出会いはある日突然に 後編
「もしかして、本数の問題かも知れません」
結局その辺をうろついていても何も成果が得られなかったということで、俺と健太は誰が置いたのかは知らない、その辺にあるベンチに腰をかけて作戦会議をしていた。女? 俺の横で寝てるぜ、文字通りな。
「本数? 一本じゃ足りないって言うのか」
昼食代わりに魚肉ソーセージを頬張りながら話を進める健太。
「やっぱり犬は匂いに敏感ですから、何本もあればきっと近寄ってきてくれますよ」
「あと残り六本か……」
俺と健太で一本づつ食べてしまったので、数がもう少なくなっている。
「足りませんね、買いましょう」
まあそうなるよね、と一人納得する。しかし始めからどこかで買うぐらいなら、ポイントを使って手に入れる必要は無かったのじゃないかと考える。同着一位にならなければ、独裁国家行きなんていう罰ゲームが……やめよう、これ以上考えても気分が悪くなるだけだ。
「健太、お前金あるの?」
「あんまり……」
「だよねぇ」
財布を取り出し、中身を確認する。日本の偉人は数少なく、小銭入れには五百円玉が一枚だけ残っていた。
「あそこのコンビニに売ってませんかね」
何はともあれ、買い足さなきゃいけないことに違いはないだろう。
「しょうがない行ってくるか」
そこでふと、俺の頭にある疑問が浮かんだ。俺達が犬を見つけられない原因は他にあるんじゃないのかという疑問だ。
「なぁ、健太」
「何ですか?」
「その犬、もうこの街にいないってことはないのかな」
風が、吹いた気がした。五月には似合わない、冬の名残のような冷たい風。
「……売り切れるかもしれないですよ、魚肉ソーセージ」
俺は考える事を止めた。考えれば考えるほど気分が悪くなるだけだと、ついさっき気がついた事を思い出したからだ。
時間がない。コンビニの壁にかけられた時計は俺の船出まで45分と教えてくれた。だけど焦る気持はもう何処かへ消えていた。もし船に拉致られそうになったら海に飛び込んでそのまま地球に還ろうと決めたからだ。
だから俺の心配事は時間じゃない。それは、華やかな百貨店の窓に映る俺の姿についてだった。
「健太、俺はお前に聞きたい事がある」
「なんでしょうか?」
手際よく作業していた健太が、興味なさそうに答える。
「これは……何なんだ?」
白い七分そでのパーカーの腹に巻かれた、何本もの魚肉ソーセージが巻かれている。頭にはまるで人を呪い殺しでも行くかのような、鉢巻と頭の間にロウソク……の、代わりに魚肉ソーセージが挟んである。ついでに俺の指一本一本に魚肉ソーセージが固定されている。なんだかアメコミのヒーローみたいだ。
「フルアーマー氏家和夫です」
材料、ガムテープと魚肉ソーセージ。指と髪の毛はテープを剥がす時に悲鳴を上げる事確実である。
「……そうなのか」
昔、なんとかマンごっこをやったことを思い出す。あの頃は段ボールで盾とか鎧とか作って遊んだっけな。まさか18にもなってこんな事をやる羽目になるとは思わなかったな。
「はい!」
「うん、似合ってるぞなかなか」
寝起きの自称神様が目をこすりながら適当な事を言う。
「おかしいだろ流石に」
おかしいというか、恥ずかしい。通行人が俺達を見ては色々なことをささやくのだ。あれなんかの罰ゲーム? とか、頭おかしいのかな……、とか。そうですこれは今までの人生に対する罰ゲームですついでに変な女が見えるようになりました頭がおかしいんです病院紹介して下さい。
「さて、あとはこの魚肉ソーセージの皮を全てむけば」
淡々と作業をこなしていた健太の手が突然止まる。
「あ」
代わりに、間抜けな声が聞こえてきた。
「どうした」
「チャッピィだ」
「嘘だろ」
「ほらあそこ、ОLのお姉さんに頭を撫でられていて……あ、お姉さんどっか行きましたね」
健太が指をさす場所、信号を挟んだ歩道には確かに大きな白い犬がいた。おかげで、わかったことがある。
魚肉ソーセージなど、どうでも良かったという事だ。
「そうかあいつか……」
信号の色が変わる。それに合わせて、車の動きが止まる。そして別の車のエンジン音が聞こえてきた。スタートの合図は、確かに響いていた。
「まてえええええええええ!」
犬に向かって、真っすぐと走り出す。通行人が俺を避け、横断歩道の端へ端へと逃げて行く。
「逃げるなあああああ!」
通行人の声も不審そうな顔も携帯カメラのシャッター音も無視して進む。犬との距離は縮まらない……それでも、なんとか視界の隅には捉える事は出来ていた。
「そっちか!」
狭い路地を、人の波を、無造作に置かれた自転車を乗り越えて俺は進む。
「俺を……」
走る。右へ、左へ躊躇なく進む。
――嫌だった。
海を超えた独裁国家へ行く事じゃない。へんてこな格好で街中を走り回る事じゃない。
クズだクズだと馬鹿にされ、それでも何もできない自分が、たまらなく嫌だった。
「なめるなああああああ!」
どこかの建物の入り口を、勢いよく蹴り飛ばす。そしてあたりを見回せば、そこには。
「……なんですか、あなた」
犬なんてどこにもいなかった。というか、俺以外みなスーツを着ていた。あれかな、どこかの会社の面接かな?
