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出会いはある日突然に 前編


 五月、いい季節だ。誰もが新しい環境に慣れ、初々しさが周囲から消え去る季節。気温も温暖で過ごしやすい――ことさら散歩をするには五月より優れた季節はないだろう。


 この月が好きな理由は他にある。それはいつだって、物語が始まるのは五月だという事だ。何で他の月じゃ駄目なのかって理由は、面倒くさいけれど割愛せずにここで言っておくことにする。


 まず、偶数月。二月、四月と続き十二月に終わる数列。これは何をどう考えたって駄目だ。割り切れる数字って言うのはいつだって多くの人から反感を買うのだ。あんまり綺麗すぎる数字というのは無意識に人を不安がらせる。俺が何を言っているのかがよくわからないという人の為に、ここで一つの例を挙げよう。それは、銀行口座。自身の血と汗と涙とその他諸々の結晶である金を管理してくれる暗証番号を、『1111』とか『1234』とかにする奴がいるだろうか。もしそんな奴がいたとしても、きっと不安で夜も眠れなくなり翌朝にはシャッターが上がるよりも早く銀行の前に立ち尽くしていることだろうさ。


 しかしここできれいな数を除外しても、厄介なことにカレンダーのページはまだ半分も残っている。まず真っ先に除外するべきは一月だ。一月といえばくだらないテレビの特番に多くの人が釘付けになっているので、物語を進めように進めない。三月も駄目だ。新生活の準備で忙しすぎるから、登場人物が出てきたところで引っ越しの準備と各々の大事な仕事――決算の為の資料づくりだとか学校の宿題とか――をやる場面で終わってしまう。文字通り、一巻の終わりという奴。しかも登場人物がただひたすら同じ事をして終わるという起承転結のなってない最低最悪の一巻。


 残るは七月、九月、十一月。まず七月だけれども、これは論外だ。何せ、暑い。地球温暖化のせいなのかアメリカで肥満が増え続けているせいかは知らないけれど、とにかく暑い。七月の物語の主人公が『君を生涯幸せにする』なんて気の利いたセリフを言おうとした日には、『君を生涯幸せに……ここの喫茶店冷房ついてるのか?』なんてあまりに間の抜けたセリフに早変わり。七月はアウト、ダメ、使えません。


 次に九月と十一月。もう一々ケチをつけるのは疲れたので、一言でまとめさせてもらう事にする。俺は、寒いのが嫌いだ。


 というわけで、俺は五月が好きだ。さらに付け加えると、この物語が始まるのもやっぱり五月という事になる。

 申し分のない月で物語のスタートラインに立てる事を俺は嬉しくは思うが、心の中にはいまだ消えない一抹の不満が残っている。

 それはこの物語が十七日とか二十三日とか、非常に胃袋に収まりの良い日付には始まらず、五月五日というなんとまぁ覚えやすい日付で始まったことである。

 ではここで本題に入ろう。本題といっても『全米が泣いた!』とか『この夏、あなたは最高の恋を目にする……』とかキャッチコピーめいた内容についてじゃない。要するにこんな事を俺がだらだらと言う羽目になった理由である。


『出来過ぎというものは気味が悪い、おまけにいつだってろくでもない結果に辿り着く』


 ただ一言、こう言いたかっただけなんだ。






 五月五日、最低最悪の一日である。理由は単純、国民の祝日だからだ。普通の人はいいさ、今日だけは平日だというのに太陽が昇りきるまで布団の中で寝ていられるのだから。


 この世には休日が与えられない職業が二つある。それは主婦と浪人生である。先の見えない雑事に追われ絶えず行き場のない不安感に苛まれる。やるべきことは日ごとに増え、一日でもさぼると翌日の仕事の量は増えてしまう。正反対に見えるけれどよく見ると非常によく似た職業である。ついでに言うと、好きな時にさぼる事が出来るという点と果たしてそれを職業と言って良いのかという点も酷似している。


 初めに言っておくが、俺は主婦じゃない。主夫でもない。これでわかっただろう、浪人生だ。一生のうちに経験しなくても何ら人生の豊かさに影響も与えない、いわゆる負け組の仕事。わかっている、第一志望の大学の二次試験を悪性の風邪にかかり受けられなかったという事実が今俺の立つ場所を決めているという事を。


