32話 陽はまた昇る
私を覆うように現れた黒い影からは仄かな熱を感じ、悴んだ手を温めた。
突きあげた拳は炎を纏い、男の顔面を殴りつけていた。
衝撃により男の手から離れたナイフは宙を舞い、遠くに落ちた。
そして、私の上を回転していた青い剣も、徐々に速度を落とし、頭上へと落下してゆく。
だが、それは私の頭の上で彼によって静止した。伸ばされた手がしっかりと剣の柄を握っている。
「お前の剣、しっかり受け取ったぜ」
夕日に向かって立つ彼の姿は真っ黒に染まっていて見えなかった。でも、優しい目で私を見る振り返った顔だけは、脳裏に焼き付いた。
力強く握られた青い剣は夕日を浴びて臙脂色を帯び、切り立つ山々へと光を反射している。尖った切っ先が地面に刺さりそうで刺さっていない。
風になびく黒衣が光を遮り、地から湧き上がる雫が宝石のように煌めく。
「先輩...」
彼がうっすら笑う。
「んだぁ?」
男らが怒り心頭で向かってくる。
彼は私にしか聞こえない声で囁いた。
「何が正しいとか、間違ってるとかじゃない。自分の信じることが正義と信じれればいい。里香は、十分持ってるさ...」
右手に持つ剣を勢い良く肩に担ぐ。
「まだ俺も持っていない...本当の強さってやつをな」
その言葉が私の体を刺激していく。ずっと欲しかった何かを、そのとき私は彼から受け取った気がした。
私が作り上げた剣、彼の持つ剣が炎に包まれていく。そして刀身は黄色に輝く。
「行くぜ...」
視線が私から逸れ、まっすぐ男らを捉える。
傾いた太陽からの光がナイフに反射する。
途端、力強く地を蹴り、彼は身を乗り出した。
橙に染まった夕焼けの剣は火の粉を上げて彼の肩から離れる。
男たちはその異様な光景と、彼の神速にも及ぶ華麗なステップに思わず立ち尽くす。
ー 片手剣汎用スキル 『ダンシング フルクラム』
燃え上がる刃は彼らの体を掠めもせず、それでいて、体側を這うように移動し、真っ赤な炎の輪を二人の男の周りに生み出した。
二人目の左足の側を通りかかった剣尖は彼の中段のところで停止し、左手に握られた臙脂色の剣は、太陽と共に影に隠れた。
視界が暗くなると同時に、二人の男を囲む炎の輪っかが音を立てて消えていく。じゅゔぉっという焦げるような音がなんとも生生しく、それが本物の火であることを顕著に表していた。
明かりを失い、一段と暗くなった山道には突然の剣舞に驚く間も与えられずただ唖然と立ち尽くす男が二人。そして、闇夜に溶け込むような真っ黒な黒衣と僅かな光さえも受け止める晴天の剣を持つ男と、私がいた。
曲がった右足をもとに戻し、左上に上げた剣を腰のところに持ってくると、鞘にそれをしまいこんだ。彼はそのまま後ろを振り返ると、一目散に腰を抜かした泥棒二人組に元へ行き、手錠を掛けた。
「ったく、ヒヤヒヤさせあがって。えーっと...この場合、窃盗及び殺人の罪で現行犯逮捕だっけ。...あ、こいつら人殺してないや。つか、俺らも死んでないな」
一体、どの口からそのような呑気な冗談が出てくるのだろうか。
先輩はニカッと私を見て笑ってみせると、手に持った手錠を持ち上げて、私に言いつけた。
「里香。こいつらの搬送、手伝ってくれ」
いつもなら私が言いつけるはずの言葉。そんなイレギュラーなことがまた堪らなく嬉しくも感じた。
「先輩ったら...はい!わかりました」
「了解しました。こいつらは、こちらの署で引き取りますので、お二人は今日のところはお帰りください。どうもお勤めご苦労様でした!」
孔丘山を無事降りた私たちは、最寄りの警察署に立ち寄り、捕まえた二人の強盗犯を引き渡した。この辺りで最近頻発していた窃盗団の一味らしかった。これで組織の情報が洗い出せると署長が喜んでいた。
そして、それを捕まえた当の本人はニヤニヤ頭を掻きながら面目もないような満足な顔でずっと喋っていた。
だが、その間も、ずっと彼は腰に私の剣を携えていた。
時計を見れば、時間はとっくに21時を過ぎていた。今日中に本部の自分の部屋には戻っている予定だったが、途中で事件に巻き込まれて予想以上に時間を食っていたようだった。
