呼び捨てにしてくれてもいいからね」
突然のことに俺は訳もわからず、ただ"うん"と頷いて部屋を出た。
医務室を出て、急いで待機室のある北棟に向かう。
その長い廊下を走る姿をもう一度見た人は、誰もいなかった。
36話 漆黒の空白 を読んで頂きありがとうございます。
久方ぶりの神崎さんの登場。実は彼はずっと働いていたんですよ。見えないだけで。あんなことからこんなことまで。
そして突然の緊急命令。これが彼らの運命を左右する重大な任務とは知らず、彼らはまた剣を抜く。
次話、37話 星のある夜に は、明日(3/16) となります。
『Night』編、それは真実の物語。
次話以降もよろしくお願いします。