「え? 犬を……」
事務的な女の人の声が聞こえる……47番の方どうぞ、などと言っている。それに室内の端にはなにやら機械が整然と置かれている。そうか、あれはATMだ。すると銀行なんだなここは。
「さがして……」
あれ、どうしてかな皆俺の事を見つめてるぞ? そうか、ついに時代が俺に追いついたのか。ていうか犬は? ねえそこのお兄さんどこかで白い大きな犬を見ませんでした? ちょいとそこのOLさん、チャなんとかっていう犬知りません?
「ダ、ダイナマイトだ!」
誰かがそう叫んだとき、俺は何の事だか分らなかった。ただその場にいた人々の甲高い悲鳴は確かに聞こえていた。
「強盗!?」
「自爆テロか?」
「やだ、私まだ死にたくない!」
知らない間に噂は広まり、悪性のインフルエンザのように次々と恐怖が伝染していく。さらに悪い事に、その度合いは高まる一方だった。俺にもそれは伝わった。後ろを振り向いて自爆テロリストの顔を見てやろうとした時、パーカーの襟は嫌な汗で湿っていた。
だけど不思議な事に、どこにもテロリストなんていなかった。それで俺は、きっとここにいる人たちは何かを勘違いしているのだろう、と単純な結論を下した。そうしてようやく、俺はここに来た目的を思い出す事ができた。
「あの、俺犬を探して」
肩を震わせ壁に張り付いているサラリーマンに勇気を出して声をかけてみた。
「寄るなああああ!」
するとどうだろう、俺が最後まで言い終わる前にそいつはホラー映画みたいな安っぽい悲鳴を上げた。
おかしい、何かがおかしい。みんな何かに脅えている。その原因が俺にはわからない。窓の外を見てみると、いつの間にか野次馬が大勢いた。運よく逃げ出した人がテロだとかなんだとか喚き散らしてるうちに集まって来たのだろう。
どうしてこうなったのか。誰かが叫んだ、『ダイナマイトだ!』と。そんなものはどこにもありやしないのに。『自爆テロ!?』とも誰かは言った。嬉しい事に、この街は今日も平和だというのにだ。
しかしガラス越しに映る自分を見て、俺はようやく全てを理解した。俺が全身に巻きつけている魚肉ソーセージは、ダイナマイトに見えなくもなかった。
おかしな事になった。俺は、犬を探していた。そこまではよかった。おかしいのはここからだけれど、もっと早く気が付くべきだったと後悔しても遅いのだ。
そして全身に魚肉ソーセージを巻きつけ、見つけた犬を追いかけた。行き着いた先は銀行だった。
俺は犬を探している。今でもそうだ。だけど今の俺は、どうやらテロリストらしい。俺は銀行の人に犬を知らないかと尋ねただけなのに、どういうわけか彼らは店の隅で膝を抱えてメソメソ泣いていた。
「えー、犯人に告ぐ。貴様は完全に包囲されている……いますぐ人質を解放して投降しろ。田舎のお母さんも泣いてるぞ」
いつのまにか三、四台のパトカーが銀行の前に止まっていた。田舎のお母さん、なんて適当な事をくたびれた上着を着た中年刑事が言う。ちなみに俺の家はここから半径十キロ以内にはある。
「やい犯人! お前の要求なんかに俺達国家権力は従わないぞ! 大体金が欲しいなら真面目に働け! 俺だって、俺だってこの間競馬で……」
適当な事を言う若い刑事の頭を、先ほどの中年刑事が軽く叩く。
「馬鹿、お前の失敗談はどうでもいいんだよ!」
そして無骨なその手で拡声器を取り返す。拡声器を通して今の言葉が広がっていた事に気づくと、中年刑事は恥ずかしそうに頭を掻いた。
「えー、失礼。うちの若いのが取り乱した……犯人君、話し合おうじゃないか。見たところ、幸い君はまだ若い。やりたい事だってまだまだあるだろう?」
「あのー!」
聞こえるかどうかはわからないが、俺は大きな声で叫んでみる。ガラス越しで声が届くかはわからなかったが、野次馬がざわついたので届いたのだとわかった。
「はいはい何でしょう」
「犬、探しているんですけど見ませんでした!?」
「あー、犬ならオジサンも昔飼ってたよ……なんでもよく食う犬でさ、家内が勝手に俺のビールのつまみを上げてたよ。本当、参っちゃうよね」
「警部、昔話はその辺にして」