ナイトブレスのディスプレイから視線を外すと、隣でぼおっと夜空を眺めている先輩に話しかけた。
「先輩。まだその剣、出してるんですか?」
そう言われてやっと彼は初めて私の方を見た。
「あ...あぁ、まぁな。...結構、嬉しくてな。自分専用の剣ができたってのはさ」
そう言いながら先輩は立ち止まり、鞘に左手を添えると、勢い良く右手で剣を抜いた。
高い金属音を立てて現れた彼の剣は、原材料になった『碧天石』の持つ特有の色彩を持ち、その色はまるで雲ひとつない青空のようだった。
「そうだ、先輩。その剣の名前、何にするか決めたんですか?」
彼は首を傾げて悩む。
「ん....そうだなぁ~。...そうだ!」
しばらく考えてから、彼はハッと閃いたように顔を上げた。
「青空の剣、スカイソードなんてどうだ?」
「え....」
なぜ彼が私と同じような感覚をこの剣に持っていたのかは知るよしもなかった。でも、それこそがミステリアスでファンタジーなようで、私の心を疼かせる。
「ん?どうかしたか?何かおかしかったか?このネーミング」
そう問いかける彼に私は被せて質問する。
「...先輩。...なんで、スカイソードなんですか?」
至って単純で当然な質問に、彼は驚く様子もなく答える。
「それはな...ただ色が空の色と同じだったからだ」
あまりにも単純な理由に思わず拍子抜けしてしまう。
「え!?たった、それだけで決めちゃうんですか?」
どうして、もっと他にいい言葉はなかったのかとつい否定してみたくなってしまう。
「いいじゃねぇか、別に」
そう言って彼は拗ねたようにそっぽ向く。
「なっ...それに、それなら今この剣は、水色じゃなくて、どちらかといえば紺色に近いですし、これは青空じゃなくて夜空の剣ですよ!」
すると、先輩は急にこちらを向いて反論してきた。
「それを言ったら、さっきの戦いの時は、この剣夕日に照らされてオレンジ色になってたから、夜空の剣じゃなくて夕日の剣になっちまうじゃねーか」
言い出したらキリがない戯言に花を咲かせる。
思わず吹き出してしまう。
「ぷっ、あははははっ...」
何を言うのか、それでは総括すると、
「やっぱり、名前はスカイソードになっちゃいますね」
先輩に問いかける。
「あぁ、そうだな」
そう言って、彼はまた夜空を見上げる。そのまま、彼は口を開いた。
「なぁ、里香。夜は怖いか?」
突然の質問に驚いて、素直に答える。
「まぁ、怖くはありませんが、小さい頃、夜は怖かったです」
すると、彼は視線をそらさずに真っ黒な空を見ながら続けた。
「俺は、今でも怖いんだ。この果てしなく続く夜空が、この先一生俺の頭ん上に居続けるのかってな」
その言葉の意味がすぐには私にはわからなかった。
「でもな。今の夜空が明日も来るように、明日の朝になれば、また綺麗な青空が出て来るんだ。俺はな、毎日夜が来るのを恐るよりも、また明日気持ちのいい青空が来ることを信じてこの空を眺めるんだ」
彼の言葉を最後まで聞いて、私は私なりに自分の中でその言葉を消化した。
ー 私も、自分の信じるコトを信じなくちゃ。誰かに言われたから実行するんじゃない。私が信じた道を私は歩いて行かなきゃ。
「そうですね。先輩の言うとおりです。明日を信じて、前に一歩踏み出すことが大切なんですね」
「あぁ」
真っ黒な夜空に光る星が二つ。
もし、あの剣が彼の信じる青空なら、戦いの最中見せた、あの夕焼けに染まる刃は、彼の迷いの象徴でもあり、明日への希望なのだろうか?
夕日に立ち向かって剣を振るった彼の姿を、今でも私は覚えている。
32話 陽はまた昇る を読んで頂きありがとうございます。
これにて『HeartSword』編、完結となります。
アシスタントとして呑気な彼を支える彼女と、一介の女子として彼に密かに好意を抱く彼女が混じった里香は、最後に何を思うのだろうか。
次話、33話 前夜祭 は、明日(3/11) となります。
ついに衝撃の展開が!? 『Night』編、始動...
次話以降もよろしくお願いします。




