出会いはある日突然に 中編
「んで、これかよ」
「まぁいいだろう」
結局俺は、女の提案をなすがまま受け入れる事になった。きっと道行く人からは、俺がヒッチハイカーだと思われているだろう。それもそうだ、往来のど真ん中に文字の書いた大きな紙を掲げている奴なんてそんな奴らしかいないのだから。しかし、俺は違う。俺が掲げる紙に……さっきまで使っていた紙芝居の裏には、目的地なんて書いてないのだ。その代りにこんな文句が汚い文字で書かれている。
『困っている人助けます』
なんともまぁ、安直な手段ではないか。
「俺、不審者だと思われない?」
「大丈夫だ、もう思われているよ」
適当な縁石に腰をかけ、女はあくびをしながら無責任なことを言う。まったく誰のせいだよ、こんなことをする羽目になったのは。
「そもそもさ、こんな怪しい奴に声をかける人なんて巡回中のおまわりぐらい」
「お兄ちゃん、助けて下さい!」
しかし世の中というのはよくわからない。いつの間にか俺の目の前には目に涙を溜めた少年が偶然――タイミングが良すぎはしないだろうか――現れていた。
「ほ、本当に来た!?」
突然の出来事でつい素っ頓狂な声を出してしまう。黒い髪に空色のシャツ、それとカーキ色のズボン。利発そうな子供だった。
「実は僕、チャッピィっていう大きな犬を飼っているのですが……それが昨日から帰ってこないんです」
はっきりと言って、俺はこの少年が不気味だった。それもそうだろう、訳もわからない見ず知らずの男に助けを求めるという事自体が間違っている。
「おいおいこいつ頭大丈夫か? どう見たって俺達は不審者だろ」
心配になった俺は小声で女に相談をしてみた。かなりネガティブな内容ではあるが、事実であるので仕方ない。
「そんな事を言って……ポイントを貯めるんだろう? 丁度良かったじゃないか」
あくびを押し殺しながら女がそんな事を言う。
「具体的に何ポイントぐらい貯まるんだ? いい事をするとさ」
「それはお前がやった事に比例するよ」
「ふーん」
そういうものか、と納得する。確かにこの子供は今の俺にとって都合が良い。話だけ聞いてみても損はないのかもしれない。だからといって、心の中にある一抹の不満が消えるとは思えないけれど。
「あのー……」
少年は俺達の話が聞こえていたのか、苦笑いを浮かべて話を切り出そうとしていた。
「あ、悪い悪い。この女がいちいち煩くてさぁ」
横にいるホームレスみたいな恰好の女を指さし、へらへらと笑ってみる。そうだ、困った事が起きれば全部こいつのせいにすればいいんだ。
「……あの、一つだけ言ってもいいですか?」
しかし少年の表情は晴れない。それどころか先程よりも険しい顔つきになっている。
「ああ、答えられる範囲なら」
確かにこの女の服装は社会的にはよろしくないとは思う。だからこの少年の口から、この女の服装や態度などその他諸々を改めてくれと注意してくれれば俺はどれほど嬉しいだろうか。
しかし少年の心配の対象はどうやら俺だったらしい。しかも、よほど深刻な内容である。
「お兄ちゃん……頭、大丈夫ですか?」
ためらいがちに、だけどはっきりとこのガキは言った。
「はぁっ!?」
大丈夫かって? あーそれはもう全世界クズランキング二位になるぐらいは正常だよ!
気がつくと俺はガキの胸倉を強くつかみ、大声で罵声を浴びせていた。
「おいおいクソガキそりゃないだろ……ご親切にテメェの飼い犬探してやろうって言うジェントルマンな俺にそんな事を言いやがるのは? あれかお前、社会勉強とか足りないんじゃないのか!?」
ガキが怯える。いい気味だ、と内心思う。そうだ、おかしいのは俺じゃない。いきなり人の為に何かをしろとかぬかす自称神様と、どこからどう見ても不審者二人組に話しかける世間知らずのガキの方だ。
どうだ怖いかクソガキ、これが大人だ!
「言い忘れてたけど、私はお前にだけしか見えないし、私に触れられるのもお前だけだ」
おい、神様今なんて事を言ったんだ?
