16話 現れる獣
いつのまにか、俺は燐を見失っていた。
急ぎ足で履いた靴はかかとがずれていてところどころ痒い。もう一回、そしてもう一回と靴づれを直してまた走り出す。
ホームランドシティの街の地形については大体把握しているつもりだったが、いざ人を探すとなると迷ってしまうのは俺だけだろうか。外壁で入り組んだ道はずっと同じ景色を俺の瞳に写し続け、額から垂れてくる汗はまつ毛に染み付いていく。
視界がふとぼやける。見渡すが人はいない。
ー まだそう遠くには行っていないはずなんだがな...
あの雨の日と同じジャケットを着ていた燐の顔には疲れの色が見えていた。深緑のジャケットは雨風に当たり生地の塗装が剥げ、下に着ている黒のTシャツはよれよれでまるで彼の心を表しているようだった。首に付けられていた銀色の十字架のネックレスが光を反射し、ずっと俺の目を眩ませていた。
胸を抑えて道場を出て行った彼はとても苦しそうで今にもその灯火は消えそうだった。
あの少年と同じ影を見せたのは偶然ではないのだ。やはり兄弟というのは似ているものなのだろうか。
ヘルスアプリケーションが表示していた心臓への過度な負担の警告と機器破損のエラーメッセージは恵美の言った通り、ボディシェアリングがなっていないのが原因なのだろう。
心臓を侵食しているのは間違いなく彼のナイトブレスだ。
ボディシェアリングとはナイトブレスで防具を召喚したり、スキルを発動させたりするときに必要な機能なのだ。
ナイトブレスにはあらかじめ自分の身体の情報を入力しておくのだが、体というものは日々変わっていくもの、少しでも情報と現実の差があれば体や機械に負担が生じるのだ。
だからこそこのボディシェアリングは使用者の肉体とナイトブレス内にある使用者の仮想体を常に同期させておくことで情報の変化にもすぐに対応でき、よりシームレスで素早い行動が可能になるのだ。
しかし、最近のナイトブレスはヘルスアプリケーションとボディシェアリングが同じアプリケーションになったことにより、機械と肉体の同期に関してはボディシェアリングのみなってしまっている。つまり、これまではボディシェアリング以前にヘルスアプリケーション内の手書き入力の同期システムがあったのに対し、今のはそれがないということだ。
だから、もしボディシェアリングが破損してしまうと、体と機械の同期ができなくなり、最終の更新された情報により作られた仮想体と実際に変化する現実の肉体との間に差ができてしまうのだ。
その差の集積の結果が心臓への負担だ。
溜まりに溜まった負担が燐の体に多大なダメージを与えていたのだろう。
だが、それからというもの、ただただ右往左往するばかりで、一向に燐を見つけることができなかった。
そのとき、ホームランドシティの中心にあるカルデア広場から悲鳴が聞こえた。
「キャァァァァァァァーーーーーーー!!!」
俺は燐を探すことも忘れ、カルデア広場に向かった。
広場へ向かう足は次第に速さを増していた。直近の誰かの危機に無意識に心臓の鼓動までもが早くなる。寒さで悴んだ頰と手が痛い。マフラーを付けていない首元に冷たい風が入り込んできて時々身振りをしてしまう。
向こう側から大人が数人走ってくる。
「やべぇ、警察だ!警察!」
「あぶねぇよ、逃げようぜ!」
一体何があったのか、まだわからなかったが、ただ事ではないことぐらいは俺でもわかった。
凍えた向かい風と慌てふためく人々をかき分けながら、俺は広場に到着した。
俺の目の前にあったのは異形の者が小さな少女の体をいとも簡単に持ち上げ、立っている姿だった。初めて見るその異形の者は、体のそこかしこがバグっているように霞んでいて、半身が機械のように見えた。灰色にまで見える機械はところどころ錆びているようで、まるで昔のブリキのおもちゃのようだった。少女の体に絡みつく機械の左手からは金属が軋むような音がしていた。
口元は人間の顔の口だが、左目は赤く光っていて、赤色の閃光が俺に恐怖心を与える。荒い息遣いで口からは白い吐息が漏れている。
「はぁはぁ、もう我慢できない!この腐った国を俺が壊す!俺をこんな風にしたこの世界を...許さないィィ!!!」
ー この世界を、許さない?それに、一体なんなんだ?コイツは...
人のものではない口を大きく広げ、呻き、叫びまくるコイツは左手で掴んでいる泣き叫ぶ少女のことなど何も考えずに左手を振り回していた。
「何してる?!やめろ!」
止めるために叫んだが、俺の声は聞こえていないようだった。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
少女を持った手が地面に叩きつけられようとする。
ー やめろ...
そのまま手を振り下ろせば。
「やめろぉぉぉぉぉーーーー!!!」
衝動的に身を投げ出す。ナイトブレスの液晶に左手の指をあて、強くフリックする。
『リアライズ ナイト オブ ファング』
ナイトブレスから電子音が鳴り響く。
左手の内の中から電子の粒が広がり、直線上に伸びた青白い光の線が剣の輪郭をなぞってゆく。光の線によって宙に描かれた剣は徐々に中身を本物の剣になってゆき、左腕に沿って白銀の刃を輝かせた。
ナイト オブ ファングは元々二刀流用に作られた剣の一つで、藍色の鍔には白色の装飾が入っている。普通より短い白い刀身は、まるで狼の牙のようで、すべてに噛みつき、大きな穴を空けることができるかなりの代物だ。
剣を胸の前に平行に持っていき、右手を剣先に添え、そっと指を刃に触れる。
そして頭の中で叫ぶ。
ー ストーム アクセレレータ
剣の周りに風が巻き起こる。
疾風の如く敵に向かって突き進み、奴の目の前で左手を突き出す。
「グサァッ!」
突き刺さった剣先が腕を貫通した。
ー やった...のか?
