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再会の日は唐突に 前編




 久々の予備校、授業そのものに代わり映えはない。違う部分と言えば、黒板に書かれる文字と講師が話す内容ぐらいだ。もっとも、その違いこそが重要なものであり、予備校という場所が金を稼ぐ為の手段なのだ。

 久々の予備校の授業、俺は解ったことがある。それは、授業の内容が何一つ解らなくなっているということだ。予備校の授業は高校までのそれとは大きく違い、一週間に同じ授業というものが基本的には存在しない。単純に英語と言っても、英文読解に文法、果てはリスニングまである。つまり本来なら少し休んだ程度で授業についていけなくなるという事はない。


 耳に入る言葉を一旦遮断し、自分の何が悪かったかを考える……原因はすぐにわかった。勉強というものから大きく離れた生活をしていたせいで、勉強そのものに対する理解力が大きく減少したのだ。

 黒板に書いてある数列の意味が、理解出来ないわけじゃない。その数式で何を求めようとしているのか、何が得られるのかは分かっている。それなのに、頭の中に入ってくれない。覚えるという単純作業が困難な事に思えて仕方がない。


 この何日かで俺がやって来たことといえば、町中を走り回ったり格闘ゲームに精を出したり……それが無駄だとまでは思ってはいない。だけど目の前に突きつけられた娯楽の代償は、俺の予想を超える凄惨たる物だった。

 昼食の時間を告げるチャイムが鳴り、講師は切りの良いところでチョークを手放すとそのまま挨拶もなしに教室を後にした。


 今日の授業はこれで終わり、さてゲームセンターに行くか。


 いつもの俺ならそんな風に考えていただろう。だけど今日は違う。昼飯の事も格闘ゲームも頭のどこかに押しこんで、俺は席を立った。


 本屋に行って、参考書を何冊か買おう。

 今の俺を突き動かすのは、言いようのない危機感だった。




『がんばれ受験生! 君の春はすぐそこだ!』


 本屋の参考書コーナにはデカデカとそんなポップが貼り出されていた。この手の応援というものに、俺はウンザリしていた……大体の受験生もそうだろう。こういう人の神経を逆撫するものは他にもある。例えば、受かるとか桜咲くとか、いちいちうるさい語呂合わせのお菓子とか。


 お菓子メーカーも本屋も、黙って自分の商品を提供していればいいのだ。そもそもお菓子と参考書を山ほど買い込んだところで大学には合格できない。それで済むなら予備校はいらない。全く、本当に受験生を応援したいのなら黙って商品の値段を下げるべきだ。こんな印刷の文字で書かれた応援文より俺達のためになるというのに。


 参考書を一冊だけ手に取り開いてみる。応用的な数学の参考書で、俺の志望校には丁度いいぐらいの内容だ。最初の何ページかを読んでみれば、俺がすでに理解してある内容がこれ以上にないぐらい分かりやすく書いてあった。なるほど、適当に手にとった割にはなかなか良さそうだ。それに値段も悪くない……。


「お客様」

「ヒィッ!?」


 なんだ店員さんか俺は悪いことをしたか!? 恐る恐る振り返るとそこには。


「お前、ププッ……なんで本読んでただけで……駄目だ、腹痛い!」


 不良女子高生が、腹を抱えて笑っていた。あれか、もしや今の声の主はこの女か? まったく、一瞬ブンが嫌がらせに来たのかと思ったよ……ってこいつも俺に嫌がらせしに来たんだよな、うん。


「何だよ、お前……」


 咳払いをして、なんとか体裁を整える。ゲーセン以外でこいつと会うのは初めてだった。


「お前じゃない、アヤコだ。大学受験を目指す割には記憶力は良くないのね」

「どうでもいいことはすぐに忘れる性格でね」

「ふーん」


 相変わらずこいつとの会話は平行線のままである。俺には歩み寄る気は無いので、向こうから歩み寄ってこない限りは一生このままであることに間違いはない。


「……アンタさ、和夫って言ったっけ」

「そうだけど……何?」


 睨みつけるようなその視線に、少したじろぐ。身長は俺の方が高い、そんなことは明白だ。それなのに、何だ。この見下されているという感覚は。


「暇そうね」

「本屋で参考書を選んでいる予備校生が暇だって? 何を言う、ここにある参考書たちが俺の将来を決めると言っても過言では」

「暇なのね」


 いわゆる、生物としての差なのだろう。出来る事といえば皮肉を言う事ぐらいで、面と向かって逆らう事は許されていない。


「……どこをどう解釈したらそうなるんだ」

「私、お腹空いてるんだけど」


 腹を抑え、わざとらしく不良女子高生のアヤコが主張する。


「俺はそこまで」

「……食べに行くって言ってんのよ!」


 そう言い残すと、アヤコは俺に背を向け大股で出口へと向かっていった。途中振り返ったが、俺がまだ参考書コーナーに立ちすくんでいるのを確認するとさらに不機嫌そうに歩いていった。