俺にしか見えない……ってことはあれか、この純真無垢な少年の目には、俺が何もない空間と喋った上に空気を指さし『この女』なんて言い訳をする精神科に入院が必要な人間にしか見えないってことなのか?
「はぁっ!?」
俺は叫んだ。悲しかったのだ。俺は無実の少年を大声で怒鳴り散らしてしまったのだ。これで心を痛めない人間がいるだろうか。
ごめんなさい嘘つきました。驚いただけでした。
「い、痛いです離して下さい……」
「あ、悪い」
少年のシャツから急いで手を離す。
「うわこいつ、子供に大声で怒鳴ってやんの。ほんっとにクズだな。やーいクズクーズ」
聞こえてくる自称神様の呟き声。耐えろ、耐えるんだ俺。この声に反応してしまえば、また少年は俺の精神状態を心配し始めるだろう。
「……お兄ちゃん大丈夫? 疲れてるみたいですけど」
「ぼくちゃん、俺もう駄目かもしれないよ」
目頭を抑えて、天を仰ぐ。そして、ゆっくりと瞼を開ける。
――すると、どうだろう。
何一つ変わらない世界が俺の目の前に広がっていた。なんだこれ、夢じゃないのかよ実はまだ俺は高校生ぐらいで可愛い幼馴染が枕元までおこしに来てくれててついでに親が共働きだからって弁当までつくってくれてたりしないのかよ。神様、ねぇ神様……あ、違うってクソ女お前じゃないよ背中突っつくなよなあんた絶対今ニヤついてるだろ後でぶん殴るぞ……俺、なにか悪い事したのかな?
「あの、やっぱりチャッピィは自分で探しま」
「駄目だ!」
立ち去ろうとする少年の肩を強く掴み、俺は真剣な声で言った。
「頼む……俺にやらせてくれ」
そうしなければ、ポイントが貯まらないのだ。本当、やりたくないんだけどかわいい彼女が……じゃなくて俺は楽して大学に受かるんだ。その為なら、勉強以外はなんだってしてやる。
「偉いなクズ夫、がんばるんだぞ」
自称神様が俺の肩を優しく叩く。その顔は、笑いを堪えるのに必死だった。
俺と少年と俺だけに見えるホームレスは、手頃な縁石に一列になって腰を掛けた。少年は、飼い犬がどこかへ行ってしまったので一緒に探してほしいとの事だった。と、いう訳で俺は少年からその犬の写真を見せてもらっていた。
「ほら見てください、これがチャッピィです。かわいいですよね」
少しだけ汚れた一枚の写真。一軒家の庭で少年とその両親と大きな白い毛むくじゃらの犬が一緒になって映っている。
「そうだなでかいな」
ちなみに、家は三階建てで周りには他の建物がどこにも見当たらない。うん、でかい。それはもうこの少年が金持ちだって言うのが一発でわかるぐらいでかい。
「でもチャッピィ……どうして逃げちゃったのかな」
「お前の事が嫌になったんじゃないのか?」
口を滑らせたとはこういう事を言うのだろう、適当に思いついた理由は少年を悲しませるには十分すぎるほどだった。
「あ、うそ! 嘘だから! 馬鹿野郎お前犬が人間を裏切るわけないじゃないか!」
俺が弁解してももう遅い、少年のすすり泣く声が街角に静かに響いていた。
「泣かせたか? 泣かせたのか?」
そして楽しそうな表情で顔を近づけてくる自称神様。ああ本当、どうして俺はこんな面倒くさい事になったのだろうか。
「お前はもう黙ってろよ……」
溜息をつき、俺は女に言った。これ以上話を紛らわしく欲しくないのだ。
「ほかに特徴ないのか? その犬の」
少年は涙を拭うと、必死にジェスチャーで俺に何かを伝えようと……何でジェスチャーなんだ? こいつ普通に喋れるはずだ……あぁそうか、俺が黙れと言っていたのが聞こえていたのか。
「違う違うお前じゃないっての、いいから喋れ」
なんとなく腹が立ったので、軽いストレス解消として少年の頬をつねってみる。
「いふぁいえふはなしてくらふぁい」
予想以上に面白いリアクションが見えたので、俺の気分はほんの少しだけ晴れた。
「よし」
「あと、僕は『お前』じゃなくて『健太』っていう名前があります」
不機嫌そうに、少年改め健太が喋る。そういえば、こいつの名前を聞いてなかったか。まぁポイントが貰えればそんな事はどうでもいいのだけれど。
「あーそう、それは良かった。よし健太、話を続けろ」
健太は軽く咳払いをすると、人差し指をピンと立ててこんな事を言った。
「実はチャッピィには、他の犬にはない特徴があるんです」
「へー、何なんだ」
その特徴って言う奴を辿って行けば犬探しなんて早く終わるのかもしれないな、なんて甘い事を俺は考えていた。
「魚肉ソーセージが大好きなんです」
だから犬の好物なんて俺にはどうでも良かった。
「そうか」
「すごいでしょ?」
「他には?」
「ないです」
え、終わり?