だが、奴は痛くもかゆくもないような表情で俺を睨む。
「貴様...何者だ?」
ー 効かない?なんで?
この剣の貫通力は斬撃が主の片手剣においてでもトップクラスの方のはずだし、片手剣のスキルの中でも随一の貫通特化の技のはずだった。
その攻撃を受けても無表情を決めつけるとは。
俺はずっとコイツが誰かがナイトブレスで召喚した亜人型のモンスターとばかり思っていた。だが、先ほどまでの言動やこの意志のある無表情からするに、
ー 人間...なの...か?
ありえない、そう思った。どこからどう見ても人間ではなかった。機械仕掛けのような体、世界を壊すなどという発言、どこかのRPGで出てくる怪物そのものだった。それでも、俺にはコイツが人間であるようにしか見えなかったのだ。
俺の混乱を悟ったのか、コイツは貫通した左腕から俺の剣を力尽くで引き抜くと、俺の体ごと投げ飛ばした。
床に転がった俺は左手に持った剣を地面に突き刺し、後ろにかかる力をなんとか止め、動きを抑える。足から土埃が舞う。
地に着いた右膝から血が流れる。擦り傷が痛む。
「本当に...一体...何者なんだ?」
わけもわからない状況にただただ混乱していた俺だったが、さすがにこれは大ピンチであることがわかる。
「やべぇ...」
奴の左手に巻かれている少女の泣き叫ぶ声が絶頂に達す。
俺は少し迷っていた。
ー 殺るべきなのか、今は事情を把握するべきなのか?俺の中に宿る違和感は一体何なのか?わからねぇ。わかんねぇ。
だが俺にはわかっていた。これは直感だった。だが、この直感を信じてしまう俺がどこかにいるのも確かだった。
今は左手に握る藍色の剣をコイツに振ることが最善の策であることに、俺は自分で納得し、その剣を地面から抜いていた。
左手の剣を右手に持ち替え、後ろ足で地を蹴り上げて突進する。
「ハァァァァァァァ!!!!」
右手首を曲げ、しなるように腕を上にあげる。そして、敵の肩に向けて思いっきり振り下ろす。剣尖がコイツの左肩から右腰にかけて走り、そしてもう一度右上に切り上げる。
その瞬間まさに0.1秒もない。
続けて体を右に回転させ、横薙ぎに振り切る。剣先が横腹を切り裂き、赤い切り傷のようなエフェクトが体に現れる。
だが、敵の体力ゲージは減るが、かすり傷のような表情は変わらない。
そして、奴はついに話した。
「貴様。何者だ」
その言葉に俺は少なからず反応した。だが、剣撃を続けながら。
奴もみすみす攻撃を受けてばかりではなかった。俺の剣を紙一重で避けては右手で俺の体を薙ぎ払う。
だが、その言葉に俺は答えるべく何度も立ち上がる。
「お前こそ...うっ...何者なんだ?!」
俺は質問する。
だが、向こうは俺に質問するばかりだった。
「貴様。何者だ」
だから俺は答えた。
「俺は、穂村仁。お前は何がしたいんだ?」
俺の言葉にようやく奴は新たな言葉を発した。
「俺は...この腐った世界を壊すために...俺は...俺は...俺は...俺は...」
しかし、帰ってきた言葉は何度も何度も繰り返され、バグのように狂ったかと思うと、こちらを向き、グリッと睨んだ。
「俺は...俺は俺は俺はオレは、オレハ、オレハオレハオレハオレハオレハオレオレオレオレオレオレオレオレオレオレオレオレオレオレオレオレオレオレオレオレオレオレ...................」
ー 狂っている。
バグが発生して、同じプログラミングが何度も繰り返されているように、同じ言葉が羅列している。
そして、俺は確信してしまった。
ー コイツは、人間じゃない...
とっさに振り下ろした剣に力が入る。バックステップで飛び退く。
「アンタ、人間じゃないな。だったら問答無用だ。...その子を離せ。でなければ、力づくでも...」
その言葉にはもう奴は反応しなかった。ただひたすら「オレオレ」を連呼する機械に成り果ててしまっていた。
それがどういうものだったのかは知らなかった。まだ、気づいていなかった。
ビルの陰から見る彼はもう俺の知っているあいつじゃなかった。
ほうっとため息がでる。
「タケヒコよぉ。...俺たち、もうどうすればいいのかわからなくなってきてしまったぜ」
そして、空を見上げる。
「なぁ、シンイチ。...お前、今、どこにいるんだよ,,,」
永遠と虚無が続く、創られた青空は残酷なほどに現実を俺に突きつけていた。
16話 現れる獣 を読んで頂きありがとうございます。
突然現れ騒ぎを起こしている異形の者。彼は一体何者なのだろうか。
そして、忘れさられかけの燐は今どこに?!
次話、17話 その拳に宿るモノ は明日(2/11) となります。
『悲しみの最強兄弟』編、ラストスパート!
次話以降もよろしくお願いします。




