27話 あの日の記憶
真っ暗な闇の底から、力一杯にまっすぐ伸ばした手が天からの斜光を幾度となく遮る。真っ暗な闇が背後から俺を飲み込んでいく。幾つにも羅列した言葉が脳を駆け回る。
ー もう、後悔はしたくないんだ...
伸ばした手は一体どこに繋がっているのだろうか?光は正義と判断し始めたのは一体誰からなのだろうか?
だが、俺はただただその光に向かって手を伸ばす。全てを振りほどいて。これまでの全てを振り返って。
もう戻ることのできない日々。できることなら...
「先輩!!...ねぇ先輩!..................もう!!先輩ってば!!」
耳元で叫ばれた声にびっくりして体がビクッと動く。
「あ、あぁ、ごめん。里香。ぼぉっとしてた」
謝ったものの、まだ少女の頰は膨れたままだった。
「もう、すぐそうやって全然違うところを見てるんですから。...もう知りません!」
プイッと顔を背ける。
「ごめんって。お願い、許して!お願い!」
そう言って手の平を顔の前で合わせて伏せる。
数秒間の後、こちらを一瞥した彼女が俺の反省を了解したのか正面に向き直った。
「もう、先輩ったら。次はないですよ」
後輩ながらも、腕を組んで上から目線でママっ子な彼女がふと本当の母親に見えてしまうときがあって怖い。
彼女、天宮 里香は俺の初めての後輩にして、俺のもろもろの専属メンテナンス隊員である。後輩と言っても、ただ年齢が下なだけで、レイズに所属している期間は彼女の方が上だ。だが、彼女の仕事の役割上、俺は彼女を使い、彼女は俺に使われる関係なので、こうして先輩、後輩呼びになっているのだった。
ショートカットのヘアにいつも花の髪飾りをつけているのが特徴。ふんわりした髪の毛は一度くらい撫でてみたいものだった。くりっとした目でよく俺に話しかけてくる。身長はやや低めで、妹っぽい立ち位置のはずなんだが、性格上、常に俺に対してはお姉さんキャラになってしまうのだ。
そんな彼女が時折全てを忘れて見せる無邪気な少年のような笑顔が俺のハートを貫きかけたことは一度や二度のことではなかった。
彼女の仕事は俺のナイトブレスを始めとする機器の管理と、戦闘の際のアドバイスやスケジュールの確認、とまるで秘書のような役回りだった。正式名称は、確か『プロフェッショナルアシスタント』か何かだった気がする。よくは覚えてはいない。
だが、彼女は俺の身の回りと安全面を常に大切に思ってくれている優しい奴なんだってことは俺も承知である。
永遠に続かんばかりの空を見ながら惚けていた俺に喝を入れた里香は、ゴホンと咳払いをするとさっきまでしていた説明の続きをし始めた。
「いいですか?ちゃんと聞いておいてくださいね」
小さく頷く。
「ええ...っと、どこまで話しましたっけ?......あっ、そうだ!オリジナルの片手剣を作る為に必要な素材についてですよ!」
勝手に自分で悩んで、勝手に自分で納得して、彼女は話を続ける。
「それで、素材についてなんですけどね。先輩の言うスピード重視の片手剣には、それなりのレア度の高い鉱石情報が必要で、今回提供してもらおうと思っている鉱石情報は結構なincが必要なんですよ。えーっと、5万インクくらいですかね。それでそれで、武器を作るに当たって、先輩にやってもらいたいことがあるんですけど。次の休日に孔丘山に行ってほしいんですよ。勿論私も同行させてもらいますよ。先輩を一人にしておくとロクなことがないですから..........」
頭から尻尾までしっかりとした説明を続ける里香の話に、度々嫌気が差すときがあったが、今となっては、それもまた一興と勝手に雑音扱いして聞き流してしまう癖が出てからは、彼女に怒られっぱなしの日々である。
真剣な表情で力説している里香をよそに、俺はまたぼぉっとしてしまっていた。
ー あぁ、こんな毎日なら、俺、このままでいいかな...
安易な死亡フラグを立てたところで、里香が俺の異変に勘付く。
「...先輩、ちゃんと聞いてますかぁ?」
少し屈んで俺の顔を上目遣いで注視する彼女に俺は慌てて答えた。
「あ、あぁ!聞いているさ、ちゃんと!...あ、あれだろ?結論としては、今週末に孔丘山に行こうってことだろ?グリップの素材情報と純度の高い鉱石のデータを直で摂る為だろ?」
俺の言葉を受けて里香は少し納得したかのような表情で元の姿勢に戻る。
ー なんとか切り抜けたか...