そう、わかっている。


今この瞬間、本当は予備校の長い机の上にテキストを広げ偉そうな講師の話を耳を澄ませて聞いていなければならないということを。

だけど俺は今ここにいる。そう、駅前のゲームセンターにある人気対戦ゲームで完膚なきまでに叩きのめされて凹んでいるのだ。


「あの……次、僕の番なんですけど……」


 振り返れば、脂ぎった天然パーマをおにぎり見たいな顔の上に乗せたネルシャツの男が申し訳なさそうに突っ立っていた。その姿といったら、ダメ人間代表としてどこかの百科事典の挿絵に採用して欲しいぐらいだ。大声を出せばひるんでどこかに行きそうだけれど、俺はそんな事はしない。それは俺が、どこかの王室で表彰されてもおかしくないぐらいのジェントルマンだから。ただ、舌打ちはする。


 席を立つ時、俺はそいつに聞こえるように舌を鳴らした。するとどうだろう、この男は俺をおびえた目で見てくるではないか。まったく、これだから卑屈な奴は嫌いだ。


 やかましい音が鳴り響くゲームセンターを後にして、駅前を適当にふらふらと歩いてみる。するとそこには一人の好青年が立っていた……よく見るとどこかのビルの窓に映った自分だった。その時俺は心底安心した。だってそうだろう、こんな立派な人間がこの世の二人といていいだろうか?

 好青年、というか俺の姿を鏡越しにチェックしてみる。

まずは顔だ。うん、いつ見てもそんなに悪くない。それに172センチという身長が上手く調和しているように思える。この点に関していば、俺は両親に感謝をしなければいけないだろう。次にファッション。髪は真面目さが滲み出る黒髪だが、光の加減によっては茶髪に見える。服のコーディネートもなかなか納得がいくものだ。七分そでの白いパーカーに、海の色のように深い紺色のジーンズ。腰から下げたウォレットチェーンがまたいい味を出している。靴は、実を言うと少し気に入らない。高校の時に買ったものなので、そろそろ汚れが目立ってきている。しかたがない、今日は新しい靴を探しに行こう。


そして俺は駅から少し離れた所にある靴屋で真新しいスニーカーを買う、予定だった。しかし現実というのは非情である。俺の素敵な自主休校日は、文字通り神のきまぐれによって最低最悪の一日へと変貌するのであった。






「やあやあみなさん、ちょっとそこのあんた、あんただよ!」


 あと十メートルで靴屋という地点……雑居ビルの路肩で俺は古びた画用紙の束を、どうやら紙芝居らしいそれを持った怪しげな奴に呼び止められた。『怪しげな奴』なんて酷い良い様に思えるかもしれないが、これでもまだオブラートに包んだ表現である事を理解してほしい。野球帽にサングラス、明らかにブカブカな緑色のフード付きコート、穴だらけのジーパン。そう、俺を呼びとめた奴は四方八方どこからみてもホームレスなのだから。


「俺?」

「そうそう、そこの小粋な兄ちゃんだよ」


 妙に芝居がかった女の声で……どこのチームかわからない野球帽と、どでかいサングラスのせいで、そいつの性別が女ということに俺は初めて気がついた。よく見れば、髪は肩にかかるほど長い。とはいっても、二昔前のヒッピーの男でもいそうなぐらいの長さだけれど。


 俺は、同情した。この女が何をしてきて、どういう経緯でこんな駅前で紙芝居を始めたのか、それもご丁寧に小脇に空のシーチキンの缶を置いているのかなんて解らない。だけど女性という生き物が小汚い恰好で時代遅れの小遣い稼ぎをしているという光景は俺の胸を深く痛めた。

ポケットから財布を取り出し、小銭を確認する。中には五百円玉が一枚と一円玉が三枚ある。心の広い俺は、アルミでできた一円玉を三枚も空き缶の中に入れてあげた。

俺の心は今、春の海のように清々しかった。俺は知らなかったのだ、余った小銭を他人に上げるという事がこんなにも素晴らしい事だったとは!


「あなたの人生が、いつか素敵になるように」


 俺は言った。母の腕に抱かれた赤子のような満面の笑みで。

決まった。俺は今、最高に輝いている。見ろよこの女の顔、口を大きく開けて驚いてやがる。そりゃそうだ、きっと今頃この女は『この世にはなんて立派な人間がいるのだろう、明日からはハローワークに行こう』なんて思っているに違いない。

さらにありがたい事に、俺はこの後どうすればいいのかを知っていた。それは、何も言わずに立ち去る事だ。俺はこの可哀想な女性に背を向け、靴屋に向けて歩き出した。


はずだった。はずたっだのだ。だけど実際にこうならなかった原因は俺には無い。


その女はあろうことか、募金をしてやった俺に対して舌打ちをしたのだ。しかもそれだけでは飽きたらず、


「おいおい少ないなあ……財布に札が入ってるのチラッと見えたぞ」


 などと言いやがるのだ。

 これはもう怒るしかない。そうだ、俺は今怒っていいんだ!


