20話 事実
海坂 真古登と名乗るその男が俺たちに依頼しに、相澤邸に来てから30分が経過していた。
先ほどのお調子者のような雰囲気は今や見る影も無かった。真剣な眼差しは俺たちに言葉にできない何かを訴えていた。
海坂を居間に通し、座布団の上に座らせる。事情を恵美から聞いた紅葉が丁寧にお茶をお盆に乗せて持って来る。
「いやいや、そんなに急に気を使わないでくれよ」
言葉はいたって先ほどまでと変わりはしなかった。
だが、紅葉が居間を立ち去り、海坂の頼みで恵美も退室した後、空気は完全に変わった。
そっと出された茶碗を片手に取り、中のお茶をすする。整えていない無精髭にいくつかの水滴がついているのが光の反射で見える。
茶碗をコースターに戻し、海坂は両手を体の前で組んだ。
「...」
しばらく沈黙が続いた。
庭から入ってくる隙間風が頰をかすめる。建てられてから何十年も経つこの家は決して豪邸ではなく、ところどころ壊れているところがあった。
居間に敷き詰められている畳はやけに新品の匂いがする。正座する足の指に畳のささくれが時々引っかかった。
突然、ふぅっと荒い鼻息をしたと思えば、海坂はようやく口を開けた。
「頼みごとってのは、こないだアンちゃんともう一人の男が倒した奴についてのことなんだ」
その言葉に俺の体が反応する。まるで、その言葉を待っていたかのようだった。
思わず返答する。
「あの怪物がどうかしたのか?」
すると、海坂の顔に悲しい表情に変わった。
「はぁ...あいつもとうとう怪物呼ばわりってか...悲しいもんだな」
しばらく彼の言っていることがわからなかった。
だが、俺の戸惑いに関係なく、話は進められていく。
「実は、あいつは本当は怪物なんかじゃないんだ。元は、お前たちと同じ、人間だったんだ」
今度こそさっぱりだった。
この世はSF小説の世界ではないのだ。いくらMRの技術が進歩したからって、人間がVRモンスターになるわけがない。もっとも、現にナイトブレスは10年前まではSF小説の常連のような存在だったのだが。
俺は困惑した表情を見せ、そのまま海坂の言葉に耳を傾けた。
「...まぁ、すぐに信じてくれとは言わない。でも、これは本当なんだ。嘘なんかじゃない」
彼の真剣な口調とさっきまでの呑気さに少なからずもキャップを感じ、俺は信じざるを得なかった。
だが、続けて彼が口にした話は、すぐには受け入れられなかった。
6年前、俺が住んでいた山村でとある事件が起きた。それは、小学生を始め、高校生や大学生、最後には大人までをも含んだ大量失踪事件だったんだ。決してそれは同時に起こったのではなく、一人、また一人と村から人が消えていったんだ。
信じられるか?つい昨日まで一緒にいたはずの友人が、次の日にはいないんだ。どこへ行ったのかもわからない。親にも親友にも連絡せず、忽然と姿を消しちまったんだ。
1ヶ月をかけて、俺が住んでいた村の人口の半数が失踪した。
地元の警察もすぐに動いた。だけど、なぜか警察でさえも何の手がかりも掴めなかったんだ。
おかしいと誰も思ったらしい。
「『らしい』って、どういうことだ?」
「らしい」って?そうなんだ。らしいんだ。
実は、実際に俺はそれを聞いていないんだ。俺はそのことを後から聞いたんだ。
俺もその失踪した人たちの内の一人だったんだ。まさに、奇跡の生還ってやつと呼ぶべきかな。
だが、人生そんなに甘くねぇんだ。俺も無事で戻ったわけではないんだ。
「まさか...」
あぁ、その通りだ。あいつも俺と同じ、失踪の生還者だ。だが、それと同時に俺もあいつと同じくアンちゃんの言う『怪物』ってやつなんだ。
なぜ俺たちが失踪したか、アンちゃんにはわかるか?