「ハイハイ」


 女子高生と食事に行くこと自体に、異論はない。本来なら嬉しい限りだ。


 だけど、なんだろうこの感覚は。躾のなってない犬のように、首輪をつけられどこにもいけない。そんな、不思議な感覚。




 世界には様々な料理がある。ラーメン、牛丼、カレー、ハンバーガー……数を上げればキリがない。駅前に乱立する料理屋は、星の数ほどある料理を俺達に提供してくれる。


 しかし、問題はある。料理屋というのはメニューに適した雰囲気というものがある。くたびれたサラリーマンがフラっと立ち寄りやすい雰囲気、暇な学生が時間を潰すため長居できそうな雰囲気。

 イタリア料理屋が醸しだすその雰囲気は、とてもじゃないが一人で入れる雰囲気では無い。


「で、なんで俺を誘ったんだ?」


 一番安い日替わりランチを注文した俺達が会話を始めるには、必要以上の時間を必要とした。注文を済ませるなり、アヤコはつまらなさそうに携帯を開き、そのまま画面とにらめっこを始めたからだ。きっと店員からは不仲の兄妹かカップルに見られていたことだろう。


「まともに授業受けてる友達をわざわざ呼び出すわけに行けないでしょ」


 小さな携帯の画面からは目を逸らさず、不機嫌そうにアヤコが言う。正論だが、自分が学校に行くという選択肢は彼女の脳内にはないのだろう。


「よかったなぁ、俺みたいに親切な人間がいてさ。流石に女子高生が一人で飯なんてみっともないもんな?」

「逆でしょう? 寂しいアンタを誘ってあげたんだから、感謝してよ」

「なんだ、俺の事が好きなのか……そうならそうと言えばいいのに」


 それから、長い沈黙。文句も皮肉も返ってこない、退屈な時間。アヤコが返答に困っているわけではない。彼女は不機嫌なまま携帯電話を閉じ、ため息をついた。


「誰でも良かったのよ」


 冷たく、刺のある言葉だった。


「気を紛らわしたいだけよ……嫌なことからさ」


 ただその言葉の意味は、簡単に理解してしまった。

 気を紛らわせていたいのは、俺も同じだから。


「なるほど、それで毎日ゲームセンターねぇ」

「うるさいなぁ……」


 こんな時は、精一杯馬鹿なことを言えばいい。逃げてるだけだと誰かは言うけれど、それでいい。少なくとも俺とアヤコは、休みなしで動き続けられるほど元気じゃない。


 いやきっと、誰だってこんなものだろう。




「頼むよ佐藤……この高い、なんだ、餃子の皮? 奢ってやったんだからさあ」


 運ばれてきたスパゲティは俺の嫌いな茄子が入っていた。いや、そんなことはどうでもいい。隣の席からは、聞き覚えのある低くやる気のない声が聞こえてきた。


「ラザニアです警部」


 誰だったかと思う前に、対面に座っている若いスーツの男が正解を教えてくれた。この二人は警察で、俺が魚肉ソーセージ立て篭もり事件を起こしたときに助け舟を出してくれた人だ。


「そう、そのラザニア。お前は立派な警察官なんだからよ、写真の一枚ぐらい簡単に」

「警部だって警察官でしょう? というか、探しものなら探偵の方が」

「なんだよお前、刑事ドラマも探偵ドラマも見てないなんてそんな事言うなよ? ホラ好きだろ、こういうの」


 揉めている、という訳ではなさそうだけれど、何やら言い合っている事に間違いは無いみたいだ。もっとも俺には関係の無いことだから、席を立つ時に挨拶だけしておけばいいか。

 今の問題は、この茄子だ。美味しくないぞ、端っこに置いておこう。


「探しものなんて、もう少し暇そうな人が……」


 そうだ俺、茄子に集中しろ。今重要なのは横の刑事じゃなくて皿の上の茄子だ。すごい視線を感じる? それはきっと茄子農家の視線だ。コラ、食べ物を粗末にしちゃいかん! そんな声が聞こえる。