里香はその報告を終えると、残っている他の仕事を片付けると言ってデスクを離れた。
立ち去る里香にふいに声をかける。
「なぁ、里香」
よどみなく進んでいた足がピタッと止まる。
「はい。何ですか?先輩」
振り返った彼女に詫びの一言をかけてみる。
「...あぁ、その髪飾り、可愛いな」
だが、里香はうれしい表情一つ見せず、ぼそっと「ありがとうございます」と無愛想に呟いて走って出ていってしまった。
ー え、俺今何かダメなこと言った?...
俺は一人、ポツンと自室に一人取り残された。
寒々とした廊下を全力で駆け抜ける。だが、今はそんな寒々しい廊下も暑く感じてしまう。
両手に抱えた資料を落とさないようにしっかりと持つ。
揺れるショートカットの髪が目に被る。頭についた髪飾りを執拗にいじる。
ー もう、先輩ったら...
先輩が私へ放った一言に、私は不覚にも激しく動揺してしまっていた。今の自分の顔を先輩に見られたら、きっと昇天してしまいそうだった。
赤面する顔を小刻みにゆすって冷静になってみせる。
「...この髪飾り、孔丘山に行く時も付けてこよっかな...」
今日つけてきた髪飾りは私の一番のお気に入りのものだった。大きなピンクの花びらに黄色のボタンがついた小さなものだった。それは昔、お母さんが唯一誕生日に買ってくれたプレゼントだった。
私が生まれてすぐにお母さんとお父さんは離婚してしまった。母方に引き取られた私は子供の頃はずっとひとりぼっちだった。母子家庭だったから、お母さんはずっと仕事しっぱなしで、全然かまってはくれなかった。
それでも、時々一緒に遊んでくれるお母さんが大好きだった。
でも、そんな生活は長くは続かなかった。
ー ...嫌なこと、思い出しちゃった。
思い出した過去の暗い思い出を振り払って前を向く。
ー 先輩なら、きっと私を置いてどこかへ行ってしまわない...よね...
今年の5月にレイズ本部に配属が決まったときはすごく嬉しかったのを今でも覚えている。一体どんな人の元に使えるのだろうとわくわくしていた。
私の職業、役目は『プログラミングアシスタント』というレイズ隊員の生活面の管理とナイトブレスのメンテナンス、装備やアイテムの事前調達などを行う仕事だった。まるで秘書のような仕事だと最初に思っていた。
そして、待ちに待った後期入隊式。隊員ではなく、事務員やアシスタントなどのサブに回る人達の入隊式は少し遅く執り行われる。
私が配属となったのは、レイズ本部で最も強いと言われているチーム、第一機動隊だった。ここへの配属はアシスタントを生業にする者の中ではトップクラスの配属先だった。
みんなからはおめでとうとこれまでかっていうくらい言われた。
でも、私が専属となった人は、噂とは程遠い人だった。
彼の名前は穂村 仁という。片手剣強襲型で炎属性を得意とする近接戦闘の男の人だった。でも、戦闘経験は1ヶ月未満で武器はまだ初期装備レベルで、どうして彼がこんな最強チームに配属されているのかなんてわかりもしなかった。
でも、それから半年間面倒を見ていれば、それなりの愛着や慣れもあった。
まさか、それがいつの間にか違うものに変わってしまっていたのだとしたら、それは私の一生の不覚であり、私に初めて与えられた心の隙間だった。それが幸福なのか、不幸なのか。今になってはその判断は私にはできなくなっていた。
静けさに満ちた廊下を全力で駆け抜ける。
ー こんな思い。レイズの隊員にはいらないはずなんだ。もっと、もっと、強くならなきゃ...
先輩を除くほとんどのレイズ隊員はとても冷たく、自分のこと以外は無関心な人ばかりだった。そんな人に私はなりたいとは思ってもいなかった。
でも、先輩と触れ合えば触れ合うほど、彼らが氷のように冷たく見え、先輩が太陽のように見えた。
いつか、いつの日か、私が彼らのように冷たくなったとき、先輩は相も変わらずいつものように接してくれるだろうか。
私はそれが怖くて仕方がなかった。レイズの隊員であるようにあろうと思えば思うほど、先輩が遠くへ行ってしまいそうで恐ろしかった。
窓から差し込む陽光に照らされた廊下は、いつの間にか寒さを掻き消していた。
27話 あの日の記憶 を読んで頂きありがとうございます。
第3章 過去編-暴かれし真実-がスタートとなります。
仁のアシスタント係の里香と仁の話『HeartSword』編となります。
次話、28話 希望峰 は、明日(2/28) となります。
次話以降もよろしくお願いします。