「...いや、わからない。...まさか!そこで改造手術でもされたってのか?」
ご明察。まさにその通りなんだ。
「...」
おやおや、そんなに怖い顔しないでくれよ。俺はこのとおり、元気100倍さ。
まぁ、俺のもう一つの姿を見たらそんな悠長なことも言ってられないのも無理はないがな。
俺も最初鏡で自分の姿を見た時、恐ろしくて鏡を素手で割ってしまったよ。
...あぁ、ここからは俺の独り言として聞いてくれ。
正直、気持ち悪かった。鏡を割ったそのとき、とてつもなく吐き気がした。単なる気持ちの悪さじゃねぇ、自分の体が自分でなくなった気がして、それと同時に鏡の向こう側の自分がもしかしたら本当の自分じゃなかったのかって、不安で不安で仕方がなかったんだ。怖くて、怖くて。少しも考えてくなかった。
「...お前らって..」
あぁ、すまねぇ。独り言が過ぎたようだ。
そんなこんなで、俺たちが何でそんなことになったのか、わかるか?
「いいや。わからない」
アンちゃんがあいつと戦った時、あいつは何でできていると思った?
「...ナイトブレスだ」
ほほぉ、そこまでわかっているなら、こっちもわかってんじゃねぇのか?
ん?その顔は、わかったようだな。
そう、俺たちはナイトブレスの開発において、実験台になった犠牲者なんだ。
「そんな......」
まぁ、最初に言った通り、すぐには信じなくてもいい。
だが、聞いてほしいんだ。俺の仲間がこれからすることを。実験台とは何なのかを。
今でこそアンちゃんらはナイトブレスを難なく使いこなしているようだが、15年前まではそんなものは夢のまた夢だったはずだ。『瞬間空間造形技術』と俺たちは呼んでいる、今でいう『召喚』は、文面上では窒素を変異させて金属や布にしているという。
だけどな、そんなのおかしいとは思わないか?何百年も前に成功しようとしたが失敗に終わった科学的常識である錬金術のようなものがあっさりと大成しちまったんだ。
ほとんどの奴らはこれをMRと称して納得しているようなんだ。
「あぁ。俺もずっとそうだと思っていた」
仮想世界に自分たちが没入するのがVR。現実世界に仮想世界を重ねるAR。そして、現実世界と仮想世界の混合された、VRとARの中間がMRだ。
元々MRなんて言葉は15年くらい前に大々的に知られ始めた言葉なんだそうだ。まだ俺たちが平凡な日常を送っていた頃のことだ。
そんな日からたった数年でMRを超えたものが実現したんだ。どんな技術を使ったのかは俺らにもわかんねぇ。
でもな、その理由の中に俺たちの人体実験がある。
今でこそ子供から老人までが使えるナイトブレスだが、常識的に考えて、窒素を変異させて金属や布にするなんて馬鹿げている。
錬金術などがたった数年で大成するわけがないんだ。それも、世界各国が口を揃えてナイトブレスを導入し、たちまち普及させたんだぞ。
そんな危険性100%の機械を使えるようにするには、何回もの試行が必要だった。そこで浮き上がったのが、人体実験だった。
人間に適応させるために、俺たちは実験体として毎日ナイトブレスの実験道具として使われていたんだ。
内容はいたって簡単で、全く辛くもなかった。だが、なぜかその時の記憶はないんだ。そして、俺たちは当時、それがおかしいと思ったり、なんで自分はここにいるのかすらも忘れていたのだ。たとえ隣に大親友がいたとしても、きっと全く気付かずに日常というものを送っていたのかもしれない。
だが、そんなある日。俺たちを閉じ込めていた研究所の重要な施設で異常が起きたんだ。
途端、俺たちは昔の記憶を思い出したんだ。家族や友人、自分の出身地までな。
だが、そのときはもう遅かった。
俺たちの体は既に、ナイトブレスで召喚されるモンスターと同じような原理になっていたんだ。
混乱した中、監禁棟の壁が誰かにぶち壊され、俺たちは言われるがままに外へ出たんだ。
その時、俺たちを先導してくれた奴らが数人いたんだ。今でも忘れない。あいつらがいなければ俺は今ここにいない。
だが、無事生還した人たちは二つのグループに別れちまったんだ。
一つは、研究所をはじめとする俺たちをこんな姿にした奴らに報復すること。
二つは、元の人間と同じ姿を維持して、これまでの日常を送ること。