 あ、ダメですねハイもう完全に若い刑事さんが俺を見てニッコリしてます。


「やぁやぁ、君はいつぞやの魚肉ソーセージくんじゃないのか」


 顔を上げて、改めて若い刑事の顔を見る。近年稀に見る最高の笑顔だった。


「あ、その節はどうも……」


 とりあえず挨拶をするが、警戒心は解かない。相手は警察だ、いつ権力を振りかざしてくるかわかった物じゃない。


「暇そうだね、受験生なのに。なに、こっちの子は彼女さん?」


 国家権力に屈しない人間が、そこにはいた。『彼女』という単語を耳にするや否や、アヤコは若い刑事にガンを飛ばしたのだ。


「違うみたいだね……」


 流石の刑事も、女子高生には勝てなかった。もしかするとこの社会で一番強いのは女子高生じゃないんだろうか。ほら、この人痴漢です! とか言えるし。


「なぁ君、もし良かったらなんだけど」


 ベテラン刑事が、相変わらず人の良さそうな笑顔を浮かべて話に割り込んできた。どうやら、本当に俺に用事があるのはこの人らしい。


「写真を……探してくれないか?」

「うんうん、若いうちに色々な経験を積むっていうのはいい事だよ」


 腕を組み大げさに首を上下させながら、若い刑事が上司の案に同意する。信頼とか信用とか、そういう類の感情を抱いてこんな事をしているわけじゃない。面倒臭いことを俺に擦り付けられるのが心の底から嬉しいのだろう。


「はぁ」


 口から漏れる、やる気のない俺の声。


「手がかりとかはあるんですか?」


 しかしアヤコの反応は真逆だった。好奇心を抑え切れずに身を乗り出し、写真の詳細をベテランに尋ねる。


「無くしたのは……そうだな、ちょうどお前さんが事件を起こした日だったな。だから駅前周辺で間違いはないと思う」


 彼女は眉一つ動かさず、真剣にその話を聞いた。探偵ごっこをやってる暇があるなら学校に行けよ、とは言わないでおいた。


「どんな写真ですか?」

「家族写真だよ。俺と女房と子供と、ああ犬も写ってるな。もし……見つからないのなら、それでいいのかも知れないけれど」


 興味の無さそうに頭を掻くベテラン刑事の姿には、どこか哀愁が漂っている。


「けれど、大切なものだから探すんでしょう?」


 アヤコがそう言うと、刑事は一瞬だけ目を丸くし、悟ったように微笑んだ。


「いい勘してるね、婦人警官とか向いてるんじゃないかな?」

「どうも」


 刑事から視線を逸らし、アヤコが呟く。不機嫌そうに見えなくもないが、実のところ彼女は照れているのだ。その証拠に頬が赤い。


 もしかすると、俺は探偵に向いているのかもしれない。誰も薦めてくれないけれどさ。


「ハイ、俺の名刺。携帯の番号はそこにあるから、見つけてくれたら教えてくれよな」

「じゃ、俺達は仕事があるから」

「はぁ……」


 伝票を擦り付け合いながら、二人の刑事は洒落たイタリア料理店を後にした。

写真探し? いや俺が探さなきゃいけなのは参考書なんですけれど?


「知り合い?」

「お世話になったといえばそうかな」

「ふーん」


 一通りの会話を終えたると、俺は少し冷めてしまったスパゲティを口に運んだ。味は衰えてはいないが、冷めた茄子だけは断固として食べたくない。


「探そうか、写真」


 スパゲティを胃袋に流し込もうとした時、アヤコはタイミングよくそんなことを言った。当然のようにスパゲティは喉につまり、俺は激しい咳払いをする羽目になった。


「はぁっ!? 別に俺には関係ないだろ? 何でそんな面倒臭いことを……」


 しなきゃならないんだ? そう言おうと本当は思った。だけど、言えなかった。目の前のアヤコの顔が、人を小馬鹿にしたようなブンの顔と被ったからだ。本当に、嫌というほど似すぎている……あぁ、だから俺はこいつに逆らえないのか。