「おいお前……今なんて言った?」

「やや、兄ちゃんまだそこにいたのかい! いや~もうてっきりどっかに行っちまったのかと思ったよ!」


 女はまたさっきのわざとらしい口調で、おまけに頭の上に手をのせるという昭和のコントでしか見れないような仕草を付け加えてそんなことを言い出した。


「ふざけるなよお前、俺はお前に募き」

「まあまあまあ、そう怒らないで。ホラお詫びといったらなんだけど、これ見て行かないかい? ちょーど兄ちゃんにピッタリの話なんだよ!」


 俺の言い分を全部聞く前に、女は俺の手を掴み強引にその場に座らせた。俺は悪態を口にしながらしぶしぶその場にとどまった。別に俺の気が済んだわけじゃない、俺は今この場で怒鳴る事を止め、もっと別の方法でこいつに報復する事にしたのだ。例えばほら、この紙芝居にありったけのケチをつけるとか。


「それではみなさん、楽しい紙芝居の始まり始まり~っ!」


 こうして全然楽しくない紙芝居が始まった。

今ならわかる。俺は何を言われても立ち去るべきだったのだと。




「むかーしむかしある所に、氏家和夫という若者が」

「待て」


 古い画用紙に太いクレヨンで描かれた一人の男。その姿には見覚えがある。それに、その名前も知っている。


「……何」


 女は口を尖らせ、不機嫌そうに答えた。楽しい楽しい紙芝居が中断させられたのがよっぽど腹立たしかったらしいが、今はそんな事を言っている場合じゃない。


「何で……何で俺が出演しているんだ?」


 そう、どういうわけか俺の目の前で俺のプライバシーと肖像権が侵害されているのだ。氏家和夫は俺の名前で、画用紙に描かれたその姿は今日の俺の服装そのままだった。

 答えは返ってこない。ただ、女は口元を歪めニヤッと笑った。それだけだった。


「……氏家和夫くんは、どうしようもないクズです。だから面倒なのでこれからはクズ夫くんと呼びます! ウジ虫クズ夫でもいいんですけど、ちょーっと言いづらいからねー」


 またさっきのわざとらしい口調で、女はどんどんと話を進めて行く。


「クズ夫くんは、いつも『俺は違う、俺は特別なんだ』と自分に言い聞かせ、他人を見下す事しかできないひっじょーに器の小さな人間です」


 腹が立つ内容だった。本当は今すぐにでも目の前の紙の束を破り捨ててしまいたい。だけど、そうできない。どうして俺が出演しているのか。その疑問が俺の頭からこびりついて離れない。だから、待つ。その答えが語られるのを。


「そんなクズ夫くんのエピソードをここでいくつかご紹介しましょう。彼が小学生だった頃、遠足のおやつに入っていた缶入りドロップのハッカ味をクラスの女の子に全部食べさせます。いやーあれ変な味するんですよねー。また、長期入院が決まった子の為に作ることになった千羽鶴を、『作り方がよくわからない』というひっじょーにしょうもない理由で手裏剣にしてしまいましたーっ!」


 画用紙いっぱいに描かれた、青とオレンジのツートンカラーの手裏剣。それを作った記憶はある。だけどこんな昔の話をどうしてお前が知っているんだ?


「小学校を卒業したクズ夫くん、中学高校とまともに友達ができずに卒業! おまけに第一志望だった国立大学の医学部入試では、センター試験で良い点をとるものの二次試験を寝坊して落っこちてしまいました! いやークズだねぇ」


 話は続く。今度は俺だけしか知らない話だ。なんでだ? 疑問はどんどんと膨らんでいく。


「浪人生になったクズ夫くんは、やれ講習があるとかテキストを買うとかで親からお金をせびり、今日も授業をサボりゲーセンに通っては格ゲーでボッコボコにされてむなしく家に帰るのでした……いやー、めでたしめでたし」