二つに分かれた生還者達はそれぞれの道を進んだ。誰も双方を止めようとはしなかった。だって、どっちもどちらもしたかったからだ。だけど、それは同時には叶わないことくらい誰でも分かっていた。
そして、それから数年の時が流れ、ついに一方のグループが動き出したんだ。
なんと、それは二つ目のグループの日常を送っている奴らだったんだ。ナイトブレスが普及して分かったんだ。俺たち怪物は、ナイトブレスを使用すると副作用として怪物の一部を見せてしまうことがな。
それに気づいていなかった奴らは、誤ってナイトブレスを起動。ニュースにはなってはいないが、全員病院送りだ。
かろうじてそうならなかった奴もいた。だけど、そいつらは社会から追放されたんだ。
研究所から抜け出したときから分かっていたはずだったんだ。でも、受け入れられなかったんだろうな。
最初に平凡な日常を選んだ奴らは、ただ復讐を嫌ったのではなく、抵抗すること、自分の現状を理解するのに逃げただけだったんだ。
そんな奴らの内の一人が、この間アンちゃんらが倒した奴だったんだ。
名前は山内って言ったっけ?あんま知らないんだ。でも、何回か喋ったことはあった。優しい奴だった。見た目はゴツくて怖そうだが、根は本当に優しくて、みんなをいつも励ましてくれる奴だった。そんなあいつもやっぱ耐えられなかったんだ。社会から虐げられて、ビルの陰に隠れて生活する日々にな。
「そんな...。だが、そんなこと、ありえるのか?」
ふっ。面白いことを言うな。まぁその通りだ。ありえない。だから最初にも言ったろ、すぐには信じなくていいって。
「だけど、お前の言葉に嘘偽りがあるとは思えない」
ほう、なんでだ?
「目が真なんだ。面白がるわけでもなく、本当に心の底から悩んでいる。それが俺には伝わってくる気がするんだ。ただの直感だが...」
直感か...。でも、それだけでも嬉しいぜ。
ー ...ふっ、やべぇ、涙出てきてしまったじゃねぇか。
これでも、まだ涙ってもんは流せるんだぜ。
「お前...」
そんで、そろそろ本題に入らせてもらう。
「なんだ?」
また一人、社会に報復しようと人を殺そうとしてる奴がいるんだ。
「なっ...」
本当だ。それも、そいつは俺の小せぇ頃からのダチなんだ。
だから、あいつを助けてやってほしいんだ。
「助ける?」
あぁ、力づくでもいい。気絶させてでも、あいつに人を殺させてほしくないんだ。人を殺しちまったら、まず人間ではなくなってしまうからな。
それだけは止めたいんだ。
お願いだ。なんでもする。だから、頼む!あいつを助けてやってくれ!
そう言って海坂は伸ばした背中を90度にまで曲げ、深く頭を下げた。
最初は信じられなかったし、馬鹿げているとも思った。
だが、先の戦いで感じた不安を解消する為にも、俺は海坂を信じることにした。
ー もし、それが本当なら、俺はもう一つ確かめたいことがあるんだ。
深く頭を下げる海坂の肩をポンと軽く叩いた。
「心配すんな。事情は聞いた。俺にできることならやってやる」
慌てて上げた彼の目には大粒の涙が溢れていた。親友を思う現れだろうか?それとも、誰かに理解してもらったことに対する安堵だったのだろうか?
この世には差別というものが存在する。
俺は今でも怪物を仲間にするつもりはない。今は恵美や紅葉以外は誰も信用できなかった。
そう言われれば、俺も彼らと同じだった。社会から追放され、孤独に耐え抜いてきた二年間。それにいつの間にか慣れた自分がいたのは事実だ。
俺こそ、単なる同情とそれに対する安堵を得るためだったのかもしれない。
そんな愚かな自分を陰に隠し、俺はゆっくり立った。
その日、海坂は話をしただけで帰っていった。
海坂の姿が消えた後、俺は恵美に海坂から聞いたことをそのまま伝えた。
「死なないでよ」
彼女はそれだけを言い残し、自室に戻っていった。
ー また心配をかけてごめんな...
小刻みに跳ね上がる彼女の肩を後ろから見て、俺の胸が今までで一番苦しくなった。
20話 事実 を読んで頂きありがとうございます。
ナイトブレスの開発の裏に隠された恐ろしい人体実験。そして、海坂が言った新しい事件の予告。
次話、21話 破壊の衝動 は明日(2/17) となります。
そして、彼はもう一度立ち上がる。だが、それはそう容易く貫けるものではなかった...
次話以降もよろしくお願いします。