「……五千ポイントぐらいは貰えないかな」

「何、何の話?」

「何でもないよ」


 どれだけ顔が似ていても、目の前にいるのはあいつじゃない。だけど、どうせ性悪神様のことだから、今だってどこかで見張っているんだろう。サボるわけにはいかないな。


「仕方ないな……これ食ったら探してみるか」

「残さず食べなさいよ?」

「……はい」


 ブンとアヤコと、茄子。こいつらに勝てる気だけはしなかった。




 探そうと意気込んでいたのは、店を出てすぐの五分間だけだった。女心と秋の空というが、こうも簡単に心変わりする人間を見るのは初めてだ。

 結局のところ、俺は写真を探しているというより、買い物に付き合わされている。


「服屋に写真が落ちてると思うか?」


 周囲を見回せば、そこにあるのは色とりどりのお洋服。一応自分でも服装に気を使ってる方だとは思っているが、さすがにTシャツ一枚五千円の店で買おうとは思わない。

 今いる場所が、この界隈では有名な値段の高い店。間違ってるとしか思えない値段と積極的すぎる店員のおかげで、俺は店舗の中を挙動不審に歩くことしかできなくなっていた。


「そういう思い込みが人をダメにするって思わない?」

「なるほど、確かに」

「ねぇねぇ、この服似合ってるかな?」

「早速探す気がねぇ!」


 小洒落たブラウスは、確かに彼女によく似合っていたけれど、問題なのはそこじゃなかった。

 服屋の次は、三時のおやつ。正確にはまだ二時だが、有名な店だから早いに越したことはない。


「ソフトクリーム屋の行列に並んでいて写真が降ってくるとでも?」

「頭使うからね、捜し物って。糖分補給しなきゃね」

「まあ、そうかな」


 ゆっくりと進んでいく人の列。足元を見ても、落ちているのはレシートぐらい。無意識のうちに、俺はため息を付いていた。


「ほら和夫、何にする?」

「……バニラ」

「すいませんバニラ二つ下さい……あ、一個だけLサイズで。ほら和夫、お金お金」

「俺は財布かよ……」


 仕方なく財布の中から千円札を取り出す。しかし俺は、天才的にある発送を思いつく。

 そうだ、これはデートだ、デートなんだ! 


 デート、デート、デートだ。


 ……駄目だ、やっぱり俺には千円札の方が重い。




 帽子屋、再び本屋、別の服屋にスポーツ用品店。デパ地下で流行りの食品を試食して、今に至る。彼女が使った金額は五千円前後ではあると思うが、荷物は多い。代金を持つことだけは避けられたが、服屋の袋を持つことを避けられるはずはなかった。


 デート、デート、デート……パシリだこれ!


「次は何? 文房具屋か?」


 女っていうのは男より体力がない。少なくとも保健体育の時間ではそう習った。現実は違った。女性という生き物は買い物をする時だけ足の筋肉が異様に発達することを、是非とも来年度の教科書には付け加えて欲しい。


「残念、靴屋でした」

「俺、ここで待ってるわ」


 俺の前にそびえ立つ、二階建ての靴屋。どうがんばっても中にエスカレーターは設置されていない。


「そう? じゃあゆっくり見させてもらうね」


 そして彼女は颯爽と靴屋の中に消えていった。


「ふぅ……疲れたな」


 全身を襲う疲労感。腰を下ろしたその場所を、俺は知っていた。

 目の前に広がる高層ビルに圧倒され、押し潰されそうな錯覚に陥る。だけど大丈夫、そんな日は永遠に来ない。知っているんだ、それぐらい。


ここで俺は神を見たから。間違いない、ここは何が起きたって大丈夫だ。


呆けた顔で、空を見上げる。ビルの隙間から狭苦しい青色が覗くだけだった。寂しい場所だった。ほんの少し道を外れただけで、人の数は激減する。周りには誰もいない。


そう、誰一人。


「だーれだ」


 突然、視界が遮られる。だけど怖くはない。俺の顔に触れたその手が暖かいから。


「……ブン」


 きっと今、俺はニヤついている。友達と会ったんだ、笑ってもいいだろう?


「お、正解」


 何の気なしに、ブンが俺の横に座る。


「何やってるんだ? こんなところで」

「写真探し……なんだけど、どういう訳か荷物持ち。ホラな」


 俺の足元に置かれた大量の袋を見せる。顔を見合わせて、二人で笑った。冗談みたいな量の袋を掲げたんだ、誰だって笑う。


「ま、最初の頃と比べると立派になったな」

「そうかもな。ところで……まだ俺は二位なのか?」

「いいや、もう何位かわからないよ」

「ほう、そりゃ良かった」


 ようやく普通になれたのか。短いようで長かった。危うく前科が付いていしまうところだった。下手すると独裁国家に連れて行かれる羽目に……あれは嘘だっけ。

 ともかく俺はもう、普通なんだ。底辺にいるゴミクズじゃなくて、どこにでもあるありふれた普通の人に。


「だから」


 ゆっくりとしたブンの声に耳を傾ける。続きの言葉を聞きたく無かった。俺はもう、普通になってしまったけど。神様はもう、いらないけれど。別れの言葉を、聞きたくなんてないんだ。