脱線しそうになった話を、若い刑事が巻き戻す。拡声器の感度が良すぎたのか、ヒソヒソ話は大々的に広まった。
「なんだい、君は犬が欲しいのかい?」
「違います、頼まれて探す事になったんです!」
「……それとダイナマイトになんの関係があるのかな?」
これはダイナマイトじゃなくて魚肉ソーセージです、と俺は言いかけた。実際、『ダ』ぐらいは言っていただろう。だけど俺はそうしなかった。出来なかった。
ガラス越しに見える野次馬の中に、健太がいた。黒い髪、空色のシャツにカーキ色のズボン。真面目を絵にかいたような子供ではあるが、俺の全身にこの騒ぎの元を巻きつけた張本人であるので実際に真面目だとは思えない。そんな健太には見慣れないアイテムが一つ追加されていた。
白く、大きな犬。俺が、俺達が探すべき犬は、いつの間にか飼い主の元にたどりついていたのだ。一人と一匹は笑顔で俺に手を振ると、人ごみの中へ消えて行った。
深い溜息が自然と出ていた。それと、こんな状況だというのに、俺の心は……やめよう。別に俺が偉かった訳じゃないんだ、満足感を味わうのは筋違いじゃないか。
それに俺は、俺の為に行動したまでだ。困っている人を助けたからって、相変わらず俺は全世界ダメ人間ランキング二位の男なのだ。
「10ポイント!」
そしてどこからともなく現れた、自称神様女。
「うわ、びっくりした……何だよ人が感傷的になってるというのに」
「なんとか依頼は達成できたようだな」
うんうん、と満足そうに女は頷く。俺も嬉しかった。独裁国家へ行かなくて済んだのだ、喜ばない訳はない。ついでにポイントも手に入った……あれ、俺の目的こっちじゃなかったっけ?
まぁ、いいか!
「へっ、俺だってやればできるのさ」
「あー……最後に、お前に言いわなかった事がある」
「何だよ」
すると女は、いきなりバツの悪そうな顔をして、ついでに俺とは目線を合わせずに、おまけに聞こえそうにないぐらいの小声で呟いた。
「仕込みだ」
「は?」
「だから仕込みだ」
「何がだ」
最後は、大きなため息。俺が悪いのか? いいや悪くない、もとはと言えばこいつが全ての元凶なのだ。
「あの少年と犬だよ、私が頼んだら快く受け入れてくれたぞ。まあテレビゲームのチュートリアルみたいな物だな……RPGの最初の三十分なんて大体強制イベントだろ?」
あーなるほど、そういうことか。このお話はこういう感じで進みます、慣れてくださいね、的な親切設計の日本製RPGには欠かせない最初の戦闘か。
「魚肉ソーセージは? 独裁国家は?」
こう俺が聞くと、女はまた機嫌悪そうに溜息をついた。
「そう言わないとお前、三か月でも犬の事探してるだろ」
そして軽く俺を見下しながら……背は俺の方が高いのだが、腕を組み顎を上げたその表情はどう見ても人を見下していた。
「嘘つき! 嘘なんてついたことないっていってたのに!」
いや、実際タイムリミットが無かったら俺殆ど何もやらなかったと思うけどね? でもここで怒りを抑えきれるほど俺は大人じゃないのさ。
「あれが嘘だったんだから仕方ないだろ」
今度は、二人同時に溜息をついた。全身に言葉にできない疲労が重くのしかかる。
「まあ、チュートリアルならこの状況も何とかなるんだろ?」
まったく、なんて設計をしてるんだこの女は。人をハラハラさせることに命でもかけているのだろうか。
女はすぐには答えてはくれなかった。ただ首をひねったら溜息をついたり、口笛を吹いたりとどうでもいい事に必死なように見えた。そして聞こえる、止めの一言。
「本当はお前と少年がその場にいたら犬が駆け寄ってくるってシナリオだったんだけど……」
つまり、意訳するとこうだ。この状況はどうやら俺が無駄な事をしたおかげで出来上がったらしく、神様の保障外らしい。
「……じゃあな」
別れの言葉を女が口にする。そして誰にも見えない事をいいことに、堂々と銀行の外へ出て行った。
「あ、お前ちょっと逃げるな!」
俺も慌てて、女の後を追い外へ出た。女は足を止め、振り返る。
「またな、和夫」
笑って、そう言って、人ごみの中へ消えていった。
「……お巡りさん」
目の前には、大勢の野次馬と警察。もう、手遅れだった。
「なんだい」