 そして最後のページ。そこにいるのは、やっぱり俺だ。

 この出来の悪くて古臭い紙芝居に、俺はありとあらゆるケチをつけるはずだった。だけど今はそんな事をしている場合じゃない。

 聞かなければならない。どうして俺の事が、それも誰にも話していない事さえ、その酷く出来の悪い出来過ぎた絵本には描かれているのか。


「それで、そいつはどうなるんだ?」


 ああ違う、俺が聞きたいのは結末じゃないだろう。だけど、だから、何なんだ? もう駄目だ、頭がこんがらがってまともに物を考える事さえできない。


「それはお前が決めるんだろう?」


 女は笑う。得意げに、悟ったように言いやがる。畜生、腹が立つ。


「……お前、何だ? どうして俺の事を知っているんだ?」


 ようやく言えた、これが聞きたかったんだ。寄り道をした割には随分と上等な答えが浮かんだじゃないか。


「知りたいか、教えてほしいか?」


 俺は小さく頷いた。早く聞かせろ、その理由を。


「私は……」


 女はサングラスに手をかけ、そして映画のワンシーンのように格好良くそれを取り外した。


「神様だ」


 そして女はそう言った。ここでようやく、俺の脳味噌は完全に思考停止をすることができたのだった。




「……はあっ!?」


 この間抜けな言葉を言うまでに、俺は何と五分という長い時間を必要としていた。その五分間はきっと口を開けっ放しにした間抜け面を浮かべていたに違いない。


「『はぁ』とは何だよ、せっかくお前を助けてやろうと思ったのに」

「助ける? ……嫌がらせの間違いじゃなくてか?」


 眉間に皺を寄せながらも、自称神様はどこからかフリップボードを取り出し空高くそれを掲げた。司会進行も楽じゃないのだろう。


「パンパカパーン! 全世界クズ人間ランキングーッ!」

「……なんだそれ」


 そろそろ俺は、考えるという行為を止めてもいいのだろうか。神様教えてください。胡散臭いこの女じゃなくて、もう少し人間の言葉を理解できる神様助けて下さい。


「全世界クズ人間ランキングだ」

「誰が作ったんだよ、そんな悪趣味な代物」

「神様だ」


 ああ、あなたはものの数秒で僕を裏切るんですね、もういいです信じません。


「……それで、そのランキングが俺と何の関係があるんだ?」

「二位だ」

「何が?」

「お前が」

「何のだよ」

「全世界クズ人間ランキングだ」


 よく見るとそれには順位の横に名前が書いてあり、さらに名前の横に小さく数字が書かれている。なるほど、なんと不名誉なランキングだろうか。しかも氏家和夫という名前は見事に二位にランクインしている。 


「……おいおい、そんな訳があるか。大体俺より酷い奴なんて一杯いるだろ? たとえばそうだな……裏金貰ってる政治家に、麻薬中毒のミュージシャン。そいつらの方がどう考えても俺よりもク」

「その思考回路がクズその物なんだよ! 下には下がいるって安心して楽しいか!?」


 女の言っている事は、おおむね正しいとは俺も思う。ただなぜだろう、納得はできない。しかも、この女の表情ときたらなんだ、『ほら、私の理論が世界一正しい』とでも言わんばかりのしたり顔。殴りたい。殴り飛ばして、この場から走り去りたい。


「……ちなみに一位は?」


 だが、俺は耐えた。耐えてこの女の話をもう少しだけ聞いてやることにした。結局のところ、この女がどうして俺の事を知っているのかという答えは聞いていない。神様だから、などと言われて納得できる俺ではない。だからまた同じような質問をしなければならないはずなのだが、相変わらず俺の質問はどこかへ脱線していた。どうしても細かいところが先に気になってしまうのだ、仕方ない。


「一位か? 近所でも有名なパチンコ中毒のエロニートで、特技は世界的に有名な鼠の声で『俺の子じゃないだろ? さっさとおろせよ』っていう最低のセリフを吐く奴だ。ちなみにそいつはあまりにもクズだから修正が入っているところだ」

「なんだ修正って……顔にモザイクでもかけられたのか?」

「いや、今は某独裁主義国家から民衆を救うために革命家として活動している。そろそろニュースになるんじゃないかな」

「……何で?」

「まったく、バカでアホなウジ虫クズ夫には一から説明しないといけないのか」

「……お願いします」


 俺は頭を下げた。下げたのだ。もうこの時点で全世界クズ人間ランキングのベスト10から除外してもいいのではないのだろうか?