「だから和夫、お別れさ」


 終わった。無理だった。引き止める言葉は見つからなかった。何も成長しちゃいない、相も変わらずウジ虫クズ男のままだ。


「……唐突だな」

「出会った時は、もっと酷かっただろう?」


 立ち上がり、ブンがそう言う。彼女は笑っている。何でだよ、何で笑えるんだよ。


「確かにな」

「楽しかったよ、結構」

「俺もだよ」


 違う。


「もう、会うこともないな」

「俺がまた駄目になっても、助けに来てはくれないんだな」


 まだ遊んでいたいって、もっと一緒にいたいって、どうして俺は言えないんだ。


「ああ、これからは自分で何とかしろよ」

「ケツを叩いてくれる優しいお姉さんは、もういないって訳ですね」


 皮肉じゃない、素直な言葉を言うには、もう遅かった。年を取り過ぎていたから。大人になってしまったから。


 きっと俺に、別れを惜しむ資格はないんだ。


 ついさっきまで笑っていたブンに変化があった。困ったように、恥ずかしいような、そんな顔に変わっていた。


「年は同じなんだけどな……それに、昔は同級生だったんだぞ」

「そうだっけ?」


 今明かされる、衝撃の事実! ……同じぐらいとは思ってはいたけれど、ピッタリ一緒だとは思ってはいなかった。


「……嘘に決まってるだろ」


 嘘だ。この、嘘だと答えたその言葉が。初めから嘘しか吐かなかった神様が残した、最後の嘘に、俺は笑って答えた。そうすることしかできなかった。


「さよなら和夫……本当、楽しかったよ」

「……ブン?」


 風が吹いた、気がした。音もなく、感触もなく、それは彼女だけを消し去った。


 俺の隣に、もう誰もいない。さよならを一方的に押し付けて、ブンはどこかへ消えた。




 似ている。歩く姿も、その顔も。手ぶらで出てきたアヤコの姿は、ブンによく似ている。だけど、違う人間だ。もう彼女はどこにもいない。


「ダメねあそこは、値段ばっかり高くて」


 目頭を抑え、涙を拭う。みっともない姿は見せられないな。


「……どうしたの、ひどい顔して?」


 可笑しいな、涙は乾いているのに、ひどい顔なんて言われるのか。


「友達が、さ」


 もう一度涙を拭う。何時までも泣いている暇はないんだ。


「どっかに行っちまうんだとよ」

「そう……」


 バツの悪そうに、アヤコが言う。悪かったのは俺の方だ。こんな話、女子高生に聞かせるような話じゃない。


「さぁて、そろそろ写真を探しますか」


 腰を上げ、背筋を伸ばす。もう一度空を見上げれば、代わり映えしない空があるだけだった。


「え? まだ買い物が」

「行くんだよ、さっさと」


 消えてしまった人を、追いかけることはもうできない。だからせめて、あの得意げな顔に恥じないよう歩いて行こう。




 結果は、惨敗だった。夕暮れ間際まで町中を歩きまわって、見つけたものはせいぜい十円玉ぐらい。道路際のベンチに二人並んで腰をかける。


「冷静に考えよう? あの人達って、本職の警察官なんだよね」

「そうだな」

「だったら、素人の私たちが探したところで見つかるわけないじゃない」

「……仰る通りです」


 正論すぎる。だけど探すって言ったのはお前じゃないのか? 畜生この女絶対に自分が言い出したって忘れてやがる。


「という訳で、ジュースを買ってきなさい」

「何でだよ」

「いいからいいから。私リンゴジュースで」


 アヤコに急かされ、近くの自動販売機まで歩いていく。ラインナップはコーラとかジュースとか定番商品のオールスター。そうだ、俺はコーラにしよう。

財布から小銭を取り出そうとした、その時。


「あ」


 小銭がころころどんぐりこ……500円玉は吸い込まれるように自動販売機の下に吸い込まれていった。って歌ってる場合じゃない、500円玉だぞ500円玉!

 俺は地面に這い蹲り、狭い自動販売機の下に手を伸ばした。暗くて良く見えないから、文字通り手探りで硬貨を見つけ出すしかない。


 指先に触れる土埃の感触。どこだ、俺の大事な500円玉はどこだ。


「あった」


 と思ったら違う、これはどう考えても500円玉の感触じゃない。もっと薄い、紙みたいな物。とりあえず500円玉を探すには邪魔なので、取り出してみるか。

 自動販売機の下から取り出し、謎の紙を確認してみる。


「……あった」


 刑事と、妻と息子とその犬と。ありふれた家族写真が俺の手の中にあった。

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