「それだけ? ていうかそれ特徴じゃないよね? 好きな食べ物だよね? 特徴っていうのはさ、ほら、たとえば実は遺伝子をいじくられたスーパードッグだとか首輪にはパパが隠したマル秘メモリーチップが入ってるとか」
「そういうのはありませんね」
「あーそう」
「そうなんですよ」
俺が探すべき犬の手がかり。白くて、でかくて、そして最後は……。
「魚肉ソーセージ、か……」
魚肉ソーセージ。あのビニールの皮がなかなか剝けない、ついでにその皮に中身がこびりついてしまう事がよくある赤いアレ。子供のころは朝ごはんの定番だったのに、いまでは殆ど見なくなっている。結構美味しいよなあれ、最後に食べたのはいつだったかな。
などと魚肉ソーセージに思いを馳せていると、自称神様が俺に何かを手渡そうとしていた。もちろんそれは、魚肉ソーセージ。しかも、四本入りを二袋も。
「お、サンキュー……」
ありがたく受け取ろうとすると、女は急にそれを高くかかげた。
「2ポイント」
そして、トドメの一言。あれ? ポケットティッシュが1ポイントだから結構安い……って金額の問題なのかこれは? だめだ、基準がどうとか考え始めると堂々巡りになりそうだ。
「それを受け取らなかったらどうなるんだ?」
「もう駄目だぞポイントは減っているからな。フリップ見るか?」
「いや、いい……下さい」
また一つ俺はため息をついた。昔の人はよく、ため息の数だけ幸せが逃げるって言ったっけ。そうだよね、そうだけどさ……こんな時に笑える訳はないじゃないか。
「実はな、こんな所にこんなものが」
受け取った魚肉ソーセージを、少年に見せてやる。こんなもので犬が見つかるとは思えないが、無いよりはマシだろう。
ただ健太は、俺が魚肉ソーセージを持っていた事がよっぽど驚きだったらしい。
「うわ、すごい! どうして都合よく持っているんですか!? ま、まさかあなたは神様の使いとか!?」
目を輝かせて俺を見る健太。しかも今なんて言ったんだ……神様の使いだって? なるほど、子供の割にはよく見えてるじゃないか。
「ま、まーな……」
ただ神の使いは使いとは言っても、今のところパシリか玩具の類では無いのかと自分自身を疑わずにはいられなかった。
「そうとくれば話は早い、早速探しに行きましょう」
「おいおい焦るなよ」
別に急ぐ必要はない。これから何日もかけてチャなんとかっていう犬を探せばいいんだ。そうすれば俺はもう勉強なんてしなくていいんだ。
そう、俺と健太の冒険は今始まったばかりなのだ!
「これでお前も0ポイント……同率一位って訳だな」
聞こえてくる、悪魔のささやき。嫌な予感がする。
「だから?」
引き攣った笑顔で俺は聞き返す。首筋のあたりを冷たい汗が伝った様な気がした。
「あ、もう一つ言い忘れてた」
忘れていた、本当か? 本当はわざと言うのを遅らせて楽しんでいるのだろう?