「ここを見ろクズ夫、この端っこ。これがなんだかわかるか?」


 そんな俺の思いを知ってか知らずか、この女はフリップの左端に描かれた小さな数字を指さして話を進め出した。どうやらこの世界に神様はいないらしい。


「……数字だな」

「そうだ、お前のところにはなんて書いてある?」

「……3」

「これが今お前が持っているポイントだ」

「ポイント?」

「そう、詳しい名前があるんだけど長いからポイントでいいぞ。これが多ければ多くなるほどお前はまともな人間に近づけるっていうわけだ。簡単だろ?」


 小学校の教師のように、訳知り顔で女が話す。しかし出来の悪い生徒以下の俺は何の事だかさっぱりわからない。ポイント? なんだそれ、電気屋か?


「どうやって貯めるんだよ、そんな曖昧な物」

「良い事をするんだ。特に、他人の為になるような事」


 なるほど、それはシンプルだ。


「嫌だ」


 だから簡単に即答できる。


「うわっ、クズだ」

「だってそうだろう、何で俺が誰かの為に頑張らなきゃならないんだよ、頭おかしいのかお前は」

「ひとつ、いい事を教えてやる」


 溜息をつき、ついでに悪態をついている俺を尻目に、女は人差し指を一本立て、ひとつ、という言葉を強調した。


「このポイントっていうのはだな、あるものと交換できるんだ」

「なんだよ、ポケットティッシュとかか?」


 どうせ胡散臭いランキングの事だ、せいぜいそこら辺で貰える割引券つきのポケットティッシュぐらいだろう。あたりを見回せばそこら辺で配っている……ほら、今だって俺と目があったバイトの女の子が俺に向かって笑顔で歩いて来ている。


「新規開店の居酒屋でーす! よかったらどうぞー!」

「ああ、どうも」


 差し出されたそれを受け取り、折角なので鼻をかむ。ちり紙をポケットにしまう頃には、店員は何処かへ消えていた。


「貰えたけど?」


 女は急に眉間に皺を寄せ渋い顔をした。そして突然大声を張り上げ、こんな事を言い出すのだった。


「1ポイント!」


 この女、とうとう頭のネジが……いや違う、こいつは俺と出会う前からこうなんだ。だからこんな道の往来で、訳のわからない事を言い出せるんだ。


「何がだよ」


 しかし、俺の心は広い。だから一応その発言の真意を確かめてやる。うん、偉いぞ俺。


「それ」

「どれだよ」

「ポケットティッシュ」

「……はあぁっ!?」

「ほらここ、2に下がった」


 その言葉の通りに、女が持っていたフリップの先ほどまで『3』だった数字が確かに『2』へと変わっていた。


「本当だ……」


 これは手品か? それともその薄っぺらいそれが最新電子機器だとか? だめだ、俺にはさっぱりわからない。


「このポイントと交換できるのはだな」


 そんな俺の混乱をよそに、女は軽く咳払いをして再び話し始めた。


「『奇跡』だ。お前が望むものなら何でも、ポイントに応じて交換してくれる。ポケットティッシュもその一つだな、お前が欲しいって言ったから気を利かせてくれたんだぞ。よかったなぁー鼻がかめて」


 そしてどうだろう、この得意げな顔。凄く殴ってやりたい。

 だけど、もしこの言葉が本当なら……俺は奇跡を起こせるのか? それってもしかして、もの凄く凄い事なんじゃないのか?


「んじゃあさあ」


 試してみる価値はあるのかもしれない。ポケットティッシュがタイミングよく配られたんだ、もっと他の別のものが貰えるのなら……。


「ん?」

「すげー可愛い小学生の彼女とかも貰えるの?」

「まぁできなくはないが……おまわりさーん!」

「あ、ちげ、今のは冗談だよ! 楽して大学に入れるとかそっちの方がぜんっぜんいいもんね!」

「本当か? 本気みたいだったけど」

「あのなあ、少し考えろよ。今日出会った奴に、お前は人類で二番目のクズ野郎だって言われて、いい事をしてポイントを貯めろって、そんな話信じる奴がいると思ってるのか?」


 そうだ、頭を冷やして考えろ俺。こいつのどこに信用できる要素がある? 俺の個人情報を把握して、人をクズだと罵り、突然数字の変わる手品の小道具みたいなフリップを持っている。それにこのホームレスのような格好。信頼の二文字はこいつのどこからだって読み取れやしない。


「それで俺は、何をしたらいいんだ?」


 だけどまぁ、試してみる価値はあるのかもしれない。

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