煙草をふかしながら、中年刑事が拡声機を使わずに答える。
「あの女、逮捕して下さい」
それが、俺の性一杯の抵抗だった。俺は悪くない、本当はそう叫びたかった。
「佐藤、とりあえずお前、あいつを逮捕してこい」
「はい、警部!」
初めて乗ったパトカーは思ったより暖かかった。初めて見た本物の刑事はドラマ以上にやさぐれていた。初めて入った取調室は煙草の匂いが染みついていた。
そしてなにより、初めての手錠は冷たかった。
「やだなぁ刑事さん……さっきから何度も言っているじゃないですか。僕はただ全身に魚肉ソーセージを巻きつけて犬を探していただけなんです全部あの女とガキが悪いんです」
硬いパイプ椅子に腰をかけ、天井を見上げながら俺は何度も同じ話をしていた。事の顛末を、小学生にでもわかるように丁寧に順を追って説明していた。ちなみに犬の名前は最後まで思い出せなかった。
刑事二人が大きなため息をつく。場数を踏んだベテランの刑事でさえ、頭のおかしな人間というのは面倒くさいものなのだろう。
「……どうします警部」
若い刑事が調書を取る手を休めてそう言った。大学ノートのようなその紙に、何が書かれているかはわかる。そこにはきっと神と子供と犬と魚肉ソーセージが登場する果てしないおとぎ話が紡がれていることだろう。
「兄ちゃん、いま幾つだ?」
「18っす」
「若いねぇ……大学生かい?」
「さっき俺の財布取り上げて中身確認したじゃないですか……大学落ちた俺に対するあてつけっすか? え? ……ていうかカツ丼って出ないんですねぇ俺てっきりタダでもらえるものだと思ってましたよ~。まあ腹なんて少しも減ってないんすけどね~」
俺はもう、これでもかというぐらいにやさぐれていた。
俺は犬を探していた。そこまではよかった。今は、取調室の中にいる。
「……どうします、こいつ」
小声で若い刑事が中年刑事に相談を持ちかける。
「佐藤、お前好きな方を選べ」
「何がっすか?」
「頭のネジが飛んだバカの銀行強盗未遂か、銀行の店長の公務執行妨害のどっちかだ」
「前者だとどうなりますか?」
中年刑事は煙草の煙を盛大に吐き出し、こんな事を言った。
「いろんな人権屋が駆けつけてくれるぞ、マスコミのオマケつきで」
「……後者にします」
「だよなぁ、俺だってそうするもん」
相談の内容など、どうでも良かった。ただ俺の人生はもうここで終わりだった。俺はこれから魚肉ソーセージを全身に巻きつけた頭のおかしな犯罪者としてワイドショーの人気者になるのだろう。
「なんすか二人で相談して、死刑っすか~? 別にいいですよ日本で死ねるんなら独裁国家で流れ弾とかより全然ましっすよ~」
「氏家……和夫くんだったね」
若い刑事が調書を閉じて、落ち着きのある口調で言った。
「そうですウジ虫クズ夫でーす」
「もう、帰ってもいいよ……君、別に悪い事してないみたいだし。親御さんにも連絡しないでおいてあげるよ」
え? 今なんて言いました刑事さん? ついに俺の無実が証明されたんですね、こういう展開ってテレビドラマ以外でもあり得るんですね!
「……マジっすか?」
「マジっす」
若い刑事は笑う。俺も笑う。幸せだから、笑うんだ。
「刑事さん、本当にありがとうございました。このご恩は一生忘れません」
俺は若い刑事の手をしっかりとつかみ、謝辞を述べた。気がつくと頬には暖かい涙が伝っていた。
「……はあ」
苦笑いを浮かべる、若い刑事。中年刑事は、調書を読んで笑いながら煙草を吸っていた。
「ただいま」
家のドアを開けると、カレーの匂いが漂って来た。腕時計を見れば、もう午後の九時。今日一日開かなかった参考書とノートが詰まった鞄を下した途端、腹の虫が盛大に鳴った。
疲れた。それに腹も減った。居間に入れば両親は早めの晩酌を楽しんでおり、姉さんだけが俺が帰宅した事に気づいていた。
「あ、お帰りカズちゃん。遅かったね……自習してたの?」
「うん姉さん……俺、一杯勉強してきたよ」
勉強。確かに授業なんて出席してない、おまけに英単語帳さえ開いていない。だけど、その割には今日一日で多くの事を学んだような気がする。
例えば、実は俺が世界で二番目のクズだって事とか。