「三時間以内にポイントを加算しないで一位のままだと、お前も現在一位の奴と一緒に悪の独裁者から民衆を解放する羽目になる」
「……マジ?」
「うん」
真顔で女が頷く。こういうときこそ笑って下さいよ神様。
「嘘だよね?」
「私は嘘はつかないぞ」
「……三日に一回ぐらいはつかない?」
「つかないよ」
三時間……今が大体十一時だから、タイムリミットというのは午後の二時ぐらいか。なんだ、余裕ないじゃん。
「急ぐぞ健太!」
「は、はい!」
俺達の冒険は、半ば強制的に始められた。そしてすぐに、どこへ行けばいいのかわからない事に気がついた。
魚肉ソーセージの皮を半分ほど剥き、手に持ってその辺をうろうろする。こうしていれば匂いにつられて犬がやってくると思ったのだが、今のところ犬の毛一本見当たらない。
「ほーらポチ、お前の大好きな魚肉ソーセージだよ」
こんな間抜けなセリフを言い始めて、もうどれだけの時間が過ぎただろう?
「チャッピィです」
俺にはもう探している犬の名前さえ分からなくなって来ていた。というか初めからそんな事はどうでもいいのだ。
「お、あれ何かそうじゃないか? あの白い大きいの」
路地裏に放置されたゴミ箱の近くにある、真っ白で大きな物体。間違いない、俺達が探しているチャなんとかだ!
「あれはごみ袋です」
「あ、あれは!」
その近くにある白い物体を指さす。
「放置された洗濯機です」
聞こえてくる健太の溜息。なぜだろう、凄く馬鹿にされた気がする。というかされているのか?
その時、洗濯機の陰で何かが蠢いた。そうだ、あれは間違いなく動物だ……だったら決まっている。あれは、間違いなくチャなんとかだ!
「今度こそ、どうだ!」
俺はその動物をこれでもかというぐらい力を入れて指さした。健太もつられて目線をそっちに向ける。
ニャー、という可愛い声が聞こえて来るまでに、およそ三秒ほど時間を要した。
「……猫です」
「……わかってます」
それから俺達は、大きなため息を同時についた。ああ、俺はどうしてこんな事をしているんだっけ? ふと、疑問に思い始めた。そしてすぐに思い出す。魚肉ソーセージが好きだという事しか特徴のない白い犬を見つけなければ、俺は独裁国家へ強制送還されるということに。
「……嫌だ」
しかも、悪政に苦しむ民衆とやらを解放しなければならない。嫌だ、そういうのは映画とテレビゲームの中だけで十分だ、わざわざ俺が人生をかけてまでやるべき事じゃない。
「え?」
健太の声が聞こえた気がした。だけど何を言ったのかなんてわからない。冷静に考えてみよう、日本という文明社会に適応した現代人がシャワーもなければ娯楽が何一つない環境に耐えられるだろうか? 俺はそうとは思わない……というか耐える自信はない。
そんな地獄のような現実が、今、今俺の目の前に現れようとしているのだ。命の保証などされないに決まっている、どうせ何人ものクズ達がそこに送り込まれては使い捨てのボールペンのように死んでいったのだろう。
「独裁国家は嫌だ独裁国家は嫌だ独裁国家は嫌だ……」
頭を抱えて、呪文のようにつぶやく。そうだ俺は可愛くて背の低い彼女をゲットするんだ、独裁国家で革命を起こすために産まれてきたんじゃないんだ。
「船出まであと一時間、か」
そして俺の背中を押してくれる、神様のお告げ。ありがとう神様今ならキリスト教と仏教と神道とヒンドゥー教の四つ同時に入門できそうな気がします。
「よし、やろう」
そうだ泣いている暇は文字通りないのだ。俺はさっさとこんな事を終わらせるんだ舌足らずな口調が特徴的な俺の事が大好きな年下の彼女とイチャイチャするんだ!
「お兄ちゃん疲れてるなら明日でも」
「待ってろマイハニー……今助けてやるぜ」
拝啓、まだ見ぬ俺の彼女へ。お元気ですか? 僕は今、泣きたいです。敬具。
追伸。この世界に神はいました。だけど、とってもろくでもない奴なんです。
追追伸。魚肉ソーセージが嫌いになりそうです。